第006話 02月20日(土曜日)その壱「イリスウェヴ神の名のもとに」

――座標軸:風見ナミ


 風見ナミが生まれたのは、十五年前の二月二十日である。


 今年のその日は土曜日だった。魔女にとっての十五歳とは、真成人の一歩手前を示す重要な位置づけにあたる年でもある。そんな訳で、ナミもまた他の全ての魔女、魔力持ちたちと同じく、今年の誕生日には家督に関する確認とちょっとした儀式が必要となる。

 そうした理由からも、その日が学校の休みである土曜日ということは、彼女にとっては大層都合がよかった。

「日頃の行いのせいかしら」

 自分一人だけが住む家の中、そう、彼女は声に出して言ってみる。いつもの独り言だ。返ってくる声は無いが、それももう慣れたことだ。


 彼女は、自分の誕生日が結構好きだ。この日取りが、である。

 魔女、魔力持ちの人権に関する法律でもある「魔女生存権保障法」は、八年前の二月二十日に施行された。そして魔女の文化保護に関する法律、「魔女文化保護法」の施行が、六年前の二月二十日である。魔女関連の主要な二つの法律がどちらも自身の生誕と同じ日付けに施行されたということで、彼女は自分の背中を押されているような気がするのだ。

 特に前者の法律は、それまでの魔女狩りに対する反感も相まって、当時の世論調査でも国民の圧倒的多数からその内容が支持されたという。この法ができてからというもの、表立っては魔力持ちに対する迫害や憎悪を原因とする殺人は一件たりとも起きていない。

 ナミが親しくしている西乃市の「北の魔女コミュニティ」をはじめ、各地の魔女コミュニティの友人知人からもその手の噂話を聞くことは無いから、恐らくそれはほぼ事実に近いことだろう。勿論、一昨日の出来事のような小規模な諍いは、そこここで起こっているのだとしても。

 そしてこの二つの法律には、風見ナミも、ちょっとばかり関与する羽目になった、という過去もある。

 それはさておき。


 ナミは時計を見た。もうそろそろ出る準備をしなくては。そう、彼女は意識する。

 服を選び、着替える。アクセサリーを除いて上から下まで黒一色、というのがこの日の宗教的な位置づけも含めた指定内容だ。コートも同系色で合わせるのが筋なのだろうが、午後の予定をふと思い出し、彼女はどうしたものかと考えを止める。

 コートのことは後回しにして、必要なものの入ったカバンを確認し、その他の身支度を整えていく。

 大人っぽく見えるよう、リップははっきりとしたカラーにしよう。十五歳、半成人の儀式なのだから。おっと、香水も忘れてはいけない。儀式で焚き込められる薬草の匂いに対抗するためにも、ここはひとついい香りを選んでおかないと。化粧ポーチには小分けの瓶を忘れずに入れて。

 そして再び、姿見を見ながら、彼女は身につけたアクセサリーの確認をする。耳に留まるピアスの青石たち、そして両指に光る銀と青の宝珠に左腕のブレスレット。いずれも問題は無い。

 身に纏った黒い布を背景にすると、一層、それらの銀と青の輝きが映える。うむ、それも悪くない。彼女は小さく頷いた。

 最後に、青い大きな石のついたペンダントをいつも通りに首にかけ、彼女は一瞬だけその上に指を這わせた。

 黒一色しか許されない今日の装いは、アクセサリーが無いとまるで喪服のようだ。自分の誕生日だというのに。鏡に映った己を見て、彼女はそんな感想を漏らす。

 それでも今日は十五歳のお祝いなのだ。胸を張って行こう。

 さて出るか、という段階になって再び、今度はコートで悩む。そこで、衣装ダンスの中の青灰色のショールが目に入り、彼女はそれを手に取る。普段は殆ど身につけないものだが、午後にはこれをコートに合わせれば黒一色というラインを崩すことはできる。屋内では必要とならないマフラーと手袋も青を選ぶ。

 そうして彼女は身支度全てを整えると、部屋を出て家の外へと向かった。




――座標軸:風見ナミ


 ナミが十五歳の魔女となる半成人の儀式を行うのは、西乃市の市街地外れにある「イリスウェヴ教会」である。教会とはいっても、築年数の古いビルのワンフロアを借りているだけの小さなものだ。


 「イリスウェヴ教会」。それは「イリスウェヴ教」という一神教、その信仰に寄り集まった人びとの組織のことである。

 魔女・魔力持ちにおける宗教的な支えの中で、世界的に見て最も一般的かつ多数派なのが、このイリスウェヴ教である。

 基本は、女性神であるイリスウェヴを柱とする一神教、しかしイリスウェヴ神を媒介として地域ごとの地母神を奉るという、相応にルーズ且つ複雑な構造を持つ信仰で、その地ごとの地域性が随分と色濃く反映されている世界宗教の一つである。


 和国において、魔女狩りの歴史は、そのまま和国自身の歴史とほぼ同じ長さを持つとも言える。

 とはいえそれが激化したのは、開国がなされ、江戸幕府が崩壊し、明治政府が誕生してからのことだ。和国が他国に並べとばかりに近代化を図っていたその背伸びに合わせて、国内では魔女、魔力持ちの人間への迫害が本格化していったのだ。

 しかし他国、特に欧州や北米大陸においては、この頃はむしろ魔女、魔力持ちへの迫害が収まり、同じ人類として見做すという、いわゆる人権意識が高まっていった時期に当たる。和国は、それらとは別の道を歩んだとも言える。

 世界の矛盾を押しつけられたような第三世界の国や地域においても、むしろ戦乱や迫害に対抗する手段として、その魔力の有用性を活かして地域コミュニティに溶け込んでいった魔力持ちたちも多かった。共生関係、あるいは緩やかな住み分けといった暮らしが続き、歴史に刻まれるような迫害や大掛かりな魔女狩りの類は無かったとのことである。

 しかし、ここ和国においては、それらは「ヒト」ではなく、ごく最近まで「狩り」の対象だった。こと魔女の人権に関しては、歴史的にも周回遅れに近い状況にあったと言える。


 そうした中、和国においては、魔女・魔力持ちたちのコミュニティだけでは困難な問題解決の為の組織として、あるいは他地区や遠方にある他の魔女コミュニティとの横のつながりの伝として、そしてまた魔力無しの人びととの間に立ってくれる調整役として、このイリスウェヴ教を旨とする宗教団体が役割を担った。

 そしてそれは、歴史が重なるにつれ、他の宗教組織と同じようにこの和国社会にも馴染んでいった。

 そうして和国社会の中である一定の立場を得てきたイリスウェヴ教会は、特に魔女関連法の整ったこの数年は、国内の魔力持ちたちのネットワーク組織として、重要な機能を持つに至る。

 和国の各地では大抵の場合、このイリスウェヴ教を根本とした「イリスウェヴ教会」が全国を縦断する組織的な位置づけとなる。地域の魔力持ち「コミュニティ」と、それらを横でつなぐ教会、という構造だ。


 イリスウェヴ教では司祭に性別は問われないが、比率として言えば若干女性司祭の方が多い。しかし、ここ西乃市の魔女教会の責任司祭である村上ユズルは、男の魔力持ちである。

 コミュニティにおいては、宗教的な行事は女の魔力持ちたちが担当する事が多い。これは、多くの場合、女の方が男の魔力持ちよりも魔力が大きいことに因る。そうした背景から、世界的に占める司祭の割合だけを見れば、女性の方が多い。

 加えて言えば、イリスウェヴ神自身が女性神と見做されていることもあって、そうした判断も自然なこととされている。教会や各家の祭壇に必ず飾られている女神像は、そのままイリスウェヴ神の御姿とされる。


 もうひとつ。イリスウェヴ教会では、司祭の婚姻が禁じられているわけでもない。

 司祭たちは、宗教儀式を行う要の立場でもあり、相応に畏敬の念を払われるに相応しい地位にある存在でもある。

 だが、宗教者の資格に関することと、その婚姻や、更には子どもの有無といったことは、このイリスウェヴ教に於いては全くの別ごととして受け止められている。むしろ子孫の断絶が心配されている魔女、魔力持ちにとって、司祭という社会的地位以前の問題として、魔力持ちの子どもを持つこと自体が好ましい事例であると見做されている。


 その意味でも、この西乃市の魔女教会の男性司教は若干変わりもの扱いを受けている、というのが風見ナミのお見立てであり、彼女の周辺の魔力持ちたちの一致した意見だ。

 多くの魔力持ちが自分たち一族の衰退を心配して子づくりに励み、場合によっては婚外の交わりすら堂々と行ったり奨励したりといった中で、彼には婚姻も婚外におけるそうした事実もない。それどころか、浮いた噂の一つもない。

 そうした、自分の後見人の一人でもあり同じ魔力持ちから見てもやや変わった男と思われている司祭が、西乃市の魔女教会の祭壇の前で、彼女を待っていた。


 男が背にする祭壇の、その奥にあるイリスウェヴの女神像は、相変わらず美しい。慈愛のまなざしを持ち、口元には温かい微笑みを浮かべ、来るものを拒まず全て受け入れんとばかりに両腕を緩く広げている。肩に止まるカラスの像だけが、まるで女神を守る為と言わんばかりに眼光鋭く正面を見つめている。

 ビルのフロアとは思えない高い天井を持つ聖堂は、その麗しい女神像に相応しい、清楚な香りのお香に包まれていた。同時に、いつも同様、聖堂は心を落ち着かせるのに相応しい暗さ、言い換えれば控えめな照明で静けさを保っていた。祭壇の前に立つ男も、同様に静かなものだった。

 村上司祭は、魔力持ちとしてはとても珍しいことに、髪を伸ばしていない。

 魔力保持の意味合いからも、多くの魔力持ちにとっては男女問わず、長髪であることはあまりにも当然視されている。そうした外見的な意味でも、彼は変わりものとして見られている。

 それを補うためか、司祭はその顎に髭を蓄えているが、それだけでは魔力の保持は覚束無いだろう。

 むしろ、彼の魔力持ちらしからぬ短髪は、魔力無しの人間との折衝の多さが背景にあるのかもしれない。ナミはそう考えている。教会に通う他の信者も、多くはそう見立てているに違いあるまい。

 身に纏ったのは黒一色。黒い司祭が掛けているメガネが、教会の少ない光源を受けて小さく光る。その光が合図であるかのように、男は感情の籠らない声を掛けながら彼女を迎え入れ、祭壇の前へと招き寄せた。




――座標軸:風見ナミ


 儀式そのものは、実に簡潔、簡素と言える内容で終わった。

 実質は、およそ十五分、いや二十分。前後のあれこれをあわせても、せいぜい三十分足らず。本成人として認められる来年の儀式ではもう少しややこしい魔力行使が必要となるだろうが、半成人である十五歳ではこんなものなのだろう。薬草に聖水、儀式用の呪文と簡単な確認のような魔力行使。それで事足りた。

「イリスウェヴ神の名のもとに。『カザミナミ』が十五歳の半成人として、その責任・責務を負い権利を行使することを、ここに認める」

 宝珠以外は全身黒の彼女の前で、同じように全身黒の司祭が儀式の終わりを告げている。

「十五歳。半成人おめでとう、風見ナミ」

 感情の籠らない声で祝いのことばが告げられ、感慨も無く彼女はそれを受けた。

 半生人の儀式がここまで簡素だったのは、この男にそこまでの熱意が無いからではないだろうか、とナミが邪推する程に、呆気なく儀式は終了した。


 しかし、実はここからが長かった。それは事前から予測されていたことではあったのだが、ナミにしてみればうんざりとする長い時間であった。

 席を隣の事務室へと移し、司祭の話は続く。

 彼女の第三の後見人である司祭は滔々と、今日十五歳になったばかりの彼女を前に、既に分かり切ったこと、あまり重要でないこと、後でメモ書きなどによって確認すればいいようなことを、次々、細々と話続けていく。その性格を表すかのような、事務的な口調と感情の薄い声で。


「半分の成人とはいえ、君も、魔女文化的には婚姻が可能な年齢となった。もしもそれを望むのであれば、イリスウェヴ教会は君の成婚を歓迎する。イリスウェヴ神の名のもとに、新たな門出を祝福しよう。そうした自覚を持って、十五歳からの人生を歩むように」

 話が、いつの間にか魔女の婚姻事情へと移り変わっていた。「気の早いことで」、と彼女は心の内で返答するが、それはそれで仕方のない面もあるのは事実だ。

 魔力持ちの一族は、人口面ではずっと衰退し続けている。これは全世界共通、ここ数百年に亘る現象で、恐らくはそのまま、あと数百年から数千年を経て絶滅に至るのではないかという話もある。

 元々が、魔力持ちは妊娠、出産に関する成功率が、魔力無しと比べると若干ではあるものの低い傾向がある。妊娠し難く、出生時の死亡率は高い。無事に生まれてくる子どもの数そのものが少ないのだ。子孫の繁栄という価値観を重視すれば、そこは必死にもなろうというものだ。

 更に言えば、魔女、魔力持ちの平均寿命そのものも、魔力無しと比べて低い。これは、魔力の行使がそのまま生命力と引き換えにあるという説もあれば、これまでの狩りによる死亡率の高さが平均寿命というかたちで表れてきているのだという説もある。

 加えてもう一つ。恐らくその最大の理由と言えるのが、魔力無しとの雑婚の広がりだ。

 魔力持ちの子どもを望むのならば、両親のいずれもが魔力持ちであることが前提だ。どちらかが魔力無しの人間である場合は、魔力持ち側の配偶者が魔力面に於いてどんなに優秀であっても、その遺伝子、その魔力は次世代には引き継がれない。

 但し。ごくまれに。先祖返り的に、片方が魔力持ちであるだけでも、あるいは両親とも魔力無しの場合であっても、魔力持ちの子どもが生まれることもなくはないらしい。

 尤もそれは、ナミが知る限り「らしい」といったレベルの話で、極めて珍しいケースだと受け止められている。ナミばかりか、彼女の知る魔力持ちたちの誰もそうした話を実際には知らないし、それは「理論上はそうした先祖返りも、可能性としてはあるのだろう」という程度の受け止め方をされている話でしかない。

 だからだろう、総じて魔力持ちは、パートナーの出身には極めて敏感になる。恋愛や婚姻のあるなしにかかわらず、とりあえず子どもだけでも、という婚外交渉も多い。

 そうしたわけで、魔女たちにおける婚姻の早さ、婚外交渉の多さもまた、魔力無しの人間との文化的隔たりを生んでいると言える。尤もこれは、地域的な違いも大きいので一概には言えないものでもあるのだが。

 魔女たちの文化を外から見る魔力無しの人びとは、そういった背景を深く考えることもなく、魔女、魔力持ちのことを、やれ「ふしだらだ」、やれ「節操がない」等々と、面白可笑しく、かつ軽蔑の念を含んで語ることが多い。下世話で下種な興味だけをもって。それが、文化的な違いに過ぎない、という事実が世間に周知されているとは到底言えない。

 しかし一方で、それを楽しんでいる魔力持ちがいることも事実ではある。主には、男魔女おとこまじょの中に。

 たとえば、ナミの見知っている顔ぶれからしても、名うてのプレイボーイとも言える剣道師範の沖田ソージ先生のような存在がいる。尤も彼の場合は、当人の志向だけではなく、逆に女の方から寄ってくるという恵まれた星の下にいるという面も大きそうだが。

 加えて言えば、彼の場合、相手が魔力持ちでない女性の場合もあれば、さらには性別に拘りを持たない場合もある。それを言えば、逆に魔力持ちらしくない、ともいえる。

 実際に、魔力無しや同性とつがう場合もあると聞くと、途端に眉を顰める魔力持ちは、とりわけ高齢者の間では多い。なぜなら、彼らにそれを言わせるならば、それは魔力持ちの子どもを生まない「無駄な」行為でしかないからだ。

 もう一人、ナミのよく知る魔力持ちの「須田兄ィ」。彼も女への手の早さは有名なところだ。但し彼の場合、現在のところはやきもち焼きの女房がいることで、ここ最近に関してはその辺りの成功率については余り芳しくないという事実がつきまとう。更に、彼の場合は魔力持ちの女性限定である。加えて言えば、ソージのように同性をその遊びの範疇に含めることは無い。

 魔女文化の観点から言えば、ソージの浮いた話の多さや須田の積極性は、基本、褒められこそすれ誹られるものではない。むしろ魔力持ちの男にとって、種無し扱いされることは何よりの侮辱となる。その点では、魔力無しの人間たち以上に男性への差別的な感情が強い文化なのかもしれない。男ではないナミには、その辺りの感覚が今一つピンとこないのだが。

 男は所詮種馬扱い、というのは魔力無しの人間の間でも笑い話としてされることがあるが、魔力持ちの中ではその意味合いは結構深刻な課題でもあり、場合によっては洒落にならない話と化す場合すらある。


 気がつくと、司祭が抑揚の無い声で話を続けていた。

「尤も、まだ流石にこの話題は早いだろう。あの北の魔女などのように、高校に通う頃には既に子を為していた、などというケースは、最近は随分と減っていることだ」

 司祭の言う「北の魔女」こと、ナミの後見人の一人である鈴姐は、別の意味での少数事例に分類されるかもしれない。

 村上司祭が例示した彼女の場合、早い時点で魔力持ちの男との間に子どもを2人も得た後、その男と別れてから本命の魔力無しの男を実際のパートナーとして迎え入れるということやってのけている。

 尤もそれは、魔女コミュニティ内における彼女自身の政治力があってのことなのかもしれないと、ナミは鈴姐の美麗な顔を思い浮かべながら考える。

 実際に、魔力持ちコミュニティにおいては、女権の強さは当然のことだ。そうした事実そのものが、鈴姐の行動の後押しとなっていた面もある筈だと、ナミは考えている。そして目の前のこの陰険な司祭も、同様の感想を持っているらしい。

 これが男女逆だったら、もう少しコミュニティでの風当たりはきついものとなっていたろう。魔力無しとの婚姻は、それだけ推奨されない事例として魔女文化の中では当然視されている。

 そうはいっても、結婚も恋愛も水物だ。惚れた相手が上手い具合に同族である、という例ばかりであればいいだろうが、そうはいかない例もまた多い。鈴姐の件を持ち出すまでもない。世の中の人数比は、魔力無しの方が圧倒的に大人数なのだから。

「風見の資産があれば、風見ナミも春からの高校生活と婚姻を両立させることは可能かもしれないが、それでも休学は避けられないだろう。まあ、そうした相談ごとがあるのであれば、先に北の魔女にすることだ。経験者である以上、彼女の方が何かと詳しいだろうから」

 ああ、またこの司祭、どうでもいいことをペラペラと喋っている。煩いなあ。婚姻も婚外交渉も、そして恐らく男女間の恋愛すらも、今の自分には縁がないし興味もない。リアリティも感じなければ面倒ごとにしか見えないそれらの話題は、彼女にとってはひたすら退屈なだけだった。

 そうした表情をおくびにもださず、彼女もまた司祭に倣って、無表情をつくって適当なタイミングで相槌を挟む。そうすれば、少しでも早くこのお説教から抜け出せると信じて。


「半分とはいえ成人と見做される以上、これからは教会の中での風見家の位置づけも変わってくる。周囲との付き合いを含め、しっかりと振舞うように」

 黒一色、陰気な男の無表情な声に、ナミはぼんやりとした思考から我に返る。

「九年前、君が一族全てを失っても風見の家を守る事を優先したのは、実に誇らしいことだ。それに恥じぬよう、精一杯の努力を」

 この司祭が言うように、かつてのナミには、どこかほかの魔力持ちの養子となって、風見ではなく別の真名を持ち直して新たに生きるという選択の可能性もあったのだ。しかしそれは、ナミ自身の持つ魔力の大きな可能性と、この西乃市周辺における風見家の位置づけという複雑な事情も絡み、更にはナミ自身の性格的な面が最後のひと押しとなり、実現することは無かった。 

 実際、魔女、魔力持ちたちの間では、その民族的な危機感から、養子を取ることも比較的頻繁に行われている。言い方を変えれば、家族となることの閾値が低い、とも言える。

 血の繋がらない子どもであっても大切に育てる文化を持っているということを、魔力持ちの良心として、ナミは誇りに思っている。

 けれども、そうした人間的な情の面や心の温まる文化にはほとんど光を当てもせず、乱交やら淫乱やらと、つくり話に近い下世話な内容の方がより強調されて伝わるのは、どうしてだろう……それは、わたしたちが魔力持ちだから? 圧倒的に人数が少ないから? 

 ほんの少しの怒りの感情が、ナミの青の瞳に宿る。世の中の大多数を占める魔力無しの人間たちの、勝手な憶測やら脚色やらに翻弄されるのは、ご免だ。

 そんな強い意思を確認しながら、しかしそのことを目の前の同族の男と共有すること無く、ナミは司祭の話をただただやり過ごしていた。 


「風見ナミ、これが君の財産管理に関する書類一式だ。端から説明していく。よく聞いておくように」 

 話の流れが、魔女文化の成人関連の話題から、いつの間にか実務的な話へと移っていたことにナミは気づいた。そうした彼女の様子を気に留めることも無く、目の前で話す男は、山のような書類をナミの目の前に置くと、淡々と説明をしていく。

「これから三年後には、風見の財産管理を、全て君に移行する。その下準備はそろそろ始めていてもいいだろう。で、こちらの束が魔女文化及び魔力に関するもの、こちらが和国との法律に関する経済的なものと社会保障的なものだ。さて、」

 小ざっぱりとした短髪に髭。彼女が知り合った九年前からずっと、彼の風貌は変わらない。感情のこもらない声。目の前に誰がいても関心の無い素振りも変わらない。

「賢明に管理ができれば、決して君が路頭に迷うことはないわけだ。その点では、先代、先々代の聡明さには感謝をしてもし足りないものだが、」

 ナミに限らず、全ての人間をフルネームで呼称するのは、この司祭の癖だ。恐らくは、自分以外の人間、それが魔力持ちであれ魔力無しであれ、きっと嫌いだからなのだろう。いや。興味が無いだけか。彼女はその感想を無理やり内心の奥底へと押し込み、消し去ることにする。

 この九年間、それなりの回数、相応の時間を彼女はこの男との会話に費やしている。だが、それだけの回数を重ねているにもかかわらず、彼女はこの男のことはよく解らないままだ。

「魔力無しのつくったこの国の法律に関しては、ここの部分はきちんと押さえておくように。君が成人扱いされるのは同族の間でしかないのだから。和国の法律においては、君は未成年だ。理解しているとは思うが」

 今、彼が書類を広げて話しているのは、物理的な経済のこと、財産管理についての話だ。実質として和国の国民としての彼女は、まだ財産管理の実務を担うことはほぼ不可能と言ってもいい。実際の生活面では一番近くにいる魔力無しの神矢家にサポートをしてもらっているが、和国法上の保護者の筆頭はこの男である。

「私の印鑑が必要なものはこの書類だ。既に捺印は済ませてあるから、君の必要な項目を書き込むように。鉛筆でチェックを入れている部分だから、見れば分かる。後で鉛筆の線は消してから戻すこと」

 魔女としては仮がつくとはいえ成人扱い、しかし和国の法では未成年として扱う、その二度手間が面倒だとでも言いたげな表情で、村上ユズルは話を続ける。普段表情の薄い彼がこうした顔を見せることからすると、そろそろ話が終盤なのか、それとも疲れてきただけなのか。書類の山は、まだ半分しか片付いていないのだが。


 和国の法律との整合性を考えればそこは問題になる点なのだが、魔女同士の婚姻であるならばその辺りは魔女法の範疇になる……この話は何回めだろうと思いながら、ナミは曖昧にそのくだりを淡々と話す目の前の黒衣の男に相槌を返した。

 それにしても、こうした話が出てくるところをみると、彼も早くこの保護者役から降りたいのだろうなあ、と彼女は想像する。

「さて、次に移るが」

 続けて事務的かつ淀みなく話を進める目の前の男に、ナミはもう何度目かのため息を洩らした。しかしそのため息を深呼吸に置き換えるようにして、彼女はもう一つの書類の山と、それを前に同じ調子で滔々と話を続ける中年の男魔女おとこまじょに目線をやる。

 こう見えても、この男は各コミュニティでも教会の繋がりでも、信頼が篤いのだ。その政治的な立場を考えると、彼女も邪険にするわけにはいかないことくらいは理解している。

 しかし彼からしてみれば、六歳の頃からの付き合いである人間の気持ちなど、その裏面までお見通しだろう。

 そもそも彼女自身が開放的な性格だ。好きなものは好きと言い、嫌いなものは遠慮無く遠ざける。むしろだからと言うべきで、驚くほど相性の合わない相手が後見人の一人であるというこの事実にしても、二人は距離感を持って受け入れつつ、なんとかやってきた。精神面の接点の少なさこそが早期に二人の距離感を決定づけ、以降の関係をつつがなくやり過ごす土台となったとも言える。

 我の強さ、強気、強情。小さなころからよく形容されたこれらのことばは、ときとして誹りのことばにもなったが、それでも彼女に自分の運命を切り拓いていく糧となっていたことも事実である。それらが無ければ、彼女は風見としての人生を諦めて、別の真名を新たに受け入れ、名乗る、といった道を歩んでいたことだろう。

「魔力関係は時間をかけて読み解いていくべきものも多いから、目を通すとしたら、先ずはここの部分からになる。いいかね、よく聞いているように」

 そうして、黒衣の男は、付き合いだけは長いものの親しみの片鱗もない無表情さで、彼女へと話を続ける。


「で、風見ナミ」

 ああ、書類の話が終わったのね。今度は、身近なお小言かしら。そう思いながら、彼女は顔を上げる。

「これで一通りの説明は終わったが。質問はあるかな?」

 そうではなく、今度は本当に話が全部終わったようだ。特に質問も何も思い浮かばず、彼女は無言で首を横に振った。

「では、改めて。15歳、おめでとう」

 感情の薄い男の感情に乏しい「おめでとう」のことばにかたちだけ頷くと、ナミは立ち上がった。ああ、この辛気臭い男の前から早く開放されたい。

「ともかく、魔力無したちとの法的な差異に気をつけること。和国法のこともあるから、まだこの1年はこの施設へときちんと足を運ぶように。薬草採りの習慣は今年も変わらずかね」

「ええ、今年は暖冬・少雨だから、薬草の出来は若干不安らしいけど」

「面倒ならば、その行きか帰りにでもいい、必ずここに寄って、無事を報告したまえ。また、来月から進学の為の書類作成といった事務作業が発生するだろうから、そうした書類についても早めに連絡をするように。住民票の取り寄せなどは、こちらでしておく」

 そしてまた、それが合図であるかのように、いつも最後に告げられる文言が続いた。

「魔力行使に関しては、細かいことであればこちらへ相談すればいいが、大ごとは北の魔女の顔を立てろ」

 そんなこと言われなくたってそうするわ、姐さまの方が信頼できるもの。そう思っても、もちろんそのことは口には出さない。けれどもきっと、この目の前の男はそうしたナミの心理には気がついていることだろう。この九年間、そうした相談をこの男に持ちかけたことは無い、という事実を通して。

 暇乞いの時間と見做して、彼女はコートを手に取った。立ち上がり、共にまた聖堂へと戻る。薄暗く広い、女性神の像のあるこの広い部屋の方に、ナミはより落ち着きと安心感を覚える。いつものようにゆっくり深呼吸すると、穏やかな香の匂いが混じる。

「それでは司祭、わたし、お暇します」

「ああ。今日の君の一日が、素晴らしい日であるように」

「司祭も」

 お互い、感情の欠片も無い声色で社交辞令のような返事を交わし、彼女は女神像の前で踵を返すと教会堂の出口に向かって歩きだした。

 コートを羽織る。胸の青の宝珠が隠された。

 手袋を嵌めていく。両手の宝珠が隠された。

 振り返ってイリスウェヴの女神像をもう一度目に収めようと思ったが、一瞬浮かんだその考えに従うことなく、彼女は振り返りもせず女神像の前から立ち去った。




(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る