焼鳥屋の店事情

一齣 其日

第1話 プロローグ 掌編集

その一 開店


雑然とした人の足音。暖簾をかけてると、四方八方から聞こえてくる。今日はどれほど人は来るのか。その足音を聞くたびにそんな心持ちになる。

闇が空を覆いつつあり、遠くからは人を運ぶ電車の音が聞こえる。赤提灯に光を灯し、準備は終わり。近くの時計塔はきっかり6時を指してる。さあ、今日も開店といこうか。



その二 新社会人


新社会人として、初めてここに来て酒を飲む若者たち。それはもう随分見てきたが、若者達は一目に多様だ。時に笑って、時に泣いて。社会の理不尽さにめげそうになり、それでも意地で立ち上がろうとし。そんな彼らにせめて俺は、暖かい焼き鳥をそっと側に置く。それが俺の小さなエール。

足掻けよ若者、自分の幸せ掴むまで。



その三 目


ここに来るのが最後になると、その女性は言っていた。どこか遠くへ行くらしい。彼女は水商売をしていた。

「あたしは、もっとでかくなる」

そんな彼女が、最後にそんなことを俺に言って。でも、どこかその目は乾いてた。俺はどうか足掻いてくれよと彼女に言った。彼女は曖昧な笑みを浮かべて暖簾の外へ消えていった。

それから数日後、その女性が死んだと聞いた。



その四 雨の日は続く


随分と続く雨の日に、俺はどうも気分が滅入っていた。客が来るのが少なくなるというのがあるからかもしれない。雨の日に寄り道は面倒くさいということか。それはわからないでもなかった。

雨ばかり続く日にどうにか終止符を付けたいが、俺にはどうすることもできない。ただ、焼き鳥の匂いの染み付いたてるてる坊主をかざすだけ。



その五 故


あいつは俺の店に来ては、散々俺のことをからかって店を後にする。終始仮面のような笑顔を貼り付けて。

今日なんかは、

「いつ見ても君の奥さんは食べごたえがありそうだねぇ」

という発言をしていた。あの笑みで言われたら、本気か冗談か全くもってわからない。これには少しドギマギしたものだった。本当に勘弁してほしい。

だが、十年以上経っても変わらないその性格は、辟易としながらもどこか懐かしい気分にさせてくれるんだ。



その六 ねぎまの話


ねぎまというのは元々マグロを使っていたらしい。俺がそれを聞いたのはごく最近。随分面白いと思ったものだ。できれば自分の店のメニューに取り入れたいと思ったがいかんせんまぐろが高い。さらに、鶏肉と違って仕入れ方が俺にもよくわからない。結局諸々の問題でこの件は保留。なんとか出したいものなのだが。



その七 夫婦二人


嫁さんは今日も笑顔を振りまいて、切磋琢磨に店で働いてる。時に接客、時に厨房。その姿は、たくましく凛々しいものがあった。

夫婦二人でこの店を継いでから、日はあまり浅くない。そんな今だからこそ必死でやっているんだと、嫁さんの姿を見て思うんだ。だから俺は、負けじと焼き鳥を焼く。俺たちの店は、まだ始まったばかりだ。



その八 ヒガウカブ (開店その二)


開店時刻になっても日は西に浮かんでいる。いや、沈んでいっていると言う方が正しいのか。春になってもう幾日と経った。随分日が長くなったと感じられずにはいられなかった。

手に持ったペットボトルのお茶を気合を入れる感じで一口。東から人もやってくる。

さあ、今日もはりきって焼いていくとしますか。


その九 飲み逃げ


酒を二杯、三杯と飲む男。スーツはシワが多く、よれっとしていた。その男はただ酒だけ頼んで飲み漁っていた。そろそろ閉店の時間になる。

俺はその男に、

「お客さん、そろそろ閉店だから勘定」

と言ったら、

「そんな金ねえよ!」

と逃げられた。

俺はなんとか取っ捕まえたが、その男は許してくれと言うばかり。


その十 飲み逃げその二


結局のところ、飲み逃げというのは多くて。あるときは泣いて謝罪し、あるときは開き直って抵抗したり。こういうのも、食い物を扱う店の宿命なのかもしれない。かと言って、昨日みたいな奴を見るのは好くわけがない。

やり場のないこの焦燥感を、俺は決して表に出さない。俺の心がそれを許すわけがない。


その十一 つくしのてんぷら


その日限りのつくしのてんぷら。嫁さんが散歩している途中、たまたま見つけて摘んできたという。今日の店に出したいと気圧されたので、その日限りとして渋々出すことにした。

抹茶塩で程よく味付けされたそれは、噛むたびに春の苦味を染み出していく。摘むたびに酒が進むそれは、俺の焼き鳥より人気が良かったらしい。嫁の料理の腕がいいのか、元のつくしがいいのか。ともかく俺の心は複雑になるばかりだった。



その終 閉店


時計の針が12時をさす頃に、店は終わる。外を見れば夕方の雑然はそこにはない。電車も終電を回っている。静寂が世界を覆っている。暖簾を下ろし、提灯の灯りを消す。

店に戻ると、嫁さんがお疲れ様とお茶を出す。俺はお疲れと返してそれを飲む。仕事終わりの良い一杯だ。こうして、夜は更けていく。

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