三人の翼人 第9話
ぎしっ。フィデリオが深く腰掛けた一人掛けのソファが軋んだ。
虫の声と共に中庭から夜風が入り込んでくる。フィデリオの手にはパンディオンからの書簡が握られていた。幾度読み返そうとも、ケリーがガーデンへ上がることに変わりはなかった。
フィデリオの足元に散らばっている、ガーデンからの正式文書にも同じような事柄が載っていた。私信の書簡と違うそれには、すべての神々の同意であるという言葉で終わり、代表者でもあるオステオスのサインで締め括られていた。
パンディオンも不安は的中していたのだ。
彼の書簡がフィデリオの元に着いた翌々日には、ガーデンから正式文書が送られてきたのだから。
そして、明日が、ケリーがオルレカとなるべく──オルレカとなる儀式を受けに──ガーデンへと赴く日なのである。
緊張して眠れないだろう心配したフィデリオは、ケリーの寝室に行って様子を見ることにしたが、それが意外にも緊張などしておらず、挙句すうすうと寝息さえ立てて眠っていたのだ。ことの重大さが理解できていないことが吉となるか。それはフィデリオにもわからないことだった。
ガーデンではフィデリオが教育係として、ケリーにつきっきりになる。フィデリオの花が選ばれたのだから、教育も遍く責任を持つのだ。
ケリーにとってガーデンに行くということは、フィデリオを独占することができるという喜び、ただそれだけなのだ。
オルレカの何たるかなど問題ではなかったし、屋敷の外へ出られる喜びもまた、それに拍車をかけた。
だから傍目から見るだけでは、ケリーの内面にある不安や怖れなどは量れない。
気がつけばしらじらと夜が明け始め、朝靄の冷気がテラスから吹き込んできてとても心地いい。階下では、朝食の準備に起きだしたサムとルードの忙しい物音が聞こえ始めた。
「花狩りまでには三月しかない。三月で何ができると言うんだ」
フィデリオは憎憎しげに呟くと、ふとカスケードの姿が脳裏をよぎった。
口角を歪め、
「カスケードなら。ヤツなら平気なんだろうな。なぜヤツはオルレカを同じ翼人として見ないんだ。まったく屈折していて、理解できんっ」
フィデリオは散らばったままの文書を拾い上げ、机の引き出しの中に無造作に押し込む。いつまでも目の当たる場所にあって欲しくないと思ったからだ。
苛つく気持ちを落ち着かせる為に、テラスへと出た。朝靄が床板の上を這うように漂っている。肌に当たる風もなかなか心地よく、手摺りに凭れながら、紗がかかってぼやけた朝日を眺めた。
こつこつと扉がノックされた。フィデリオは、サムかルードのどちらかが今日の出立のことでも訊ねに来たのだろうと思い、何も答えずにいた。
扉は躊躇いがちにほんの少しだけ開き、ケリーがひょっこりと顔を覗かせた。
虚を衝かれた形でケリーが現れたものだから、フィデリオはずいぶんと驚いて、
「ケリー。いやに早起きだね。嵐でもくるんじゃないのかな」
少し攣れた笑顔を見せた。自分の不安をケリーに悟られてはいけない。ケリーにはいつも笑っていて欲しいのだ。それがこの屋敷の中であろうと、ガーデンであろうと。
「どうした? いつまでもそんなところにいないで、こっちへおいで。少し寒い気もするが、気持ちがいいよ」
手招きするフィデリオの元へ、ケリーはぱたぱたと足音を立てながら一目散にやって来た。
(本当ね、ボク。ガーデンへ行くのが楽しみだったんだ。だってフィデリオがいつも行くところでしょう? それなのに何でか早く目が覚めて、手や足が震えるんだよ。どうしてなの?)
眉根を寄せて不安な思いを掌へとなぞるケリーを、フィデリオはその胸の中に優しく包み込んでやると、思いのほかケリーの夜着が冷えていることに気づく。あの扉の前でずっと立ち尽くしていたのかと思うと、やるせない気持ちになった。
ケリーは、自分の質問に答えてくれないフィデリオの背中を何度か小突いた。ようやく離してくれたフィデリオ、やはり先程のケリーには答えず、
「ベロニカも一緒に行けるのは、とても嬉しいことだね」
笑顔をケリーに向けたまま掌に書いてやる。
(うん!)
ケリーは満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。
※花狩り…オステオスの神殿内にある花園で再生させるために、選ばれた人々を“神苑の剣”で狩る行為を指す。また、それが行われる機関を指す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます