第5話 少年の物語(2)

 夢中で駆けていた。元来た道を戻っているつもりであったが、少しパニック状態なのかもしれない。方向感覚に自信はない。少年は、大きな虎が目の前に現れて食い殺される事を覚悟したが、なぜか虎は襲ってこなかった。それどころか、明らかに逃がしてくれたようにしか思えなかった。

 

 混乱していた。そんな事があるのだろうか?或いはよっぽど満腹で、もう食事する余裕などなかったのかもしれない。色々考えたけれど、やはり、明らかに逃がしてくれたとしか思えない。


(それにしてもあの虎、なんだかとっても悲しい目をしていたな)


 そこが強く印象に残った。


 孤独の共鳴は単独では成り立たない。やはり少年も、虎と同じように相手の孤独を感じ取っていたのだ。


(なんだか、とても気になる。また会えるだろうか)


 そんなことまで思うようになってきた。もはや、あの虎が、自分に危害を加えるかもしれない猛獣だという事は問題に感じてなかった。


 混乱しながらも夢中で走ったせいで、森を抜けた。幸運にも元々森に侵入した辺りにかなり近い。これなら家まで迷わず帰れるだろう。少年はほっと一息ついた。

 森のざわめきは少年になど興味がないのだろう、来た時と同じようなリズムで、ざわつき続けていた。


 

 取り返しのつかない失言だった。

何とか家に帰った少年は、家族に話してしまったのだ、虎との出会いを。

 

 「そんな猛獣、放っておいたらまたいつ我々が危ない目にあうかわからない。週末にでも仲間を集めて山狩りをしよう。それに虎の毛皮は高級品だから、上手く仕留めれば良い金になるかもしれない」父親は言った。

 少年に、父親を説得する術は持ち合わせていなかった。余りにも立場が弱い。


 (明日、虎に会いに行こう)


 身振り手振りでも、必死で彼に身の危険を知らせようと思った。少年は完全に自分の失言のせいだと思っていたので、それ以外の方法は思いつかなかった。最悪の場合、食べられてもいいと思った。自分たち人類が、沢山彼の仲間の命を奪った。これで贖罪になるとは思っていなかったけれど、せめて精一杯、自分の出来るべき行動を貫きたいと思った。


 翌朝早くに少年はこっそりと家を出た。冷蔵庫にあったハムや豚肉の切り身など、トラが食べそうな物をありったけと、チープなカメラをリュックサックにつめて出かけた。勿論、会える保証はなかったけれど、きっと会える様な予感はしていた。


 曇り空の切れ目から突然太陽が現れた。

 不意に、眩しい表情と笑顔はとてもよく似ているな、などと思った。

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