第1話 私達の今 -3-

 一頻ひとしきり笑い終わって、本当に馬鹿馬鹿しくなって。だから私はまたピアノの蓋を閉じる。その時に、

「今日も荒れてたね。姉貴」

 三つ年下の弟、貫太が話しかけてきた。剣に全く興味を示さなかった私とは違い、貫太は幼稚園に通いだす頃から一生懸命に剣の道を歩んでいる。

『何の用? 別にアンタと話すような要件こっちにはないんだけど』

 視線と手話で冷たくあしらう。

「んだよ。別に姉弟なんだからさ。用がなくっても話しかけて良いだろ? つか、用ばっちりあんだけどさ。姉貴には何の連絡も行ってないの?」

 しかめっ面をしながらも、貫太は私に話しかけてくる。携帯電話を差し出しながら。

 何の要件だ、そう怪訝に思いながらめんどくさい、という感情を露骨に示しつつ携帯電話を見ると、それは最近中高生に流行っている無料通話やグループでの会話ができるアプリの会話の画面で、

 琥太坊こたぼう「今年もバッチリ全国決めたよ! 来週にはまたケビンと一緒に来るからよっろしっくね〜♪」

 と楽しげなメッセージを送りつけている例の初曾孫の文章だった。おまけにニコニコマークのスタンプまでつけてきやがって。ガキか。そう思うのと同時に、また私に染み付いたあの時の記憶が蘇ってくる。その光景はできれば早く忘れ去りたい程の記憶。忌まわしいとさえ思える恐怖や忌避の対象。

 なのにそのくせ何にそれほどまでの恐怖が纏わり付いているのかを、私はハッキリとしたイメージで描くことが出来ない。できないまま、七年も経った。

 私が出来る事は、したつもりだ。最期の最期に、雰囲気に呑まれて、というのも多分にあるけど、泣いてあげることだって、少しはしたし、さよならの瞬間が近づくその時にも、話をした。もう、十分だと。その時の私からすればもう十分な量、曾祖父とはやり取りができたのだ。後悔は、ない。……私には。

 琥太からの浮ついたようにしか見えないメッセージを読み終わった私は、携帯を貫太に押し付けるように返してからため息をこれまた露骨につく。

「やったね。俺またこの時期が来るの楽しみにしてたんだよね〜。今日早速その準備とかしてたんだけどさ。まぁそっちは大変だからちょっと嫌だったんだけど」

 兄貴が増えるような感覚があるのだろう。普段こんなにも饒舌になることはない貫太が、この時期になると本当にテンション高く喋り続ける。それがまたウザい。

「姉貴も何だかんだ言って、楽しみだろ? 琥太さん達が来るの! いっつも来る前は嫌っそうな顔してるけどさ。来たらいつも楽しそうだもんな!」

『やかましい』

 という言葉と同時に脛に一発蹴りを入れる。

「うわっ! 痛ってぇ! 弁慶の泣き所とか最低なクソ姉貴だな。俺間違った事何一つ言ってねーのにな!」

『私は生憎手が使えないんだ』

 そう手話で言いながら今度は股間を狙う。

「怖え! 姉貴クソ怖えぇ!」

 走って貫太は逃げていく。窓の外は日暮れ。赤く染まった空が見える。

 かぁ。かぁ。かぁ。カラスが飛んでいく。

 そう言えば汗ばむ季節にもなったか。そうだ。また、この家が暑苦しく、男臭くなる時期がやってきた。この時期が、やってきたのだ。私はそう思いながら開放されていた居間の窓、そのカーテンを閉めきり額の汗を拳で拭った。

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