魔界でピアノ教室始めました

@hurahura

第1話

 空を見上げると、雲の隙間から赤い月が輝いているのが見えた。

 僅かに顔を覗かせた赤い月が、大地を見下す様に妖しい光を放っている。

 その光に誘われるかの様に、3つの頭を持つ鳥達が一斉に空に現れた。

 現れた鳥の大群はまるで大波の様にうねりながら夜空を飛んでいる。

 地響きの様な羽ばたき、耳をつん裂く様な鳥の叫び声。恐らく万は超えているであろう鳥達の大合唱が辺りに響く。

 常識では考えられぬ景色だが、一ヶ月も見れば慣れるものだ。

 俺は脇に挟んでいる幾つかの楽譜の枚数を確認し、待ち合わせ場所へ向かった。


 周りを山、森、海に囲まれ、豊かな自然の中心に存在する町ジュゼール。俺は2ヶ月前ぐらいにここに引っ越してきた。

 ジュゼールの建物はレンガや切り出した岩で出来ている。そんな建物が並んでいるので、町の外観は西洋的で中世のシャレた雰囲気を持っている。

 道は石畳で少しゴツゴツしている、歩けば砂利が小粋な音を出してくれる。

その音を楽しみながら歩き、俺はある街道にたどり着いた。

 街道の名はギール。

 オレンジ色の街灯が、周りの家々を彩り、しみじみとした気持ちにさせる街道。

 この街道の中間辺りに待ち合わせ場所がある。

 俺は右手の腕時計を確認した。

 11時45分。約束した時間の30分前だ。


「間に合ったか」


 そう言って俺は辺りを見回した、見る限り誰もいない。

 多分あの人はまだ来てないだろう。

 俺はホッとため息を吐き、ギール街道に入った。


「先生遅〜い」


 入った瞬間、誰もいない筈なのに、急に誰かが耳元で囁いた。

 驚いて辺りを確認するが、何処を見ても変わらず誰もいない。どういう事だ。


「こっちだよー」


 背中をツンツンと誰かに触られた。と思ったら足を触られた。

 ケラケラと笑い声が街道に響く。

 この人を揶揄う様な声は多分。


「サキュバスさん……まだ約束の30分前ですよ」


 そう言うと、俺の影が同心円状に波打ち、ピンク色の髪の女が這い出てきた。

 それは井戸から出てくる某幽霊の様だった。


「先生、約束の30分前なんて遅いよ。5時間前が常識だから! 」


 影から出てきた彼女は、こちらに人差し指を向けそう言った。

 この人はサキュバス。ピンク色の髪と背中に生えた黒い翼が特徴の夢魔だ。


「人間の30分は魔界の住人の30分と違います」


「そうなの? でも、もう慣れたんじゃない? 魔界に来て数ヶ月は経つでしょう? 」


 魔界、その言葉を聞いて、改めて自分が魔界にいる事を知った。


 俺はある日突然この魔界にいた。

 何の予兆もなく、何の動機もなく、息をするかの様に、当たり前の如くここにいた。

 どうやって来たかは覚えていない。

 覚えているのは現実世界で俺がピアノ専攻の音大生だった事だ。

 そして色々あって、今はピアノ教室をひらき食いつないでいる。

 サキュバスさんは、俺が初めてピアノを教えた人だ。


「魔界はまだ慣れませんね。人間の世界とは違い、1日が72時間もあるんですから」


 魔界は時間の流れが遅い、人間の世界の1日が魔界では3分の1なのだ。

 俺はまだこれに慣れていない、というより慣れる気がしない。

 だから5時間前に待ち合わせなど、今の俺には無理だ。

 そんな腑抜けた俺を見て、サキュバスさんが呆れた様にため息を吐いた。


「駄目ねぇ、男がそんなんじゃモテないわよ。男は常に女の子をリードしなきゃ」


 そう言ってサキュバスさんはウインクをした。少し古臭いかな、と思った。

 見た目は若いが、20の俺より数十倍は生きてる人が、自分の事を女の子と言うのは違和感しかない。

 そんな事を考えていると、サキュバスさんが顔を近づけてきた。


「失礼な事を考えてない? 」


「いっいえ……あっそうだ! 曲はどうですか? 」


 俺は何とか言い訳を探して誤魔化した。

サキュバスさんは疑った顔をしたまま、顔を離して「ふん」と言った。


「曲ね……まあ順調って言えば順調よ。でも弾けない所もあるし……」


「大丈夫ですよ! 練習さえすれば弾けない曲はありませんから。さぁ行きましょう! 」


 まだ疑っているサキュバスさんの気を紛らわす為に、俺は急いでレッスン場へ向かった。

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