第9話 モンスターの正体
11時半、早めのお昼を春樹に食べさせて後片付けをしていると、12時10分に岩崎さんが、ネイビーの車に乗ってやってきた。春樹を後部座席に乗せて、助手席に乗り込んだ。
「おまたせー。」
「いえいえ、車出してくれてありがとうね!」
「さっ!行きましょ!」
今日は例の学力テストの日。12時50分集合で、午後4時までのテストだ。車に乗り込むと、子ども達どこが出るか、テストのヤマを張り始めた。
少し、沈黙が二人の間を抜ける。その間を埋めるように、岩崎さんが話しかけてきた。
「そう言えばさ、岩崎さんのご主人って、どこにお勤めなの?」
「県庁です。」
「まぁ!良いわねぇ今時流行りの公務員。」
「いえいえ。岩崎さんこそ、凄いじゃないですか。わたし、あんなに大きなお家見たこと無かったです…」
「見てくれだけよ。倉庫があるからね。大きく見えちゃって。」
「なんか、すごいなぁ…」
「ねぇ、こういう言い方アレだけど、中島さんのご主人って、優良物件って感じじゃない。きっかけ、なんだったの?」
にやっと笑うと、かなり突っ込んだ質問をしてきた。恋バナ大好き女子、って感じの顔でこちらを見ていた。
「大学時代に、紹介というか、合コンで知り合って…」
「おぉ!」
「岩崎さんは、きっかけは何だったんですか?」
「私たちはオケね。」
「オケ…?」
「オーケストラ。これでもわたし、クラリネット吹いてて。私は人数合わせで呼ばれたんだけど、そこでティンパニー叩いてたのが主人。」
「そうなんですねぇ…」
警戒心と好奇心に揺れていると、塾に着いてしまった。子ども達を送り出して、岩崎さんの運転のまま、郊外のケーキ屋さんに到着した。落ち着いた雰囲気で、どこか懐かしいような、そんな感じがした。席について、紅茶とチョコレートケーキを、岩崎さんは、散々迷った挙句、ブレンドコーヒーと季節のフルーツのミルフィーユを注文した。ケーキが来るまでも、来てからも、お互いのなれそめを話していた。
「で、そんな公務員の優良物件の彼氏とめでたく結婚、って感じ?」
「最初は、結婚する気なくて。」
「ぶっちゃけたねー。」
「だって、茨城とか、地方に行きたくなかったんです。東京の外れの方ですけど、一応生まれも育ちも東京で、田舎怖くて。」
「なるほど。」
「都内の銀行で面白おかしく働いてたんですけど、異動になって…総務部、全くお客様に合わないし、派閥争いみたいなのに巻き込まれるしで、体調崩しちゃって…」
「大変だったのね…」
「そんなときに、仕事辞めて茨城に来い。贅沢はさせられないけど、懲戒処分になるようなことも絶対しないから、って。」
「うわーっ、男前!」
「そう、そこまで言い切るならいいかな、って。」
「ほんと、優良物件だわぁ…」
「ねぇ、わたしも言ったんだから、岩崎さんも教えてよ!」
もう、ここまで来ると、30代40代の皮を被った、噂好きの中学生になっていた。
「わたし、騙されたの。」
「え!?」
「付き合ってた時、主人が酒造の息子って知らなくて。あの人、飲料メーカーの研究者だったの。ちょっと変わってるけど、仕事熱心で、探求心がある。この人となら飽きないわって。」
「そうなんですね!」
「だから、二人とも東京で生んだのよ。こっちに来たのは一葉が小学校入るタイミング。お義父さんが病気で倒れて、呼び戻されたのよ。」
「でも、大変じゃないですか…女将さんになろうと思って結婚したわけじゃないのに。」
「そうなの!わたし、上場企業のサラリーマンと結婚したと思ってたのに!」
おどけて言う姿に、思わず笑ってしまった。
「でも、受け入れなきゃって。伝統とかなんとかは綺麗事。目の前で働く職員の人を見てさ、この人のお給料払える様にしなきゃって、今まで研究職だった主人が営業行ったり、問屋さんと交渉したり、そんな姿見て可哀想で…」
「そうなんだ…。」
「新商品開発したり、会社としての付き合いをするのは主人も得意だから、わたしは新規開拓と現場の管理をやることになったの。」
「だから、フォークリフトも…」
「好きね、それ。」
「だって衝撃的でしたもん!」
ユーモアたっぷりに話す岩崎さんに、つられて何度も笑う。そうしてパパのことやご主人のことを話し合って、何だか不思議な感じね、なんて話してた。
「ねぇ…」
「なんですか?」
「なんで私がモンママって呼ばれてるか、話してあげよっか?」
「!?」
突然の話に、飲もうとしていた紅茶が変なところに入って、ゲホゲホとむせてしまった。
「ちょ、大丈夫?」
「だ、だいじょうぶじゃ、ないです…」
「ふふっ。驚いた?」
「そりゃそうです…」
「だって、中島さん、すごく複雑な顔で私のこと見て来るんだもん。この人信じていいの?悪い人なの?って。警戒してると言うか。」
「ごめんなさい…。実際、噂ほど、悪い人って思えなくて。」
「いやいや、多分中島さんの代は知らないもんね。だからさ、その時のこと話して、改めて、私が危険人物って思ったら、付き合い方を変えればいいから。話さなくなっても私は悪く言わない。モンママって、言われてるのは事実だし。」
「うん…」
一呼吸置いて、岩崎さんが話し始めた。
「実はね、お姉ちゃんが5年生の時、登校拒否になったの。」
「え!?」
あの溌溂とした、しっかりしたお姉ちゃんが!あまりにも驚いて、テーブルの脚を蹴ってしまった。それを見て、笑いながら、話を続けてくれた。
お姉ちゃんは悪い子じゃないけれど、はっきりと物を言うし、先生からは扱いにくいと思われることも多かった。特に合わなかったのが、5年の時の先生。何かとみんなが頑張ること、みんなでやること、を強制する先生で、お姉ちゃんは全体主義的で好きになれないと言っていた。
そんなある時、お姉ちゃんは算数で、全問正解だったのになぜか20点と言われ、日ごろの行いが悪いから、点数を引いたと言われた。そんなのおかしいんじゃないですか、算数が出来ることと、行儀をよくしていること、その相関関係がないのに、どうして点数を引くんですか、と聞いたら、生意気だからマイナス20点。岩崎さんの成績は0点ね、と返され、それからも、男子がふざけると、また岩崎さんの成績が下がるぞ、全体の輪を乱すことは、こういうことなんだよ、と吊し上げられ、お姉ちゃんは悔しくて泣きながら帰って来たそうだ。勉強をがんばっても、こんな風じゃ、学校で勉強する意味なんかない、もう行かない、そう言って聞かなかったそうだ。岩崎さんとしては、何が何だかわからなくて、取りあえず学校に連絡したが、もう帰ったと取り合ってもらえない。お姉ちゃんの算数のテストは確かに20点と書いてあって、そこに赤線が引かれ、0点と書いてあった。もし、お姉ちゃんが悪いなら謝らせるし、なんでこんな風になったのか、他の生徒にはどういう対応なのか、その経緯を話してほしい、それだけだった。翌日もお姉ちゃんは学校に行きたがらない。ご主人も納得せず、確かにこれは先生から直接話が聞きたい、と両親揃って学校に行ったが、忙しいと面会を拒否されてしまった。そこから、岩崎さんの戦いは始まった。まず、話を聞かせてください、経緯を教えて下さい、一葉が何をしたのか教えてください…何度も電話をかけたが、そういうことになっているんです、と一点張りの先生。埒があかない、と学年主任や教頭に話をつけると、今度は担任の態度がガラッと変わり、クラスでの一葉ちゃんの横暴振りを騙り、手を焼いていたんですとあちらが泣き落とししてきた。まるで一葉ちゃんが悪いのに、反論をしてきた親が悪い、そう誘導されているようだった、とのこと。そんな言葉遣いは教えていない、他の子は何て言っているんですか、それなら、その先生を怒鳴ったのは算数のテストのどの部分ですか、何点分、一葉は迷惑だったんですか、他の子のテスト用紙を見せて下さい…岩崎さんは必死に食らいついた。生憎、ご主人は仕事で家を空けることが多かったので、本当に、岩崎さんは独りで戦っていたのだ。
「中島さんも、感じると思うんだけど、そんなの謝っちゃえばいいじゃん、って。なぁなぁにすりゃいいじゃん、って。でも、出来なかったの。…私たち、中途半端はだめだ、人をだましたり、悪意をぶつけてはいけないんだ、って子ども達にも、職員のみんなにも言ってた。だからね、感じたのよ。一葉が、お姉ちゃんが、こっちを試してるって。」
「…試す?」
「そう。大人なんだから、言ったこと、出来るんだよね?って。暗い表情なのに、目はどこか挑発的で。だから、引けなかった。紙切れ一枚、テスト用紙握りしめて、もう必死だった。どうにかしないと、この子の将来がここで崩れちゃう!って。親として、誠意を見せなきゃって。」
「そんな…」
「でもね、意外なところから好転したの。」
しびれを切らしたのは、女将さん、一葉ちゃんのおばあさんだった。息子もお嫁さんも、孫を学校に行かせないで、何をやっているんだ、このままじゃ埒が明かない!と一番上等な着物を着込んで、常田商事に向かった。この常田商事は建設会社なのだが、常田一族は代々、市町村から県まで、何人も議員や町長などの要職に人を送り込んでいる、政治家一族だった。もちろんそこには教育委員会に影響を持つ人もいたため、その常田氏の当主に直談判したのだそう。亡くなったおじいちゃんの姉妹でその常田の誰とかに嫁いだ人がいたとかで親族としての付き合いがあるそうだ。常田としても、岩崎の老女将が、孫の人生が台無しになると泣いて来たからには、話くらい聞かなきゃと、学校に対して指導を行う流れになった。
「もうね、お義母さん、怖かった。頭から潰せ!みたいな、かなりパンクロック調の雰囲気を感じたわね…」
そこからは先生方も、「不適切な指導があった」ということを認め、この事件は収束に向かっていった。その後に担任の先生の方から退職願が出されたのだが、話に尾ひれがたくさんつきまくったのだそう。
「まぁ、そういうもんかな、と。その事件の後に小学校行ったら、モーセか!ってくらい人が私を避けたよ。でもね、その後からかな、お姉ちゃんとの関係が良くなったのも。」
中途半端なことをしない、それを大人たちは実践した。それを見てお姉ちゃんはやるじゃん、って顔をしたし、どれだけ中途半端にしないことが大変かも、分かったのだと思う、と。だから、多少皆に嫌われても、私は堂々としてられるよ、と岩崎さんは思ったそうだ。
「でね、一葉に中学受験を勧めてくれたの、奥様なの。」
「おくさま!?」
突然のことに驚いて声を上げてしまい、気まずくて体を丸めた。おばあちゃんは、うちの孫は学校に行かない、ダメになってしまう、と奥様に泣きついていた。それを見て、ある日、奥様は大量の私立中のパンフレットを抱えて、岩崎さんに会いに来た。
「奥様はね、流されては、いけないのよ、挫折したように感じても、時間が解決したり、ちょっとのきっかけで良くなることって色々あるのよって。特に努力して選び取ったもの、これは自分にとって財産。一葉ちゃんはまっすぐだから苦労したの。でもこれからは、人間関係も先生のことも、選ぶチャンスがあると思うの、って。それ聞いてわたしその場で泣いちゃって…」
「それがあって、お姉ちゃん、受験したんだ…」
「そう。まぁ中学生になる頃には落ち着いたんだけど、良い学校、ってより、自分で頑張って居場所を選んだってことが、お姉ちゃんにはよかったのかな。別に林太郎は学校で問題起こしたりはしてないんだけど、変わり者なんだよね。マイペースっていうか、出力が0が100って子で、数学とか音楽はいつも100なんだけど、やりたくないことはやらない、みたいな…だから成績落ち着かないし。」
「確かに、あの中でAからCまで全クラス制覇したの、林太郎くんぐらいだもんね。」
「そうなのよ…。だから、公立って向かないかもって思って。」
「そんな経緯だったんだ…」
「それから、奥様も、あんなに人が避けるくらいなのに、学校でも気にせずに挨拶してくれて。だからもう、奥様には頭が上がらないわ!」
奥様も苦労人だそうだ。老先生のお母さまは、『春日局か福沢の嫁』と言われる程の人物で、しがない町の歯医者だった老先生のお父さんを叱咤激励し、子どもを4人中3人医者にして(その1人が老先生)、1人は外交官の奥さんにした豪傑。そんなお母さまに仕えていたので、血を吐く程の、厳しい日々もあったのだそう。老先生の兄弟で後継ぎがいない人がいて、皮膚科医であるお嫁さん(敦くんのお母さん)がそこを手伝っているため、奥様はまだ弱ってなんかいられないらしい。そんな厳しい中でもいつも優しくて、ヨソのお嫁さんのことまで面倒見てくれた、とのことだ。
「だからさ、私も奥様も、結構キャラ立ってて付き合いにくいかもしれないけど、私たち、選ばれたり、相手にされなかったり、そういうの慣れてるから。人付き合い、中島さんも選んでいいんだからね。」
「うん…でも、ありがとう。安心したって言うか、やっぱり悪い人じゃないって分かったよ。よかったぁ…」
ふたりの間にはもう、緊張した関係はなくなっていた。なんだか、不思議な気分。こんなに、
「あのさ…」
「ん?」
「…私たち、打ち解けちゃったね。」
「あっ、ごめんなさい。」
「良いわよ今更敬語なんて。」
あまりにも話し過ぎて、もうあと5分で彼らのテストは終了時刻になってしまうところだった。急げ!と車に乗り込み塾に向かうと、春樹と林太郎くんは遅い遅いの大合唱だった。
「ごめんね、でもシュークリーム買ってきたから!」
「っしゃ!」
ふたりはもぐもぐとシュークリームと戦い始め静かになった。他愛のない話をしながら、帰路につく。笑い過ぎて、家に着くころには笑い過ぎて、顔や腹筋がぴくぴくしていた。
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