真実≪こたえ≫

 ずずん! 視界が揺れた。足下が定まらない。立っていられない。撫でていたナディアの肌に両手をついてしがみついた。あつくてかたい。

地面が揺れている。大きな縦揺れ。さっきのは地響きか。

とっさにすがった竜の鼻先、くろい大きな眼の近さに声も出せない。大丈夫だ。ナディアの囁く声がこそばゆい。

「また竜でも落ちたか?」

 地響きも揺れも徐々におさまっ静けさの中で、ジョンの声は最初と同じ、なんでもないことのようにぞんざいに響いた。それは何かを誤魔化しているように聞こえないこともない。

 魔術師団の一人がいきり立って彼に詰め寄ろうとするのを、制したのは早坂だった。今はまだ抑えろ。そんな囁き声が聞こえてきそうだ。二人はにらみ合いながらひそひそ話し、逆にピアは説明を求める昴を無視している。ジョンはこの様子を見物して楽しんでいるようだ。

 眼を白黒させている暮葉、彼女に寄り添いながら、どういうことだとこちらににらみをきかせる翼(たすく)。今二人に説明などできるはずもない。揺れと共に、魔術の命令式の断片がいくつも流れてきていた。国境の方から。

「同胞が墜落したのではない」

 つまり天災か、人工的に起こされたものだ。ナディアの意味するところに、ピアは顔を上げ魔術師団は言い合いを強め、ジョンは良かったと一言呟いた。

「それは良かった。ついでに言ってくれ。世界の守護に協力する」

「今はまだ、その時ではない。ジョン・カーター」

 ジョンの図々しい態度にナディアは気分を害するどころか良くした。

 竜と会い話すのに天界人の力添えが必要だっただけで、ジョンは昴とピアを利用しているに過ぎない。なぜだか昴はジョンと魔術師団に協力的だが、ジョンは天界に対して義理立てなどしない。そのしたたかさが気に入ったのかもしれなかった。

「なら近いうちに聞かせてほしいな。私になら、あの、彼女の命に危害がないよう取りはからうことができる」

 ジョンが示したのは暮葉だった。言葉を変えた脅迫に、ナディアは声を荒げる。

「黙れ。私が何を言うかは私が決める」

「なら決めて。決められないなら、彼女の話をしましょう。名前は朱伊暮葉」

 ピアには決意が見えた。ついさっきまで、話してなるものかと、恐らく上司である昴へ凄んでいたのに。あれから彼女を変えた会話はなんだったのか。

「異邦人だけど彼女はあなたを召喚することができる。しかも、この世界の外でも」

 竜の周りでさざめく命令式が一瞬にして実行される。圧縮された空気が熱を帯びて、燃え上がりながら面となって正面へ、ピア達へ向かって波のように押し出されていく。だが燃え上がる熱風は人ひとり燃やせずにぴたり、止まった。

 じゅわじゅわ。音と白い煙が面となって、盾のように食い止めている。盾は熱風を押し返しはしないが、厚みを増していく。透明で、透けて見える先が歪んだ水の盾。盾はまさしく波になってナディアへ押し寄せるだろう。

 どうするの。アレイシアは呟いたが、蒸気の上がる音にかき消される。ピアが暴露しようとしていることは、彼女とナディアに共通する秘密であって、竜はなんとしても隠しておきたいらしい。それに関係している暮葉があちらにいるから、ナディアはこの話に付き合わなければならない。弱味は暮葉だ。彼女を始末しておけば、始末すれば、いや、ピアの口ぶりからすれば――「ご馳走を前に死ぬのはどんな気分かしら」――暮葉が死ねば、ナディアは死ぬのだ。ジョンと早坂が気付いていないわけがないだろうが、明らかに言葉にされるのが嫌なのかもしれない。もしくは、これを超える事実があるのだろう。

「あなた、なぜ暮葉さんを先に確保しなかったの」

 竜の眼がちらり、こちらを見て、すぐに逸らされる。ああ、質問が違う。ナディアは言っていたじゃないか。私の目の前で彼女を殺そうとしたな。その理由を聞こう。

「なぜピアの話を聞いたの」

「退屈だったからだ。人間の身勝手さは見ていて飽きない」

 必死に今までの会話を思い出し、質問をひねり出した。そもそもナディアは話を聞くこと自体は強制されていない。ただ、ピアが自らの命を差し出してまでして助けを求めてきたから聞いたのではなかったか。好奇心は竜まで殺す。殺す。はっとした。

「どちらにしろ彼女を殺すの」

 ナディアは興味がないと言ったが、いらないとも言っていない。ピアへの質問の答え――竜の墜落の原因がピアにあるのか、ないのか――がどちらであれ、答えの代償として彼女の命は支払われる。

「私が世界征服に協力するか否かは重要ではないだろう?」

 竜の声は盾の向こうへ向けられたものだ。ピアの答えはノーだろう。

 答えの代わりに盾が分厚さを急激に増す。炎の一部が呑まれて、ぐ、盾の頭が前へ、こちらへせり上がる。彼女の答えはノーだ。

 世界の守護を建前にして、意志統一のためジョンと早坂、昴は反対勢力を潰すだろう。その世界征服にピアは興味がないはずだ。ただ昴の命令で、ナディアに協力を迫っている。だから上司の昴の前では命令だからとは言えないのだ。

 ナディアはそれがわかっている。わかっていて、なぜ世界の解放などという話にまで付き合っているのか。弱味を握られているから? 握っているピアにとっても弱味だったはずだ。

 迷っているの、口に出しそうになって、つぐんだ。あちらに聞こえる。ナディアは、ピアの質問の答えを言うことにやぶさかではない。真実と、嘘どちらを言うかを迷っている。ナディアとピアには共通の秘密があるらしい。その情が、迷わせているのではないのか。つまり、ピアが存在意義たる魔術粒子不足の感知に漏れがあった言うか言わないか。

 見上げると、竜の双眸とがちり、眼が合う。言っている。ピアの命が大切なんだろう。救ってみせろ。

「ここで死人が出たら面倒なことになるでしょ。私はご免だわ。だから退いて」

「私に指図するか」

「ええ、あなたに嫁ぐんだもの。今日は、まずこの左腕が」

 ずい、差し出した左腕を竜の双眸が見つめる。どこかきょとんとしたふうに見えて、耳が熱くなった。見当外れではない。決して。これは、今自分に出来る選択の中で最良だと思えるものだ。ついさっき、ピアのためではなくて、ナディアに触りたいがためにここまで来たと言ったばかりなのだ。だから、ナディアは交換条件としてこの命を受け取らない。そもそもここで死にたくはないが、この身を支払うより他にナディアへ渡せるものはない。探る時間もない。あの火と水の向こうで、人間達が震え上がっている今。今のうちでなければ。

「・・・・・・右腕だ」

 なぜだか竜の声は絞り出したものだった。こちらも言葉に詰まる。利き手を失うのは惜しい。だが、竜が腕一本で、こちらの提示した条件を呑んだのだ。突っぱねてこの機を逃すことになったら。じ、竜のくろい眼がこちらを窺い見ている。答えなければ。早く。

 右腕を突きつける。

「言って。真実を」

 さあ。私があなたに言わせたいことを言って。あなたが私にしたように。

「お前などが我々に干渉するなどとは随分な思い上がりだ、ピア・スノウ。この事態は我々の問題に過ぎない」

 もしかしたらこの言葉は本当かもしれない。ピアへ情があったのではなくて、ただ竜自身の問題であると口にしたくなかったのかもしれない。

 別にどちらだろうが構わない。構わないが、どちらだろう。

 ナディアの手が、アレイシアの背から胴体をわし掴みにする。鋭い爪の鋭利な先が背か腰に刺さり、締められる圧迫感が内臓を圧して息が詰まった。空気の塊に圧されて頭が揺れ、くぐもった耳の向こう側で、ごう、音がする。反射的に閉じた眼は薄くしか開けることができない。風に瞼が持って行かれそうだ。一気に勢いを増した熱風は炎と化して水の盾を相殺し気化させている。もうもうとあがるしろいもやが、ナディアの羽ばたき毎に――竜は宙で羽ばたきながら地上を見下ろしている――晴れては再び人間達を覆い隠す。

 その中で、翼(つばさ)は暮葉の手を引いて走っている。青い上着がその二人を探し迷い、早坂はジョンと昴どちらにも相手にされず惑い、昴はピアの腕を掴んで詰問している。ジョンは、兵士数人と話している。

 いつの間に来たのか、馬車がいた。荷台に幌が付いていない、土木資材などを運ぶ馬車だ。馬車の周りに隣国――ジョンの属する国の兵士が五、六人いて、一人が荷台から何かを見せる。無理矢理上半身を引っ張り上げられたそれは見慣れた軍服を着た人間だった。上着が極端に短くて腰の部分は下に着たシャツが見える。血で真っ赤の頭。

 遠のいていく。小さく、点に近づいていく人間達のひとり、ピアと眼があった。泣きそうな顔。情けない。思わず口角が上がった。彼女なら、馬車の荷物に気がつくはずだ。大丈夫、なんとかしてくれる。きっとそうに違いないと思える。

 降り立ったのは最も高い位置にある空間だった。この建物が学校として使われていた頃には立ち入り禁止だった、いくつかある塔の最上階。

 ナディアの手は人間の身体をどう手放したものか迷ったみたいだった。足の着くか着かないかという高さで手放されて、アレイシアは尻もちをつく。慌てた竜が頭ごと鼻先を近づけてきて、思わず顔が引きつった。

「怪我はしていないな?」

 ナディアはこちらの全身をよく見ようと首を捻る。人間の身体に対して竜の頭は大きすぎて細かい所までは見えないようだ。両手を万歳の格好に挙げて、答える。大丈夫。これから腕を一本食いちぎろうとしているくせに。

 右腕を前へ、伸ばす。すぐそこにある竜の眼の、すぐ下へ。瞳が手の動きを追う。

この手のひらは十数年前にナディアに触れた。あの感覚も、未だこの手のひらに宿っている。鋭利で直線的なかたちをしているのに、触れるとしなやかで、ずっと触っていたくなった。ざらついているのに肌に刺さる感覚はない。このこそばゆさが、手のひらにずっと残っている。また触りたい。もっと触っていたい。

この手は、

「この手は、あなたのものだった。ずっと、あの朝から」

 これからもそうだ。

「当然だ」

 ナディアは眼を細め、左腕を咥える。視界が火花で埋まった。

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