路地裏-2

***

 榊 麻耶の眼は颯を見つめたまま動かせなかった。まばたきすら忘れて、口で荒く呼吸しながら、銃口は大きくぶれていた。腕がおかしいほど震えている。この女が生まれなければ麻耶が直系の血筋としては最も良い組み合わせの子供だった。この女が双子でなければ、せめて男だったら。だったら白伊の家はこの女にここまで執着することはなかった。好きになった男だって、自分の自由にできたはずだったのに。

 私が先に好きになったのだ。彼はあの日、私に会いに来るのに近道だったからあの道を通ったのだ。それなのに、この女に会ったからこの女のものだなんて。

「殺してやる」

 自分の声なのに自分の声ではないみたいに聞こえる。みっともなく震えていて、颯が笑う。こんなに近いのに狙いが定まらない。

「私を殺したいほど憎んでいるくせに、それもできない。この腰抜け」

 颯が顔を近づけてくる。肩で息をしたこの女の荒い呼吸が頬に触れた。汗と血のにおいが鼻をつく。返り血を全身に浴びておきながら、ハイになって笑っている。この女は汚れている。なんて汚らわしい女。



***

 榊 麻耶の首に剣先を沿わせる。つまらない女だ。執拗に追うだけで、自らの手で成し遂げることもしない。

「なら終わらせてやる」

 麻耶の銃口が大きくぶれた。食いしばった歯ががちがち音をたてる。どうせこの体勢からでは一気に首を落とすことはできない。せいぜいこの女の虚勢を楽しませてもらうことにしよう。

『そっちが本隊だろう』

 腕に力を込めたその時だった。忌々しい男の声が無線機から流れてくる。メイズを出し抜けたと思ったのに、確かにこいつなら予想できるだろう。だから出し抜くのをメイズにしたのだが。

『榊 麻耶を残しておけよ。大事な謝礼だ』

 その上この男の借りの返済に使われるだなんて。思わず舌打ちが出た。榊麻耶の手から銃をもぎ取り、こめかみにかかとを打ち込む。倒れ込んだこの女は死体に紛れてすぐには見つけられないはずだ。

「翼、聞いた通りだ。装備をもらっておけ。部隊の連中が来たらなにも残らないぞ」

 いつの間にか路地の入り口に来ていたらしい翼に声を飛ばす。翼ははっとして足下を見回し始める。

 銃の類はこの世界外からのルートをメイズが握っている。異人部隊には装備が揃っているが、白伊の調達経路が分かっていない。メイズのルートから漏れているのか、独自ルートを持っているのか。どちらにせよ異人部隊の最大の標的である榊麻耶は捕まるのだから明らかになる。異人だということを伏せて地位獲得のために奔走していた颯にはこの手のルートがない。こちらに来る前は裏ルートがいくらでもあるだろうと踏んでいたのだが、メイズの監視が徹底していて気づかれずに調達することはできなかった。

 翼にも手持ちの銃はあるはずだが、数は持っていない。これからの自衛のためにも武器は多いに越したことはなかった。

「聞いたとおりって?」

「出し抜いたのがばれた。この女を探しに部隊が向かっている」

 たかぶっていたものが急に冷めてしまった。まだもっといけたのに、無粋な。

「私は朱伊の診療所に行く。適当に拾ったら戻っていい」

「そいつ、榊 麻耶だろ。捕まったらまずいんじゃ」

「あいつが上手くやるだろ。そうでなくてもどうなろうが知った事じゃない」

 忌々しいあの男――流風が榊 麻耶をメイズに引き渡した後、彼がどうするつもりなのかは考えたくもなかった。それが今後、自分達の行動を大きく決定づけることだとしてもだ。年単位ぶりでこんなにたかぶったのは久しぶりだったのに、邪魔された苛立ちが抑えきれない。冷や水をぶっかけられて無理矢理鎮火した炎の燃え残りがまだちらついている。それをどうにかしたい衝動に動かされて、その他の事などどうでも良かった。



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