第2話 考古学者の仕事

 私は、船尾の方にあるクレーンの操作室へ入っていった。父が海底で作業している間、船上でナビゲートするのは、私の役目だった。

 私はクレーンのエンジンを掛けて、動くようになっているかどうかを念のために調べてみた。三月による修理は終わっていたらしく、問題なく動いた。

 父が海底に潜ると、私の仕事は少しの間なくなる。操作室から辺りを見回すと、冬馬が釣り糸を垂らしているのが見えた。私は彼のもとへ歩み寄り、声を掛けた。

「何か釣れた?」

「ぜーんぜん。ていうか、この辺魚いるの?」

「さっきレーダーを見た時には、ちゃんと映ってたわよ。魚影」

「ふーん。そう言えばナビしなくてもいいの?」

「まだ時間はあるから、大丈夫」

そんな会話を交わした後、私は冬馬の背後でしばらく様子を眺めていた。

「ねぇ、冬馬」

「なぁにぃ?」

気の抜けるような間延びした返事。

「釣りって楽しい?」

私は質問を間違えてしまった。今、そんなことが知りたいわけではなかったのに。

 だが、冬馬は律儀にもちゃんと答えてくれた。

「……まあ、釣れたときは楽しいし、嬉しい」

「じゃあ、今は? 釣れない時」

「何も」

「何も?」

「何も感じない」

私は、なんとなく納得できずにいたが、かといってそれを追及しようという気持ちは、何故か失せてしまった。

 ひょっとすると、釣りをしている間、一見何もしていないような時、彼の意識は海底の中にあるのだろうか。だから、心ここに在らずといった様子で、釣り糸を垂れるのかもしれない。

 結局、その場所で私の退屈が埋められる事はなく、程なくして本でも読もうと書庫へ移動した。 

 引っ張り出した一冊の本を、私はちょうど甲板の日陰になっている部分に腰を下ろして読んでいた。

 強い日差しによって温められた空気には舌を巻く程だったが、時折吹く冷たい潮風は気持ち良かった。

 本は所々黒ずんだり黄ばんだりしており、相当に古いものである事がわかる。内容はというと、大昔の童話集であるらしかった。

 ヘンゼルとグレーテル。そういう話があった。かつてヨーロッパと呼ばれていた地域が舞台で、ある作物の取れない年の冬、とうとう食べるものが危機的状況に陥り、食いちを減らすために、二人の子供、ヘンゼルとグレーテルが森に捨てられる。そんなシーンから始まる。

 この物語は童話であるが、実際にそのような現実が当時存在していたという。

 親が自分の子供を捨てるなどということは、私には到底とうてい信じられなかった。けれども、両親のうち母親はいわゆる継母で、兄妹と血の繋がりを持っていなかった。そしてやはり、子供たちを捨てなければと言い出したのも母親だったのだ。

 そう言えば、私から見て多季さんは継母に当たる。だけど、多季さんはそんな無体むたいをするような人ではなかった。

 私に対しても、この物語に出てくる母親のように毛嫌いするどころか、とても優しくしてくれた。

 無理に私の母親として振舞おうとするようなギラギラした意志などそこにはなく、むしろ友達であるかのような、自然体な接し方だった。

 それが私にとってはとても居心地のいいものであった筈なのだが、素直に心を開ききることのできなかった私には、返ってそこに浅はかな意図が隠されていると想像させ、彼女への態度をよりかたくななものにした。

 そんな多季さんは、一方で、仕事に情熱を燃やす人だった。

 サルベージャーである父の仕事は、考古学者の指示に従がって、海底に沈んだものを引き上げるという、ただもうその一点に尽きる。

 しかし、考古学者の仕事は、数ある遺物の中から引き上げるものを選び、計画を立て、引き上げた後には調査及び研究、更には報告までしなくてはならない。

 一旦一つの仕事に入ると、それが終わるまでに最低でも一ヶ月は掛かり、特別長い時になると、数年にも及んでしまう。

 考古学者であり、その仕事にだけは熱情的な多季さんは、同時に不器用でもあり、仕事に入ってしまうとその他のあらゆる事物じぶつおろそかになってしまう性質を持っていた。ある時などは、考えごとをしながら甲板を歩いていて、すっ転んで海に転落するというような事件を起こした事もあった。

 私は、多季さんが仕事をし始めると、無性に寂しかった。

 これらの感情が矛盾していることは自覚している。だけど、小さい頃はその矛盾が二面性という形を取り、背中合わせのまま平気で成り立っていたのだ。

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