三人の翼人 第6話
窓から差し込む光に手を翳し、ケリーは朝が来たことを知る。
喉に軽い痛みを感じた。昨夜、大声を上げようと何度もがなり立てたからだろう。
と言っても、自分の声がしわがれているのかも、今のケリーにはわからないのだが。
くう、と腹が鳴った。自身の中で、そんな響きを感じた。
ケリーは、お腹を擦りながら眉根を寄せる。突然、声が出なくなって耳も聞こえない。とても怖くて、泣いて、叫んで。もう、この世はきっと終わるのだと思ったりもした。それなのに、今こうしてケリーの腹は空腹を知らせてくる。
何だかとっても情けない気がした。
(お腹が空いた。)
溜息とともに呟く。
この現実から目を逸らす為に、朝食を一度抜いたところで、何にも変わりはしないだろう。
朝食が我慢できたとしても、昼食は? 夕食は? そんなことを考えれば考えるほど腹は減っていく。
また、くう、と腹が鳴った。
(ルードのスープが飲みたいな。今日のはなんだろう。豆のすり潰したヤツだったら嫌だなあ。)
こんな状況だが、嫌いなものはやっぱり嫌いなのだ。
(とりあえず階下に下りてみよう。)
悩んだところで変わりはしない。ぐずぐずとゴネてみたところで、治る保証はどこにもない。さしあたっての問題は、この空腹をどうにかすることだった。
ケリーは、皺だらけのブラウスのまま、ベッドを下りた。のらろくらりと扉へと向かう。
ぐいと扉を押す。
いつもなら、何の軋みも立てずに開く扉が何故だか開かない。
もう一度押してみた。びくともしない。
(あれ? 開かない。……?)
廊下側では扉に凭れかかってフィデリオが休んでいた。熟睡している彼は、扉が押されていることに、すぐに気づかない。
何度も押され、揺れる扉にようやく気づいたフィデリオは飛び起きた。
それと同時に勢い良く扉が開かれ、フィデリオはしこたま顔面を打ちつけた。打った鼻を擦りながら、ケリー、と叫ぶ。
扉を開けたケリーはというと、きょとん、とした顔でフィデリオを見ている。彼がそこにいるということが、まだ理解できていないようだ。
ケリーの中では、フィデリオはまだガーデンにいるはずだからだ。
そのフィデリオが目の前に立っていて、泣きそうな顔で自分をみつめている。
「目がこんなに赤くなって。───酷く泣いたんだな」
赤く腫れ上がっているケリーの瞼をやさしく撫でた。
(フィデリオ?)
夢なのかしら、と思いながら、フィデリオの名前を呟いてみる。
(フィデリオなの?)
夢ではないのだと頭が理解をし始めると、そのつぶらな瞳いっぱいに涙がみるみる溢れ始めた。その涙を、長いふさふさした睫毛がかろうじて堰きとめていた。
(フィデリオ!)
ケリーは勢い良くフィデリオに飛びついた。
いつもと変わらない再会の光景なのに、唯一違っているのは、フィデリオの名を呼ぶケリーの声がそこにないことだった。
「おはよう、ケリー。それから、ただいま」
零れ落ちた涙で濡れているケリーの頬に、フィデリオは自分の頬を重ねた。そして、ケリーにはその心中を悟られないように、いつもと変わらない笑顔を見せた。
「ケリー。これからは掌で話をしよう」
フィデリオは人差し指を立て、良い名案であるかのように言った。
そしてケリーの手を取り、手本のように指で文字を書き始め、
「これからは、こうやって話をしよう。ゆっくりと、ね?」
ケリーは、自分の掌とフィデリオとを交互にみつめた。
「慣れるまで時間はかかるだろうが、やってみよう」
慣れないケリーの為に、フィデリオはゆっくりと文字をなぞり、それに合わせるようにゆっくりと喋った。
ケリーは時々頷きながら、今度は自分の番だと胸を叩き、フィデリオの手を取る。
(おかえり、フィデリオ。)
唇から、洩れる息とともにフィデリオの掌になぞられていく文字。
フィデリオは胸が締めつけられた。
フィデリオの帰宅を喜び、涙と一緒に見せた満面の笑み。
お前から音を奪ったのはガーデンなのだ。そして俺はそれに逆らえもせず、ただこうして傍にいるだけ。
それならばせめて─────。
ここがケリーの帰る場所であり続けるようにしよう。
ケリーの支えとなろう。
オルレカとして──────人々の魂を狩る─────その責務に耐えられるように。
(ねえ、いっしょに朝ごはんを食べよう?)
ケリーは、フィデリオの手を握り締める。
その顔は、純粋にフィデリオの帰宅を喜んでいた。一緒に食事ができることを喜んでいた。
「ああ、そうだね。確か、そら豆のスープだったよ?」
ケリーは、げえ、と舌を大袈裟に出して見せた。
フィデリオは、悟られまいと、ただ、ただ……笑顔を見せるだけだった。
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