第7話

 宿の部屋に戻ったカーライルに、ヴァートは先だってから抱いていた疑問をぶつけてみた。

「先輩は――真剣で人を斬ったことがあるんですか」

 このことである。

 刺客たちに対する戦いを見れば明らかである。カーライルは、過去に真剣での戦いを経験している。もっとも、そうでなければアリシアに対し講釈を垂れることなどできないだろうが……

「ん、まあな。俺のようにあちこち旅をしていれば、いろいろあるもんさ。ならず者や盗賊まがいの連中に襲われたことも一度や二度じゃないしな。街で声をかけてきた女を宿に連れ込んだら情夫が踏み込んできて脅してきた、なんてこともあったなぁ」

美人局つつもたせ、ってやつか……)

 ヴァートも、レンでの行きつけである『銀の角兜亭』で、常連の酔漢から似たような話を聞いたことがある。

 カーライルが争いごとに巻き込まれるのは、旅の経験が豊富だからということよりも、頻繁に盛り場に出入りしていることが原因なのではないか――ヴァートは内心そう考える。

「あれは参ったな。なんせこちらは素っ裸だ。あのときは俺も若かったよ。今の俺なら美人局なんぞに引っかかるこたぁないんだが」

 いかにものんきな口調で答えるカーライルであるが、彼が生き長らえているということは、そのならず者どもを残らず撃退してきたということだ。

「そういうお前こそ、レンで随分場数を踏んだようじゃないか。真剣を持ったあの人数相手に、なかなかの戦いぶりだった」

「まあ……俺ものほうもいろいろありましたから」

 ヴァートが記憶を取り戻したいきさつは、ハミルトンにしか語られていない。ヴァートの出生にもかかわることゆえ、たとえ兄弟子であってもみだりには話せぬのは仕方のないことだ。兄弟子たちもまた、そんなヴァートに対し、しいて話を聞き出そうとはしなかったのである。

「とにかく、だ。一度、完全に追手の眼から逃れなければならん」

「先輩は策がある、って言ってましたよね」

「ああ。詳しくは全員が揃ってから話すが――俺は、一度追手を完全に叩いてしまおうと思っているのだ」

「叩く――追手を撒いてしまうのではなく、ですか」

「ああ」

 追手の眼を欺き、振り切ってしまうというのもひとつの手であろう。しかし、ヴァートたちは病身のフェオドールを抱えているため、道中足止めを食らうことも考えられる。どこかの宿場に長逗留ということにもなれば、ふたたび追手に補足されてしまう可能性はある。

 一方で、追手たちに見つかることなくすんなりとレンまでたどり着いてしまえる可能性は十分にある。

 あえて追手との対決を選ぶとなれば、自分たちがやられる危険は生じる。しかし、首尾よく追手たちを倒してしまうことができれば、のちの旅路はぐっと安全なものとなるだろう。

 追手を撒くにしても、倒してしまうにしても、ともに一長一短がある。ただ、追手を撒くという消極的な方法では、いつまた襲われるともわからない状況がずっと続くことになる。見えざる敵の姿に怯えながら旅をするというのは、ヴァートの性格的に好ましいものではなかった。

「フェオドールさんたちに危険は及ばないんでしょうね」

「絶対に安全、とは言い切れんな。そこは俺たちの腕次第だ」

 そう言いつつも、カーライルは自信たっぷりといった様子である。ヴァートは、カーライルの表情と、自分の掌とを見比べながらしばし考えた。

「――わかりました、先輩に任せます。でも、あのふたり――特にアリシアさんは、先輩の策に反対するかもしれませんよ」

 アリシアは、ヴァートたちを自分たちの危険な旅に巻き込むことを、最後まで反対していた。カーライルの作戦に反対することも容易に想像できよう。

「まあ、それは確かにな。説得には骨が折れそうだ」

「うーん……先輩、ちょっと聞きますけど、フォーサイス家とオーランシュ家の関係ってどんな感じなんでしょうか」

「昔から、ふたつの家の関係は良好だと聞いているが。これも結構有名な話だぞ」

 戦乱期、大陸から渡ってきたオーランシュの郎党は、「よそ者」と後ろ指を指され、戦場でどれだけ活躍してもなかなか軍団内での地位が向上しなかった。しかし、そんなオーランシュの郎党に対し、唯一目をかけて助けたのがときのフォーサイス家当主であったという。オーランシュの者たちはその時の恩を忘れることなく、七代公爵家という同格の存在となったいまでも、フォーサイス家に対する礼は欠かさぬという。

「どうしたんだ、いきなりそんなことを聞いて」

「実は、話すきっかけがなかったんで黙っていたんですが……フォーサイス家のご息女・ミネルヴァさんとは知り合いなんです」

「ほう、それは本当か」

 ヴァートは、ミネルヴァもヴァート同様マーシャに師事している身であり、ある意味自分の同門であるということを説明する。同じ貸し家に一つ屋根の下住んでいることは伏せておく。この先輩にそれを話すと、いろいろと面倒なことになりそうな予感がしたのである。

「それで、そのことを知らせれば、アリシアさんももっと俺たちのことを信用してくれるんじゃないかと思ったんです」

「ううむ……お前が言うのだから嘘ではないのだろうが……アリシアさんがどう受け取るか、考えてみろ」

 旅先で偶然出会った粗末な服装なりの武術家が、国内屈指の名家であるフォーサイス家令嬢と知り合いだと聞かされてどう感じるか。ヴァートは、アリシアの立場になって考えてみる。

「自分で言うのもあれですけど、いかにも嘘くさい話ですね」

「そうだろう。かえって信用を失うことになりかねんから、フォーサイス家云々の話はしないほうがいいな」

「ですかねぇ……」

「まあ、ふたりが賛同しなければ無理に俺の作戦を押し付けはしないさ。しかし、少なくとも兄貴のほうは、起こりうる危険と、その危険を乗り越えることによって得られる利益――そのふたつをを天秤にかけて、冷静に判断を下せる人間だと俺は見ている」

「それは、なんとなくわかる気がします」

 ヴァートの脳裏にあったのは、自分とカーライルを同行者に加えた際のやりとりである。

「それとだ。ひとつだけ、あの兄妹がいないうちに言っておくが――俺たちは追手どもをまとめて倒さにゃならんわけだが、敵のなかに一人だけちょいと手強いがいる」

「ああ――あいつ・・・のことですね」

 カーライルの言う手強い奴――ヴァートも、心当たりはすぐに思い浮かんだ。

 刺客に襲われた兄妹を助けたとき、背後からのヴァートの一撃を見事避けてみせた男がいる。その男は逃走までの間ヴァートと数合打ち合ったが、結局一つの手傷も負うことはなかった。

 状況が呑み込めぬまま参加した戦いゆえに、ヴァートとて本気で相手を殺傷するつもりで斬りかかったのではない。しかしそれでも、背後からの斬撃を避けるというのは簡単なことではない。男の力量のほどがうかがい知れよう。

「ほかははっきり言って取るに足らん奴らだったが――あいつ・・・だけは別格だった。おそらくは連中のなかでは頭目格だろう。乱戦で相手するには危険な相手だ」

「はい」

「それに、あの手の金で雇われた殺し屋というのは、二度の失敗など許されぬ立場のはずだ。確実を期すために、人数を増やしてくることが考えられるな」

 宿場町には盛り場がつきものであり、盛り場には金づくで汚い仕事を引き受けるならず者が必ず存在する。刺客たちが人員を増やすことは容易い。

 相手は、真剣で殺しにかかってくる刺客である。舐めてかかる気など毛頭ないヴァートであるが、カーライルの言葉に一層気持ちを引き締める。

「じゃあ、あのふたりと合流してどこぞで朝飯を食うか。そのあと作戦会議だ」

 先に部屋を出ていくカーライルの背を見つつ、ヴァートは

(先輩って、こんなに頼りになる人だったんだなぁ)

 と、感嘆することしきりだ。

 むろん、優れた剣の使い手であり、尊敬すべき兄弟子であることは重々承知している。しかし、ハミルトン道場でのカーライルは、小事にこだわらぬ大らかな男、という印象が強かった。それだけに、一連の出来事で見せたカーライルの行動力と機転には驚かされるヴァートであった。

 旅というのは、人の知られざる一面を見せてくれるものなのだ。

 



 同刻――カーライルが「手強い奴」と評した男の姿を、ヴァートたちが逗留したルースの町に見出すことができる。

 ヴァートたちが泊まった宿からそう遠くない場所にある、とあるの宿の一室で、男はひとり手下たちからの報告を待っているところであった。

(まったく、とんだ邪魔が入ったもんだ)

 誰知らず舌打ちするこの男は、本名をブレント・クルーニーというが、裏の業界では『北海の逆叉(※)』という呼び名のほうが通りがいい。武術を修めながらも、その技をよからぬことに使うという、言うところの武術家崩れのひとりだ。「暴力」を売り物とし、金さえ払えばどんなことでもしてのける。

 クルーニーがどこにでもいるならず者と違うのは、まず確かな腕前を持っている点。そして入念な準備と作戦をもって確かな仕事をするという点である。

 クルーニーは、シーラム島北部を本拠にする、二十人ほどのならず者からなる集団を束ねる頭目である。集団といっても、レンに存在する犯罪結社のように、きちんとした組織体系を持っているわけではない。しかし、レンの警備部のように強力な警察機構が存在しない田舎では、この程度の集団でも善良な人々にとっては大きな脅威となる。

(若い兄妹を殺すだけの簡単な仕事と思っていたが――ずいぶん手間取っちまったぜ)

 カーライルの見立て通り、クルーニーは金で仕事を請け負った殺し屋であった。前金として報酬の半額を受け取り、仕事を完遂したのちに残りの半分を受け取る。この手の汚れ仕事としては一般的なやり方だ。

 仲介人を通して仕事を持ち掛けられたため、クルーニーも依頼人のことはほとんどなにも知らない。ただひとつわかるのは、その依頼人がずいぶん気前のいい金持ちであるということだ。

 なにせ、ふたりを殺す仕事にしては破格の報酬が約束されている。そして、旅するふたりを追うための旅費や飲食代など、かかった経費はすべて青天井で支払うというのだ。

 ふたりを殺すにあたって、いくつかの条件は提示されたものの――美味しすぎる仕事であった。依頼人によほど特別な事情があるということは察したクルーニーであったが、それ以上深く考えることもなかった。依頼人のことをあれこれ詮索するのは業界・・の掟に反するし、なによりクルーニーには興味がないことであったからだ。金さえ得られればどうでもいい、という彼の性格は、裏稼業向きであるといえる。

(多少時間がかかろうと、じゅうぶん元は取れる仕事ではあるが――早く終わるに越したことはねぇ)

 クルーニーらが受け取れるのは、あくまで成功報酬である。一日いくら、一か月にいくら、という計算で報酬を得る一般的な勤め人とはわけが違う。仕事の完遂が長引いたからといって、余計な報酬がもらえるわけではない、余分に費やした日数のうちに、別件の儲け話に手を出すことも可能なだけに、長引けば長引くほどクルーニーたちは損をすることになる。

 先の戦いで負傷した手下たちは医者に診てもらわねばならなかったし、この宿場町で新たに雇った男たちにも前金は払ってしまった。そのぶんの経費は支払われる約束だが、当然後払いとなる。一時的にではあるが、クルーニーの懐はかなり寂しくなってしまった。

(仕事を終えても、報酬を受け取るまで酒に女にと豪遊することもできねぇようだ。忌々しい)

 すべては、あのとき邪魔に入った二人組のせいだ。

(ふたりとも、只者ではねぇ)

 七人を向こうに回し一歩も譲らぬ胆力、そして瞬く間に三人を負傷せしめた剣技――クルーニーもかつては厳しい剣の修業を積んだ身であるが、一対一でヴァート、あるいはカーライルに勝てるかと問われれば、

(難しいかもしれん……)

 というのが正直なところである。

 あの場は撤退するのが正しかった。あのまま斬り結んでいれば、全員が斃されてしまっていたかもしれぬ。

 元武芸者としての矜持が傷つかないこともなかったが、いまのクルーニーは裏社会に身を置く人間である。矜持で飯は食えぬ。

 次もまたヴァートたちに邪魔されたとしても大丈夫なように、この町で新たに八人のならず者を雇った。いまだ健在なクルーニー一味四人と合わせれば十二人だ。たかだか四人を相手にするには、本来多すぎる人員であるが、確実性には代えられぬ。そして、町の顔役に金を積んで情報屋を仲介してもらい、兄妹とヴァートたちについての情報収集もぬかりない。

 ヴァートたちが滞在している宿は、とっくに特定している。そして、その宿の女中をひとり懐柔してあった。レンのような大都市にある老舗の宿の従業員ならともかく、宿場町の安宿に働く人間に、顧客の秘密を守らねばならぬという職業意識は薄い。金さえ握らせれば、意のままに動かすことなど容易い。

 いまクルーニーは、その女中がもたらす情報を待っているところなのだった。

 ややしばらくして、部屋の扉が叩かれた。

「入れ」

 姿を見せたのは、クルーニーの手下のひとりであった。

「兄貴、れいの女中から報告が」

「そろそろ頃合いと思っていたところだ。それで?」

「どうやら、あの兄妹と邪魔に入った二人組は、この町で別れるようですぜ」

「それは間違いねぇのか」

「へい。連中がそう話しているのを確かに聞いたと」

 兄妹の襲撃現場にヴァートたちが居合わせたのは、偶然の産物である。別に深い関係ではないのだから、いつ別れてもおかしいことはない。

「ふたり組は今日の午前中にも宿を発つとか。標的のほうは、なんでも兄貴のほうの体調が悪いとかで、もう少し休んでからいつ出発するか決める。そう話していたらしいですぜ」

「ふうむ……」

 クルーニーは、腕組みして考えるそぶりを見せた。

 ヴァートたちの介入がないとなれば、仕事は格段に簡単になる。しかしそれでも、念には念を入れたほうがいい。

「まずは、ふたり組が宿を引き払って町を出るところを見届けてからだ」

「へい。そのあとどうします? 俺は宿に押し込んじまうのが手っ取り早いと思うんですが」

 開けた野外よりも、狭い屋内のほうが奇襲には適している。それはクルーニーも心得ているが、しかし彼は首を横に振った。

「そいつはいけねぇ。町の警備兵に追われれば面倒なことになるし、なにより『行きずりの野盗や追い剥ぎの仕業であるように見える状況で殺せ』ってのが依頼人の要望だからな」

「また、妙なことを言う依頼人だなぁ。殺しさえすればなんでもいいでしょうに」

「とにかく、要望に沿わねば半金が受け取れねぇのだ。従うしかねぇ。さて――皆を集めるんだ。これからの手筈を決めねばならん」

 ようやくこの仕事も終えることができそうだ――クルーニーは、大きく息を吐くのであった。




(※)逆叉、さかまた……シャチのこと。

 

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