ブレイブテイル

雨夜

第0話 ある王国の終わり

 激しい剣戟の響きと、魔術による爆音や破裂音がそこかしこで鳴り響く。昨日までは近隣諸国にその名を知られた美しい白亜の王城も、いまは随所に破壊の跡を刻みつけられた無残な姿を、血のような残照に染め上げられている。

 城を守るために戦っていた騎士や兵士の姿は、もうほとんど残っていない。城と王族を守るために馳せ参じた者の数が、城を攻め落として王族を捕えるべく押し寄せた人民の一割にも満たない人数しかいなかった時点で、もはや戦況は決まっていた。それでも彼らが、朝方に始まった戦闘が夕刻に至るまで終わらないほど必死の抵抗を見せたのは、ひとえに忠誠心の賜だった。

 だが……その時代遅れの忠誠も、革命を求める大衆の前に、いよいよ屈服せんとしていた。

「もはやこれまでか。皆の者、最後の足掻きに付き合わせてしまって済まなかったな」

 長きに渡ってこの地に君臨してきた王族の、おそらく最後の一人となるだろう壮年の男性は、平素は娘からも恐れられるほど厳めしくしていた顔を緩めて笑った。

 まるで、友達とやった悪戯が教師に見つかって、これから怒られにいく子供のような笑い顔だ。多くの責任を両肩に乗せ続けてきた壮年の男が初めて見せた、本当の笑い顔だった。

「陛下……申し訳ありません、我らの力が足りぬばかりに……」

 ここが死地になると分かっていて城へ立て籠もった臣下たちは、次々に膝を折り、王の前に頭を垂れる。

「お前たちのせいではない。立て、立て」

 王は笑って頭を振る。

「誰かのせいだとしたら、民の不満を解消できなかった私のせいだ。そのくせ、大人しく捕えられることを良しとせずに悪あがきをするような王のせいだ……我が儘に付き合わせてしまって、本当にすまなかった」

「我が儘などと!」

 王よりも年配だろう、無骨な鎧を着込んだ初老の男が涙を堪えながら吠える。

「我らは分かっておりますぞ。王が何故、この期に及んで無意味とも思える戦いを望んだのかを! 全ては、姫様の生かさんとする親心のためでございましょう!」

 初老の男が涙ながら放った言葉に、他の者も皆一様に頷いている。それを見て、王は照れたように頬を撫でた。

「……王として、国の今後を思うならば、自国の民と刃を交えるようなことがあってはならないのだろうな。大人しくこの首を差し出し、速やかに革命を成させて、歴史を次なる段階に進めさせることが、最後の王としてできるせめてものことだったのだろう……と分かってはいるのだが、いやはや、親の情とは如何ともしがたいな」

 王は自嘲しているようだが、その顔はどこか誇らしくもあった。

「親心というのであれば、次の時代を求める民衆たちに討たれてやるのも、国の親たる国王の勤めなのかもしれませんな」

 初老の男が珍しく浮かべた悪戯っぽい笑みに、国王も一瞬きょとんとしてから、おかしそうに頬を緩ませた。

「そうだな……そうかもしれん。成果とは、与えられるものでも捧げられるものでもない。勝ち取ったものでなくてはならない。そうでなくては、百年先まで必死に守り抜こうとは思えない――そういうものだからな」

 王の言葉は、自分に言い聞かせるような言葉だ。本気でそう思っているわけではなく、ただ自分の行いに少しでも正当性を見出したいという弱気が言わせただけのことだったのだろう。

 ――お喋りの時間は、すぐに終わりを告げる。

 廊下を駆けてきた若い騎士が、部屋に飛び込みながら叫んだ。

「敵がそこまで迫ってきております! 奴ら、日が沈む前に片を付けるつもりです!」

「……そうか」

 王は立ち上がり、剣を取る。控えていた将兵もそれに倣う。

 王は彼らを振り返り、何か声をかけようとして口を開きかけ――口籠もってから、こう言い直した。

「ここまで私についてきた愚か者どもに最後の命令を下す! 冥土への供をせい!」

 その号令に、いくつもの野太い声が唱和した。

「はっ、仰せのままに!」

「どこまでもお供いたしましょうぞ!」


 そして、王国最後の王とその騎士たちは、最後の戦いへと赴いた。

 だが、王の胸にあったのは、戦いへの高揚でも、騎士たちへの感謝や謝罪でもなく、妻の忘れ形見である幼い娘のことだった。

雪花ゆきはな――今頃はきっと転移に成功していると信じているぞ。どうかお前だけは、幸せに暮らしておくれ……雪花、私の可愛い娘……)


 間もなく迎えた日没にしばし遅れて、戦闘は終結した。勝利した人民軍は、王政の終わりと民政の始まりを高らかに宣言した。

 王家の血を引く最後の一人の遺体が見つかっていないことは、まだ問題にはなっていなかった。

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