第4話 男と女

いい雰囲気になってる男女を見ていると、若いっていいなと心が緩む。

緊張して、体が硬くなって折角頼んだ焼き鳥にも手が伸ばせない男。対して、目を俯けたまま何を喋っていいのかわからない女。ウブというものなのかな。

「中々見れるもんじゃねえな」

その時、トンと頭に何かをぶつけられた。振り返れば嫁さんが手刀を掲げて睨みつけてる。曰く、そんなに見てやるなという顔。それがあまりにも凄みがあったので、俺は渋々焼き鳥を焼く作業に戻った。

だが、やはり気になるものは気になる。焼き鳥の焼き加減を気にしながら、ちらっと先程の男女を見て、また焼き鳥に目を戻す。そんなことを繰り返している。

アレはプロポーズする様子だよな。そうとしか見えなかった。あの緊張具合は伊達じゃない。お幸せにな、若夫婦。まだ決まったわけじゃないのに俺の心はそんな祝福の言葉であふれた。

その時、机がガタリと震えた音が店に響いた。俺と嫁さんが同時に振り向けば、あの男が立ち上がっている。

「あ…あの……!」

男がどん詰まりになりながらも声を発していた。ビクッと体を震わせ女は男に目を向ける。遂にきたか! と内心興奮したが、彼が発した言葉は予想外の言葉だった。

「別れてください!」

場が凍りついたのは言うまでもない。

流石の俺にもこんな修羅場は無視するほかならない。ただ一心に焼き鳥を焼くことに専念した。同調するように嫁さんも和え物作りに勤しむ。

目を向けられないものだが、若いからこそこういうこともあるんだなと、半ば俺は悟りかけていた。

一応、別れを切り出した男はまだそこにいる。律儀に女の返事を待っているらしい。焼き鳥を真面目に焼きながらも、無意識に耳は傾けられる。見ることはしないが聞くことはするのだ。そんな俺に嫁さんの冷たい視線が浴びせられるが、知ったことではない。

ドン!

と今度は机を叩く音がする。八つ当たりの一つぐらいはあるよなあ。別れを切り出されたら絶望してしまうだろうし。

だが、事態はここから暗転直下することになる。

もはや何も言うまいと心に思った次の瞬間、机を叩く音とは比にならない轟音があたりに響き渡った。何事かと向いた俺の目には、店のテーブルをちゃぶ台返しにした女と下敷きになった男、そして店内にいた他のお客さんの混乱する姿が写っていた。

「何やってんだ!」

カウンターを飛び越え、下敷きになった男を救おうと駆け寄る。だが女が店の中の備品という備品を男に投げつけるので、手が出せない。

「なんで! なんでなの! 清宗くん!」

殺そうとしてるのかぐらいの形相で彼女は投げる、投げる、投げる。その被害は尋常ではなく、店のガラスは割れるわ皿も割れるわ、俺の頭にも当たるわという大惨事。しかも女の暴走は留まることを知らず、いつまでも続くかに思われた。

「私は! あなたがいないと! いきていけないのぉ!」

その悲鳴を物理的にぶつけようと彼女は店の椅子を掲げて男に向かう。咄嗟に俺は拳を握り女に向けたが、あと一歩遅かった。

「いい加減にシロォ‼︎」

その比にならないほどの怒号、そして間髪入れずにバシンと頰の弾ける音が鳴った。暴走していた女はそれで力が抜けたように崩れ落ちる。

暴走を止めたのは、他でもない嫁さんだった。ただ、そこにいるのはいつもの嫁さんではなく、悪鬼羅刹と化した嫁さんだった。

「痴情のもつれとかは知らないけどねぇ……店で暴れられるのは困るのよ…」

怒りのオーラを纏った嫁さんに、あの女が勝てるわけが無い。俺だって嫁さんが怒ったときは全くと言っていいほど手が出せない。股から液体が流れ出しているそいつなんか、尚更だ。

俺は女の処理を嫁さんに任せて、男の救出、そして警察に通報をした。




その後はもう散々という言葉が完璧に当てはまっていたように思える。警察が来たことによって、事情聴取など受けたりなんやりして、閉店時間が来ても休むどころではなかった。一応女は警察に連行、男は任意同行という形で店から去っていった。野次へと変化したお客さんも、波が引くように消えていった。

因みに後々知り合いの刑事から聞いたことだが、男が別れを切り出したのは女の異常なほどの依存やメンヘラ体質が原因だったらしい。どうりで、と俺と嫁さんは納得した。

「それにしてもなぁ…」

荒れ果てた店内を眺め見るだけで溜息が溢れた。特に被害が大きいのは机や椅子、そしてガラスだろう。これを直したりするだけで結構な額になるのは明白だった。

「当分、店は休みにするほかねえなぁ」

ここまで荒れ果ててしまったのだ、この判断はしようがなかった。

「まあ、羽休めって感じでいいんじゃないの?」

と、嫁さんはコツンと冷たいモノを額に当てる。それは近くの自販機で買ったと思われるお茶だった。

「ほれっ。今日はそれ飲んでさ、もう休も?」

首を少し傾げる可愛い仕草と優しい声色に、俺はノーとは言えなかった。嫁さんからお茶を受け取ってチビチビと飲む。嫁さんも隣に座ってキンキンに冷えたサイダーを飲み干していた。

ここでふと思った。もしも、俺があの男みたいに別れるって言ったなら、嫁さんはどうな風な反応をするのだろうか。泣くのか、怒るのか、それともあの女のように暴れ狂うのか。

気になってはみたが、直接聞くことなんて俺にはできなかった。今は隣で幸せそうにいる嫁に、別れようなんて言うわけでもないし。

「俺にはそんなこと言えねえしなぁ…」

「何が言えないのよ」

「え、漏れていた?」

「それはともかく、何が言えないのよ。教えなさいよ」

「いや、それはだな……」


夜だというのに騒ぐ夫婦をよそに、夜風は暖かく風鈴を鳴らしていた。

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