第6話
シャノン誘拐は、レンの裏社会で強い力を持つ、ダッドリー一家の仕業であることが判明した。しかし、大きな組織だけに、彼らが管理している建造物は多く、それだけでシャノンの居場所を特定することは難しい。
どの線から調べるべきか――考えたパメラは、まずオーギュスト襲撃事件を起こした実行犯が、ダッドリー一家の幹部のうち誰の傘下にある人間なのか、それを調べることにした。
れいの襲撃犯は、パメラの見たところ、金で雇われた殺し屋の類ではない。犯罪組織の正式な構成員であるとみる。
やくざ者の世界とは、縦割り社会が形成されていることがほとんどだ。首領の下に複数の幹部がおり、たいていの場合構成員たちはひとりの幹部の傘下に入り、基本的にその幹部の指令にのみ従う。
よって、実行犯の上の立場にある幹部が、このたびの事件を引き起こした黒幕であると考えていいだろう。
まずは、実行犯の身元を突き止めるべきである。暗夜ながら、パメラは敗走する四人の男たちの容貌をしっかりと覚えている。しかし、ダッドリー一家の構成員は総勢二百五十名。顔かたちの情報から、四人を割り出すことは不可能ではないが、それでは時間がかかりすぎる。
しかし、四人にはその顔よりももっと大きな特徴がある。それは、ミネルヴァとアイによって怪我を負わされたということだ。
四人のうち、特にミネルヴァに顎を砕かれた男と、アイに両腕を砕かれた男は、かなりの重傷である。とても、医者にかからずに済ませられるものではない。
(調べるべきは、医者――それも闇医者、か)
レンにおいては、医師というのは開業するにあたって役所への届け出が必要だ。しかし、無届で医療行為を行う医者というのも存在し、彼らは闇医者と呼ばれる。
闇医者を利用する患者のほとんどは、脛に傷を持つ者たちである。
今回パメラが考えたように、大きな怪我というのは人を探すうえで大きな手掛かりとなる。なんらかの犯罪に手を染めた際、怪我を負った人間がおり、そしてその様子を目撃されてしまった場合、その人間は正規の医者にかかることはできない。警備部も、犯人が怪我を負ったという情報を手掛かりに、医者に網を張るからだ。そういったときに使われるのが、闇医者というわけだ。
闇医者は、通常よりもはるかに割高の治療費を請求するが、そのかわり患者の秘密は厳守する。
犯罪組織というのは、懇意にしている闇医者のひとりは必ず抱えているものだ。ダッドリー一家にしてもそうだろう。その闇医者を探れば、効率よくオーギュスト襲撃犯を探すことができるとパメラは考える。
(しかし――襲撃犯が、すでに
犯罪組織では、珍しいことではない。四人の男たちは、オーギュストの殺害に失敗している。その責任を取らされ、処刑されていたならば、パメラの調査も空振りに終わってしまう。
ただ、その可能性は
(それほど高くないだろう)
と、パメラは考える。
大幹部であるオーギュストを取り逃がしたのは確かに失態である。しかし、腕利きの部下は始末することができたし、受け渡しされようとしていた品――そらがなにかはパメラにもわからぬが、おそらくは相当に値段の張る品物であろう――を、奪取することもできただろう。使い捨ての雇われ者ならばともかく、正規の構成員が処分されるほど重大な失態であるとは思えぬ。
(まずはユーイッグ街の闇医者を探らねば)
ダッドリー一家が本拠を置くユーイッグ街に向かったパメラが、一家の人間がもっぱら利用する闇医者を探し出すのに、さほど時間はかからなかった。
ユーイッグ街とは、レンの港の一部と、それに隣接する区域のことを指す。港というのは様々な利権が発生する場所だ。ダッドリー一家と、同じくレン港を縄張りに収めるアルマン党には、その利権を巡って古くから争ってきた歴史がある。
件の医者は、ユーイッグ街の路地裏にある、目立たぬ建物の一室で開業していた。
パメラにとっては都合のいいことに、闇医者が入居する建物の向かいは、崩れかけた廃屋であった。その廃屋に身を潜めたパメラは、闇医者の部屋と建物の入り口を見張る。
(外観から察するに、入院患者のための部屋は、あってもおそらくひとつきり。さらに重篤な患者が来る可能性を考えれば、あの夜の四人はおそらく入院はしていまい)
闇医者というのは、設備も人手も最低限であることが多い。れいの四人のうちの二人は、確かにかなりの重傷である。しかし、直ちに命に関わるほどのものではない。したがって、入院している可能性は低いというのがパメラの考えだ。
(しかし、通院はする必要はあるはず。ここで網を張っていれば、そのうち――)
パメラの予想は、見事的中した。
夕方になり、両腕を吊った男が闇医者の部屋を訪ねたのである。顔貌からしても、あの夜アイに両腕を砕かれた男に間違いない。
建物の中で治療を受けたと思しき男は、しばらくして建物を出た。特殊な訓練も受けていない男を尾行することなど、パメラにとっては赤子の手を捻るより容易い。
男はやがてユーイッグ街の繁華街を抜け、その外れにある一軒の商家に姿を消した。『ギフソン商会』との屋号を掲げてはいるものの、何の商売をしているのかは窺い知れぬ。そして門前に立ってあたりを警戒する番人は、明らかに堅気の人間ではない。
(ダッドリー一家の拠点の一つであることは間違いない)
パメラでなくとも、容易に想像できうることであろう。
近隣住民への聞き込みで、『ギブソン商会』がダッドリー一家の所有であること、そしてそこを仕切っているのは幹部のグリンなる男だということが判明した。
ハロルド・グリン――ダッドリー一家において、特に荒事に強い幹部として名を馳せる武闘派だ。主な
そこまで調べ上げたパメラであるが、すっかり夜も遅くなってしまった。
「一度、報告に戻るとしましょう」
パメラは、桜蓮荘に足を向けた。
翌日、早朝から行動を開始したパメラは、まずフォーサイス家に使いを出した。オクリーヴ家の人間の手を借りるつもりなのだ。
シャノンは、グリンの支配下にある場所に監禁されている可能性が高い。しかし、それらすべてをパメラひとりで回るのは非効率である。
オーギュストによれば、シャノンに危害が加えられる可能性は低いとのことだ。とはいえ、状況はいつ変化するかわからない。シャノンがいつまでも無事だという保証はない。時間との勝負であるから、パメラのみでは手が足りぬ。
呼び出されたのは、怪盗事件の捜査にも参加した若手、トマス、ゴードン、アーノルドの三人だ。彼らを動かすことは、オクリーヴ家頭領サディアスも了承済みである。
「まずは、グリンが管理できる場所を調べ上げること。調査方法は、各自に任せます」
ごく簡潔に指示を出すと、早速パメラは桜蓮荘を走り出た。若手三人組も、それに続く。
若手とはいえ、オクリーヴ家の人間の手腕は侮れぬ。お昼過ぎには、グリンの息のかかった酒場・宿に娼館、そしてグリンが所有する倉庫をはじめとしたいくつかの建物が、あらかた判明した。
「あとは、どこにエンフィールド様が捕らえられているかということですが」
グリンゆかりの場所の一覧表を手に、パメラが考える。
「人ひとりを閉じ込めておくとなれば――やはり、人気のない倉庫などが怪しいと思われますが」
アーノルドがそう言ったが、パメラは首を横に振る。
「殺してしまう気がない場合、そのような場所はかえってやりにくいものです。生活感のない場所で人を活かしておくとなると、不自然さが目立つようになります。食料を運び込んだり調理するだけでも、人の眼を引くことになりかねませんので。しかし――まったくありえないと決めてかかるのもいけませんね」
パメラは三人に対し、どの場所を調べるのか割り振りを行う。手分けして、一軒一軒を探っていくつもりだ。特にダッドリー一家の警戒が厳しいと思われる場所は、パメラ自らが担当することになった。
「では、よろしくお願いします」
偶然なのか必然なのか――パメラが向かったとある場所で、事件は起きた。
ユーイッグ街のはずれに、一軒の二階建ての古い民家がある。下町にしては広い敷地を有し、煉瓦造りの塀で囲われた民家は、おおよそ百年ほど前に流行した意匠のつくりだ。乱世風、などと呼ばれる建築様式で、華美な装飾などは少なく、石造りの壁はどっしりと分厚い。戦乱期の城塞を模したつくりであるため、乱世風と名付けられている。
そこは、登記上の『ギブソン商会』の経営者、ジム・ギブソンなる男の所有となっている。ジム・ギブソンなる人物が何者であるかまでは、パメラも把握していない。もしかすると、実在しない人間である可能性もある。
ともあれこの民家、広い庭を持ち、建物の壁は分厚い。中で騒ぎが起こっても、そうそう外に音は漏れないだろう。もちろん民家であるから、人が生活している気配があっても怪しむ者はいない。
(どうにも、臭い……)
パメラは、民家の窓に注目する。夕刻に差し掛かってはいるが、日はまだ沈み切っていない時間だというのに、多くの窓は内側から鎧戸が閉められている。そしてすべての窓の外側には、鉄製の格子がはめられていた。もっとも、鉄格子というのはこの乱世風の建築物にはよくあるものではある。
(門番などはなし。あからさまな警戒をしているわけではないが――窓から外の様子を窺う視線を感じる)
いくつかの開いた窓に男が張り付き、周囲に眼を光らせているのである。
(二階の南東に面した角――一部屋あるように見受けられるが、窓がない)
二階建ての家の二階、南東向きとなれば、その建物で一番日当たりのよい場所である。大きな明り取りの窓があるのが普通である。
(はじめから窓がなかったわけではなさそうだ。建てられて随分あとになってから塞がれたようだ)
石の壁に、明らかに材質の新しい部分がある。かつてはそこが窓だったに違いない。
(なるほど、南東側は近隣の背の高い建物から丸見えとなる。外部から中を覗かれたくないか、あるいは狙撃を恐れてのことか)
堅牢な石造りの壁と、窓ひとつない部屋。たとえば命を狙われている人間や、外部の人間の眼に触れさせたくない人間を匿うには、格好の場といえる。
となれば、パメラが怪しむのも当然のことだ。
中にいる人間は、多くて七人ほどとパメラは見る。窓にはめられた鉄格子を、中の人間に気づかれることなく破壊するのはまず不可能だ。よって窓から密かに侵入することは難しい。構造上、屋根裏、天井裏などから忍び込むこともできない。
いかにも怪しい場所であるけれども、中に入るには玄関から正面突破せねばならない。
(どうする――いったん桜蓮荘に戻り、お嬢様たちのご判断を仰ぐか。それとも――)
仮に、建物の中にシャノンがいた場合、強行突破というのは危険を伴う。人質として盾にされた場合、いかにパメラとてを無傷でシャノンを奪還できるかは未知数である。
と、思案するパメラの視線の先で、ひとりの男が件の民家に近づきつつあった。手には藤で編んだ籠を持っており、その中からはパンや酒瓶のようなものが垣間見える。どうやら、食料品の買い出しに行った帰りのようである。
男が民家の扉を叩くと、内側から扉は開かれた。
(好機――!)
パメラは、一気に走り出た。この日のパメラは、町娘風のワンピース姿だ。スカートを翻しつつ、わずかな足音も立てることなく、ドアを潜ろうとする男に肉薄すると、その首筋に手刀を叩きこむ。
「むうッ……」
男は、力なく膝から崩れ落ちた。
「なんだ、どうした」
内側からドアを開けた男からは、気絶させられた男の身体が邪魔になり、パメラの姿は見えぬ。なにごとかと扉の外を覗き込もうとする男の動きに合わせ、パメラはするりとその脇をすり抜け、背後をとった。
「ぬっ、貴様――」
振り向く暇も与えず、パメラの腕が男の首に絡みついた。声も上げられず、男は締め落とされた。
一瞬の早業で二人を昏倒させたパメラは、ほとんど物音をたてていない。ほかの人間には、まったく気づかれていないようである。
パメラは、玄関口から素早くあたりを見回し、おおよその間取りを把握する。廊下に積まれた木箱の陰に身を潜めると、壁に耳を当て、邸内の人間の気配を探る。
(一階の奥の部屋に三人。階段付近にふたり、二階のれいの部屋の向かいにはおそらくふたり――)
一階から順に制圧していくか、それとも先に二階の部屋を押さえるか。パメラの判断は早い。
奥の部屋に飛び込むや、ナイフを三本投擲。ナイフは、部屋を照らすランプ、燭台を狙い違わず打ち抜いた。
一瞬の出来事に混乱する三人の男たちは、黒い影のように暗闇を疾駆するパメラに、なすすべもなく蹂躙される。
(ここからは速度が命――!)
階段付近にいたふたりが、なにごとかと廊下を駆けてきた。
「何者だッ!!」
パメラは掴みかかろうとする男を軽やかに避けつつ、その眉間から両眼のあたりを左の手の甲で打つ。視力を奪われよろめく男のみぞおちに、鋭く右拳を突き入れると、呼吸困難に陥った男はその場に蹲った。
もう一人が、パメラに殴りかかる。上体を反らして拳を避けたパメラは、そのままとんぼを切って後方に跳躍。同時に放たれた蹴りは、男の顎の先端を的確に捉えた。脳を揺さぶられた男は、白目を剥いて気絶する。
二階の男たちも、異変に気が付いたとみえ、慌ただしい足音が迫る。むろん、黙ってそれを待つパメラではない。
階段を駆け下り降りようとするふたりの男に対し、パメラはまっすぐに突っ込む――と見せかけ、男たちの直前で右に方向転換。階段の手すりを蹴って高く跳躍すると、男たちの頭上を飛び越える。着地と同時に回し蹴りを放ち、パメラは二人の男を蹴り落とした。もつ合いれながら階段を転げ落ちた男たちは、うめき声を上げて床に転がる。
(これで全員か――?)
なおも油断なく神経を尖らせるパメラであったが、敵意ある人間の気配はそれ以上感じられない。ふっと息を吐くと、パメラは件の角部屋を目指す。
部屋には、頑丈な錠前がかけられていた。しかし、錠前のひとやふたつ、パメラにとってはなんの障害にもならぬ。この程度ならば、家の中から鍵を探すよりもその技術で持って解錠を試みたほうが早いとパメラは判断する。果たして、錠前はあっという間に解かれた。
パメラが慎重に扉を開く。そこには、身を強張らせるシャノンの姿があった。
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