第15話

 場面は屋敷の庭に戻る。

 マーシャが斃した傭兵は十八名に及び、六名が屋敷から逃げ去った。ランドールの戦力は、既に半数を割り込んでいる。

「ひっ、怯むな! 相手はたった一人だぞ!」

 そう叫ぶランドールの声は、上ずっていた。

 傭兵たちは、ランドールの命令にも動けずにいる。むしろ、機会を見て逃げ出そうと考えている者が大半であった。

「ええい、ならば金貨二千枚だ! そ奴を討ち取った者には二千枚出すぞ!」

 ランドールが提示した金額は、人一人がゆうに一生遊んで暮らせるほどのものだ。尻込みしていた傭兵たちも、さすがに目の色を変える。

「ほう、やる気を取り戻したか。そうでなければ張り合いがない」

 相変わらず、マーシャは獰猛な笑みを崩さない。ひびの入った右手の剣を投げ捨てる。

「何をしている! さっさとかからんか!」

 ランドールの怒号を合図に、傭兵たちがふたたびマーシャに斬りかかった。

「残るは十四人か。ふむ、そろそろ本気を出させてもらおう」

 そう言うと、マーシャは傭兵たちの真中に斬り込んでいく。それまでは、なるべく背後を取られぬよう立ち回っていたマーシャが、ここへきて積極的に打って出た。

「ふッ!」

 踏み込みざま、袖に仕込んだ短剣を投擲すると、手前にいた二人の男の眼球をそれぞれ貫いた。同時にもう一本の剣を引き抜き、ふたたび双剣を手に。右の剣で鋭い突きを放ち、三人目の上腕を貫く。同時に腰を回転させ、左の剣を逆袈裟に斬り上げると、四人目が内股を切り裂かれて倒れる。

 身を低く傭兵たちの間を走りぬけるや、地面すれすれに放った横薙ぎで二人の男の足首が切断された。

「ぬうッ!」

 背後から放たれた斬撃を振り返りもせずに避けると、剣を回転させて逆手に持ち、後ろに突き出した。股間の急所を刺し貫かれ、男が地面をのた打ち回る。

「でぇいッ!」

「せえぇぇやッ!」

 両脇から、二人同時に斬りかかる。マーシャは左の剣を地面に突き立て、柄を足蹴に大きく跳躍。とんぼを切って男たちの頭上を跳び越えると、着地と同時に右の剣を二閃。さらに二人が倒れた。

 続いて、盾を構えての突進を身体を捻って避けて背後を取ると、柄頭で後頭部を一撃。男は、うめき声を上げて失神した。

「おおおぉぉッ!」

 大剣を手にした傭兵が、鋭く突きかかる。マーシャは、蛇のような動きでするりとそれを避け、一気に肉薄。傭兵の腕を掴むと、自分に引き寄せるように引っ張りつつ身体を捻った。腕の関節を極められた男は、顔面から地面に突っ込む。

「ぎゃあぁぁぁーーッ!」

 肩、肘、手首の間接を同時に破壊された傭兵の叫び声が響く。

 残る傭兵は、わずか三人。先程は金貨に釣られた傭兵たちも、もはや戦意を失っているが、マーシャは容赦しない。一人一撃。たった三度の斬撃で、三人は地に倒れ伏す。

 残ったのはランドールと、その側近の男二人の三人のみとなった。

「くっくっくっ、逃げずにいてくれたか」

 返り血で、マーシャの顔面は真っ赤に染まっている。両眼をぎらつかせ、口を大きく横に開いて笑う。かつて「死神姫」と呼ばれた剣士の姿が、そこにあった。

「う、うわぁぁぁぁーーーーッ!」

 側近の男の一人が、めちゃくちゃに剣を振り回してマーシャに斬りかかる。帯剣こそしているものの、剣術の心得はないのだろう。子供が喧嘩でやるような、やぶれかぶれの突撃だ。

「退け」

 マーシャが無造作に剣を振るうと、男の手からあっさりと剣が弾き飛ばされた。身を翻して肘をみぞおちに叩き込むと、男は白目をむいて倒れ伏す。

 もう一人の側近が進み出て剣を抜いた。中背ながら、がっしりとした身体つきの四十男だ。先ほどの男とは、明らかに雰囲気が違う。低く身体を沈めた、踏み込みの速度重視の構え。男の面体に覚えはなくとも、その男が放つ空気をマーシャは覚えている。

「お前は、あの時の……」

 酒場強盗を撃退した際、唯一逃げおおせた男であった。

「ここは私が食い止めますゆえ、御館様はお逃げを」

 男の言葉にランドールは無言で頷くと、覚束ない足取りで走っていく。腰が抜けるのを堪えるので精一杯なのだ。

「投降しろ。あのような男にそこまで忠義を立てる必要はあるまい」

 マーシャは、男に問うた。マーシャによって捕えられた二人の強盗は、獄中で自害した。その任務にかける心意気は本物だ。それだけに、あの卑劣漢への忠誠を貫くのが理解できないのだ。

「御館様には、元の主家が取り潰しとなり流れ者となった我々を拾っていただいた恩義がある。なにより――貴公にせめて一太刀でも浴びせねば、死んだ二人に顔向けできぬ」

 男の手にする長めの両手剣に、殺気がこもった。 

「名を聞いておこう」

「隠密は名乗る名など持たぬ」

 マーシャも、剣を構える。男の剣を、真っ向から受けてやろうと思う。

 男は、摺り足でじりじりと立ち位置をずらしていく。マーシャもそれに合わせ、十歩ほどの間合いを保ちつつ動く。

 やがて、中庭に焚かれた篝火の一つが、二人の間合いの真中に入った。

(来るか……?)

 篝火の炎とその支柱に隠され、男の挙動は見えにくい。仕掛けるにはもってこいだ。

「参るッ!!」

 気合の掛け声とともに、男が踏み込む。しかし、その踏み込みはいかにも半端だ。マーシャとの距離を半分も詰めぬまま、大上段に大きく剣を振りかぶる。

「むんッ!」

 篝火の炎を突っ切るように、男の長剣がマーシャ目掛けて飛来した。男は、篝火越しに剣を投げ放ったのだ。

 しかしこの程度では、マーシャの意表をつくことすらできぬ。マーシャは右手の剣でもって、それを打ち払った。

(これは――『本命』ではない) 

 男の目には、なんとしても使命を果たそうという強い意思が宿っていた。一か八かの攻撃にすべてをかけるとは、マーシャには思えなかった。

 間髪いれず、男は篝火を蹴倒した。横に跳んでこれを避けたマーシャに、さらに男が追い縋る。その両手には、それぞれ黒い筒状の物体が。先端部からは紐のようなものが伸びており、そこから小さな煙が立ち昇っている。

 男の唇の端が、小さく上がった。

(導火線!? 爆薬――投げる――否、自爆――!)

 剣の投擲・篝火への蹴りは、すべて隠し持った爆薬に点火する動作を隠すための目くらまし。そのまま、自分もろともマーシャを吹き飛ばす覚悟だ。

 マーシャの身体は、「思考」という段階を飛ばして反応した。

 最後に残った一本の剣を引き抜くと、ふたたび二剣を手に。両腕を交差させるように鋭く斬り上げると、爆薬は男の手首から先もろとも宙を舞う。男の胴体に右足で前蹴りを見舞い、その余勢を駆って一回転しつつ、横薙ぎを一閃。爆薬の導火線は二本とも根元から綺麗に切断された。

「くッ……!」

 両手を失った男は、二、三歩大きく後退すると、仰向けに倒れた。彼の一命を賭した攻撃すら、マーシャの前では無力だった。

 男の顔に、諦観の笑みが浮かぶ。

「カラム、マーロウ、済まぬ」

 呟くと、男は強く奥歯を噛み締める。その顔からはみるみる血の気が失せ、口からは一筋の血流れた。

 マーシャは、獄中で毒を含んで命を絶ったという二人のことを思い出す。

 マーシャが吐いたため息を聞いた者はいなかった。

 逃げ去ったランドールの姿はまだ邸内にあり、マーシャがそれを見つけるのは容易かった。もし屋敷の外に逃れたとしても、パメラの手にかかるのは必定ではあったのだが。

(逃がさぬ)

 門を目指してよたよたと走るランドールに、マーシャが走り寄る。

 と、突如ランドールが立ち止まった。その足を止めさせたのは、門の外に立ちはだかるひとつの人影であった。

 剣閃。その刃風に煽られるように、ランドールが尻餅をついた。

 若い女性である。幾重ものフリルで膨らみ、細かい刺繍がふんだんに施された豪奢な真紅のドレス。その上から、ぴかぴかに磨きこまれた鋼鉄の胴鎧に、揃いのガントレットとグリーヴを身に着けている。両手には大剣。そして、篝火に照らされ輝く巻き毛の金髪――

「ミネルヴァ様……!?」

 怒りの炎に身を任せていたマーシャの心が、冷水をかけられたように一瞬にして醒めた。

 そこにいるはずのない人物がなぜ――マーシャの疑問は、すぐに解けた。ミネルヴァの背後に、ミネルヴァの愛剣の鞘を携えかしずくパメラの姿があったからだ。

「先生、パメラからすべて聞きました。……イアン殿のこと」

「ミネルヴァ様……」

「申し訳ございません。勝手ながら、これが最良と判断いたしましたゆえ」

「……パメラ……なぜ、ここにミネルヴァ様をお連れした?」

 マーシャは、法によって断罪される覚悟を背負ってここへ討ち入った。この場にいるだけで、パメラやミネルヴァまでも罪に問われることになりかねないのだ。

「先生、お願いがございます。此度の件、私の手で決着をつけたいのです」

 マーシャは、ミネルヴァの瞳をじっと見つめる。赤く充血したその瞳に、マーシャは硬い決意の印を見て取った。

 そもそもが、その装いである。ミネルヴァの身体を飾る、真紅のドレス。この決戦の場には少々そぐわない絢爛豪華なドレスは、マーシャもフォーサイス家の屋敷で、数度目にしたことがある。「ドレスを着た剣鬼」の二つ名を持つフォーサイス家の祖先、ヴェロニカ伝来と言われる家宝だ。その上から甲冑を着込むというのは、ヴェロニカの逸話に由来する、フォーサイス家の女子の正しき戦装束であり――その装いで駆けつけたこと自体が、不退転の決意の表れと言えよう。

(強く、なられたな)

 ミネルヴァほどの年頃の娘が親しい人物の死を告げられたなら、普通は茫然自失として悲しみに打ちひしがれることだろう。いや、その赤く腫れた目元を見れば、ミネルヴァが大きな悲しみを背負っていることがわかるだろう。しかしミネルヴァは気丈にも、仇を討たんと馳せ参じたのだ。

「……わかりました。ご随意に」

 マーシャが、剣を鞘に収めた。

 ミネルヴァは、尻餅をついたままのランドールに大剣の切っ先を向けて告げる。

「エージル公爵、ギルバート・フォーサイスが娘、ミネルヴァにございます。わが友イアン・プライスの無念をここに晴らすべく、ジェラルマン公爵、マルコム・ランドール殿に決闘を申し込みます」

 ミネルヴァは剣で親指を薄く斬ると、流れた血で自らの首筋に横一文字に赤い線を引いた。古式に則った、決闘を申し込む際の作法である。

「フォーサイス家の娘、そうか、報告にあった――しかし、決闘だと――?」

 突然のことに、ランドールは困惑を隠せない。だいたいにして、この決闘を受けてもランドールに利はないのだ。

「貴様が決闘を受けるというのなら、私は手出しせぬ」

「ランドール公、あなたにもシーラント貴族の矜持がおありなら、お受けくださいませ」

 ミネルヴァの言葉に、ランドールの顔色が変わった。

「矜持と申したな、小娘」

「ええ、確かに。ランドール公ともあろうお方が、たかが小娘ひとりを怖がって決闘を避けるようなことはなさいませんわよね?」

 ミネルヴァの挑発が、とうとうランドールの怒りに火をつけた。マーシャの戦いぶりに腰を抜かしかけていたランドールの身体に、ふたたび力が満ちる。

「……いいだろう。もはや破滅は避けられぬ身なれど、虚仮にされたまま引き下がれるほどランドール家の名は軽くない」

 ランドールは立ち上がると、腰の細剣を引き抜く。剣を持つ手を前に出して、剣先を地面に向ける。これまた古式に則った、決闘を受諾するときの作法である。ミネルヴァはそれに返礼すると、十歩ほどの間合いをとった。

「防具は着けなくてよろしいんですの?」

「要らぬ」

 ミネルヴァは、剣を肩に担ぐいつもの構え。ランドールは身体を半身に開き、剣を持った右手を弓を引き絞るように後ろに引いた。

(あの構えは、カジュナ神流……それも、かなりの使い手だ)

 それは古流と呼ばれ、シーラントの剣術界でもとりわけ歴史の深い流派であった。ランドール家の所領があるライサ島に古より伝わるカジュナ神流は、初撃の速度にすべてを賭け、一撃必殺を旨とする刹那の剣だ。

 ランドールが防具を身に着けないのは、ミネルヴァを侮ってのことではない。その速度を最大限に高めるためだ。

「ランドール……貴様、真剣での立会い、初めてではないな」

 マーシャは、ランドールの剣から立ち昇る「血の臭い」を敏感に嗅ぎ取った。

「ふん。ライサの地にて乱世を生き抜き千余年。誇り高きランドール家の当主を、王家に飼い慣らされ牙を抜かれた腑抜けどもと同じに考えてもらっては困る」

 いかなるいきさつで真剣勝負に至ったのかはマーシャが知るよしもない。しかし、ランドールが斬ってきた人間は、一人や二人では済まない。そうマーシャは看過した。

(ランドールも、あれでシーラントの武人ということか。しかし――勝負は出会い頭だ)

 ランドールの得物は細い。ミネルヴァの大剣と打ち合いになっては剣が持たぬ。流派の主義に則って、初撃で勝負を決めに来るはずだ。しかし、それを凌ぎきればミネルヴァの勝利が見えてくる。

 下手な助言は勝負に水をさすことになる。マーシャはミネルヴァに一言だけ声をかけた。

「ミネルヴァ様――イアンとの稽古の日々、それを思い出してください」

 ミネルヴァは小さく頷くと、ランドールに向き直った。

(腕前はランドールが上か。今はミネルヴァ様の気力に賭けるしかない)

 二人は、摺り足でじりじりと間合いを詰めていく。

あと半歩ほどでミネルヴァの間合い――そこで、ランドールが動いた。

「ぬうんッ!!」

 マーシャの速度に慣れているはずのミネルヴァも、わずかに反応が遅れるほどの鋭い踏み込みだ。肩を支点にしてミネルヴァの剣が振り下ろされる。が、ランドールの踏み込みの速度が上を行った。斬撃をかい潜ったランドールは、引き絞った右手をミネルヴァの顔面めがけて突き出す――!

(凌げるか、ミネルヴァ様――!?)

 カジュナ神流の初撃の突きは、ただの突きではない。足腰の関節の使い方に独自の工夫があり、普通の突きの間合いと思われるところからさらにひと伸びするのだ。

 今のミネルヴァの体勢、そして間合い。後ろに避けようが左右に避けようが、ランドールの剣先から逃れることはできない。しかし、カジュナ神流の突きには、ひとつだけ対抗手段が存在する。それは――

「おおおおおぉぉッ!!」

 「前に出ること」である。ランドールの細剣の剣先が頬を傷つけるのを気にも留めず、ミネルヴァはさらに踏み込んだ。真紅のスカートが、薔薇の花のように翻る。頬から飛び散る鮮血は、さながら散り行く薔薇の花びらか。

 更に深く突きを入れる体勢に入っていたランドールは、重心が前に偏っている。そこへ、逆に間合いを詰められると対処は困難である。

「くッ!」

 ランドールが慌てて剣を引こうとする。しかし、すでにミネルヴァはその懐に入り込んでいた。ランドールの胸元に、全体重を乗せた体当たり。ランドールが大きくよろめく。

「お覚悟!」

 下からの斬り上げ。ランドールはその剣で受けるが、ミネルヴァの大剣による一撃はその剣身を根元から叩き折った。折れた刃が、回転しながら宙を舞う。

 ミネルヴァが、ランドールの首筋に剣先を突きつける。威風堂々たるその立ち姿は、まさに戦絵巻に描かれたヴェロニカ・フォーサイスの如し、である。

 この、カジュナ神流の突きへの対処法をミネルヴァに伝授したのは、ほかならぬイアンであった。伝統あるカジュナ神流の技は、形を変えつつもライサ島の様々な流派に伝播している。ライサ島で剣を学んだイアンは、ミネルヴァとの稽古の際この突きによく似た技を披露したことがあったのだ。

 しかし、眼前に迫る刃を紙一重で避け、さらに前進するというのはそう簡単なことではない。とっさの判断力、機転、剣筋の見切り――なにより必要なのは、勇気だ。

 少し前のミネルヴァならばやられていたに違いないとマーシャは思う。ミネルヴァの剣に宿ったイアンの遺志が、ミネルヴァに勝利をもたらしたのだ。

 ランドールの手から剣の柄が離れ、からんという音を立てて地面に落ちた。

「殺すがいい。無念を晴らすのだろう」

「…………」

 しかし、ミネルヴァはランドールに背を向けて歩き出す。ランドールは、その場に両膝をついて崩れ落ちた。

「……いいのですか、ミネルヴァ様」

「ランドール公を殺めても、イアン殿は帰ってきません。それに……私のこころは、イアン殿に通じたはずですわ」

「……ご立派です。イアンも、喜ぶことでしょう」

 実のところ、マーシャはいつでも二人に割って入れるよう身構えていた。ミネルヴァの助太刀をするためではない。ミネルヴァが激情に任せてランドールを斬り殺そうとした場合、それを止めるためだ。

 しかしミネルヴァはランドールの命を取ることにはこだわらなかった。イアンのために真剣勝負を挑んだこと。結果ではなく、この過程にこそ仇討ちの本当の意味があると考えたのだ。

 マーシャは、ミネルヴァの精神の高潔さに感嘆を禁じえない。同時に、激情に任せてランドールを殺害しようとしていた自分を深く恥じ入った。

「では、二人はここから離れてください。ここにいれば、二人も罪に問われるやもしれませぬ」

「でも、先生!」

「良いのです。もとより、私一人が責めを負う覚悟。それに、お父上の御立場もお考えください。さあパメラ、頼む」

「かしこまりました。お嬢様、参りましょう」

 半ば強引に、パメラがミネルヴァの手を引いて走り出す。ミネルヴァはなおも名残惜しそうに振り返るが、結局はパメラに従った。

「さて……もうすぐ、マクガヴァン殿がこちらに駆けつけるはずだ。観念するがいい」

 マーシャは予めマクガヴァンに伝言し、ちょうどいい時間にこの屋敷に来るように手配してあった。

「もはや逃げも隠れもせぬ。勝手にしろ」

 地面に座り込んだまま、ランドールが諦観の笑みを浮かべた。この場で自害して果てる気力すら失っているようだ。

「ひとつ聞きたい。なぜ、このような悪事に手を染めた」

「……すべては、我ら貴族の誇りを取り戻すため。あのキラートを蔓延させたのも、それによって富を得たのも、そのための手段に過ぎぬ」

「誇り……? それはいったい……」

「貴様になど語ってやるものか。それ、時間切れだ」

 三十騎を越える多数の騎馬の足音が、屋敷の門に近づいている。先頭に立つ馬の上には、特務の長・マクガヴァン子爵の姿があった。

「王国軍警備部である! ランドール家私有地にて狼藉を働く不届き者がいるとの通報を受け参った! 神妙にいたせ!」

 このマクガヴァンの言葉は、ただの建前である。あくまで不法侵入者を捕えに来たという体裁で、屋敷を捜査するつもりなのだ。

「マクガヴァン殿、ご足労感謝いたします」

「グレンヴィル、これは……」

 百戦錬磨のマクガヴァンも、思わず声を失う。なにしろ、三十人を超える人間が血を流して呻き声を上げているのだ。

「例の薬草酒、キラートはあちらに。あれを抑えられれば、ランドール公ももはや言い逃れはできますまい」

 マーシャが、積み上げられた木箱を指差す。

「……う、うむ。者共、かかれ」

 呆気に取られていたマクガヴァンが、慌てて部下に指示を下す。部下たちは傭兵たちの捕縛と家捜しに取り掛かった。

「しかしグレンヴィルよ、感謝するのは我々のほうだろう。強制捜査という最終手段に踏み切れたのはお前のおかげなのだから」

「いえ、私はただ、私怨を晴らそうと思っただけに過ぎませぬ」

 マーシャがかぶりを振った。

「それでは、私も連行してください。私は、ランド-ル家所有の屋敷にて乱暴狼藉を働いた罪人です。裁きを受けねばなりませぬ」

「……わかった。おい、誰か」

 一人の兵士が進み出て、マーシャの手首に縄をかけた。

「ではマクガヴァン殿、あとは頼みますぞ」

「ああ。必ずやランドール公の悪事を明らかにしてみせる」

 力強く頷くマクガヴァンを見て、マーシャは満足そうに目を閉じた。

(これで、思い残すことはない)

 怒涛の一日の疲れが一気に押し寄せたのか、マーシャはその場で意識を失った。

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