第5話 番屋鮫

 こんな夢を見た。


 漆喰の壁が続く江戸の町に良く似た風景の中に、大きな一枚板に黒い彫りの文字で「番屋」と書かれた看板がかけられているのを見つけた。その文字はまるで電光掲示板のように、その彫りの文字を定期的に変化させている。「番屋」の文字は、しばらくすると、「相談します」となった。「ます」の部分は、四角の図形に斜めに線が入った、「マス」で、なかなか洒落ている。

 通りは目抜き通りなのか、時代劇のセットで見たような大店が並び、何かに何かを売っているようだ。「何か」というのは、はっきりと見ることが出来なかったからだ、人の往来は多いけど、それが何かとわかるほどには、輪郭ははっきりしていない。まさに夢の住人らしい佇まいで、がやがやしながら通り過ぎていく。そんな曖昧な景色の中にあって、目抜き通りの突き当たりにでんと構えている「番屋」の存在は明確に思えた。

 人通りが多いけど、人を避けずに前にずんずんと歩いていける。輪郭が曖昧だから、存在も曖昧で、当たることすらない人の群れだ。はたして人なのかも疑わしい。

 「番屋」の戸は引き戸。下は板で、大人の人の腰ぐらいの高さからは障子になっている、戸袋に板戸が斜めに押し込まれていて、この戸を開け閉めしている人物が、あまり繊細でないことがわかった。戸の横にも、吊り下げ式の看板があり、そこの文字も、「番屋」と「相談しマス」の文字をうろうろと表示し続けている。

 そもそも、「相談にのります」だろうに、「相談します」とは何事か。

 私は番屋がどういうものか詳しい知識がないもんだから、時代劇を見ている印象で、番屋とは民衆が困ったときに助ける程度ぐらいにしか思っていない。人助けをする役目の番屋が、逆に相談に乗って欲しいと看板でぼやいているのは、おかしいのではないか。何故か戸の前でとても憤慨してしまい、声をかけずに勢いよく番屋の戸を開いてみる。

 そこには、つまらなさそうな顔をして、煙管をふかしている大きな鮫の姿があった。尾を器用に曲げて、量のある大振りの座布団に座り、右のヒレで肘掛にもたれている。背中が灰色で、腹側がやたらと白いホオジロザメだ。鮫の眼はどこに向いているかわからないが、なんとなく、私をチラッと見ていることがわかった。


 「相談していい?」


 意外なほど高い上ずったような声で、鮫が話しかけてきた。咄嗟に「何を」と返答すると、鮫は大きな溜息を煙と一緒に吐いて、煙管の灰を灰皿へと落とした。


 「エイじゃ駄目なんかねぇ?」


 唐突に鮫がそういったので、混乱していると、私が質問の理解をしていないことに気づいたのか、鮫は素早く言葉を繋げた。


 「わさび、わさび。鮫のほら…」


 この鮫はどうやら、わさびおろしの鮫皮は、鮫皮ではなくエイの皮でいいんじゃないのか?とぼやいているようだ。エイっておろし金に使えたか?エイの皮が加工されて、財布などに用いられていることは知っている。それに…鮫皮といっているけど実は…。鮫は私の返答を聞かずにどんどんぼやいていく。


 「アレでしょ、鮫皮のおろし金って、結局わさびだけなんでしょ?」

 「わさびぐらいでさ、私たちの皮剥ぎ取らないで欲しいわけよ。」

 「エイでいいでしょ、エイでさ。」


 鮫の皮は、エイ同様に財布などの加工され、シャークスキンとして重宝されている。なんでも、使い込むごとに艶が出てきて、良い感じになるそうだ。鮫がまた口を開こうとしたのを、遮る。


 「鮫じゃないですよ。」


 「ん?」


 「鮫皮のおろし金って言うけど、あの皮、鮫じゃないですよ。」


 「…えっ」


 「あれは、ツカエイというエイの皮で、鮫の皮じゃないんですよ。」


 「………」


 鮫は新しくつめようとしていた刻み煙草を取り落とした。煙管を持つヒレが震えている。鮫皮のおろし金に鮫の皮を使うなと言っていたくせに、いざそれが鮫皮でなかったことを知ると、ショックを受けているようだ。たぶん、ほとんどの人は、鮫皮のおろし金は、鮫の皮ではなくエイの革であることを知らず、本当の鮫の皮を使っていると思っているはず。


 「ツカエイは繁殖力が低いから、乱獲で絶滅しそうなんですよ。」


 「…ッッほらぁぁー!!」


 何が「ほらー!」なのか知らんが、鮫は鮫の保護を訴える代わりに、エイの保護を訴えはじめようとしている。先ほどまで、鮫皮ではなく、エイの皮でおろし金を作れといっていたくせに。返す手の平がないから、ヒレ平返しとでも言うべきなのだろうか。


 「鮫皮はバッグとかお財布の素材として使われていますよ、エイ皮も。」


 「ほら、ほらぁーー!!」


 鮫とエイが犠牲になっていることを知ると、何故か番屋の鮫が俄然元気になってきた。


 「私は、あのブツブツしたのが気持ち悪いので、嫌いですね。」


 「……えぇ…」


 「ブツブツ気持ち悪いです。」


 「……そぅ。」


 番屋の鮫は、ひどくしょげたようにして、鼻先を畳みの上につけるように下を向いてしまった。今気づいた、鮫の横にもうひとつ座布団があると思っていたら、それはエイだった。エイは今までの会話をずっと聞いていたのだろう、ひどく不機嫌な目で番屋の鮫を睨んでいる。この鮫がどうして欲しいのかわからないうちに、周囲の景色が曖昧になっていき、気づけば、番屋は藪に変わっていた。後ろの喧騒は相変わらず続いている。

 振り返った目抜き通りの行き止まりに、また番屋の姿があった。一枚板の看板は「番屋」の文字と「相談します」の文字が繰り返し浮かび上がっている。次は何の相談なのか気になって、私はまた目抜き通りをずんずん進んで、番屋の前に立ったのだった。

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