召喚

***

 アレイシアは時計を確認し、大きく息を吐いた。予定の時間になっても、翼は帰ってこない。環も時間は知っているはずだ。暮葉の召喚する、あの竜をピアが召喚する予定だった。

「忙しいんでしょう。始めよっか」

 ピアが立ち上がる。暮葉を促して、陣の中央に座らせた。地下室だ。いつもより灯りを多く灯していても、地上よりは薄暗い。陣はそんな中でぼんやりと金色に輝いている。床に描かれた大きな円だ。中心へ向け規則的に線が延びている。金色に輝く線の一本一本が、点の一つが、全て術式によって構成された、大型の魔術式だった。金色は純粋な魔術粒子の色だ。暮葉と朱伊にも見えるほどの純度と高濃度は、アレイシアの研究成果があってこそでもある。少し誇らしい。

 しげしげと陣を眺めていた朱伊が数歩下がった。暮葉の顔がかたい。

 あの竜がここに現れる。この場に立ち会っている。アレイシアは知らず引きつっている顔と、強張る肩を脱力させる。これまでと同じように。この三日間と同じように。あの竜が、いつ目の前に現れるか分からない。この怖さからやっと抜け出せる。それだけが、今この足を立たせている。

「暮葉さん、もう一度説明するからね」

 暮葉のかたまりきった顔がこちらを向く。たった二歩分が、ひどく遠い。

 別にこの場で今更復習をする必要はない。だが、暮葉の気を逸らすことは必要だ。その間にもピアは工程を進める。陣を前にして立っているだけのピアは、その実、魔術を既に動かしている。陣を挟んで反対側に立つ東は補佐役だ。

「大体の場合、召喚する竜は一人に対して固定なの。だから、今回召喚をするのは暮葉さんではないけど、暮葉さんが鍵として必要になる」

 召喚者と竜の間に魔術的な結びつきができるからだろうといわれている。確定的な根拠はない。研究の盛んな分野だが、召喚が可能な魔術師はほとんどいないために検証のしようがないためだった。

「この世界生まれでない暮葉さんが、召喚できる事自体が『大体の場合』から大きく外れているけど、そもそも召喚は通常の魔術とは根底が異なる、非常に難解で特殊な魔術よ」

普通、異人に召喚はできない。当然だ。なぜなら、外の世界に竜が存在し得ない。それなのにできる。その理由を、暮葉本人も、彼女の仲間の誰もが知らない。二言目には「それを知りに来た」だ。なんの根拠も無く可能なものではない。アレイシアとしては、これをなんとしても知りたいところだった。

「竜は、魔術の塊なの。魔術を引き起こす魔術粒子が集まって、意思を持ったもの。生身の身体を持っていないから、時と場所を選ばず召喚されることが可能なのね」

 魔術粒子が集まって意思をもったものか、集まる意思のもと集まった魔術粒子なのかも、確固たる証明はなされていない。真実は竜のみぞ知るだ。竜に関することは、こういったことがほとんどだった。人間の女性を娶る嗜好についてもだ。

「召喚、とは、この、竜の魂のようなものに、魔術師の指示の元で竜の身体を形作ることをいうの」

 推測だが、暮葉が準備もなく無自覚で召喚できていたのは、この工程を竜側が行っていたからだろう。竜は暮葉に召喚されていたのではない。竜が暮葉に自らを召喚させていたのだ。暮葉の身体に負担がかかることもこれなら納得できる。

「今回の召喚は、暮葉さんを通して竜の魂を見つけて、暮葉さんを通さず、竜に身体を与えるって寸法よ」

 召喚が困難であることの最大の問題が、竜の魂への接触が困難であることだ。方法が確立されていない。過去、召喚に成功した記録を辿っても、竜へ身体を与えることの研究ばかりで、魂への接触については記されていないことが多い。ただ、魔術師にできることは身体を作る準備を整え、門戸を開けておくことだけ。竜がそれに応えるかは運であり、そもそも竜が、この門戸の前を通るかどうかも我々には分かっていない。

 今回、この運の部分は不確定要素から除外することができる。だが、門戸の向こうにいる竜に、こちらから手を伸ばす方法は、ピアがどこからか引っ張り出してきたものだ。アレイシアも知らない。竜に最も詳しい〝皿〟が認めた唯一の魔導師であるピアなら、知っていてもおかしくはない。知っていて、隠していた理由が分からないが。

 だがそれは、この竜に通じるのだろうか。これまで暮葉の門戸を外から勝手に押し開けてきていた竜だ。警戒して入ってこないかもしれない。

 不意にあのにおいが鼻を掠めた。そんなはずはない。そんなはずはないのに、室内を見回して、見つける。

 陣の外だ。壁際。に揺らめいている影がある。影は直線的で鋭利なかたちを作っていく。瓶に水が満たされていくように、しろく、その姿を現していく。

 あの竜だ。竜がこちらを見ている。私をしっかりその眼で捉えて、見つめている。

 あの竜だ。あの、しろい、王宮で下敷きになっていた、暮葉が召喚した竜。

 その獣の眼が記憶の中のものと重なった。幼い頃のものだ。眩しい朝日と、ぼんやりした大きなくろい染み。さあ、迎えに来たぞ。獣がそう言っているのが聞こえる。

 逃げなければ。一刻も早くあの竜の眼の届かないところに走り出さなければならないのに。体中が凍ったみたいに固くなって、足が動かない。

「やっと捕まえた。ナディア」

 ピアの声にぞわりとする。冷たくはない。熱すぎるほどの声なのに、鳥肌がたつ。

 ばん! 階上で音がした。警備魔術の音だ。朱伊ののんきな声が聞こえる。視界の端で、東が手振りするのが見える。暮葉も上を仰ぎ見ているようだ。

 だがアレイシアは眼を逸らせなかった。竜の眼はまだこちらを捉えている。竜はこちらを見下ろし笑った。せせら笑いながら、色を薄めていく。

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