勝手にしやがれ!~ジャンク・ストーリーズ
加持響也
勝手にしやがれ!
第1話 ぴゅーん!
東方には『一寸先は闇』という諺があるという。
まったくもってその通りだ。
いやはや、まさか吾輩がこのような情けない目に遭おうとは――。
吾輩がこの天と地の狭間に誕生――いや、吾輩の場合は『製造』と表現すべきか――してかれこれ数百年になる。
それこそ生生流転、人の手から人の手に渡り、様々な知識と経験を積み重ねてきたわけだが、ここまで奇妙な事態に陥るのは初めてのことであった。
しかし、この程度で動揺する吾輩ではない。
賢者は、常に己の置かれた状況を正確に把握し、道理に沿った判断を下し、その上で事態を打破すべく的確に対処する者なのだ。
幸いなことに、吾輩には永遠に近い時間、という絶対的な武器がある。
全ての生きとし生けるものに無慈悲な刃をふるう残酷な時の刻みも、この吾輩を屈服させることはできない。
また、いかなる手段をもってしても、吾輩を滅ぼすことは不可能だ。
いや、大陸の遥か南、人跡未踏の『風なき砂漠』をさらに超えた『永遠の奈落』に放り込まれてしまったら、さしもの吾輩も消滅をまぬがれることはできない。
何しろこの世界とは別の世界に繋がっている、と言われておるからな。
だが、そんな無謀かつ無意味な挑戦を試みる者はこれまでいなかったし、今後も現れないだろう。
であるからして、実質、吾輩は不老不死の存在といってよい――それをことさら喧伝する気は、さらさらないがな。
さて、前置きが長くなってしまったな。
まずは名乗らせてもらおう。
吾輩は『シャドルマンドゥ』。
古の賢者たちの叡智を結集して生み出された、意思を持つ魔宝珠だ。
吾輩が今の境遇におかれる契機となったのは、ある一人の盗賊との邂逅であった。
ああ、邂逅などという大仰な言葉を用いるのはかえって混乱を招くだけかもしれぬな。
分かりやすく言えば、その男に吾輩は盗まれてしまったのだ。
それまで吾輩は、ポザムという小さな村の、長老の元で日々を送っていた。
かつては宮殿で絶世の美女と謳われた王妃の装飾物として愛され、あるいは大神殿の宝物庫で神物として祀られ、またある時は高名な魔術師の豪邸で研究物の一つとして保管されていた吾輩が、どのような過程でそこに至ったのかを語るのは別の機会に譲るとしよう。
長話は今の『主』に嫌われてしまうからな。
ともかく、吾輩は一人の野卑な若者の手によって盗まれてしまった。
流浪の吟遊詩人を名乗る若造の舌にまんまと乗せられて、大事な蔵の警備情報を洩らしてしまうとは、長老も情けない。
齢を重ねれば自ずと賢くなるわけではない、という典型的な見本であるな。
さて、そのロイという盗賊は吾輩をしっかりと手に収めたまま、長老宅からまんまと逃げおおせたが、当然のようにすぐに追手が差し向けられた。
必死で逃げるロイの手中で、久しぶりに戸外に出た吾輩は少なからぬ刺激を受けていた。
吾輩は生物ではないから、食事も睡眠も必要としない。
無論、性欲などという下賤なものも持ち合わせてはおらぬ。
だが、人間と同様――いや、それ以上の視覚や聴覚は有している。
さらに吾輩の知識と記憶は、決して失われることがない。
吾輩が最も欲しているもの、それは『新たな知識と経験』だ。
こればかりは本当に尽きることがない。
吾輩がこの世に現れた頃には存在しなかった物が、今は当たり前のように流通している。
それらは実に興味深く、面白いことであった。
ゆえに吾輩は、その時こう考えていた。
(このまま、このロイという若者と旅をするのも面白いかもしれぬ)
と。
だが、なかなか思うようにならぬのが、この浮世というものであるな。
長老が放った追手は、着実にロイとの距離を詰めていた。
このロイという若者、さすがに盗賊という職業柄なかなか敏捷であった。
しかし、追手は土地の者であるから当然この辺りの地理には詳しい。
捕えられるのは時間の問題であった。
しかもこのロイ、大胆不敵というか考えなしというか、何と白昼堂々、吾輩を盗み出したのだ。
常識的に考えれば盗賊は夜中に仕事をするものであろうが、長老も夜の間は蔵の前に寝ずの番を置いていたので、致し方なかったのかもしれぬな。
そんなわけで、晩冬の張りつめた冷気の中、ロイは吾輩を手中に収めたまま全力で郊外の道を突っ走っていた。
その背後には、六尺棒を手にした数名の追手。
ロイが足を止めた。前方に新手が現れたのだ。
屈強な村の男が五人。こちらは優男風の盗賊一人。
万事休すか。
否、ロイはここで奥の手を用意していた。
彼の懐には、吾輩と姿形の似た――いや、よく観察すれば、当然ながら吾輩とは色合いも形状も漂わせる威厳も何もかもがまるで違うのだが――石があったのだ。
賢明なる諸氏にはお分かりであろう。
そう、要するに『オトリ』である。
「へっ、こうなっちゃあ仕方がねえな!」
ロイは意外に用意周到な若者であるが、芝居はお世辞にも上手いとは言いがたい。
大根役者にも程がある棒読みで言い捨てると、
「あらよっ!」
と、掛け声をかけて力いっぱい放り投げた――。
ぴゅーん!
……吾輩を。
……そう、オトリの石ころではなく、あろうことかこの吾輩を、である。
「な、何てことをするんだ、お前っ!」
慌てた追手の一人が裏返った声をあげたが、まさしくそれは吾輩の台詞である。
「へへっ……と、あばよ!」
追手が気を取られる隙に、ロイは吾輩とは逆方向に駈け出した。
オトリではなく吾輩を投げたことに、何か深い意味があるのかと問い質したかったが、残念ながらその時の吾輩はそれどころではなかった。
この現世に創造されて数百年、ここまで粗略な扱いを受けたのは初めてであった。
冬の夕焼け空に、大きく弧を描いて飛んでいく吾輩。
やれやれ、全く驚きである。
ロイが狙ったわけでもなかろうが、吾輩は街道沿いの茶店の軒先に向かって飛んでいった。
店の前の軒先で、黒髪の若い女がのんきな顔で饅頭を頬張っている。
傍らでは、茶店の女がこれまた太平楽そのものの笑顔で空を眺めていた。
そして吾輩は勢いよく屋根の端に衝突した――繰り返すが、あまりに酷い扱いであり、慚愧の念に堪えない――直後、想像だにしなかった暗黒の世界へ飲まれていった。
……うむ。
で、ここは一体どこなのだ?
(続く)
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