第五章「決意」
記憶
女の叫ぶ声が聞こえる。ただの音でしかない声は、暮葉のものに最も近い。
アレイシアは路地にいた。どことは詳しく言い切ることはできないがエイローテの裏路地。灰色めいた裏路地、空は雲が厚ぼったく、雪が降り出しそうだ。
〝皿〟が巨大だ。見える限りの空を半分覆う白い〝皿〟は傾き、ひび割れて、端からばらばら崩れ落ちている。食べ残しの料理が皿から落とされるみたいに、ぼとぼと、建物がエイローテに流れ落ちている。
なんだ。駆け出そうとするが脚は動かない。それどころか悠長に、アレイシアの視界は空から正面へ、ゆっくり動く。
ほんの数メートル先に暮葉がいる。しろく、周りと同じ灰色に染まった顔は硬く引きつって、血管の浮き出るほど握った包丁の、あかさだけがはっきりとしていた。
彼女は包丁を、熱いものを触ってしまったみたいに投げ捨てて飛び退いた。
腕に寄りかかる重みがある。紅い上着とあおい髪。イオレだ。あたたかく、ずっしりと重く、あつくぬめる。死んでしまう。
アレイシアの肩に後ろからにぶつかって、前へ、流風の後ろ姿が声を荒げて暮葉に迫る。放心した彼女を庇う翼の、ふたりの言い合う声が路地に反響した。
アレイシアの足は動かない。もどかしい。自分であるのに、自分ではないみたいだ。まるで身体の一部を借りて見ているかのような。
翼を振り払った流風が暮葉に手を伸ばす。
「待って下さい」
自分のものとは思えない声だった。颯みたいな、ピアみたいな声音だ。言葉以外に含みを持たせた、圧力をかける声。
死んでしまう。暮葉が死んだら、ナディアも死んでしまう。それが許せない。耐えられない。なんだってする――兄弟弟子を刺した女を生かしてでも、そのために誰を手にかけても。
路地の向こう、背の高い建物の壁の向こうで火が上がっている。〝皿〟が赤く照らされている。その中で数多のしろい竜がもがき、身体を崩れ落としながら落ちていく。空がひび割れて、隙間から青い色が見える。
救ってみせる。止めてみせるから、待って。
あつい血が腕を手を胸を濡らす。腕を伝い、足を伝う血の感覚がある。見た腕の中にいるのは颯だ。
はっとして顔を上げると、そこは母校の地下通路だった。暗い通路の中を炎が踊って照らす、ジョンと隣国の魔術師と、横に流風がいる。
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