第四章‐2『咲楽とデート』
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そのストーカーの事件は瞬く間にメディアによって拡散された。彼女はアイドル活動をしばらく休止することとなり、ファンはその衝撃に慟哭した。
もちろん、
そして、色々なことがあった末に、
なぜ待ち合わせしているかと言うと、これからデートの約束をしているからだ。
そう、色川咲楽はその悲しさのあまり、結城にこういうことを口走ったのだ。
『そんなに泣き止んで欲しかったら、ゆうくんがわたしのことを慰めてよぉ!!』
結構な大声でぶつけるかのように吐いたその言葉。明らかに八つ当たりであったが、結城はそんなことは気にしない。
少し前まで、自分も咲楽に同じようなことをしてしまったのだから。
だから、結城は黙って咲楽の言うことを聞いてあげる。
何も言わず、ただ頷くだけ。
「ごめん待った?」
あざとく、だけど幼馴染ゆえにとてもやかましい声が結城の耳に響き渡る。
「メッチャ待ったんですけどぉ。こっちは咲楽のワガママ聞いてやってるのに、なんという仕打ちなんでしょーか」
だから、結城もわざと鬱陶しい感じに返事を返す。
すると咲楽は不機嫌丸出しな顔をしてきた。
「なんだか物凄いムカつくんですけど」
「それはお互い様だな。ほら、さっさと行くぞ」
「あ、待ってよ~」
ぎゅっと、咲楽は結城の腕に抱き付く。傍から見たら恋人のようなその行為だが、二人にその自覚はなかった。咲楽にとっても、結城にとっても、こうやってふれあうことは小さい頃からやっていたことだし、いつも通りのスキンシップに過ぎない。
「で、どこ行きたいんだ? アニメエイト? それともスイカブックスか?」
「なんでゆうくんはデートでアニメグッズショップに行こうとするかなぁ!」
「だっていつも咲楽に連れて行かれてるだろ?」
「それはデートじゃないんだもん! 今回はデートだから、そんな所には行かないんだもん!」
「どう違うんだよ。まぁ、お前がそこに行く気がないんなら仕方がないけどさ」
「そうだよ。わたしがそういう所にしか行かない人だとは思わないでよね!」
「いや、俺が連れて行かれる場所の九割九分九厘がそういう所なわけだが。昨日だってなぜか公開収録のスタジオ前まで連れて行かれたし」
「まぁ、そうだけどさぁ。てか、わたしが落ち込んでいる理由の話をなんでぶっこんで来るかなぁ?」
「あ、わりぃわりぃ」
「別にいいよ」
はぁ……、と咲楽は溜息を吐いた。そして、昨日のことの話題を振る。
「でもさ、あのとき急に走り出すからビックリしたんだからね」
「それは、まぁ、変な奴を見かけたから気になって……」
本当は違和感――ノイズを感じ取っていたからだ。あの公開収録のスタジオ前に来た時、すでに結城はそのノイズを感じ取っていた。本来、電脳世界には持ち込めないはずのプログラムが近くにあるときに感じ取れる雑音のようなものが、頭の中に小さく響き渡るのである。
スタジオ前にいたとき、結城は常に周辺を警戒していた。ノイズは感じ取れるものの、それがいったいどういったもので、誰が持っていて、自分からどれほどの距離にそれがあるのかまでは正確には分からない。
特に何事もなくラジオが終わり、咲楽と帰路に歩みを進めているとき、目に留まったのは君島海崎らしき人物が走っているところ。そして、その後ろにいる真っ黒なパーカーを羽織った男が一緒になって走り出したところだった。
そして、ノイズがその男のもとから発生していると確信することができた。
結構距離は開いていたが、頭に響く雑音の強弱を頼りにその男を追った。
そしてあのパーカーの男が海崎を襲っている現場に出くわした、というわけだ。
「ミサッキーがストーカー被害にあるなんて思わなかったよ。つかさ、たった一人のファンが行き過ぎた行動を取ったせいで何人ものファンが迷惑するのは本当に腹が立つよね」
「確かにな」
「てかさ、ネットみると海崎のファンは頭おかしい奴しかいない、とか書かれてホント風評被害がハンパないんですけど」
「それもこのネットワーク社会では仕方がないことなのかも。情報があっという間に全世界に広まっちまうから、あることないこと言われるのは仕方がない」
「だからって、ミサッキーファンが頭おかしい奴とか言わなくてもいいじゃん!」
「それがネットなんだよ。自覚のない悪意が蔓延していて、肥大し続けるその悪意は止めようのないものなんだよ」
「う~……ってぇ!! なんでデートでこんな小難しい話してんのさ!? 今はこんな話をしてる場合じゃないよ。さぁ、ついてきたまえゆうくん」
「お、おう。いつにも増してテンション高めだなオイ」
だが、その高いテンションの理由は、やはり嫌なことから目を背けたいがためのものだった。今まで様々なジャンルのモノに触れてきたが、君島海崎だけは今まで楽しんできたどんなモノよりものめり込んだ。
アイドルに関してはあまり興味がなかった咲楽だったが、君島咲楽のことを知り、彼女のことを見たときに電流が走った。その可憐さに、新しい世界を見出したのだ。
だが、ストーカー事件をキッカケに彼女は姿を一時的にだが消してしまった。それが何よりもショックで、だからこそ咲楽は結城とのデートで気分を紛らせようとした。
そして、咲楽のことを誰よりも近くで見てきた結城はその気持ちを理解していた。
だから結城は何も言わずに、彼女のワガママにただ頷いた。
「で、結局どこに行くんだ?」
「美術館。今さ、トリックアートの展示をしてるんだよね」
「へ~。なんだかおもしろそうだな」
「おもしろいよ~。さぁ、駅まで競争だぁ!!」
本当に高校三年生なのか疑問に思ってしまうくらい、子供の様にはしゃぐ咲楽。
結城は頭を抱えるものの、前行く咲楽に追いつくために駆け出す。
まぁ、結局体力があまりない咲楽がゼェゼェと息を荒げ、歩くことになったのだが、そのことについては何も言わないであげた。
駅までたどり着き、電車に乗った今でも息を切らせ続ける咲楽に、結城は冷たい目線を向けた。
「なぁ、なんでそんなになるまでマラソンしてんだよお前は……」
「いやー、はは……はぁ……ちょっと、はしゃぎすぎちゃったんだゼ」
「アホかお前は。いや、アホだったな」
「ぐぬぬ……言い返せぬ」
正直に言って、咲楽は結構アホな部類の人間だ。確かに
まぁ、結城もそこまで頭は良い方ではないが、平均点より少し上くらいの点数は安定して取っているくらいの学力はある。だから咲楽はいつも結城に助けを求めていた。
「この前のテストなんか数学赤点だったもんなー。その他にも――」
「ナズェその話をするんです!」
「咲楽のアホさ加減の再確認のためかな?」
「要らぬ。それは今やるべきことではないはずだ」
「わーたよ。ま、ちゃんと再試受かってこうやって平和に遊べてる訳だし」
「うん。ゆうくんのおかげだね。ありがとう」
笑顔を向けてくる咲楽に、どことなく気恥ずかしさを感じた結城はしれっとした態度で言った。
「今更そんなの要らんわ。いつものことだし、今となっちゃ当たり前だからな」
それに対し、咲楽は何も言わなかった。ただ、少しだけ顔を赤くして俯いていたが、結城はそんな彼女を気にせず、ただ流れゆく景色を見続けた。
数分後、目的地に着いた二人は電車を降りて美術館へと向かう。ただ、その美術館は駅のすぐ前にあるため、特に歩くこともなく美術館に入って行った。
入場料の八〇〇円を支払って早速中へ。
そこにはたくさんの作品が並んでいるが、美術というものをよく知らない結城でも興味が出てしまうモノが沢山あった。
たとえば、二次元の絵であるのに三次元の物体の様に見えてしまう絵。これは3Dトリックアートと言うもので、見る角度は限定されるが、その一定の角度で見ることで絵が立ち上がる様に見える表現方法の一つだ。
「あまり芸術品に興味はなかったけど、おもしれーなコレ」
「うん、面白いよね。わたしも芸術に興味はないんだけど」
「興味ないのにこんなところに来たのかよ」
「え、えっと、その……ゆうくんとデートなんてどこに行けばいいか分からなかったからアホー知恵袋に聞いた、って言わせんな恥ずかしい!!」
「お前が勝手に自爆しただけだろうがこのお花畑」
「違うもん! わたしは頭の中お花畑じゃないもん! クソビッチと一緒にすんな!」
「クソビッチとか美術館で言うな。てか、ここでは静かにしろよ」
「あ……」
気が付けば、周りの人たちがこちらを見て冷ややかな視線を向けてきていた。
いたたまれなくなった二人は周りの人たちに深々と頭を下げて謝り、作品鑑賞を続行した。
「ったく、元気なのはお前の長所だからいいんだけどよ、場を弁えて騒いで欲しいねまったく」
「ごめんなさい」
素直に謝る咲楽。こういう真っ直ぐなところも彼女らしい。
気を取り直して次の作品を見ようと前に歩き出す結城。咲楽を呼ぼうと後ろを向いていて、前を向いていなかったのが悪かったのか。
「おい咲楽、次はこっちに――」
思いっきり壁にぶつかってしまった。強く打ち付けた頭を押さえる結城。
その壁一面に描かれていたのは、あたかも向こう側に空間があるかのような大きな絵だった。それがとてもリアルで、よく目を凝らさないと、先ほどの結城みたいに絵に激突してしまうであろうもの。
実は、この絵に引っかかった者は結城だけではない。このトリックアートの展覧会が始まってから、この絵に騙された人はとても多かったのだ。そして、今この瞬間、晴れて榊原結城という男は、この絵に騙された一員となったのだった。
周りの人から笑われた結城はとても恥ずかしくてこの場からそそくさと退散した。
「ふ……だ、ダメだ。た、え、きれ、ない……あの、あのゆうくんが、だまし絵に、だまし絵に……ブフォ!! あっはっはっはっはっはっは!!」
「わ、笑うなよ! く、くっそォ、咲楽に弱みを握られてしまった。不覚ッ」
「ホント、不覚だったね。ぷ……ふふ。やべぇ、おかしくって腹痛いわぁ」
「あーもう! 次行くぞ、次ィ!!」
先ほどのだまし絵に本当に騙された男、榊原結城の激突シーンを思い出す度に笑い始める咲楽とトリックアートを楽しんだ。
たとえば、普通ならありえない無限ループしている階段の絵に頭を悩ませたり。
「これ、どうなってんだ? 階段がこっからスタートして、だけどここに繋がってて。ここが上りで、こっちが下り……ん?」
「頭が、頭がおかしくなるよこの絵。見ちゃいけない、ゆうくん、退避よ!」
「お、おう」
立体的に見える絵を利用して面白い写真を取ったり。
「ゆうくんこの辺り?」
「そうそう、ポーズもそんな感じで。じゃあ、取るぞー」
パシャっという電子音が鳴り、それを聞いた途端、咲楽は颯爽と結城が持っているスマートフォンを覗き込む。
「すげー、マジで虎に乗ってるよわたし! 次はゆうくんね!」
「俺もやるの!?」
電脳世界が当たり前になったネットワーク社会において、若者が顕著にやらなくなってしまった美術鑑賞を全力で楽しんだ咲楽と結城の二人は、疲れ切ったので帰路に立った。
辺りはすでに夕暮れ、赤く染まる道を歩く二人。
そこに、ある人物と出会った。
「あれ、咲楽じゃん」
「ふぇ? おー
そこに立っていたのは赤色をしたロングヘアーの女。スラッとしていて高身長。そして思わず目が行ってしまう豊満な胸部。目つきが少し鋭いキリッとしたカッコいいい女性。
紅炎と呼ばれた彼女は腕を咲楽の首に回してヒソヒソと話し始めた。
「なになに、彼とデート? ヒュー」
「そ、そんなんじゃ……ないと思うなぁ?」
「なんなの、その微妙な反応は。じゃーあ、彼とわたしが――」
「ダメ! それは紅炎でも絶対にダメなんだからね!」
「えー」
ジト目で咲楽のことを睨み付ける紅炎。
そして、結城はあまりピンと来ていない様子だった。目の前にいる紅炎とかいう女の子が咲楽と友達だということは知っているが、なぜ彼女は自分のことを知っているかのような反応をしているのだろう。
「あのさ、アンタ、俺とどっかで会ったことあったっけ?」
そのとき、沈黙が生まれた。紅炎はどこかしら悲しげな表情になったのを結城は見逃さなかった。だからこそ戸惑った。そんな表情をするということは、きっとどこかで彼女と出会ったことがあるということ。
「もー! ゆうくんは相変わらず人を覚えるのが苦手なんだから。彼女は
結城は必死こいて去年の記憶を掘り返す。
(去年の夏コミ? 咲楽に無理やり叩き起こされて始発でビッグサイトまで連れて行かれて……テンションダダ下がりの中、咲楽が仲良くなった子がいて彼女はテンションめっちゃ上がってたよな。そっか、そんときの子が彼女か)
実は、その去年の夏コミで事件が起こっており、それを結城が解決したことがあった。
あれはコスプレ会場でのこと。悪質なカメラマンがいたことから始まった。
何事にもルールやマナーというものがある。いや、モラルと言った方が正しいか。
ポーズの強要や、極度のローアングルでの撮影。胸やお尻など局部のアップ撮影。そしてナンパ行為。連絡先を聞いたり、嫌がる相手に無理にしつこく付きまとうストーカーまがいの輩がいた。
日村紅炎はその容姿の良さから、たちの悪い男にそういったモラルもクソもないことををやられていた。
そのときの咲楽は、友達が変な男に嫌がらせを受けていると、涙目になりながら言ってきた。そのときの結城はその友達――紅炎のことはどうでもよかった。間接的でも、咲楽に嫌な感情を抱かせたことが許せなかったのだ。
だから紅炎に群がっている男たちを力づくで退散させた。きっと、中にはちゃんとした奴が何人かいただろうが、一々誰がまともで誰がまともじゃないかなど調べるのも面倒くさかったのでなりふり構わずやってやった。
そのときに紅炎からはお礼を言われたし、咲楽からはやりすぎだとお咎めを貰ったし、その後、咲楽と紅炎はより一層仲良くなったみたいだった。
「思い出してくれました?」
「思い出したよ。去年の夏コミで助けてやったよな?」
「は、はい! あのときは、あの、本当にありがとう。で、その、あの、れ、連絡先とか交換したいなーとか思っちゃったり」
カッコいい風貌とは裏腹に、顔を赤くして恥ずかしがる何とも言えない可愛らしい仕草をしてくる紅炎に、結城は戸惑うしかなかった。予測していた人物像から外れてしまったからだ。
「別に、いい、けど」
特に考えることなく返事を返した結城。まぁ、別に知られたところで何ら問題はない。咲楽の友達だし、挙句の果てに彼女のことを忘れてしまっていたのだから、これくらいのことは快く許諾してあげるべきだ。
「ありがとうございます! はぁ~、じゃあまた会いましょうね!」
そう言って、結城とすれ違ったその時だった。
「何かお困りのことがあったら相談してね」
その声は彼女のイメージ通りのもので、先ほどの様子からは考えられないくらいの豹変ぶりだった。またも予測していたことから外れてしまって固まる結城。
咲楽に声をかけられるまで、結城はその場に立ち呆けているのに気付かなかった。
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