にじゅうらせん

@himo

第1話 二人の男

雑居ビルの地下にあるバー。そこのカウンターで二人の中年男が酒を酌み交わす。いい年したオヤジ二人以外、薄暗い店内に客の姿はない。

「一本で二度おいしいって考えからか、それとも無駄をなくそうって考えかはわからないが、この間両端にマッチの火薬をくっ付けて特許の申請に来た人がいたよ」

「それは取れたのか?」

話しを始めた右の男はすぐには答えない。一度グラスを傾け、曖昧な間を取ってから、

「まさか。取れるわけがないだろ」ニヤけた。

「何で?捨てるところが少なくて地球に優しいだろ。今流行りのエコだ」

「危険だから、エコも敵わないの」

左の男は視線を逸らすと、左手に持ったロックグラスにそれを落とした。

「それもそうだな」

「おまえにしては随分物分かりがいいな」安っぽい黒塗りのカウンターの上に手を付いた右の男が弾む声で言う。

「このごろ余り言い争うのが好きじゃなくなった」酒を口に運んでから、左の男は力なくそう答える。「歳のせいだ」ほくそ笑む右の男。

「仕事の疲れでだ」それを嫌がる左の男。

「そういうことにしておくよ。でもそんなに仕事忙しいのか?」

「あぁ」

「物騒な世の中になっちまったもんだな」

「そうだな」

左の男の名は真木野薫。彼の仕事は刑事、神奈川県警で働く警部だ。もう一人、右の男の名は新堀司。二人は大学時代の友人だ。しかし新堀は真木野のことを学生時代好きではなかった。正直に言ってしまえば嫌いだった。嫌われていた男が、口にグラスを傾けてからカウンターにそれを置いた。

「で、その人は結局特許取れなかったのか?」

「取れたよ、もちろん他のアイデアで」

「凄いな、次から次へとアイデアが浮かぶんだな。で、どんなの?」

「今度は両端が尖った楊枝」

「それは取れないだろ」

「いいや、通ったよ」

「ありえん。容器から取り出すときに刺さってしまう。まさしく危険だ。第一なんか不潔だろ」

「でも通ったの」

「そんな商品売れるはずがない」

「売れるか売れないかは関係ない」

「随分冷たいな。特許庁は」

「仕方がないだろ。それでも相手が特許権を取りたければ、人に害がない限りは認めるさ」

新堀は特許庁に勤める公務員だ。何故真木野を嫌いだったか。それはこの男が自分勝手で偽善者だから。それなのにそんな男を見破れない馬鹿どもが彼の周りには自然と集まった。顔も悪くはない彼は女にもモテた。しかしそれを決して鼻に掛けることはなかった。というよりも周りを気にする素振りも見せなかった。そんな男に気付かれないように、新堀は彼を睨み付け続けた。今日会ったときからずっと。

「お役所仕事だな」

「何とでも言え」新堀はグラスの酒を豪快に口へと運んだ。

「しかし中途でよく経済産業省管轄の特許庁に入れたな」

「まぁな」

背中を丸めたままの真木野が目を細める。

「おいおい。何もズルイことはしてないぞ」背筋を伸ばし目を大きくする新堀。そんな彼は考えた。この男を嫌いな決定的理由を。しかし目の前で赤ら顔になり始めた男のことを嫌いな理由は先に挙げた以外見つからなかった。とにかく好かない男だったのだ。

「昔の仕事は、確か保険屋だったな?」真木野は話しを変えた。

「よく覚えててくれたな」

「当たり前だ」

「おまえは昔っから自分のこと以外興味がなかったじゃんか」

「そんなことはない」

「そんなことある」

「ないよ、しつこいな」膨れる真木野に、ニヤける新堀。

「で、特許庁のおまえが何で外回りしてんの?」

「調査だ」

「調査?何の?」

「自分が特許権を持っているモノを、他人が公然と売っているとの申し立てがあってな。その調査だ」「どんなモノだ?」

「それは言えない」

「何でだ、いいだろ?」

「おまえだって捜査については公言出来ないだろ?」

「俺と一緒にするな」

「特許庁を馬鹿にしてるのか?」

「そういうことじゃないだろ」

「そう言っているのと同じだ」少し俯いた友人に、「わかった、少しだけだぞ」すぐに顔を上げた時の表情はいつもの鋭いはずの眼光がどこかに消え、人懐っこいモノに変わるから敵わないと、昔から常々新堀は感じていたことを思い出した。たとえ嫌いでも心底嫌いにはなれない奴だったことを。

「金型だ。日本の金型産業は中小企業に多いんだが。数年前、日本で開発された金型が中国に渡り安価で商品を手に入れることが出来るようになったとき、中小企業は大打撃を喰らったんだ」

「そのニュースなら聞いたことがある。多くの町工場が倒産したんだよな?」

「それで懲りた一人の中小企業主が開発した金型に、特許権を取ったわけだ。しかし中国の闇企業が同じ製品を大量に生産しているみたいだと申し立てがあってな」

「中国では日本の特許権は通用しないのか?」真木野が身を乗り出す。

「国際出願されている商品だから、勿論中国でも特許権は通用する。しかしあの国はデカイ分、闇もデカイ。問題はここからで、それを輸入して売っている業者が日本に現れてしまったんだ」

「となると安い分、中国から輸入している業者の商品を買うよな?」

「そうなんだ。だから俺の出番なの」

「少しって言って、随分話してくれたな」厭らしく笑う真木野に、鼻で笑う新堀。そして彼は思い出した。この男は助けるふりをして平然と蹴り落とすことが出来る。自らがその犠牲になった苦い過去のことを。

「でも何で、保険屋を辞めたんだ?」

「今日は随分質問攻めだな?さては一つ事件が解決して、今何も考えなくていいときなんだろ?」白々しく惚ける真木野。

「図星か。で、今回の事件の犯人は捕まえられたのか?警部さん」

「俺の話はあとだ。質問したのはこっちだ」

「馬鹿、俺はもう一つ質問に答えた」新堀がムキになっても、

「だからおまえは何時まで経っても出世できないし、結婚も出来ないんだ」

「大きなお世話だ」これ以上反論できなかったのは、既に真木野が既婚者であるからに他ならない。わかっていても真木野の術中に嵌まってしまう自分を惨めに感じながら、「何だっけ、保険屋を辞めた訳だよな?そんなの聞いてどうする?」応えてしまう。

「次の捜査が始まったらおまえの話しを聞いてやれなくなる。だから今の内にいろいろ聞いてやろうと思ってな」その返答に新堀が舌を出した。久しぶりに会った友人は、昔よりも数段嫌な奴になっていたから。

「直接何が原因ってわけじゃない」

「そうか、なら保険屋ではどんな仕事が印象に残っている?」

新堀は真木野の返しにホッとする思いを感じた。どうせ特許庁にカネでも払って引っこ抜いてもらったんだろと、ねちっこく言いそうな男だからだ。しかし実際は歳をとったのかやはり疲れなのか、ただ新堀には彼が大人になったようで安堵する半面、幾ばくかの淋しさも感じた。

「十二年ぐらい前だったかな、ある男子生徒が自殺した。確か高校三年生だったな」

「何故だ、虐めか?」

「多分虐めだろうが、実際原因はわかってないんだ。俺としては他殺の線もあるといまだに考えている。それでもおまえら警察は自殺と断定した」

「神奈川県警か?」

「あぁ。でも確かに自殺みたいだ。他殺らしい証拠はないらしいからな。ただ死に方が尋常じゃなかった」

「どんなだ?」

「顔に布の袋を被ったまま首吊り自殺したんだ」

「布を被ったまま?」驚きを前面に出した真木野に、

「そうだ」新堀は珍しさを感じた。常に平常心でいるこの男にしてはやけに喰い付きが良かったから。しかし真木野自身、自分が既に刑事として働いていた時期に神奈川県内で自殺として処理されたとはいえ、そのような事件が起きていたことに一番驚いていたのだ。

「俺が他殺と考えている理由はな……」

しかし先ほどのように真木野が飛びつく表情を見せはしなかった。

「何故俺が他殺だと考えるのか、その理由が気にならんか?」そんなことはどうでもいいと言いたげに、真木野はピスタチオを口に突っ込むと、「十代の我が子に生命保険を掛ける親はめったにいないもんな。保険屋としては疑うよな。で、いくら受け取ったんだ。その男の子の親は?」

「五千万だ」やはりこの男は昔と変わらないと感じた新堀の口元が上がった。

「自殺の場合、確か免責期間みたいなのがあったよな?」

「あぁ。今でこそ自殺者が激増しているから、免責期間は二年ないし三年にしている保険会社がほとんどだが、十年ぐらい前は一年間だったんだ」

「その子は契約してからピッタリ一年後に自殺したか?」

「そうなんだ」難しい表情で答えた新堀は握ったままのグラスの中、氷でだいぶ薄まったウィスキーを一度口に流し込むと、静かに話しを続けた。「これが本人が契約して、一年後に死んだなら自殺も頷ける。しかしそれが親となれば疑ってしまうのが人間の性だ」

「確かにそうだな。それなのに警察は自殺と断定した?」

「疑ってはいたさ。しかしアリバイが証明された。死んだ少年の両親は食堂をやっていたんだが、事件のあった朝、二人は数人のパートのおばちゃんと仕込みをしていて、一度も外に出ていないんだ」「でもパートの人間が嘘を言っているかもしれないだろ?」

「それでも、君ら警察は信じたんだ」

「まぁそれが嘘とは思わないが、どうも妙だな」

新堀は、ふとこの男も警察機関にどっぷり浸かった公務員であることに気が付いた。

「それにあれだけ目立つところで死んでいたら、生徒でもない限りは絶対に目立つ。だから目撃者がいてもおかしくないはずなんだ」

「しかしそんな目撃情報は上がってこなかったわけか」数日間剃ってない無精ひげを擦りながら、真木野はカウンター奥の薄暗い中ブラックライトに照らされて怪しく光る壁を睨み付けた。

「あぁ」新堀はグラスの中で小さくなった氷が泳ぐのを少しの間眺めていた。そして表面だけで微笑むと、「おまえら警察は踊らされたんだよ……。まぁすべては俺の推測だ」

二人の間に沈黙が訪れ、時間だけが過ぎていく。

「おいっ真木野?人の話し聞いているのか?」新堀が横に目をやる。真木野はカウンターに顔を埋めヨダレを垂らしていた。

「ごめん。なんか話しをしてたか?」虚ろな目で体を起こした。

「大した話じゃない。それより疲れているんだろ?早く帰って寝た方が良い」

バーを先に出る真木野。

ひとりカウンターで酒を飲む新堀が、「あっ、あいつの話し何一つ聞けなかったな。まあいい、近いうちにあいつとはまた話す機会がありそうだからな。人が話をしているときに寝やがって。でも、真木野君にとっては大した話じゃなかったか……」ひとり言のあとに含み笑いを浮かべてから、新堀は残りの酒を飲み干した。

二人が再会したのは三年以上ぶりだった。真木野は新堀を面白くて頭の良い奴だと考えていた。だから反面いつも何を考えているのか掴めない男だとも感じていた。それでもお互いがお互いをどう感じているか今まで一度も話したことはないし、今後話すこともない。


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