第四章‐5『真実』

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 その晩、事件は起こった。

 咲楽がいきなり部屋に押し入ってきて、泣きながら、不安そうに、そして震えた声で、泣き叫ぶように言った。


「ゆうくん……!! なに、なんなのこれッ!!」


 咲楽は携帯端末を見せつけてくる。表示されていたページは何かしらの記事のようだ。

 そして、結城はその記事のタイトルと、そこに張り付けてある写真を見て目を見開いた。

 


  『電脳アイドル君島海崎きみしまうみさき、実は電脳病患者だった?』


 しかも彼氏持ちであることが発覚!?

 その彼氏はとても暴力的な男であり、実際に会った人物はこう語っていた。

「一度彼氏だという男と会ったことがあるんですけど、とても暴力的な言葉で脅されました」

 そんな暴力的な一面を見せるその男、Y・Sは君島海崎が通っていると言われている学校、七城市中理高校の二年生だという。

 今回入手した写真は、二人がプールでデートしている様子を激写したものらしい。

 そして、君島海崎は中理高校に通う一年生らしく、どうも電脳病を患っているとの噂。

 これが真実かどうか定かではないが、とある人物の話によるとそうらしい。まったくもってソース元が怪しい話なので信じるか信じないかはアナタしだい。

 先日のストーカー騒動も君島海崎の恋愛発覚によるファンの発狂が原因と話が出ている。

 この恋愛情報は巷では密かにリークされていた。知る人ぞ知る情報だったらしく、筆者もここ最近知った情報であり、こうやってまとめた次第である。



「なんだよこれ……何なんだよ、誰がこんなことやってんだよッ!!」

「知らないよぉ!!」


 二人そろって声を荒げる結城と咲楽。

 手に持っている咲楽の携帯端末。その液晶に表示されている写真は――この前、海実と咲楽、結城の三人でプールに行った時のものだと分かる。しっかりと顔にモザイク処理をなされているのにもかかわらずだ。

 なぜなら、その写真に写っている女の子が着ている水着が、あの日に着ていたものと一致するからだ。女の子が着ている水着は咲楽が選んであげたもので間違いない。

 そしてその隣に座っている男。プールでジャージを羽織っている人などそういるものではない。


(俺はあの時、西條が付けた爪の跡を隠すためにジャージを羽織って、そしてイスに座って西條と話した。この写真はその時の写真で間違いない……。けどなんでこんな写真が撮られて出回るんだ?)


 あのプールサイドのベンチで、片方の男はジャージを羽織りながら、男女で一緒に座るなど、そんなシチュエーションが二つと起きるものか。

 二人一緒にベンチに腰かけたタイミングはそれしかない。


「アレが、こんな曲解をされて全世界に出回ってる……!?」

「でもなんで海実ちゃんとミサッキーが同一人物って話になるの!?」


 少しヒステリックになってしまっている咲楽を見て、自分だけは冷静でいようと心を落ち着かせて話す。


「確かにおかしい……。電脳世界じゃ、自分の体や顔を変えることなんてできない。それは犯罪行為だし、違法なプログラムを使わないとできることじゃない」

「ゆうくんは、海実ちゃんが、そんなことをしてるって、思ってるの……?」

「そんなバカなことがあるかよ。勘違いすんな。これは西條が君島海崎であるはずがない、ってことを言ってるんだから」


 涙目になりながら不安そうに聞いてくる咲楽を見て、結城はできる限りの笑みを浮かべながら、安心させるために優しい口調で否定した。


「西條と海崎は背丈こそ同じくらいだけど、顔は化粧云々で変えられる範疇を超えている。西條と君島海崎は明らかに別人だ。違うか?」

「違わ、ないよ」

「だろ? それに違法プログラムを使ってたのも有り得ない。だって、使ってたら色んなところでイベントなんてできないよ。スキャナに引っかかってアウトだ」


 そう、電脳世界には所々に不具合などを検知するスキャナが設置してある。

 まず自宅や施設のHPから電脳世界へと転送する最中にスキャンされるし、飛ばされた先の出入口や、様々な施設にもスキャナは設置されている。

 もし、違法なプログラムで身体をいじっているのなら、それでエラーコードが出てしまうだろう。


「電脳世界の世界の俺たちの体は所詮データ化されたものに過ぎない。つまりは数字の羅列だ。体を弄って変えるってことは、その数字の羅列を無理やり書き換えるってこと。この意味分かるか?」

「もし身体データの書き換えを行っていれば、スキャナが異常と判断しちゃうって、ことだよね?」

「あぁ、個人が持つパーソナルデータから外れたモノになる。エラーコードが出て不正行為が明るみになるってことだ。人気の君島海崎は電脳世界の至る所でイベントを行っているし、デビューから今までそれを隠し通せるとは思えないけどな」


 よって、君島海崎の正体は西條海実だということにはならない。


「うん、そうだよね」


 咲楽の顔に少しだけ笑顔が戻り、それを見た結城は安心した。彼女には悲しむ顔は似合わない。やはり笑顔でいることが一番だから。

 しかし根本的な問題の解決にはなっていない。

 自分と西條海実の画像が、モザイクはかかっているものの、インターネット上に流れてしまったのである。これはどんな手段を取っても消し去ることはできないし、それよかどんどんこの写真は拡散されていくだろう。

 そのとき、結城の電話が鳴る。

 ハッとなり、電話を手に取ると、ホログラムウィンドウには阿波乃渉の名前が表示されていた。

 結城はとりあえずその電話に出た。


「なんだよ阿波乃あわの。俺、今それどころじゃ――」

『状況はもう分かっている。君島海崎だろ?』

「…………」

『とにかく事務所まで来い。話はそれからだ。マスコミが既に動き出しているからな。モタモタしてると家の周りがカメラやマイクで埋まるぞ。いいのか?』

「クソッ。すぐ行く」

『あぁ、待ってるぞ』


 その短い会話を終えて通話を終えた結城は、納得できないことはあるものの、このまま呑気に立ち往生していれば、それこそもっと納得のいかないことが起こる気がしてならない。だからすぐ行動に移した。


「咲楽、今からガーディアンの事務所に行くぞ。お前も付いてこい」

「え、でもお金とか持ってない」

「電車賃くらい俺が出す。とにかく今すぐ出発だ」

「あ、ちょっと!」


 咲楽の声を無視して、腕を引っ張って連れ出した。

 しっかりと家の施錠をし、小走りで駅へと向かった。家から駅までそう遠くはない。

 小走りならば五分程度で着くだろう。

 だけど、結城はその短い道中がとても長いものに感じられた。

 そう感じさせる要因は何なのだろうか。

 焦りか。

 混乱か。

 憤りか。

 それとも不安か。

 いったい何なのかは定かではない。

 もう夜の七時を過ぎてどんどん日が落ちて暗くなり始めている道中、人を見るたびに身構えてしてしまう。誰もがマスコミ関係者か、はたまた正気ではないファンに見えてしまう。いずれにせよ身に危険なことが起こるのは明白だ。

 それに、今は咲楽も一緒に居る。

 家が隣で、幼馴染だということから、マスコミに質問責めをされるかもしれない。それならガーディアン事務所で保護してもらった方が良いと思ったからだ。

 駅に着くと仕事帰りのサラリーマンなどで溢れかえっていたが、この時間に住宅街から町へ行く人は少なく、電車は少しだけ空いていた。


「ねぇ、なんでガーディアンの事務所に行くのか理由聞いてないんだけど」


 電車に揺られながら、隣に座る咲楽は少し不機嫌そうに尋ねてきた。

 結城は、誰にも聞かれぬよう、耳打ちして話す。


「まだちゃんとした話はされてないんだが、阿波乃に君島海崎についてだと言われた」

「もしかして、あの記事について?」

「おそらくそうだろうな。アレに関して何か言うことがあるんだろうさ」

「いったい何なんだろう? 良いことではない……ぽいよね?」

「あいつの話しっぷりからしてそうっぽいけどな」


 不安を抱きながらも、二人はガーディアンの事務所がある中理町までやってきた。

 電車を降り、すぐさま改札から外に出て事務所を目指す。

 この事務所も駅からそう遠くなく、すぐに着いた。

 エレベーターで三階まで上り、結城は事務所のドアを開ける。


「阿波乃、来たぞ! いったいどうなってんだ!?」


 結城は事務所に入るなり大きな声で渉のことを呼んだ。今起こっていることを知らなければ、自分の中にある不安を取り除けそうになかったから。

 その大きな声を聞いて、渉は奥から出てきた。


「榊原、無事だったか。とりあえず中に入って来い。ん? 色川しきかわさんも一緒なのか?」

「あぁ、電話がかかってきたとき一緒にいたし、家も隣だからな。何かあったらいけないと思って一緒に来てもらった」

「そうか。賢明な判断かもな」

「そりゃどうも」

「とにかく今の状況を説明する。驚かないで聞いてくれよ?」


 結城、渉、咲楽の三人で事務所の会議室へと向かった。

 その部屋の中には七城市のガーディアン一同と、結城の父親である義嗣、それとあともう二人……見知っている顔があった。それは、今日の放課後に顔を合わせた人物。


「海実ちゃんもここに来てたんだ」


 西條海実と、その母親がそこにいた。


「は、はい……色川せんぱい。榊原、せんぱい……」

「おう、大丈夫そう……じゃないな」


 途切れ途切れで、辛そうに喋る彼女が、いつにも増して痛々しく映った。

 それは声に元気が感じられないからだろうか。

 それとも俯きながら喋っているからだろうか。


「全員が揃ったところで、今の状況を説明します。どうぞ、皆さんお座りください」


 とても丁寧な口調でしゃべるのはここに海実の母親がいるからだろうか。


「本日一五時二四分、インターネット上にとある記事が掲載されました。それがこちらです」


 会議室のロ型に組まれた机の中央に、空中投影ディスプレイによって映し出されたそれは、先ほど咲楽が見せてくれた結城と海実が写っている写真が掲載された記事だった。


「見ての通り、個人を攻撃するためと思われる内容の記事ですが、現時点で被害は残念ながら出てしまっています。義嗣さん、説明お願いします」


 結城の父親である義嗣が、前に出てきて喋り出した。


「西條海実さんの自宅へ、一通の手紙と共に包丁が届けられました。その手紙の内容は、いわゆる殺人予告。それを見た西條さんは警察に被害届を出していただいた。間違いないですね?」

「はい、そうです」


 義嗣の確認に、海実の母親は頷いた。

 しかし、結城たちが来た時にはそんなものが送られた様子はなかった。ということはおそらく、二人が帰った後に送り付けられたことになる。


「今回のこの事件は、西條海実さんの個人情報が抜き取られたことで起こってしまった。ですから、我々ガーディアンは、その行為を行ったであろう犯人を見つけ出し、逮捕する準備を進めております」

「ちょっと待ってくれ、質問だ」


 結城は手を上げて言った。


「なんだ?」

「個人情報を抜き取ったって、いったいどうやって?」

「電脳世界のデータ化された彼女のパーソナルデータを抜き取ったんだ。検査の結果分かった」

「パーソナルデータ……。確かに、そのデータを吸い出せれば西條の個人情報がまる分かりだ。アクセスポイントから、名前、年齢、身体の情報まですべて」

「あぁ、それを可能にする違法なプログラムが出回った、とも考えられる。そんな危険なものを持っている犯人を、これ以上野放しにするわけにはいかないんだ」


 しかし、これには疑問が残る。

 なぜ、今回のような事件が起こってしまったのか。西條海実がなぜ君島海崎だという情報が流れてしまったのだろう。

 結城は質問する。


「何で西條が狙われる? 彼女が君島海崎だと言われているからか? なら、なぜ彼女は君島海崎だと言われているんだ?」

「それは――」


 渉がその理由を話そうとしたとき、後方から掠れかけていて、でも力強い声が聞こえた。


「あの……!! それは、あ、あの、わた、わたしが説明、しま、します」


 西條が真剣な表情でこちらを向く。力強く見つめられ、結城たちは力んだ。


「色川せんぱい、榊原せんぱい、電脳世界に入って、く、くだ、さい。そこで、説明……します」


 現実世界では上手く話せない彼女でも、電脳世界なら、自分の気持ちをしっかりと伝えられると、海実は思った。

 だから、わざわざ電脳世界にアクセスするよう頼んだ。


「いいのかよ阿波乃。ここのエリアにアクセスして」

「別に構わん。話すだけなんだろう? 資料とかに触れなければいい」

「りょーかい。じゃあ咲楽も」

「うん」


 結城、咲楽、海実の三人はこの会議室のコンソールに手を振れて宣言した。


『パルスイン』


  6


 七城市ななしろしガーディアン事務所のエリア。

 ここは通常のインターネット回線から隔離されたスタンドアローンエリアであり、ここにアクセスするにはガーディアンの事務所から直接パルスインするしかない。セキュリティの関係上、こうする他ないのだ。


「色川せんぱい、榊原せんぱい、電脳世界で話すのは初めてですね」


 そこにいたのは髪の毛が少しぼさっとしている小柄の女の子。いつもは掠れていて、どもってしまうその言葉も、流暢に喋れている。辛そうに話しているわけでもない。ごく普通の女の子がそこにいた。


「そうだね海実ちゃん。それで、どうしてこんなことになったの?」


 いつにもなく真剣なまなざし。それに海実は驚いた。いつもニコニコしていて、元気いっぱいの彼女からは想像できなかった表情だからだ。


「はい、えっと、こんなことになってしまったからには、包み隠さず正直に言いますね」


 海実は右手を胸のあたりに持っていき、キュッと、強く拳を握った。

 その瞬間――彼女の体が白く発光した。

 それは一瞬の出来事であったが、その光がとてつもなく強く、二人は目を開けていられなかった。


「何が起こった……の……」


 咲楽は絶句した。


「こんばんは、色川さん、榊原さん、先日は助けていただきありがとうございました」


 姿格好も、口調も、何もかもが別人に入れ替わっていた。

 いったい西條海実はどこに行ってしまったのだろうか。


「な、なんで、なんでここにミサッキーがいるの!? ってか、海実ちゃんはどこに?」


 咲楽の驚きは当然のものだ。

 結城もいったい何が起こったのか理解できない。

 ただ、頭の中に微かなノイズが響き始めていることだけは分かった。


「このノイズ……君島――いや、西條、お前違法なプログラムを――」

「違うよ! 榊原さん、それはとっても見当違いなのですよ。わたしは違法なプログラムは使ってない。だけど、この姿になることができる。さて問題です、この不可能を可能にする力、いったい何と言われているでしょーか?」


 そんなもの、問題にもならない。


「ネクスト……。西條、お前はネクスト能力者……違うか?」

「ぴんぽーん! 大正解です。私のネクスト能力は『変装』で、身体を好きなように弄れる能力なんですよ!」


 ネクスト能力者――それは電脳世界が作られてからこの世に生まれた子供たち、『第二世代』の中から稀に電脳世界において発揮する不思議な力を持つ人のことを言う。

 結城もその一人で、彼が持っている力は変質。自分の体を一部硬化させることができる。西條の持っている変装と少しだけ似ている力だ。


「そっか、ネクストだったのか……それなら納得がいく。姿を変えても、エラー検出のスキャナに引っかからないのも。ってかお前キャラ変わり過ぎだろ。別にここでは君島海崎じゃなく、西條海実として立ち振る舞ってもいいんじゃねぇか?」


 しかし、海崎は首をゆっくりと横に振った。


「いいえ、わたしは西條海実ではなく、君島海崎なんです。だからわたしは西條海実としては振る舞えない」


 結城も、咲楽も、頭の中がクエスチョンマークで溢れかえった。

 ネクスト能力で姿を変えたのであれば、姿は違えど中身は西條海実のままなのではないか。


「ちょっと分かりにくかったですね。すみません。彼女とわたしは別の人格……と言ったらいいでしょうか?」

「二重人格、ってやつなの?」


 咲楽は少し不安げに尋ねた。その問いに、海崎は首を縦に振って肯定する。


「そうですね。二重人格、というのが正しいのかもしれません」


 解離性同一性障害かいりせいどういつせいしょうがい

 本人にとって堪えれないような出来事から身を守るため、自分に起きていることではないと考えたり、感情や記憶などを切り離して思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから発生する障害で、更にその切り離した部分が成長し、一つの人格として表に出てくることを言う。

 西條海実の過去に、何があったというのだろうか?


「色川さん、榊原さん、ちょっとわたしの話を聞いていただけますか?」


 結城と咲楽は頷き、海崎は一呼吸置いてから、自分が生まれた経緯を話し出した。


「彼女はとても人見知りな子でした。人とお付き合いすることが苦手で、必然的に友達ができなかった。そして挙句の果てにイジメの対象になってしまいました。女の子のイジメはとっても過激だから、毎日が苦痛で……次第に彼女は言葉を上手く発することが出来なくなったの」


 二人は驚く。彼女が上手く喋れないのは、電脳病のせいだと思っていたからだ。

 そんな考えはお見通しだったようで、君島海崎は軽く笑う。


「でも、今の彼女は大分改善されたのよ? わたしという人格が生まれてからね」

「あなたが、生まれた?」


 咲楽が聞く。


「はい。正しいことは分からないんですが、きっと、彼女は現実に嫌気が刺したんでしょうね。精神的に参ってしまって、より電脳世界という仮想を求めた。その過程で、彼女は力を手に入れた。手に入れてしまったんです」

「ネクスト能力……か」


 ぽつりと、結城は呟く。


「はい。彼女は求めたんです。現実世界では実現できない、理想の自分を」

「それがミサッキー……ってこと?」

「そういうことです。自分で言うのは恥ずかしいのですが、明るくて、お喋りが上手で、可愛くて、みんなに好かれる人気者。彼女は力を使ってそれを作り出したんです」


 でも、と海崎は付け加えた。


「彼女は自己嫌悪したんです。なんて醜くて、貪欲な願いなのだろうかと。それに絶望して、ますます自分を塞ぎ込んで、電脳病を悪化させた。つい、には、彼女からわたしが剥離はくりして、別の、人格として独立して、しまったんです」


 なぜかは分からない。言葉を紡いでいく内に、どんどん声が震えていく。そしてうっすらと、海崎のまぶたには雫が浮かんでいた。

 そのとき、海崎の体に衝撃があった。そしてそこには温かさがあった。すべてから救われるような光があった。安心があった。


「ミサッキー……いや、海実ちゃん」


 咲楽は海崎――海実のことを包み込み、涙声になりながらも語りかける。


「ダメだよそんな風に自分で自分をおとしめちゃ。自分の理想を追い求めるってそんなに悪いことなのかな? 欲望ってさ、人が人である限り必ず存在する感情なんだから、その想いは悪いことじゃないんだと、思うな」

「で、でも、わたしは、わたしは他のに人にはない力を使って――」

「うん、それは悪いことだったね。やったことは悪いことかもしれないけど、海実ちゃんの想いは悪いことじゃない、って言ってるんだよ?」


 とても優しい口調で、まるで子供をあやすかのように咲楽は語りかける。


「それに、ミサッキーが海実ちゃんの理想なら、それは別人なんかじゃない。ミサッキーも海実ちゃんも、同じ西條海実という存在だよ」


 きゅっと、咲楽は抱きしめる力を強めた。


「海実ちゃんはミサッキーを否定するべきじゃない。むしろ受け入れるべきだと、わたしは思うな。自分の気持ちは否定すべきじゃないと思うから」

「あ……あぅ……」


 一瞬、海崎の口から海実の言葉が漏れた。困った時の声、それは海実のものだった。

 そして、海実は自分から咲楽を引き離す。その顔にはどことなく海崎ではなく、海実の面影を見せた。姿格好は君島海崎だというのに。


「色川せんぱい、榊原せんぱい、わたし決めました」


 その口調は完全に西條海実のものだった。


「わたしは、君島海崎という存在を受け入れます。受け入れて、彼女の名前を元の名前に戻してあげるんです」


 パッと、海実の体が白く輝くと、元の西條海実本人の体に戻っていた。


「君島海崎という名前から、西條海実という名前に」


 ニコっと笑う海実のその表情は痛々しいものではなく、純粋な笑みと、強い決心が現れていた。

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