第11話 夜空の星々と狼さん!

 異世界に来て、初めての親族揃っての夕食会は、無事に終わる事が出来た。

 私達の帰還に心から嬉しそうに笑っていたレイフィード叔父さん、お父さんの前で始終赤面していた従兄弟のレイル君、

 小さなお手々を使って、一生懸命にお肉を頬張って、「おいしいね~!」と頷き合っていた三人の子供達。

 飽きる事のない楽しい食事の光景に、お母さんと一緒に笑い合った時間。

 そんな幸せな空間に、あとからひとつ気付いたことがあった。

 それは……、食事の最後の瞬間まで、

 ――レイフィード叔父さんの奥さんの姿が見えなかった事だ。

 あとからお父さんに聞いてみたところ、レイフィード叔父さんの奥さんは、身体が弱く遠くの別荘で静養をしているという話だった。

 それと、寂しがり屋のレイフィード叔父さんにその話をすると、奥さんと離れている辛さを思い出すだろうから、絶対に叔父さんの前で奥さんの話をしてはいけないと、どこか切なそうな雰囲気を宿したお父さんに言い含められた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ふぅ~、やっと一日が終わる~」


 自室に戻った私は、お父さんに教えられたとおりに、部屋の入り口左側にある水晶玉に手を翳した。

 すると、仄かな明かりが生まれ、部屋の中を柔らかに照らし出した。

 どうやら、水晶玉に手を翳す時に、どの程度の明かりが欲しいか念じれば、それに合った明かりが生まれる仕組みらしい。

 現代人が憧れる、魔法、正確には魔術と呼ばれるもの。

 お母さんと同じようにファンタジーな要素が大好きな私は、この水晶玉の生み出した明かりにさえ、胸をときめかしてしまった。

 ぽふんと、寝心地の良さそうなベッドにダイブすると、肌触りの良い感触が身体中に広がり、心地良い眠気を誘われ始めた。

 もうこのまま寝てしまってもいいかもしれない。

 初めての異世界で過ごした一日目は、吃驚びっくりする事ばかりで、少し疲れてしまったから。


「……あ」


 ごろんと寝返りを打った時、ふと、外窓の向こうに広がる景色に目がいった。

 確か、あそこから外に出られるんだっけ?

 少し夜風に当たってから眠るのもいいかなと思った私は、寝台からゆっくりと起き上がった。

 縦に長い外に続く窓式の扉のノブを回して、前に押し開く。

 一歩闇夜に踏み出すと、大理石で出来た白く半円形の空間が足元に広がり、その 先に三段ほどの緩やかな低めの階段が庭へと続いていた。

 階段の一歩手前まで進んだ私は、顔を上げて夜空の風景へと感覚を投じた。

 空には、吸い込まれそうなほどに深い闇を彩るかのように、きらきらと散りばめられた美しい星々が光輝いていた。

 地球の空と違い、淡く綺麗に光り輝く宝石のように、個々に違う光の色を纏う星々。

 それから、もっと吃驚びっくりしたのは、

 ――夜空に君臨する『三つの月』。

 大中小とそれぞれに大きさと輝く色が違う異色の月……。

 それね眺めていると、……あぁ、本当にここは異世界なんだ、と心の奥が切なく胸を締め付けた。

 ファンタジーが好きな自分なら、この夜空の光景に胸が高鳴って喜んでもおかしくないはずなのに、異世界なのだと実感する度に、切なくてたまらなくなってしまう。

 このウォルヴァンシア王宮に到着してからの今日一日は、必ず誰かが傍にいてくれたり、寂しさを感じる暇もなく賑やかな場に身をおけていたから、あまり強くそれを感じる事はなかったけれど……。

 ――今は、私一人……。

 人の不安は、夜に増大しやすいと聞いた事がある。

 外と中を隔てられるかのように、この静寂に満ちた時間は……私の不安を全て暴くかのように浮彫りにしてしまう。

 今頃、地球で暮らしている友人や近所の人達はどうしているだろうか?

 私という存在が欠けても、難なくあちらの世界の時は流れているのだと、……わかってはいるのだけれど。

 一人になったこの時間が、私の中にある寂しさと不安を増長させるように心を締め付けてしまう。


「駄目だなぁ……。ここで頑張っていくって、決心したのに……、心が追いつかない」


 今まで住んでいた大好きな世界……、その環境ががらりと変わってしまった。

 それは、私自身の体質のせいで、誰も悪くない……。

 お父さんとお母さんは、私がこれから先の人生を苦しまずに生きていけるように、この異世界に連れて来てくれた。

 深い両親の愛情に感謝こそすれ、それを恨みに思うことなど絶対にない。

 私は決めたんだから……。この異世界エリュセードで、ウォルヴァンシアという国で生きて行く事を……。

 だけど……、ごめんなさい。今だけは……、少しだけ泣きたい気分なの。

 故郷と別れを告げた事で、心に空いた喪失感という名の空洞……。

 この世界に慣れていけば、いつかは埋まってくれるだろうとは思っているのだけれど……、さすがに、今はまだ……この寂しさをどこかにやれる自信はなくて……。

 頬を伝う雫を拭いながら、私は自分が迷子にでもなってしまったかのような心地で、もう一度、エリュセードの美しい夜空を見上げた。

 どうか……、私の不安と苦しさ、地球を思って溢れ出てくる寂しさを……、大きく広がる夜空の闇の中に……吸い込んでほしい。


「……ん?」


 ふいに、物思いに耽っていた私の膝のあたりに、何かが触れた。

 ……そろ~り、……視線をゆっくりとそこに移動させると、大きな獣らしき前足が……、私の膝をもう一度タシッと叩いていた。


「グルル……」


「あ、貴方は……、昼間の狼さん!?」


私の膝に前足を何度もタシタシ叩いていたのは、昼間に憩いの庭園で出会った、もふもふ……こほん!

 もとい、大きな体躯の美しい銀色狼さんだった!!

 よく見れば、私の目の前におすわりして、じっとこちらを見上げている。

 いつの間に近寄って来たのだろか?


「どうしたの? 夜のお散歩でもしていたの?……あ、もしかして、焼き菓子の匂いを辿って来たの?」


「……」


 思い当たる節はそれしかない。

 昼間に食べたレア焼き菓子の美味しさを忘れられなくて、探しに来たのかもしれない。

 私は狼さんに、ちょっと待っててねと言い置いて、急いで部屋へと戻った。

 テーブルの上に置いていた焼き菓子の箱を開け、二つ手に持って外へと引き返す。

 狼さんは、黙ってじっと私を待ってくれていたようだ。

 大理石に膝を着いて、そっと焼き菓子を差し出した。

 けれど、狼さんは焼き菓子を見ても、なぜか口を開けようとはしない。


「どうしたの? 食べてもいいのよ」


 狼さんは焼き菓子ではなく、私の顔をじっと見つめた後、やっと口を寄せて、ぱくっと焼き菓子を頬張った。もぐもぐ……もぐもぐ……。


「美味しい?」


 食べ終わった狼さんにもうひとつ焼き菓子を差出し食べさせてあげた。

 ゆっくりと口の中でそれを味わった後、狼さんが大きな体躯を起き上がらせ、今度は私の部屋の方へと歩き出した。


「狼さん?」


 トコトコと室内に入り込んだ狼さんが、きょろきょろと部屋の中を見回す。

 一体どうしたんだろう? ……あ、もしかして、まだ焼き菓子が食べ足りないとか?

 あんなに大きな体躯をしているのだから、二つじゃ足りなかったのかもしれない。

 ……と、思ったのだけれど、どうにも違うらしい。

 踵を返して、私の方へと戻ってきた狼さんが、私の後ろに回ってグイグイと頭を押し付けた。


「え? ちょ、ちょっと、狼さん!?」


 どうやら部屋の中に入れと言っているようだ。

 私を前に押し続け、ようやく中に入り終えると、バタン! と後ろで音がした。

 ……え? 外窓の鍵が閉まる音を聞いた私は、慌てて後ろを振り返った。

 すると、狼さんが……前足を外窓の鍵部分に掛け、器用に鍵を閉めてくれる最中だった。

 異世界の動物さんって、自分で鍵を閉められるの……?

 鍵の部分を見れば、しっかりと施錠が完了しており、夜の戸締りはバッチリ完了している。


「き……器用……なんだね、狼さん」


若干、納得してもいいのかどうか悩んだけれど、異世界だから、と思えば、それも不思議な事ではないのかもしれない。

 それに、地球にだって新聞を持ってきたり色んな事が出来るわんちゃんはいるものね。

 狼さんの器用さに素直に感心する事にした私に、狼さんはベッドの方をじっと見た後、そちらに近寄り、ベッドの上にあがりこんでしまった。

 なにやら、前足でタシタシ! と合図するかのように布団を叩いている。

 これは……、こっちに来いと呼ばれているのだろうか?

 ベッドに上がって傍に行くと、狼さんはその大きな体躯を寝そべらせた。


「狼さん?」


 不思議そうに狼さんを見ていると、急に服の一部分に噛み付いた狼さんがグイグイと引っ張った。

 早く寝ろ、とでも言うようにベッドに引き摺りこもうとしてくる。


「もしかして、添い寝してくれるの?」


 どうにも、そうとしか思えなくて聞いてみると、狼さんはこくりと頷いた。

 確かに、このもふもふの毛並みに包まれて眠ったら、すごく暖かそうではある。

 けれど、レイフィード叔父さんやお父さん達に無断で、動物と部屋で眠ってもいいのだろうか。


「ワンッ……!」


 横にならない私に、狼さんが再び前足で寝るように催促してきた。

 ……一日ぐらいなら……、いい、かな?

 せっかく狼さんが自分から添い寝を申し出てくれているのだし、このふさふさした銀色のもふもふに包まれて眠れる誘惑には、勝てそうにない。

 私はベッドにぽふんと寝そべると、狼さんに「おやすみなさい」と笑みを向けて瞼を閉じた。

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