決意-1

 流風に腕を引かれて振り返った。背後、来た道は灯りが消えていて、真っ暗闇だ。引き立たされて駆けだす。前を行く流風に向け、迫ってくる気配が、飛んでくる気配がある。魔術。しまった。阻害術式を手放してしまったことに今さら気がつく。間に合わない。足を止めた。前につんのめった流風の背中を、腕を引いて、引きよせ、しゃがんで、引き、引き倒した。アレイシア自身も流風を引いた腕を下に倒れ込む。空いているほうの腕で颯を抱え押さえた。

 地面に仰向けで倒れた流風の上を、眼には見えない魔術が通り過ぎる。すぐ横を過ぎ去っていったそれを、アレイシアは眼で追った。眼には見えないが、物理的に近いほど魔術の構造は感知しやすい。そして驚いた。するはずだった反撃を放り出してしまった程に。

「やはり完全には再現できていないか?」

 声はジョンのものだ。闇の中から魔術の灯りで浮かび上がった、隣国形式の紅い上着。

 流風が反射的に立ち上がる。アレイシアはやっと膝立ちになれたまま、

「信じられない」

 思わず口にだしていた。ジョン・カーター。隣国の魔導師のトップ。優秀だということは知っていた。外世界の技術と魔術の融合を図る研究の第一人者。論文を何本も読んだ。だが、ついさっき初めて発動させた――実験以外で――魔術を、魔術を阻害する魔術を解析し再現するだなんて。確かに完全ではない。それでも阻害効果はあるはずだ。

「面白い。実に興味深い術式だね。魔術粒子の物理的特性研究におけるひとつの研究成果というわけだ」

「光栄です」

 横に広い体つき、顔もまるまるとして、茶色い髪は脂ぎって層も薄く、額が頭頂ぎりぎりまで後退している男だ。男にしては甲高い声が狭い通路に響いて煩わしい。

 彼の物言いは早坂に似ているが、声音は穏やかに聞こえないこともない。ああ、いや、見るからに狸だ。ナディアと口先でやり合える。敵うはずもない、せめて騙されずにいよう。細く長く息を吐いた。

 一歩踏み出そうとする流風に首を振った。ジョンの後ろに控える魔術師が彼を狙っている。

 立ち上がらなくては。だが血を吸った背中が重く、膝にも腰にも力が入らない。颯を背負い直そうとして、颯の服を掴み直す。

「地上最後の天界認定魔導師ピア・スノウの助手。あの魔女の影にこれ程の魔術師が隠れていたとは」

 殺すには惜しい、そんなところだろうか。背負った颯が燃えるように熱い。私の背筋は冷や汗で凍りそうなのに。早くしなければ彼女は燃え尽きてしまう。

「その女は死ぬ。それが今、優秀な君の腕の中か、少し後の我々の足下か。決めるのは君だ」

「死にません」

 颯は死なせない。そう、今になって、今さらになって、決めた。ジョンの言う〝優秀〟が許せなかったからだ。それはピアにこそ相応しい、彼女の生き様に、出会ったとき見いだした〝優秀〟だけが、アレイシアにとっては全てだった。

「この二人を通して下さい。その代わりに優秀な私を差し出します。ナディアと一緒に」

 颯を助けるために今の自分が打てる手はこれしかない。生きていたって、竜に嫁いだこの身ではどうせもう元の生活に、ピアの、魔導師の助手に戻ることはできないのだ。

「そこをどいて、カレン!」

 桜花の緊迫した声が遙か後ろから響いてくる。カレン? 咄嗟に見た流風の顔は驚きに満ちていて、彼につられて見たジョンの顔は感心したふうだった。

 突然、意識が後頭部から抜けていくような感覚、なぜだかさっきから一言も発さずにいるナディアに、引きずり出される感覚がある。

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