尾行

***

 夜の街をうろうろするのはしばらくぶりだった。

 夜は暮葉の側にいたいからだったが、颯の企みを知る方がずっと重要だ。

 イオレの入手した颯の勤務予定によれば、今日は昼から夜まで、明日は早朝から王宮の警護だという。翼とイオレは颯の退勤から交代で尾行し、深夜に合流した。颯が自宅に帰るか事務所に行くまで、決めた時間までにどちらにも行かなければ二人で尾行する手筈だった。

 どう。声をひそめたイオレに、翼は肩を竦めて応える。颯は退勤後にも関わらず夜中まで軍の施設にいたかと思えば、大通りをふらふらしてカフェで食事。その後歓楽街に向かったものの店に入るでもなく、夜中の歓楽街を一時間以上ふらふらしている。

 不信に感じて尾行を始めたが、冷静に考えてみると一体なにを見たいのかわからなくなっていた。いや、気づいた。怪しんでいるのに、曲がった道の先には自宅があってほしいと思っている。本当に仕事が忙しいのだと思わせてほしい。

 イオレは、どうだろう。この少女は父親直伝のあらゆる技術でもってここまで母親を尾行してきているが、母親のなにを見たいのだろう。

 もしかしたら、この子にだけは見せてはいけないようなことをしていたら。ましてやここは歓楽街だ。朱伊と別れて新しい男を漁っていても翼は驚かない。

 この子は、どうだろう。そもそも母親が恋人と別れたことを知っているのだろうか。暮葉は知っていたようだが。

 真夜中でも歓楽街には人通りが多い。エイローテは行政を担う第三首都だけあって上品な街だ。歓楽街に連なる店は街の端に押し込まれてすし詰めになっている。そのため歓楽街は薄汚れ、空気が淀んでいる。とても同じ街とは思えない。

 その中で軍服は目立った。颯を見失うより、イオレとはぐれる可能性の方が高そうだ。

 イオレの悲鳴に身体が動いた。すぐ後ろにいたはずの少女とは数メートル空いている。彼女の腕を若い女が掴んでいた。離して、と言ったのか。

 翼が助けるよりも先に、イオレは女の手を振り払っていた。振り返って見れば颯の姿はない。

「環ちゃん、駄目!」

「母親面しないで!」

 颯を追って駆け出そうとしていた足が固まる。イオレは血を吐きそうなほど喉をきりきりさせて叫んだ。

 少女がイオレと名乗っているのはこの一年のことだ。それ以前の知り合いなのだろうが、尋常でない反応と、なにより”母親面”だ。

 つまり、この若い女は、兄の新しい恋人ということになる。イオレが暮葉に似ていると言い、酷い嘘つきだとも言っていた女。明らかに兄とは一回り年が違う。小柄で、美人というよりは可愛らしい顔立ちと雰囲気をもち、他人に対して考えが至らない。暮葉に似ている。兄の好みも随分変わったらしい。颯みたいな強い女を屈服させることに快感を得る屈折した嗜好の持ち主だったのに。

「危険なの。今は作戦中だから」

 作戦。”釣り”だ。

 颯を餌にして何者かを釣り上げようとしている。でもどうして今さら。イオレも同じ考えらしい。はっとした顔を見合わせる。

「危険って、母さんが? どこに行ったの?」

「あなたが。大尉の方は仲間がついているから大丈夫」

 ゆっくり言い聞かせられて、イオレは舌打ちした。露骨な態度で攻撃されている女を不憫だとは思うが、翼自身も彼女が嫌いだという直感は変わらない。

 颯で釣るなら世界の端まで追ってきたあいつらだ。〝白伊(しろい)家〟が翼と兄の一族――〝瑠璃家〟に代わって作り上げた部隊。颯を確保するためならなんでもする連中。

「大丈夫なんてあるわけがない」

 釣れた魚は間違いなく連中の中でも精鋭の筈だ。あいつらは、今更颯に雑魚をぶつけるような無駄な事はしない。

「やつらを追ってきた、この日を待っていた人達なの。遅れをとるわけない」

 仲間を馬鹿にされ、女はむっとして言い返す。気持ちも分からないでもないが、あの連中を相手に大丈夫だなんて言い切ることはできない。あの兄ですら戦うことを避けてきた。

「あいつらを追ってる?」

 不可能だ。そもそも連中は影のような――そう訓練されるのだからそうなるのだが――もので、痕跡を残さない。目撃者の口をも執拗に追って一人残らず消してきた。

「そう。あいつらを探してここまで行き着いた人が集まって作った部隊」

 現在兄のいる部隊が、かつて兄のいた組織を追っている。白伊が自ら部隊を出してきたのは瑠璃が壊滅してからだ。この世界に来るきっかけがそれだったから、五、六年前になる。

 彼女の言う〝あいつら〟は白伊よりも瑠璃を示しているように思える。

 それなのになぜ兄は、瑠璃の中で最も優秀だった兄が、最大の標的になっていないのか。

 イオレが知っているだろうか。ちらり、女に突っかかる少女を見やる。

「母さんはどこに行ったの」

 答えられるわけがない。女は困って作り笑顔を浮かべたが、誤魔化しようもない。

 その時、女の腰から人工的なノイズ音が響いた。久しく聞いていなかった音。女は慌てて腰に手をまわす。出てきたのは古ぼけた無線機だ。

 歓楽街の道の真ん中で、無線機の声は翼には聞き取れない。だが、みるみる色を失っていく女の顔を見ているだけで大体はわかる。

 本隊はピア・スノウの事務所のはずなのに。

 呟いた女から颯の行き先を聞き出すことは造作もない。

 行き先は歓楽街はずれの路地だった。人がすれ違うのにやっとの道幅に、人間のからだが折り重なったり、転々と転がっていたりしている。血と脂のにおいが鼻をつく。生きているのは二人だけのようだった。

 路地で息をしている二人の女のうちひとりは壁に背を付け座り込んでいた。ひとりはその女の顔の真横に片足をついたところだった。座っているほうは見下ろしているほうへ小型の銃を向けている。ただそれは、至近距離でなくてもわかるほど震えている。

「ほら、早く殺してみせろ」

 見下ろしているほうの女は軍服を血に染め上げている。その声は愉悦にまみれていた。

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