episode.23「おしまいね、レベル13」

 二時間が経って、外へ出た。


 どこかの埠頭ふとうの倉庫街らしく潮の香りは漂ってくるものの、海そのものは見えない。

 夜の闇と水銀灯、汽笛の音色、コンクリートの冷たい地面――密輸品だの人質ひとじちだのと、物騒な単語にはおあつらえ向きの舞台設定が整っている。


 人気のない、袋小路の奥まった場所に、バベルと女と茉奈まなはいた。


 電子音。

 女が左手の、PMDに視線を落とす。


「レベル、13……どうやら彼のお出ましみたいね」


 ……本当に?


 本当に、彼はやってきた。

 一人きりで、ケンカ別れしたさっきと同じ制服姿。荷物は、何も持っていない。いつも通りの仏頂面が、涙が出そうなほど頼もしく見える。


「はい、ストップ」

 と、女が呼びかけ、


「足元に武器を置いて。そう……じゃあ、そのまま下がってくれる?」


 魔法の使えない〈弑滅手ヘルサイド〉は、言われるがままに銃を手放し、丸腰で距離を取った。


「バベル」


 女にうながされ、バベルが銃を拾って、手渡す。公との電話では『相棒』だと言っていたが、さっきからどうも主導権は女のほうが握っている感じだ。


「顔に似合わずおっかないモノ持ってるわねー、彼女が可哀想」


 マガジンを外し、装弾を確認。

 受け取った銃を品定めしつつ、女は至って何気なくスライドと安全装置を操作、並んで立つ茉奈に銃口を向ける。


「――で、例のモノは?」


 一人凍りつく茉奈を置き去りに、淡々と取引は進んでいく。


「ここに」

 公が、ポケットから何かを取り出す。


 炎の赤色に似たきらめきを放つ、大粒の〈魔結水晶マナ・クォーツ〉。


 女は笑った。

 他愛たあい無い子供の悪戯いたずらでもたしなめるように。


「あらあら……それがここにあるってことは、もう雇い主はお陀仏だぶつってことかしら?」


「貴様らの知ったことじゃない」

 吐き捨てる公。


 そこでようやく、茉奈も現状を正確に理解した。今の公は、ロゼッタとやらの護衛役を完全に放棄して、雇い主の利益を踏みにじるような取引をしているのだ。


 茉奈を、助けるために。


 にわかには信じられなかった。

 バベル13サーティーンとはそこまで手強い敵なのか。そうでなければ、きょうが動いてあの石を買い取りでもしてくれたのか。

 それともやはり、どこかのタイミングで反撃に転ずる用意があるのか……


 茉奈としては、全て彼にゆだねるしかない。


「渡してもらおうか」

 再び歩み出たバベルが、公へと手を伸ばす。


 公は躊躇ためらう様子も見せずに、唯々諾々いいだくだくとその石を――


「待って」

 と、女。


「ねえ、13。そんなにこの子が大事なの? だとしたら……たったの石ころ一つと交換っていうのは、安すぎなんじゃないかしら?」


「何が言いたい?」


 公の問いに、女は最悪の要求を突き付けた。


「殺しちゃいなさい、バベル。こんなチャンス、滅多にないわ。レベル13の首だったら、『生死を問わずデッド・オア・アライヴ』で石ころなんかより遥かに高い値段がつくもの」


「そんな……約束が違うじゃない!」


 茉奈は叫ぶが、女は歯牙にもかけようとしない。

 美貌びぼう酷薄こくはくな笑みを浮かべて、


「そんなことないわ。約束通り、あなたは無事に帰してあげる」

「…………っ」


 もう、無茶苦茶だ。

 公がタダで殺されるはずがないし、間違いなく修羅場になるだろう。そうなってしまったら、用済みになった茉奈の命は……


 しかし。


 想像を絶するその事態は、茉奈の悲観も、希望的観測すらも裏切って推移した。


「なるほど」

 バベルは無表情に、右手の人差し指を一本、まじないでもかけるみたいに突き出して。


「〈太陽神の戦刃マルドゥーク・レイ〉」


 指先が描き出す光の軌跡は、公の胸をななめに走る。

 術者も標的もあまりに無造作で、茉奈はその意味をすぐにはつかめなかった。


 まるで、ただのレーザーポインターみたい――半瞬遅れて、公の身体は後方へ吹っ飛んだ。


 地面に激しく叩きつけられ、ふらふらと立ち上がる公。


 衣服の前面は袈裟けさがけに焼け落ちて、はだけた胸には光のあとらしい裂傷が走っている。全身に受けたダメージは、無論それだけでは済まないだろう。


 だというのに、彼は両手をだらりとさげたまま案山子かかしのように立ちつくしていた。


 魔法も使えず、武器も持たず、逃げようとさえもしない。

 敵と人質とを見据える両目だけが、不気味で冷たい光をたたえ、茉奈の背筋を寒くする。それも――別に、魔法ではなかった。


 バベルの指先が踊り、光が走る。


 公は続けて、吹っ飛ばされた。


 明らかに抵抗の意思がなかった。魔力を喰っている様子でもないし、何かを待っているふうでもない。


「何してんのよ、東庄とうじょぉっ!」

 茉奈は叫んだ。


 わたしのことなんか――


 そう叫ぶほどの思い切りは持てずとも、叫ばずにはいられなかった。次、次、そのまた次とバベルの攻撃は容赦なく続き、公はひたすらやられ続ける。


 これでは、本当に死んでしまう。


 ……こんなのは、嘘だ。マトモじゃない。冗談にしてもタチが悪すぎる。

 そこまで大事にされるいわれなど茉奈には全くない。

 あると思うなら、思い上がりだ。


 確かに、馴れ合いらしきものはあった。ケンカするほど仲がいいだとか、そういう面もあったのかもしれない。


 でも、それ以上であるはずがない。だって、まだ二週間だ。


「何なのよ……何考えてんのよ!」


 茉奈の叫びに答えは返らず、バベルはつかつかと公へ歩み寄った。魔法ではなく、右の拳で顔面を殴り飛ばす。


 公の手から、石がこぼれた。


 倒れた彼にはもう見向きもせず、バベルはそれを拾い上げる。


「くだらん、やめだ」

 彼は吐き捨て、公に背を向けた。


「ちょっと、バベル!」


 女の抗議もどこ吹く風、飄々ひょうひょうとしてバベルは応ずる。


「俺の果たすべき仕事は済んだ。それ以外で、お前の指図さしずを受ける謂れはない。契約書にない仕事はしない――それが、プロフェッショナルだ」


「な……っ」


 憤然とする女を睥睨へいげいし、誇りだけ高き一族の末裔は唾棄だきするように言い放った。


「あんなモノを殺すことに意味があるというなら、お前がその手で為遂しとげればいい」


「……ふっ」

 女が呼気を震わせる。


 怒っているのか、笑っているのか……

 多分、その両方だったのだろうが、ともかく彼女はバベルの説得をあきらめたらしい。


「これだから、男の美学マチズモってヤツはがたいのよね……ま、いいわ。確かに、私がやればいいことだし」


 銃を持つ手を右だけにして、女は左手を前方へ。


 魔法を使う〈弑滅手〉の仕草だ。


 茉奈は依然、動けない。この距離から発砲されれば、耐抗レジストもしきれず死ぬしかないだろう。


 いつの間にか、公はまた立っていた。さあ、やれよ、と言わんばかりに。


 茉奈にはそのごうが理解できず、女は理解しようともしなかった。


「おしまいね、レベル13」


 女の無慈悲な宣告には、様子見や手加減の意思はうかがえない。必殺の一撃が放たれようとする、その秒読みの最終段階に――


「その辺にしといてもらえませんかねぇ、アレーナさん」


 空から、声が降ってきた。


「誰!?」

 女につられ、茉奈も振り返る。


 ――背後にそびえる倉庫の屋上で、月光に浮かび上がるシルエットが一つ。


 しゅたむっ、と格好つけて飛び降りてきたのは、日頃見飽きたメガネだった。


木沢きざわ――」

「ああ、何と痛ましい。工藤くどう君ってばしばられちゃって僕に抱きついてこられないんですね。しかし普段が普段なだけに、その弱気な姿も中々……後で、記念撮影しましょう」


 こいつ……。

 この状況での、ぶん殴りたくなるほどにいつも通りなマイペースっぷりは、いっそ頼もしいと見るべきなのか?


「何なのよ、あんた? なんで、私のこと……」


 アレーナという名らしい女は、無理もないことだが戸惑っていた。


「そりゃ当然知ってますよ、アレーナ・シロック。東庄とうじょう君も名前だけならどこかで聞いたことあるんじゃないですか? あなたもあなたで、この業界では悪名高いですから」


 木沢は軽く肩をすくめて、女の顔をのぞき込む。


「それにしても……」


 白々とあかりを反射するメガネが、味方ながらにエラく不気味だ。


「一週間も東庄君をつけ回しておいて、一番そばにいる僕に気付かないとはあまりに薄情じゃないですか。一声かけてくれさえすれば、昔のよしみで相談に乗ったのに」


 アレーナが、はっと息を呑む。


「――まさか、『ファルコン』!? あんた、どうしてこんなトコに……」

「ああ、懐かしい名前ですね。僕にも色々ありまして、かれこれ一年ほど前からこちらで御厄介ごやっかいになってるんですよ」


 彼女の答えを、にこやかに肯定する木沢隼人ファルコン


 ……って、どこの誰だそれ。


「ところでモノは相談といいますか、いちいち確認するのもアレなんですが……どうせ、また原因はお金でしょう? 金貸しのあなたが、殺し屋の真似事だなんて」

「そーよ、悪い? 来週までにバベルへの貸し分をきっちり取り立てて他に回さないと、私がドラム缶に詰められちゃうのよ」


 図星をつかれたアレーナは、ふくれっ面でそっぽを向く。茉奈に向けたままの銃口に、動く気配は今のところない。


「……あなた、本当にりないですね。当座でいくら必要なんです?」

「えーと、まぁ……当座っていうと、色々込みで三百万クロイスってとこかしら」


 風向きの変化を感じ取ったのか、アレーナはいきなり素直になった。

 思い切り吹っ掛けたというのが、かなり見え見えの素直さではあったが。


 木沢のほうも素知らぬ顔で、眼鏡をくい、と押し上げた。


「ふむ、なるほど。まぁ、僕の一存で組織のお金を動かすわけにもいかないんですが……東庄君なら、そのくらい持ってるんじゃないですか?」


 無責任に、放り投げる木沢。


 当の公は傷だらけのボロボロで、未だ黙然もくねんと突っ立っていた。

 にこりともせず、言う。


「……いいだろう、俺が払う。とっとと銃を返せ」


 途端とたん、鮮やかなまでにアレーナは豹変ひょうへんした。

 ぱん、と乙女ちっくに両手を打ち合わせ、


「きゃーん、素敵っ! レベル13ってば、超クール! しみったれたバベルなんてもう用無しだわ!」


 放り出された公の銃は、木沢がナイスキャッチ。


 どうやら茉奈は助かったらしい。アレーナはクビにしたバベルに見張りをさせ、早速、公とPMDのホログラム画面で金のやり取りか何かを始めている。


「……で。三百万ってどのくらい?」

 参考までに、自分の命につけられた値段を木沢にいてみると、


「今のレートだと、日本円で五千万近いですかね」

「げ……」


 もう絶句するしかない。リアクションに困る数字だった。


「では、これを」

 木沢は銃を胸元に示し、取引を終えたらしい公のほうへ歩きだす。


「あ……」

 その後を追おうと身じろぎすると、バベルが茉奈の縄を切ってくれた。


「さらばだ」

 お互い、礼も謝罪もないまま、殺し屋はさっさと立ち去っていく。


 茉奈もそんな気分ではなかった。


「あの、東庄……」


 この場合、彼には何と言ったらいいのか。


 頭にあるのは、そのことばかりだ。

 何かを言いたいのに、色々な感情が入り混じってうまく言葉が出てきてくれなかった。


 そうしている間に、彼のほうが茉奈へ歩み寄ってくる。


「すまない。結局、巻き込んでしまった」


 公は無表情だった。いつもの仏頂面でさえない。


「お前の言う通り、俺はとんだ疫病神だ。やはり、そばにいないほうがいいんだろう」


 それっきり。


 本当に、ただそれっきりで、彼は行ってしまった。遠ざかる背中が、まるで全てを拒絶しているみたいで……


 あれじゃあ、茉奈はなんにも言えない。


『ありがとう』も『さっきはごめん』も『ちょっとカッコつけすぎ』とも言えないし、『バカ』と言ってやることさえできない。


 ただ何も言えずに、茉奈は公の背中を見送った。


◇◇◇◆


「……やれやれ、一件落着か」


 現場を見下ろす倉庫の屋上で、リゼットは思わず息を漏らした。背中に押し当てられていた銃が、ようやくどいてくれたからだ。


「命拾いしたな、雌狐めぎつね


 傲然ごうぜんと彼女を見上げてくるのは、制服姿の小柄な少女。


「ふー、終わった終わった。冷や汗かいたねー」


 リゼットに銃を突き付けていたピンク髪の制服少女も、そちらの背後へ歩いて回る。


「何のつもりです、緋咲享ひざききょう

「なに、私は友達を助けに来ただけさ」


 精一杯にリゼットが凄んでも、享は表情の一つも変えない。


 うさぎいらう虎でさえ、こうも不敵な面構えはしないだろう。華奢きゃしゃはかなげな容色と相まって、逆に凶険な凄味を感じさせる。


「しかし……舐められたものだな」


 リゼットを完全に見下したていで、享は口角こうかくをわずかに吊り上げた。


「貴様、ファリスの妹だろう? 私が気付かないとでも思ったのか? まぁ〈廻廊殿かいろうでん〉の狙いなんてものは、公をここに送り込んだ時点でもう粗方あらかた読めたようなものだが」


「…………!」

 全て、バレていた?


 目の前のたった一人の少女に、硬直した体の全神経が震えるほどの寒気を訴える。


緋星會エカルラート〉一党をべる首魁しゅかいにして、勇者の、そして『彼』の戦友。

 イストラーグの戦火をくぐり抜けた過去は伊達だてではないということか。


 魔力や戦闘以前の次元で、リゼットには全くかなう気がしなかった。

 はっきりと『格』が違う。

 こんな相手に対等のはかりごとを仕掛けようなど、今となってはそれ自体が安いお笑いぐさとしか思えない……


「何も、そう青くなることはないんだ。私もファリスは大好きだったし、一方ひとかたならぬ世話にもなった。出来れば、その恩は裏切りたくない」


 享は柔らかな声音で告げると、口調を事務的なものに改めた。


「本日、現刻をもって我々〈緋星會〉は本件における〈廻廊殿〉への非公式かつ全面的な協力を申し入れる。そのむねただちに上へ伝えてほしい」


「……わかって、いるのですか? 私たちのしようとしていることは……」

「ああ、超ド級の台風の中で火種とガソリンをばらくような大迷惑だ」


 享が可笑おかしげに肩を揺らす。


「望むところさ」


 ――狂気と侠気きょうき。ある種の荒くれた〈弑滅手〉たちが深奥しんおうくすぶらせる魂の熾火おきび条理じょうりに逆らう行動原理。

 発火点を越えてたける炎は今や物理的な圧力さえ帯び、リゼットの疑念と怯懦きょうだあざわらう。


「奴をこの街に迎えたときから、こちらの覚悟はできている。イストラーグで受けた恩を我々は決して忘れない。〈廻廊殿〉でとぐろを巻いてる小役人と政治屋どもには、到底、理解できんだろうがな」


 ……やはり、この少女ひとは。

 同じ年齢で、こうまで自分と差があるものか。不遜なまでの肝の据わりように畏敬いけいの念すら覚えそうになる。


「ですが……なぜ、それを彼にではなく、今になって私に伝えるのですか? 彼は今まで……」


 顔を上げるのにも苦労しながら、リゼットは恐る恐る疑問をていした。


「ああ。苦労してたな、いい気味だ」


 享はふと、年齢相応の悪戯っぽさを覗かせて、


「親友をペテンにかけようとするから、ああいう目を見ることになる。ほんの、ちょっとした意趣いしゅ返しさ。それと――」


 グッ――と。

 出し抜けに、享はリゼットの襟元えりもとをつかみ、自分の鼻先へ乱暴に引き寄せた。


「貴様には、言っておくことがある」


 触れ合いそうなほどに間近な唇。

 その柔らかな桜色が、氷の息にも似た声を吐き出す。


「いいか、雌狐。本人や貴様らがどう思おうと『東庄公』は我が〈緋星會〉の構成員だ。もし貴様らが今回の件で、私の家族をおとしいれようなどとたくらむのなら――」


 あかい瞳。

 魔人さえも殺すほどに、冴え冴えとぎ抜かれた鋭い視線で――


「肝にめいじろ。決して忘れるな。この手でくびき切って〈廻廊殿〉へ送りつけてやる。着払いの、クール便でだ」


「…………っ」

 リゼットは、何も答えられない。


 ただ…………トイレに行っておいて、本当によかった。


PART.4 END

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