記憶の礎 第4話
わあわあと雄叫びがそこら中から上がる。
鉄と鉄が擦れ合う音。弾ける金属音。間髪いれずに上がる断末魔の悲鳴は敵か味方か。
兵士が一人、また一人と倒れ込むたびに花びらが舞い上がる。
逃げ惑う市民を容赦なく切り殺す敵兵に、一片の迷いのない顔をしたフェルフォーリアの土塊たちが果敢に襲いかかる。
フェルフォーリアは戦場と化していた。
カスケードは逸る気持ちを無理やり心の奥に捻じ込ませ、城門へとひた走る。
「カスケード! 跳ね橋が落とされた! 奴らはすでに城下に侵入してしまった!」
ようやく辿り着いた城門の前で、警備兵がカスケードに向かって叫んだ。彼の向こうには、いつもなら跳ね上がった橋で閉じられている門が、大きな口を開けて立っていた。
「危ないぞ。カスケード!」
その叫び声は、カスケードの目の前でくず折れた警備兵の背後から飛び出してきた敵兵の首を、一瞬にして斬り落とした。
「ぼやぼやしていると今度は貴様の首が刎ね飛ばされるぞ」
「ハブランさま」
真横に立つ屈強な武人に目を遣る。
ハブランは刃に付いた敵兵の血を払い、鞘に収め「敵国の王の方が一枚も二枚も上手だったってことか」と苛立ちを滲ませながら呟いた。
戦場に在りながら、うろたえるカスケードに、
「中の警備は手薄になっている。ここは私が抑えているから、貴様は早く城へ向かえ。城中には、智将のベルエアーと官吏のフランバムしかおらん。彼らでは……エクセイシアさまをお守りするのは無理だ。貴様が行け」
そう言うが早いか、どこからか現れた敵兵の首を瞬時に落とす。
「早く行かんか!」
そう怒鳴りつけられたカスケードは、転がるようにして城門を駆け抜け、あちらこちらから現れる敵兵を、エクセイシアから託された神剣の片割れ、月読で次々と斬り捨てていく。
カスケードの端正な顔が、敵兵の返り血で真っ赤に染まる。それらを拭うこともなく、ただひたすら主の元へと駆けて行く。
返り血が頬を流れ落ちるほどになろうとも、カスケードの足は止まらなかった。
頑強な造りの城門とは打って変わり、屋敷の門は簡素なものだった。城門と跳ね橋が落とされることなど、フェルフォーリアの王たちは考えもしなかったからだ。
簡素なその門はあっけなく打ち破られていて、屋敷へと戻ったカスケードの前には、累々と横たわる同胞の泥人形たちの哀れな姿が晒されていた。
命を奪われればただの土塊に還るだけ。知っていることとはいえ、カスケードはそれらを直視できなかった。
城の奥からは、剣の打ち合う音が響いてくる。
カスケードは中へと急いだ。
途中、ベルエアーの屍体を見つけたが構わず進む。カスケードの頭の中には主のことしかないのだ。エクセイシアの無事。ただそれだけである。
音はエクセイシアの庭から聞こえてくるようだった。カスケードは月読の柄を握り締め、通路の窓を打ち破って庭へと飛び出した。
飛び散る破片の向こうで、人影がゆらりと揺れた後、花壇の中へと倒れ込むのが視界の端に飛び込んでくる。綿毛のように真っ白な花びらが一斉に散り、宙へと舞い上がる。
窓から飛び降りたカスケードの足元には、官吏フランバムの屍体が転がっていた。
カスケードはゆっくりと、視線をフランバムから前方の花壇へと向ける。
逆光の中で、数人の敵兵は何かを持ち上げ、高笑いしていた。カスケードは目を細め、それらを凝視した。
地の底から這い上がってきた魔物か何かの汚らしい、嫌な声が聞こえてくる。
「神の子と言われたフェルフォーリアも、攻め落としてみればただの人の子だったな!」
「なにやら妖しい術を使うと聞いていたが、なに。たいしたこともない。剣ひとつ扱えぬとは何とも貧弱な一族よ」
「そうなれば、この剣も無用の長物となろう。儂が貰い受けてやる。あり難く思えよ、王子殿」
眩しい光の中。
汚らわしい男どもが高々と持ち上げたそれは、間違えようもない、カスケードの主。エクセイシアだった。
声が喉に詰まり、あるはずのない血が逆流しているかのような錯覚に陥った。身体の中のなにかが滾る。
今にも口から熱い炎でも迸るのではないかと思うほどの──激情が──だがけしてカスケードにはわからない──なにか。
じゃり、とカスケードの足元の砂が鳴った。
高笑いしていた敵兵が一斉にこちらへと向き直り、目を細め、黒々と生やしたヒゲを撫で回しながら、にたりと笑う。
「まだ生き残りがいたようだ。ほうら、お前らが信奉していた神の子の哀れな末路を見るがいい」
放り投げられたそれはカスケードの前に落ち、ごろりと足元へと転がってきた。
瞳は固く閉じられ、口唇からは一筋の血が流れ落ちている。
「その剣から手を放せ」
カスケードは月読をすらりと抜き、切っ先を突きつけた。声が少し震えていたが、武者震いである。
「剣を放せば見逃してやらなくもない」
今度ははっきりと告げた。
ヒゲ面の敵兵は、文官のようなカスケードの風体に嘲笑を浴びせ、
「お前もその剣を放せば見逃してやらなくもないぜ?」
ひっひっひと引き攣った笑い声をあげた。
カスケードは駆け出し、数メートルの距離を一気に縮め、彼らを一閃の元に斬り捨てた。
ゆらりゆらりと頭と離れた胴体が無様に花の中へ倒れ込む。
「貴様らのような外道が触れていい物ではない! これは……これ……は。我が主……の物だ。──くっ」
月読を収め、抜き身のまま転がっている神苑を拾い上げた。鞘を探してみると、それはエクセイシアが握っていた。しっかりと握り締めた彼の指を、一つ一つ鞘から外し、抜き身の神苑をようやく収める。
「王よ。あなたが選んだ争いの道は、我が主を奪い去ってしまった。私を戦場へ送り込み、主と離れさせたのは何故ですか。他意はないと言われたが、どうなのですか? ハブランさま!」
回廊を回って現れたハブランに問うた。
近づいてくるハブランの足が、エクセイシアの花を踏みにじり、王が懼れたのだと言った。
「エクセイシアさまの貴様に対する執着をな。ただの土塊にしか過ぎぬ貴様をいつも手元に置いておかれただろう。いずれ王を継ぐ者として、一介の土塊如きに執着するようでは政が行えんと嘆かれたのだ。だから私が進言した。貴様を戦に向かわせるようにとな。だが、貴様とて望んで戦場へと赴いたではないか」
「時には戦うことも必要だと感じたからです。そうでなければ我が主の政が立ち行かぬと…王が申されたからだ」
「だが、貴様はそれに応じ戦場へと赴いた。己の意志でエクセイシアさまの元から離れたのだ。結果、エクセイシアさまは無残な最期を迎えられた。この罪が誰の罪だと貴様は言うのだ」
「誰の罪だなどと。ただ──私は……このような思いが初めてなのです。胸が軋むのです。まるで……今にもこの身体が崩れ去ってしまうような……壊れてしまうような……」
「悲しみだとでも言うのか? 土塊のお前がそれを口にするのか? だが涙は出ておらぬ」
「それは」
「教えてやろう──貴様がただの泥人形だからだ。土塊である貴様に、悲しみなどという人と変わらぬ感情が宿るなど、吐き気がするわ。夢を見るな。土塊は土塊らしく、戦場で死ね」
ハブランは吐き捨てるように言い、庭を後にした。
捨て置かれてしまったエクセイシアの亡骸を、カスケードはその庭に埋めた。
「やはり、あなたの名を口にすることはできない。私はただの土塊なのです。──ですが、誓いましょう。私の主はあなただけであることを。この命が尽きるまで……」
カスケードはうっとうしそうに風に舞い上がる髪をかき上げた。憂鬱そうな溜息を吐き、翼を広げる。吹き上げる上昇気流に乗り、空へと飛び立った。
タナソツームを狩りに──。
「私の身に感情は宿らん。だが願おう。
今、この剣で花を狩ることが──あなたの思いを裏切っていないのだと──」
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