すこしふしぎな親子関係

耕一路

第1話 はなしたくてもはなせない

 今日も私は息子のまことを見守っている。

 真はいま中学二年生。溜まってしまった夏休みの宿題に取り掛かっている真っ最中。の、はずだったが、宿題に飽きてしまったのか私の部屋へと忍び込み、何やら探し物をしている。一体何を探しているのだろうか。そんなことより宿題は大丈夫なのだろうか。お父さんは心配で仕方がない。

 どうやらお目当ての物を探し当てたらしい。真が私の机の引き出しから取り出したのは、知恵の輪がたくさん入っている木の箱だった。それは、私の大切なコレクションの一つであり愛用品。それに目を付けるとは私の息子も大変センスがよろしい。さっそく知恵の輪をカチャカチャとやり始めた。頑張れ。

 頑張れではない。応援している場合では無いのだ。真が今やるべきは知恵の輪ではなく宿題だ。それにしても、ずっとカチャカチャとやり続けている。もう三十分以上は同じ知恵の輪との格闘が続いているはずだ。それもそのはず、いま真がチャレンジしているそれは、私が四天王と名付けた知恵の輪の内の一つ、その名も『悪魔』なのだ。悪魔のように難しかったからこの名を付けた。この私も初心者の頃は解くのに数日を要した大変難しい代物。まだ早いぞ真よ。

 さらに三十分は経過しただろうか。まだカチャカチャとやっている。まるで若い頃の私を見ているようだ。そうだ、その知恵の輪を無事に解く事が出来れば、身に付けた自信と新たな気持ちで宿題へと向き合えるであろう。頑張れ。

 またさらに三十分が経過した。この根気は間違いなく血だ。知恵の輪へと向かうその根気。宿題があるからこそ知恵の輪へと注がれるその根気と熱意。分かるぞ、分かるぞ息子よ。ああ、それにしても手伝ってあげたい。その悪魔との長きに渡る壮絶な戦いへ終止符を打ってやりたい。しかし、今の私には知恵の輪も宿題も手伝う事が出来ない。応援してやる事は出来ても、その声が届くことはない。私がやれるのはただ見守るだけ。もうかれこれ五年もの期間こうしてずっと見守り続けている。

 そうか、私が死んでからもう五年も経つのか。

 息子はいま、私の愛用品である知恵の輪で遊びながら何を考えているのだろうか。


 難しいなこれ。どうやったらこの知恵の輪は解けるのだろうか。こんなのを毎日のようにやっていた親父は相当に頭が良かったか、相当な暇人だな。

 僕はいま、溜まってしまった宿題を放り出して、亡き親父の部屋へと忍び込み引き出しの奥から出てきた知恵の輪に挑戦している。『真一』と大きく書かれた木の箱に入っているのを覚えていたのですぐに見つかった。そう、親父の名前は真一しんいち。愛用品には何にでも名前を書いておく人だった。知恵の輪は親父の愛用品で数にして三十程はあるだろうか。その中から適当に手に取ったものとかれこれ一時間以上は格闘している。僕も相当な暇人だな。血かな。

 親父は僕が小学三年生の時に亡くなった。もう五年も前だ。あまりに突然でショックが大きかったのかその時の事はあまり覚えていないし、親父の事もあまり知らない。でも、カチャカチャといじっているその後ろ姿をいつも見ていたから、親父が知恵の輪を好きだったという事はよく覚えている。今日はふとその事を思い出し無性に知恵の輪がやってみたくなって部屋へと忍び込んだ。

 それにしても難しいな、これ。どうやったら解けるのだろうか。そういえば親父は知恵の輪をカチャカチャやりながら、四天王がどうだのと言っていたな。格好良いのか悪いのかよく分からないネーミングだと思う。いまやっているこれにはどういう名前をつけていたのだろうか。これがその四天王かどうかは知らないけれど、すごく難しいから僕だったら『悪魔』って名前を付けるな。暇人の血は引いているけれど、ネーミングセンスは引き継がれていないと思う。

 僕はまだ悪魔との戦いを続けていた。今の僕には、悪魔はいきなりハードルが高すぎたのかもしれない。親父が生きていたら聞いてみたいな、解き方。どんな風に教えてくれるのだろうか。


 私の可愛い息子よ、それはそうやっても解けないんだ。違う。上のパーツと下のパーツを交差させてスッとしてからのチャッだ。スッ、まで行ければ、チャッ、はすぐそこだ。スッ、まで諦めずに頑張れ。

 真はスッ、の手前の交差させる所でカチャカチャとさせている。とても惜しい所までは来ている。惜しい所まで来てはいるのだが、どうやら真は悪魔との戦いを諦めてしまったらしい。悪魔を木の箱に戻してしまったのだ。まあ、いきなり悪魔はハードルが高すぎる。仕方がない。と、思っていたその時である。真は木の箱から別の知恵の輪を取り出し、またカチャカチャとやり始めた。血か。

 それにしても、よりにもよってそれを選ぶのか。次に真が選んだ知恵の輪は、またしても四天王の一つだった。それは見た目は優しそうな作りだが、いざ挑戦してみるとその恐ろしさを知るハメになるところから、私が『堕天使』と名付けた代物だ。見た目は天使のように優しそうだけど大変手強い。悪魔以外の四天王はこの私でさえ一度も解いた事がない。可愛い息子はいま、無謀にもそれに挑戦している。

 息子に伝えてやりたい。まだ早い、と。


 悪魔との戦いを諦めた僕は、木の箱から別の知恵の輪を取り出した。なるべく簡単なものにしたかったので、見た目からこれを選んだ。見た感じがとても可愛いし優しそうなそのフォルムから、僕は勝手にこれを『天使』と名付けた。

 天使との戦いは、悪魔と比べて簡単なものになりそうな予感がした。もし親父が生きていたら、まずはこれから挑戦しろと教えてくれていたと思う。そんな気がした。そうだよね親父。


 変な汗が出てきた。息子よ、お父さんはもう死んでるけど、変な汗が出ているような感覚に襲われているよ。知恵の輪初心者がいきなり四天王との二連戦を経験してしまったことで、知恵の輪を嫌いになってしまうのではないか、自信を失ってしまうのではないか。そんなことを考えてしまったのだ。

 真と堕天使との戦いはまだ続いている。悪魔との戦いから数えて、もう二時間程は経っているだろうか。そう言えば生前の私もずっとこうやって知恵の輪と格闘していた。そしていま、延々と格闘している息子の姿を見守っている。その事に何か込み上げるものを感じた私は、今度は涙が出そうになっていた。幽霊でも涙で目の前がぼやける事はあるのだ。実際に形のある涙がこぼれる訳ではないのだが、何か息子に対して照れくさい気持ちになった私は、自然と息子から目を離し顔を上げた。

 何ということだ。目を離してから僅かに数十秒の事だろうか、息子へと視線を戻すと、ガッツポーズしている姿が目に飛び込んできた。なんと堕天使が解けているではないか。変な汗が出てきた。

 ちょっと待って。どうやって解いたのそれ。


 ここをこうスッ、としてここはカチャッ、としてからのシャシャッ。

 天使が解けた。長い戦いに勝利し、僕は思わずガッツポーズをしてしまった。やはりこれは天使だったみたいで、なんとなく動かしていたら解けた。悪魔は難しかったけれど、これなら僕でも何とかなるらしい。

 知恵の輪に夢中になりすぎて二時間は経っただろうか。そういえば親父もこんな感じに知恵の輪で遊んでいたっけ。夢中になっていた気持ちが僕にも少しだけ分かったよ。そしてふと、親父が見守ってくれたおかげで知恵の輪が解けたような気がしてきた。そんな訳はないだろうけれど、もしかしたら親父が解き方を教えてくれたのかもね。ありがとう。もしそうなら、宿題の数学のほうの解き方もぜひ教えてください。お願いします。


 ちょっと待って。どうやって解いたのそれ。

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