第15話
王都警備部に、ローマン・ハイドという男がいる。
ハイドは、シーラム島北部に領地を持つフェン子爵・オーモンド家、その傍系の家に三男として生まれた。当然家督を相続する立場ではない。相応の年齢になれば家を出て、自らの力で生きて行かねばならぬ。
貴族や武家の場合、家督を継げない子弟は、軍人か官僚を目指すのが今のシーラントでは一般的である。ハイドもまた、王国軍に入ることになった。いや、入らざるを得なかったというべきか。なぜならば、彼はあまり頭の回転がよいほうではなく、官僚となるのは難しかったからである。貴族や武家の子弟ならば、健康状態に問題がないかぎり、王国軍に入ることは容易だ。
しかし、ハイドが軍人としての適性を持っていたかといえば、そうでもない。体力に恵まれているわけでもなければ、武術の腕前も十人並みである。統率力に優れるわけでもなく、有り体にいえば、何をやらせても平凡な男なのだ。
現在ハイドは、二十五歳の若さにして、新市街西部の一区画を管轄とする警備部第十七分隊の隊長職に就いている。
警備部分隊長といえば、王都の治安維持を担う要職である。通例ならば、十数年現場で経験を積んだ叩き上げでなければ就けない役職だ。なんの資質も持たぬうえ経験も乏しいこの男が、なぜ分隊長の地位にあるのかといえば、それはひとえに彼が貴族の縁者であるからだ。
能力的にいま一つなのに加え、任務に対する熱意もなく、加えて部下の扱いも悪い。
警備部長アークランドも、ハイドのことは苦々しく思っている。しかし、オーモンド家ゆかりのとある筋からの圧力を受けているため、彼の役職を解くことはできない。仮にも貴族の縁者であるから、肩書きのひとつも持っていなければ体裁が悪いのだろう。アークランドとしては、ハイドがいち早く王国軍のほかの部署に異動してくれることを願うしかないのである。
そんなローマン・ハイドであるから、このたびの怪盗騒ぎに際しても、部下に激務を強いるのみで自分はろくに働こうともしない。分隊長が集まる会議においても、のらりくらりと当たり障りのない報告を上げるだけだった。
そんな男が、とある会議――マーシャとアイが怪盗に遭遇し、そのうちの一人を捕らえた夜の翌昼に行われたものだ――において、珍しく自ら挙手して発言したのだ。
『影法師』一味の一人を逮捕することができたという、警備部にとっては久々の朗報に、会議室は色めき立っていた。まずは尋問で情報を聞き出すべし、とアークランドが指示をしたところで、会議は終わるはずだった。そこで声を上げたのがハイドである。
「ひとつ、よろしいですかな、部長殿」
「どうした、ハイド」
「実は、『影法師』の犯行の動機について、少々思うところがあるのです」
「ほう……言ってみろ」
アークランドは、いかにも面倒くさそうな態度を隠そうともしない。ハイドの発言には、端から期待などしていないのだ。それは、居並ぶ分隊長たちにしても同様である。ダリル・カーターなどは、一本気で権力におもねることもない人間であるから、ハイドのことを蛇蝎のように嫌っている。
しかし、ハイドは鈍感な男であるから、会議室の冷めた空気など気にした様子もない。
「はい。王国軍内にて二つの派閥にが対立状態にあることは皆さんも知るところであると思いますが――『影法師』の暗躍の裏には、この派閥争いが関係しているように思われます」
「派閥争い? どういうことだ」
「結論から申せば――フォーサイス派が怪しい、そう私は睨んでおります」
会議室が、にわかにざわめき始めた。警備部の隊員たちも、王国軍の一員である。王国軍内での主流派であるフォーサイス派が怪しいと言われれば、動揺するのも当然だ。
「静かに!」
アークランドが一喝し、場は静まった。
「ハイド、根拠は」
「はい。実は、事件の被害者について少しばかり調べてみたのですが……」
と、ハイドが語り始めた。
彼がフォーサイス派が怪しいと考える根拠は、細部に多少の違いはあったものの、マーシャたちが話し合って出したものと同じであった。
「たしかに、もっともらしい話ではある」
そう言うと、アークランドは鋭い眼光でハイドを射竦めた。
「ハイド、ひとつ聞くが――その話、お前ひとりの頭で考えたものか?」
「それは……まあ、聞き込みで訪問した人々と話をするうち、閃いたと申しますか……厳密には、私一人の考えとは申せませんが……」
ハイドの言葉は、ひどく歯切れが悪い。ここで自分の思いつきであるときっぱりと断言し、手柄をわが物とすることができないあたり、この男の知能のほどが知れよう。
(誰かに入れ知恵されたか――もとより、ハイドのような愚劣な男に、論理的な分析ができるはずもなし。しかし、その結論には一考の余地がある)
アークランドは腕組みし、しばし黙考する。
「わかった。第十七分隊はその線で捜査してみろ」
アークランドの言葉に、ふたたび会議室はざわめく。さほど大きな権力があるわけではないが、アークランドも立場としてはフォーサイス派に属する人間である。そのアークランドがフォーサイス派が怪しいというハイドの意見を否定しなかったのだ。
「ただし、ことは極秘に進めること。わかるな」
ハイドは頷く。王国軍主流派のフォーサイス派に嫌疑をかけるというのだから、慎重に行動すべきなのは当然のことだ。その程度の理解力は、ハイドも持ち合わせているようである。
「他の隊は、捕らえた賊の尋問の結果が出るまで今までどおり捜査に当たれ。ハイド、捜査はくれぐれも極秘に行うのだぞ。くれぐれもな」
ハイドに二度も念押しし、アークランドは会議を打ち切った。
自らの執務室に戻ったアークランドは、椅子にどっかりと腰かけると大きく嘆息する。
「フォーサイス派の捜査――本来ならば十七分隊には任せたくはなかったが……」
と、ひとりごちた。
粗忽で頭の足りないハイドに、極秘任務など務まるのだろうか、という不安がぬぐえないのだ。しかし、意見を出したのはハイドであるし、ことが真実だったとしたら、ハイド率いる十七分隊に手柄を立てさせるべきであろう。ほかの分隊に任せるというのは公平性に欠ける。
(本来ならば第五のコーネリアスあたりにやらせるべきなのだが……)
切れ者であり、部下の信頼も厚いコーネリアスならば、極秘任務であってもそつなくこなすはずだ。しかし、それは考えても仕方のないことである。
会議の場では口にしなかったが、アークランドにはほかにも懸念があった。
(しかし――あのハイドが、あのようなやる気を見せているのはなぜだ)
このことである。
ハイドは、親族の強い影響力のもと王国軍入りした男だ。手柄を立てずとも、問題を起こさず無難に勤めてさえいれば勝手にそれなりの地位まで昇進できるはずである。本人もその状況にあぐらをかき、任務に身を入れてこなかったのだ。
それが、ここへきて積極的に捜査に加わろうとしている。なにか理由があるのではないかとアークランドは睨んでいる。
(考えられるのは――捜査の矛先逸らし、だろうか)
真犯人がなんらかの形でハイドに接触し、フォーサイス派が怪しいという話を信じ込ませる。ハイドは単純な男だから、これはそう難しいことではない。しかし、ハイドが俄然やる気を見せたことの理由は説明できない。
(ハイドの動向も探っておくべきか)
ハイドと怪盗との間に繋がりがあるかどうか、現状まだ根拠は薄い。しかしアークランドは、一度生まれた疑念というものを徹底的に潰していかなければ気が済まぬ性質である。
「問題は、ハイドに探りを入れる人員をいかにして捻り出すか、ということだな」
警備部の人手不足は解消されていない。アークランドは、ふたたび大きく溜息をつくのであった。
さて、フォーサイス派への捜査は極秘に行うべし、というアークランドの指示であったが――彼の懸念は、案の定というべきか現実のものとなった。すなわち、「フォーサイス派が怪盗騒ぎの黒幕であると見て、警備部が調べを進めている」という噂が、主に貴族たちの間で流れたのである。
事件が大きく動くまで、それからしばしの時を要することになる。
舞台はレン郊外のとある林に移る。
パメラが『絵画商シモンズ』に乗り込んでから二日後のことである。ということは、上で述べられた警備部の会議から数えても二日後ということになる。
マーシャの師・マイカが経営する道場からほど近い場所に、その林はあった。
時刻は夕方。厳寒期を過ぎ、日一日と昼の時間が長くなっていく季節であるが、まだまだ日の落ちるのは早い。木々の間から漏れる西日はいかにも弱弱しい。
そんな林の中で、訓練を行うミネルヴァとアイの姿があった。その相手となるのは、ゴードン・トマス・アーノルドというオクリーヴ家の若手三人だ。
いまだ怪盗の正体は見えないが、いつ彼らとまみえることになってもいいよう、暗器術に対抗するための稽古相手として、彼らが呼ばれたのである。
オクリーヴ家の三人が扱う武器はいずれも訓練用であり、刃引きをして先を丸めたものだ。しかし、たとえば投げナイフにしても、素材は
本家の令嬢であるミネルヴァ相手に、このような本気の訓練を行うことに、三人がはじめは難色を示したのは無理からぬことだ。しかし、実際に剣を構えるミネルヴァの姿を見たとたん、彼らの考えは変わった。ミネルヴァの実力のほどを肌で感じ取り、手加減をすべき相手ではないと悟ったのだ。
マーシャは、傍らでその訓練を見守っている。パメラの姿が見えないのは、『シモンズ』をより深く調べるべく動いているからだ。
「よろしくお願いしますわ」
「よろしくお願いするでござる」
互いに礼を交わすと、二対三の戦いは始まった。
オクリーヴの三人は、ぱっと三方向に散った。ミネルヴァとアイはそれを追わず、眼を伏せて三人が木々の間に身を潜めるのを待つ。隠形からの奇襲攻撃こそが密偵の真骨頂であり、身を隠した状態でなければオクリーヴの人間と稽古する意味が薄れる。数秒とかからず、三人は気配を断って姿を消した。
「どこから来る……」
ミネルヴァが固唾を飲み込んだ瞬間、三人は同時に動いた。
まずは、投げナイフによる奇襲。
三方向から合計十二本のナイフが、ミネルヴァ、アイに殺到する。
「なんの!」
アイは、自らを狙ったナイフ七本を、両の拳を覆う手甲で叩き落す。ミネルヴァは、大きく横に跳ぶことでナイフを回避してみせた。
三人は、木々の間を移動しつつ、さらなる攻撃を仕掛ける。アイに対しては、二方向から鎖分銅による同時攻撃。ミネルヴァに迫るのは、ばねによって打ち出される鉄針である。
アイは前転しつつそれを避け、起き上がると同時に地面から拾い上げた石くれを投げ放った。
「くッ!?」
石くれは、見事にアーノルドの右腕を捉えた。瞬時に鎖の軌道を見切り、回避行動と同時に鎖の持ち主の位置を把握し、即座に反撃する。アイほどの実力者でなければ不可能な芸当だ。
ミネルヴァはというと、次々放たれる鉄針の対処に追われている。
木の幹の影を移動しながら針を打ち続けるゴードンに対し、回避するのが精一杯のミネルヴァは、まだゴードンの位置をはっきり特定できずにいる。
これは、アイに比べてミネルヴァの能力が著しく劣っているということではない。単純に相性の問題だ。
身の軽さと俊敏性が武器のアイは、密偵たちとある意味近い特性を持つ。そしてその人間離れした身体能力をもってすれば、相手との間合いを詰めることは容易い。
一方のミネルヴァは、重厚な両手剣を得物とするため、身のこなしはどうしても鈍くなる。どっしりと構えて敵を迎え討つ戦いをするミネルヴァにとって、軽い身のこなしで飛び回り、間合いの外から変則的な攻撃を繰り出す暗器遣いというのは相性として最悪の部類に入る。
戦いはいつの間にか、アイがアーノルド・トマスと一対二で、ミネルヴァがゴードンと一対一で戦うという構図となっていた。
投石に怯んだアーノルドに肉薄せんとするアイであったが、踏み込みの途中弾かれたように横に跳んだ。アイがいたあたりの地面が何か硬い物体で撃たれ、積もった落ち葉が舞い上がる。樹上に潜んでいたトマスが、アイの背後から打撃を放ったのだ。
「あれは――三節棍、とかいったか。オクリーヴ一族はあんなものも使えるのだな」
数本の金属を輪や紐で結び、携帯性と威力を両立させた武器が多節棍と呼ばれるものだ。かつての戦乱期に大陸から渡来したと言われ、扱いは難しく素人が振るえば自身を傷つけかねない。マーシャも数えるほどしか見たことがない、珍しい武器だ。
アイは素早く体勢を整えると、大きく跳躍した。手近な立ち木の枝に跳び乗ったアイは、そこからさらに跳躍。人並み外れた身体能力を十二分に発揮し、木から木へと凄まじい速度で移動していく。密偵のお株を奪うかのような身軽さである。
「むうッ!?」
アーノルドとトマスは、アイの動きを捉えきれず、闇雲にナイフを投げることしかできない。
「甘いッ!」
とうとう、アイがアーノルドの頭上を取った。敵の高所を取るというのは、戦いにおいて圧倒的な優位に立つことを意味する。
アーノルドが見上げる暇も与えられず、アイの足刀がその側頭部に叩き込まれた。アーノルドは白目をむいて失神する。
着地と同時に、アイはすでにトマスとの距離を詰めている。三節棍を使うには間合いが近すぎる。得物を放り出し、素手で迎え撃とうとするトマスであったが、アイに素手の勝負を挑むのはまさに無謀である。瞬きほどの間に四発の拳を受けたトマスは、その場に崩れ落ちた。
(アイのほうは問題ないだろう。さすがだな)
かつて師・ケヴィンとともに放浪の旅をしていた間、数多くの山賊や野盗を倒したというアイである。実戦での経験が豊富なだけに、初見の暗器術に対しても高い適応力を見せる。
(ミネルヴァ様は、暗器の遣い手にはやはり苦戦するか……)
鉄針の
正面切っての戦いならば、いまのミネルヴァを負かす相手はそういない。ゴードンにしても、本来はミネルヴァより格下のはずであった。
(それでも、大剣を抱えながらあの攻撃を避け続けるのだから大したものだ)
以前のミネルヴァならば、早々にゴードンの攻撃を食らっていたはずだ。相手の「意」にきわめて敏感になったというミネルヴァの進歩が、ここでも表れている。
ミネルヴァとゴードンは、互いに相手に決定打を与えることができないまま、しばしの時が経過した。
「このまま続けても、いたちごっこにしかならぬな――ミネルヴァ様、ここまでとしましょう」
そう言って、マーシャがミネルヴァを止める。
悔しげな表情を浮かべながらも、ミネルヴァはその言葉に従った。
(ミネルヴァ様の戦いかたについては、なにか上手い手を考えねばなるまい)
考えつつ、帰路につくマーシャであった。
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