嵐の海に眠る月影

柚田縁

プロローグ

プロローグ

「なんで……」

嵐の夜。私の弟はそう呟いた。

 外を吹き荒れる風の音でその声は、あるいは私の耳に届いてなどいなかったのかもしれない。

「なんで、今になってそんなことを言うんだよ!」

呟きは、感情の高まりを受けて叫びへと昇華しょうかした。

「今だから言うんだ。お前は二十歳はたちになった。もう大人なんだ」

そう言ったのは私たちの父。

「それでも、聞きたくなんかなかった」

弟の嘆きと共に、船が大きく揺れた。

 私はその瞬間、脳裏に過去の記憶からの映像を映し始めた。それは、嵐が引鉄ひきがねとなった記憶だった。これまで、何度となく嵐に遭遇してきたが、あの時の嵐ほどにはっきりと思い出せるものなど他にはない。

「事実を受け止めるんだ!」

父はときどき残酷だ。弟はその事実を受け止めることなどできない。それでも、父の言葉が必要だったのは、私にもわかっている。

 彼は父の方を鋭い目で睨みつけ、部屋を満たしている風の音をものともしないような鋭い声で反論した。

「受け入れられる訳ないじゃないか! これじゃ、僕たちが……僕たちが……」

「そんなことない!」

私はそれ以上言わせないように、つい声を張り上げてしまった。

「私は一度もそんな風に思わなかったわ! この事で、私は、あなたを恨んだことなんて一度もない!」

きっぱりと言い放つ。

「姉ちゃんも知ってたんだ。そして、ずっと黙っていたんだね?」

私は無言で頷く。どんな理由があれ、彼が傷付く事だけは避けられない。案の定、彼は今にも泣きそうな表情を作った。

「もう、いい」

そう吐き捨てた彼は俯いた顔をスッと上げ、勢いよくドアの方へ駆け出した。

「おい、待て!」

父はまず言葉で呼び止め、彼の背を追いかけようとした。

 私はそんな父の肩を掴み、その行動を抑えた。

「追いかけちゃダメ。わかってるんでしょう?」

私はそんな事を言った。

 父は僅かに小さくなりながら、震えながら頷いた。そして、やはり小さく呟いた。

「ああ、わかってるんだ」と。

 外では強すぎる風が、飢えて狂った肉食獣のように唸り声を上げ、暴れている。

 私は祈った。ただ、弟が無傷で帰ってきてくれる事を。そうなる事が、十三年間ずっと心の中で消えず凝り固まった不安を拭い去ってくれるのだから。

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