第22話

 エヴァンスと盗賊たちを監視する警備部隊員たちの緊張は、頂点に達していた。

 監視対象は、エヴァンス邸および盗賊の隠れ家と目される六ヶ所、合わせて七か所だ。この監視のために、どうにかかき集められた隊員が九名。何度も触れられているとおり、怪盗側に動きを悟られまいとするならばこれが限界であった。

 加えて、民間人の協力者が五名。彼らは平時、金で隊員に雇われ情報収集に従事する者たちで、本業の傍ら警備部に協力する者がほとんどである。犯罪捜査の専門家というわけではないけれども、監視や尾行に関して最低限の技能は持っている。

 そしてパメラとオクリーヴ家の若手三人組の四人。すべて合わせると十八名となる。

 一見するとなかなかの大人数のように見える。しかし隊員たちも人間である以上、食事や休息の時間が必要となる。定期的に交代しなければならないことを考えれば、監視対象一か所につき三人ないしは二人というのは、ぎりぎりの人数である。

 盗賊たちが動きを活発化させてから、三日目のことだ。

 エヴァンス邸の監視に当たっているのは、第五分隊副長グローバーと、その部下サットン、デービスの二名であった。

 時刻は昼下がり。

 エヴァンス邸向かいの屋敷で、監視場所として借り受けた蔵の二階からサットンがエヴァンス邸を見張り、デービスは行商人に変装して周辺を練り歩いている。

「副長、副長」

 仮眠をとっていたグローバーに、サットンが声をかけた。

「む……どうした」

「見てください」

 グローバーが窓からエヴァンス邸を見ると、ちょうど三人の男がエヴァンス邸の門から歩み出てくるところであった。

「あの三人は――」

 三人は三人ともが、怪盗との連絡係を務めていると思しきエヴァンスの側近であった。

 そして、三人は貴族の側近らしからぬ町人姿に扮している。これは、彼らがこれから怪盗と接触するということを意味している。

「尾けますか?」

「――いや、それには及ばない。どの道行き先は決まっているからな。それよりも――これは何かあるぞ」

 連絡係が三人同時に動くというのは、これまでなかったことだ。

「副長、これは――」

「うむ。いよいよかもしれん。デービスを呼び戻して警戒を続けろ。俺は部長殿のところへ向かう」




 アークランド邸では、各監視場所から次々と報告が上げられていた。

「――これで、すべての隠れ家に連絡員が訪れたことになる」

 アークランドの表情は、きわめて厳しい。

「部長殿、これはもしかすると今夜――あるかもしれまんぞ」

 連絡を受け急行したコーネリアスが、鼻息も荒く言った。カーターも、いまごろはアークランド邸目指して馬を走らせているはずである。

「グレンヴィル殿のお知り合い――エイベル殿が調べたところによれば、奴らはことを起こす前にどこか一か所に集まって準備を整えるとか」

「うむ。まずその集合場所を特定することだ。尾行せねばならんが――一か所に集まることが分かっているなら、誰かひとりを尾ければよいということになる」

「それは彼女・・にお任せすればよいでしょう」

 彼女とは、パメラのことである。これから犯行が行われるという予想が正しいなら、盗賊たちの警戒心も強まるだろう。尾行は専門家であるパメラに任せるのが確実である。

「早速連絡つなぎを送る」

「それから――私とカーター殿は、非常招集の準備もせねばなりませんな」

「いや、お前たちはここから離れないほうがいい。それは副長のグローバーとハンクスに任せるのだ」

「わかりました。あと、グレンヴィル殿にも連絡を入れておかねばなりませんな」




 そのころマーシャはというと、桜蓮荘を留守にしていた。向かっているのは新市街。豪商ランドルフの邸宅である。

「なるほど、これは大したお大尽だ」

 豪奢な屋敷を見上げて、マーシャが呟く。

 ランドルフ邸といえば、かつて怪盗『影法師』に侵入を許しながらも、それを撃退することに成功した唯一の事例が起きた場所だ。

 彼女がここを訪れたのは、ある男に会うためであった。

「ごめんください」

 マーシャは門番に声をかけた。

「はい、なにか御用ですか」

「こちらに、ギネス・バイロン殿が逗留されているはずなのですが」

「ええ、確かに。バイロン殿に御用でしょうか」

「はい。ちょっとした知り合いでして。マーシャ・グレンヴィルが来たとお伝え願えますか」

 マーシャの名を聞き、門番が一瞬目を見開いた。どうやら、武術の世界に多少なりと明るい男だったようである。

「少々お待ちを」

 邸内に駆け込んでいった門番は、しばらくして戻ってきた。

「どうぞ、お入りください」

 ランドルフ邸の使用人の先導で、マーシャは邸内の一室に案内された。室内にいたのは、鷹のごとき眼光を放つ痩身の男――かつてマーシャと賭け試合で対決した、ギネス・バイロンその人に間違いなかった。

「貴公か。どうして俺がここにいると知った」

「ここで雇われているダイソンという男が、私の知己でして。彼から聞いたのです」

 バイロンは軽く鼻を鳴らすと、マーシャに着席を促した。

「いやあ、あなたが用心棒をしていると聞き、驚きました」

 剣の研鑽以外のことに興味を持たぬ男――バイロンのことをそう考えていたマーシャは、正直に感想を漏らした。

「俺にも果たせねばならぬ義理というものがある。どうしても、断れぬ事情があったのだ」

 バイロンは多くを語らぬ。マーシャもそれ以上追及しなかった。その事情とやらは、話の本題と関係がない。

 読者諸兄のため、バイロンが雇われたいきさつをここに書き述べておこう。

 武術家の父のもと生まれたバイロンは、幼少時大病を患ったことがあった。当時様々な不運が重なって、バイロン一家は困窮しており、医者にかかる金もない状況だったのだが――そこへ手を差し伸べたのが、以前からバイロンの父と親交のあったランドルフだったのである。

 長じてからも、レンに来るたびランドルフ邸に挨拶に訪れていたバイロンだったが、この冬ランドルフ邸に顔を出したのが、ちょうど怪盗騒ぎが世間の話題となり始めていたころだったのだ。

 腕の立つ人間を探していたランドルフは、これ幸いとバイロンに用心棒となることを依頼した。大恩ある相手であるから、無頼のバイロンも断りきることができなかったのである。

 怪盗を撃退した時点でバイロンは暇をもらうつもりだったのだが、ランドルフに怪盗が捕まるまでここにいてくれと懇願され、いまに至るというわけだ。

「それで、用件は」

「はい。実はいま私は、れいの怪盗を追う手伝いをしていまして」

「ほう」

「もうすぐ、怪盗を追い詰めることができるかもしれないというところまで捜査は進んでいます。しかし、怪盗たちを一網打尽にするのは、簡単なことではないでしょう」

「まあ、そうだろうな」

 逃げることのみを考えて行動する相手というのは、たとえ実力差があったとしても対処が難しいものだ。

 数十名単位の警備部隊員も動員される予定だが、搦め手を多用する相手である。上手く攪乱されてしまえば数の有利は小さくなる。

「そこで、一人でも多く腕の立つ人間が欲しいのですよ」

「なるほど。それで俺を訪ねたというわけか」

 マーシャが首肯する。

「手をお貸し願えませんか」

 正直なところ、マーシャは駄目でもともと、断れることを覚悟しながらこの話を持ち掛けた。しかし意外にもバイロンは、

「いいだろう」

 と、大した間も置かず答えたのである。

「――本当にいいのですか?」

 マーシャが思わず聞き返してしまったほどに、あっさりとした返答したものだ。

「くどい。わかったと言っている」

 怪盗が捕まってしまえば、バイロンも晴れてこの屋敷を去ることができる。寝食以外はすべて修行、という人生を送るバイロンとしては、屋敷に留まり続けるのは苦痛でしかない。マーシャに手を貸すことは、バイロンにとっても益のあることなのだ。

「失礼しました。では――作戦の詳細についてお話ししておきましょう」

 しばらくバイロンと話し込んだのち、マーシャは屋敷を辞去するのであった。




 桜蓮荘に戻ったマーシャを、アイとミネルヴァが出迎えた。

「先生、これを」

 ミネルヴァが、一通の書簡をマーシャに手渡す。

「つい先ごろ、警備部の使者が参ったのでござるよ」

「む、確かにこれはコーネリアス殿からだな――」

 マーシャは、書簡に素早く目を通す。読み進めるごとに、その眼が細められる。

「先生、やはり――」

「うむ。いよいよ奴らが行動を起こすらしい。戦の準備だ」

「承知したでござる」

「それから、ミネルヴァ様――あなたにとっては二度目の真剣勝負になるでしょう。相手は、どのような技を繰り出すかもわからぬ連中。私とて、御身をお守りすることができぬかもしれません。くどいようですが――いま一度覚悟のほどをお聞かせください」

 ミネルヴァは胸を張り、勝気な笑顔をたたえながら言った。

「暮らしを脅かされるレン市民のため、そしてわが友・パメラのため――このミネルヴァ・フォーサイス、父祖から受け継ぎし血にかけて、必ず盗賊どもを打ち倒し、生きて帰ることを誓いますわ」

 そのまなこに宿りし決意の光には、一点の曇りもない。

 ランドール公爵と決闘を行ったときは、沸き上がる激情によって恐怖感が麻痺したという面があった。しかし今回は違う。ミネルヴァは戦いへの恐怖を冷静に受け止め、それを克服する強さを手に入れていた。

 そして、生きて帰ると誓ったこと。これが重要だ。命に代えてでも、などという言葉を使う人間をマーシャは信用しない。どんな苦境に立たされようと破れかぶれにならず、どこまでも生に執着する者こそが、真に強い人間というものなのだ。

「よろしい。では準備が整いしだい、アークランド殿のお宅に向かおう」

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