第3話

 翌日の午後のことだ。

 ホリスの家を訪れようと考えていたマーシャに、一人の来客があった。

 年齢は六十手前だが、分厚い胸板に広い肩幅、野太い首や腕と、いかにも頑強そうな肉体は年齢を感じさせない。白黒混じりの頭髪を短く刈り込み、顎には立派な髯をたくわえている。頑固親父という表現がぴったりなこの男は、運び屋ギルド『黒鷹』の長、ブレナンその人であった。

「夕べはホリスの奴を助けていただいたそうで、感謝する」

 と、ブレナンは口を開くなり礼儀正しく謝辞を述べた。

「いえ、礼を言われるほどのことはしておりませぬ。して、わざわざそれを言うために参られたのですか」

「ああ。あんな馬鹿野郎でも、うちで預かっている以上は俺の子も同じだ。親が礼儀を欠いたとあっちゃあ、子に示しがつかねぇってもんさ」

「それで、夕べのことをご存知だということは、ホリスの――」

 ブレナンは、唇を歪め眉間に深い皺を寄せ、苦々しい表情を見せた。

「ああ。運び屋の魂を博打の種銭に換えちまうなんて……とんでもねぇことをしでかしちまいやがった。くそッ、あの大馬鹿野郎がきっちり反省したのなら、すぐ仕事に戻してやるつもりだったのに。このままじゃ、死んだ奴の親父さんに申し開きもできねぇ」

 と、ブレナンは悔しさとやるせなさを顔一杯に滲ませた。

 ここまで短いやり取りであるが、マーシャは初対面のブレナンに対し、なるほどこの男なら多くの人々に慕われるのも頷けると納得した。馬鹿、大馬鹿と罵りつつも、ブレナンの言葉にはホリスに対する情が感じられたからだ。

「ときに、ブレナンの親分。どうしてホリスがバッジを取られたことをお知りになられた」

「例の賭場を開いているならず者――アルマン党とかいう連中なんだが、あんたは知っているかね」

 マーシャは頷く。

 アルマン党とは、王都レンの陰で暗躍する犯罪結社だ。大陸系の移民が自衛のために徒党を組んだものがその始まりであり、当初は互助組織に過ぎなかったものが、だんだんと犯罪に手を染めるようになり――とうとうレンでも指折りの犯罪集団と成長したのだ。

 大都市には、この手の犯罪組織はつき物である。人と金が集まる場所には、そのお零れに預かろうとする者もまた集まるのが道理である。

「今朝一番に、アルマン党幹部のオーギュストとかいう男の使いがギルドにやって来た。ホリスのバッジを預かっているから、買い取れなどと抜かしやがった。まったく、朝っぱらから仕事熱心なことだ」

 逆さにしようが搾油機で搾ろうが、ホリスからはもう一枚の硬貨も出てこないだろう。そう踏んだアルマン党のオーギュストとやらは、ギルドの元締めであるブレナンを強請りにかかったのだ。

「いくら払えと?」

「金貨で六十枚だ」

 これにはマーシャも驚きを隠せない。シーラントには何種類かの金貨が存在するが、一般にただ「金貨」と呼ばれるのは先王フェリックスの時代に鋳造されたクレメンス金貨のことだ。その金貨六十枚といえば、四人家族の一般庶民が二年は楽に暮らせる金額である。

 ホリスが博打で負けた金額はクレメンス金貨五枚分だというから、実に十倍以上の金額を吹っかけられたことになる。

「で、どうなさるおつもりか」

「こればっかりは、なんとしても取り返さにゃならねぇ。ホリスのためというのではなく、あれが悪用されでもしたらギルドの信頼は地に落ちちまう」

 前述したとおり、ギルドの運び屋は関所で荷を改められない慣習がある。ギルド所属の証たるバッジが犯罪組織の手にあるというのが、非常に危うい状態であることは言うまでもないだろう。

 運び屋のバッジは、真ん中から容易く裂けるよう細工が施してある。それは、暴力的な手段によってバッジが奪われそうになった場合、最終手段としてバッジ自体を使用不能にするためだ。そうしてまで、悪人の手にバッジが渡るのを防いでいるのだ。

 お上に訴え出ればことは解決するだろうが、それではギルドの恥を世に広めることになってしまう。

「しかし、本当にそんな大金を払うのですか」

「ギルドの金庫を総ざらいすれば、そのくらいの金にはなるだろう。しかし、その金は万一に備えるための金だ。使い切っちまうわけにはいかん。これからオーギュストとかいう野郎のところに行って、値引きの交渉をするつもりだ」

「お一人で、ですか。相手はどんな手段をとってくるかもわからぬ連中ですよ」

「ああ。しかし、たとえ俺が殺されたって、ギルドの奥にふんぞり返ってるだけの親父が一人いなくなるだけの話だ。ほかの者を巻き込むわけにはいくまいよ」

 平然と言ってのけるブレナンの胆力には、マーシャも感嘆を禁じえない。ホリスのこともあるが、この人物を一人ならずたち者の巣窟に送り出すことをよしとするマーシャではなかった。

「ブレナンの親分、私も同行させてもらいたいのだが」

「あんたが? 馬鹿言っちゃあいけねぇ。あんたみたいな若い娘さんを、ならず者どもの根城に連れて行くなんざ正気の沙汰じゃねぇ」

「心配なさるな。こう見えても、腕には多少の覚えがあります」

「まあ、下町に暮らしてりゃマーシャ・グレンヴィルの噂の一つや二つは耳にするが――しかし、関係のないあんたにそこまでしてもらうわけにはいかねぇ」

「無関係ではないのです。ホリスは勿論、奥さんやアンナとは仲良くさせてもらっている。親分、懇意にしているご近所さんが同じ目に合っていたとして、あなたは手をこまねいて見ているのですか?」

「そりゃあ、まあ……」

「大事な人を救いたいという気持ちに、老いも若いも、男も女も関係ないでしょう」

 じっとブレナンを見つめるマーシャの瞳には、不思議な光が宿る。しばしの沈黙が流れたのち、

「わかった、仕方ねぇ」

 とうとうブレナンが根負けし、折れた。

「ただし、自分の身は自分で守ってくれ。って、俺なんかよりよほど強いだろうあんたに言う台詞じゃねぇか」

 そう冗談めかして言うと、ブレナンは初めて笑顔を見せた。

「では、身支度をしますゆえ、少々お待ちいただけるか」

 ブレナンが部屋を出ると、マーシャはシャツの袖口に十本ほどの針を仕込んだ。皮革用の太い縫い針で、先端が三角形に加工されているため貫通力が高い。万一のときに隠し武器として使うためだ。無論、その目的専用に作られた武器に比べれば威力は劣るけれども、マーシャの手にかかればたかが縫い針とて必殺の武器になる。

 もっとも、あくまで交渉に行くのであって、乱闘になるような事態は極力避けねばならないのではあるが。

 腰に剣を差すと、マーシャは部屋を出た。

「お待たせいたしました。参りましょうか」

 二人が向かったのは、レンの下町の海近くにある、一軒の古美術店であった。そこはごちゃごちゃした裏通りに面しており、三階建ての古い建物の一階部分が店舗として使われている。二階と三階はカーテンが締め切られており、中の様子を覗うことはできない。

 ブレナンが店舗のドアを開ける。薄暗い店内には申し訳程度に絵画や陶器が飾られているが、素人目にも価値がない物であるのがわかるほど酷い代物だ。ろくに掃除もされていないらしく、店内は乱雑で埃っぽい。古美術店として商売する気がないのは明らかであった。

「……なんの用だ」

 カウンター奥に座っていた目付きの悪い男が、二人に声をかける。およそ客商売をするものとは思えぬ、ぞんざいな口調である。

「ここにオーギュストとかいう男がいるはずだ。会わせてもらいてぇ」

「そんな名前の人間、この店にはいねぇや」

「『黒鷹』のブレナンが来たと言ってくれ。話は通じるはずだ」

「……ちょっと待ってろ」

 店の奥に引っ込んだ男は、程なくして戻ってきた。

「二階へ上がってくれ。そっちの姉さんは?」

「連れだ」

「ふうん……? まあいいだろう。ただし、その腰の物騒なものは預からせてもらう」

 マーシャは男の言葉に素直に従い、剣をカウンターに置く。

「よし、こっちだ」

 二人が通されたのは、二階の応接室である。テーブルを囲むソファの一つに、三十歳前後とみられる男が座っていた。男の後ろには、五人ほどのいかにもガラの悪そうな男たちが控えている。

「よく来てくれたな、親分さん。金は用意できたのかい?」

 男が、身振りで着席を促しながら言った。どうやら、この男がオーギュストのようだ。なかなかの男前で服装も洒落ている。一見すると優男風だが、目付きは剃刀のように鋭い。オーギュストはマーシャの存在に怪訝な表情を見せるが、それは一瞬のことであった。

 二人が腰掛けると、オーギュストの手下たちが、マーシャらを取り囲むようにさりげなく動いた。

「あんたがオーギュストさんか。おいそれと用意できる金額じゃないことはあんたもわかっているだろう」

「ほう、それで?」

「余計な話はなしだ。まけてもらいてぇ。金貨五枚の負けに対して六十枚で買い戻せってのは、いくらなんでもぼったくりが過ぎるんじゃねぇか」

 五人のならず者に囲まれながら、ブレナンはまったく臆する様子を見せない。

「まったく、噂どおりたいした度胸だな、ブレナンの親分さん。この俺を前にしてぼったくりと言いなさるか。そうだな、その男気に免じて多少はまけてやってもいい」

「本当か」

「ああ。五八枚で勘弁してやる」

 オーギュストと取り巻きは、にやにやと嫌らしい笑顔を浮かべる。ブレナンは両手を握り締めて怒りを堪え、辛抱強く交渉を続けるも進展はなかった。

「なあ、親分さんよ。正規のギルドバッジを欲しがる人間は、裏社会にはごまんといるんだ。それこそ、金貨百枚出してもいいってやつがいるくらいにな。それを考えれば、随分良心的だと思わないか」

 こう言われては、ブレナンも二の句を継げぬ。

「そういえば、ホリスという男には若い娘がいるそうじゃないか。六十枚には少し足りないが、その娘の身柄と交換してやってもいい」

(予想通りの言葉ではあるが、実際に聞くとこれほど頭にくるとは……)

 マーシャの頭に血の気が上る。ブレナンも、こめかみに青筋を立てている。

「なんなら、そっちの姉さんでもいいぜ? 多少歳は食っているが、あんたほどの別嬪ならいい稼ぎになりそうだ」

 下劣な物言いにブレナンはとうとう我慢の限界に達し、ソファから立ち上がろうとするが、それよりも早くマーシャが口を開いた。

「まったく、真っ当に生きている人間を陥れて甘い汁を吸っている社会の害虫が、この私に大層な口を利くものだ」

「なんだと!?」

「このアマ、調子に乗るんじゃねぇぞ!!」

 いきり立った取り巻きの一人が、マーシャの肩を掴んだ。が、男は次の瞬間怪鳥のごとき悲鳴を上げて床を転がった。手首が、あり得ない方向に捻じ曲がっている。

 間髪入れずマーシャの両手が閃く。

「ぐぁッ!?」

「くッ!!」

 マーシャの手によって放たれた縫い針が、二人の男の耳たぶに突き刺さったのだ。

「次は、この男の目玉だ」

 既に両手に次の縫い針を構えたマーシャは、オーギュストにぴたりと狙いをつけた。マーシャに襲い掛かろうとした男たちの動きが止まる。

 オーギュストは一筋冷や汗を流したが、さすがと言うべきか表情に動揺の色は見せなかった。

「……なかなかの腕前だな。さすがは、マーシャ・グレンヴィルだ」

「私を知っているのか」

「ああ、王都の腕利きは大概把握しているからな」

「なら、話は早い。私としては貴様ら全員を叩きのめし、バッジを取り返してもよいのだぞ」

 マーシャが、鋭い眼光でオーギュストを睨みつける。

 しかし、言葉通り力ずくでの解決を望んでいるかといえば、そうではない。バッジはホリス自身の意思でオーギュストの手に渡った。それを無理やり奪い返そうとするのは、たとえ相手が犯罪組織の者たちだとしても、道理が通らない。

 およそ交渉事とは、相手の調子に呑まれたら負けである。ここまでは、完全にオーギュストに主導権を奪われたままであったため、マーシャは交渉の流れを自分たちのほうに引き寄せるべく行動を起こしたのだ。多少、暴力的ではあったのだが。

 オーギュストはマーシャの視線を受け止めつつ、なにやら考えているようだ。

「……そうだ、いいことを思いついた。まあ、座ってくれ。おい、お前たちも下がれ」

 マーシャが着席し、取り巻き立ちは部屋から退散した。

「あんたの腕前を生かして、一仕事してもらいたい。そうすれば、バッジは返してやってもいい」

「仕事だと?」

「ああ。賭け試合に出てもらう」

 オーギュストが言うには、この賭け試合はレンの郊外の某所で月に数回行われているものだ。真剣を用いた一対一の勝負を対象に、賭けが行われる。客は、秘密を守れる人間に限定され、上流階級の金持ちがほとんどだ。そのため賭け金は膨大な金額にのぼる。観客の多くは金を稼ぐのが目的でなく、血生臭い真剣勝負を観戦することを楽しみとしている。マーシャのような名の知れた剣豪が出るとなれば、その「あがり」は金貨六十枚が塵に思えるほどのものになるはずだという。

「悪いが殺しはやらぬ」

「真剣勝負だからって、相手を殺さなきゃならないわけじゃない。気絶させるか、参ったと言わせればいいんだ」

「グレンヴィルの先生、あんたがそんなことをする必要はねぇ。下手すりゃ命を落としちまうぞ」

「しかし親分、ほかに方法はないでしょう――わかった、受けよう」

「先生!!」

 ブレナンはなおも抗議の声を上げるが、マーシャはにっこり笑ってそれを制する。

「安心なされよ。相手が誰であろうと負けるつもりはない。それで、試合はいつだ」

「来月末の試合に出てもらうつもりだが」

「それでは一ヶ月以上、バッジが戻らぬことになる。もっと早くならないか」

「いや、実はちょうど今夜試合があるんだが……今からだと客への告知が大変だからな。あんただってこれほど急だと準備もできないだろう」

「私はいつでも構わぬ。今日が駄目だというのなら、この話はなしだ。金貨六十枚を工面して払うほかないが、仕方ない」

 マーシャが揺さぶりをかけた。

 オーギュストは考え込む。金貨六十枚と、マーシャが今夜の試合に出ることによる稼ぎ。それを天秤にかけているのだろう。無論、期間を置いて告知を行ったほうがより多くの金が集まる。

「……いいだろう。場所の詳細は、この紙に書いてある。試合開始は夜の八時だ。三十分前までには会場に入ってくれ。馬車を使ってもいいが、会場の手前で降りてあとは歩いてくれ」

「わかった。では親分、帰るとしよう」

 二人は立ち上がった。マーシャは部屋のドアに向かう途中、ふとオーギュストを振り返る。

「一つ聞きたい。ホリスの親父さん相手に、よもやイカサマなど仕掛けてはいまいな」

「馬鹿を言うな。うちの賭場では『サマ』はご法度だ。たしかにあの親父の相手をしたのはうちの若い衆だが、どいつも一介の博打打ちとして相手をしたにすぎない」

 そう言ったオーギュストの声音には、わずかな怒気が含まれていた。

「言わせてもらうがな、うちの賭場じゃ客の尻の毛までむしりとるような真似は滅多にしない。生かさず殺さずの状態を続けたほうが長い目で見れば金になるからな。だが、あの親父のように、ちっぽけな金のために自分の誇りを投げ出すような半端者は許せねぇ。そんな野郎には、少しばかり痛い目をみてもらうのさ」

 オーギュストがまくし立てた。それまでのどこか気障で嫌味な喋り方と違って、感情を剥き出しにしている。

(このようなならず者でも、矜持と言えるものは持ち合わせているらしい)

 ならず者が見せた意外な一面。マーシャは驚きを顔に出さぬよう努めなければならなかった。

「最後に言っておく。約束は必ず守ることだ。さもなくば――」

 マーシャの眼が細められ、声の調子が一段低くなる。

「わかってる。約束は守るさ」

 心なしか震える声で、オーギュストが答えた。マーシャの殺気は、犯罪組織の幹部すらも震え上がらせる。

「失礼する」

 そうして二人は古美術店を後にするのだった。

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