第二章‐1『安楽の時間』
1
雲一つない晴天の空の下、学校の屋上には、お弁当を広げながら昼食を楽しんでいる三人のグループがいた。
「でね、大変だったんだよ。もう死ぬかと思ったんだから」
七月五日――電車の暴走事件から一晩開けた次の日。もう夏本番なのかと思ってしまうくらいに暑く、常にうちわで扇いでいないと汗が噴き出て仕方がないような今日この頃。
昨日の、あの暗い顔がウソみたいに明るい表情の彼女は、事件が終わったからなのか、それとも結城に「いつものお前でいてくれ」と言われたからなのかは定かではないが、とりあえず海実に不安を抱かせないような口ぶりで話していた。
「知って、ます。お母さん、から聞きまし、たから。それを聞いたときは、ビックリして、もしかして、せんぱいが乗った、電車なんじゃないか、って。本当に心配しました」
海実は電脳病ために、話すだけでも辛そうに見える。言葉一つひとつを発するのにも精一杯で、常に掠れたような声になってしまう。だけど、彼女は友達と話せるということがとても嬉しくて、辛くとも構わずお喋りをしてしまっている。
最初は無理をするな、と言った結城と咲楽だったが、これも彼女が望んだことだ。ここは何も言わず彼女の思うようにさせてあげるのが正しいことだろうと思った。
「いやぁ、海実ちゃんにこんなに心配されるだなんて、先輩は嬉しくて涙が出そうなんだよ本当に。わたしは今まで帰宅部だったから、後輩なんてできたことなくて……ねぇゆうくん、後輩ってこんなにイイものなんだね……」
「ま、俺たちのことをこんなに想ってくれているのは悪い気分じゃないな。そこは同感だよ咲楽」
海実は俯き、恥ずかしさを紛らわせるためにご飯をチビチビと食べ始める。その仕草が咲楽の琴線に触れたようで、顔を押さえながら悶えていた。
(西條と俺たち、いったいどこに違いがあるってんだ。彼女も俺たちと普通に話すし、普通にお弁当を食べてる。授業だって普通に受けてる。なのに――)
上手く喋れないだけで奇異の目で見られ、蔑まされ、あげくの果てにクラスメイトたちは彼女をいじめている。
だけど、二人は学年が違うので常に監視できるわけではない。
だからこうやって、少ない時間でも会える時間は海実の傍にいてあげることが何よりも彼女にとって楽しく、安心できる時間を過ごせるだろう。本来なら、同学年の友達がいることが最善なのだろうが、不運なことにクラスに味方がいなかった。
こういう差別的なことは、まず根本的な意識を変えなければ直らない。
その根本さえ変われば、海実だって同学年の友達を作れるだろう。だから、まずは結城たちが友達でいてあげる。
そして、いずれはたくさんの友達に囲まれれば最高だ。
「ねぇねぇ、最近暑いしさ、ちょっと早いけどみんなでプールに行かない?」
そんな提案をしてきたのは咲楽だった。
まったく、唐突なことを言い出すのは昔から変わっていない。それにあれば困ったこともあれば、救われてきたこともあった。今回は……おそらく後者だろう。
「あ、あの、その、わたしは」
「大丈夫大丈夫! わたしがずっと一緒に居てあげるから安心してよ。あ、ゆうくんもいるし不安要素ゼロだねっ!」
自信満々に言うその姿に、結城は呆れてしまった。だけど、これが彼女の良い所であるし、海実も咲楽の言葉なら聞いてくれるだろう。だって、それはとても楽しそうなことだから。
「そうだ、じゃあ水着も買わないと! 海実ちゃん、一緒に買いにいかない? わたしが水着を選んであげる!!」
海実の手をぎゅっと握りしめ、半ば強引に同意を求める。返答に困り果ててしまう海実に、結城は助け舟を出してあげることにした。
「嫌ならはっきり言っていいぞ。強行突破しようとするコイツを止めてやるから」
「あの、嫌じゃ、ないです。でも、こんなこと初めてで、どうすれば、いいのか」
「ぬふふ……わたしに任せておけばいいよ! めっちゃ可愛い水着を選んであげるんだから」
「おい、女の子がするような顔じゃなくなってるぞ。今すぐやめなさい。あとヨダレを拭きなさい」
「おっと、危ない危ない」
いや、既にアウトだった。
「明日は土曜日だし、さっそく買いに行こう! ゆうくんも一緒にね!」
「なんで俺も行かなくちゃいけないんだよ」
「だってだってぇ!」
「だってもない。それにさ、お前らがどんな水着を着てくるのか、そんな楽しみを俺から奪わないでくれよ。な?」
「うーん……それもそうだ……ね。うん……」
どこかしら納得していない咲楽であったが、その咲楽を言い包めた本人である結城はそんな彼女を見て少しだけ暗い表情になっていたのを海実は見てしまった。
しかし、それがなぜなのか、海実の頭の中には疑問だけが残る。
「じゃ、土曜日に買い物をして、日曜日にプールでいい?」
「はい、大丈夫だと、思います。予定はありません、から」
こうして半ば強引に買い物の予定と、プールの予定ができた海実であった。
別に嫌そうにはしていない。むしろ楽しそうだった。ちょっと消極的な海実にとって、咲楽の強引さには少しばかり助けられているはず。引っ張っていく人がいてくれれば、何かと行動しやすいだろう。
そして三人は再び食事を再開する。
三年生二人と一年生が一人。この光景は幾ばくか妙な光景に見えるだろう。
だけど、彼女にとってこれが幸せな時間であることには変わらない。今まで一人で生きてきた彼女にとって、今このときはかけがえのないほどに楽しいひと時なのだから。
やがて三人は昼食を食べ終わり、また憂鬱な授業時間となる。
結城と咲楽は海実と別れ教室へと戻ると、何やら教室が騒めいていた。そして、結城が教室に入るなりクラスメイト全員が彼の方を見る。
「な、なんだよ」
「昨日の暴走電車に榊原君が乗ってたって本当!?」
クラスの女子の一人が昨日のことを聞いてきた。
クラスメイト全員が興味津々にしているから戸惑いを隠せないが、そんな彼のことはお構いなしに更なる質問を吹っかけてくる。
「しかも、電車の暴走を止めたのは榊原なんだってホントかよ!」
「お、おう……」
事件自体は公になっており、誰もが知っている情報だが、その事件の犯人を追いつめ、電車を止めた人物が結城だということは公開されていない。一体どこから情報が流れてしまったのだろうか。
「マジだったー! 何、お前犯人の顔見たの?」
「いや、仮面かぶってて分からんかった」
「男だった? 女だった? 噂では可愛い女の子だとかなんとか」
「いや……声的に男ぽかったけどな。まぁ声は少し高めだったから女という可能性もあるかもしれんけど」
「戦ったの!?」
「いや、まぁ、そうだな」
「えー!? 怖くなかったの?」
「別に、無我夢中でやってたからさ」
そのとき、クラスメイトに電流走る。
一斉にクラスメイトは咲楽の方を向き、そして再び結城の方を見るとニヤニヤしだした。
「無我夢中か……。そうかそうか。うん、だってその電車には色川も乗ってたもんな。そりゃ何が何でも電車を止めようとするよな」
クラスメイト全員、何か悟ったような顔をしていた。それが何だか気に食わなくて、結城はちょっと不機嫌になった。これから憂鬱な午後の授業だというのに、なんてことをしてくれたのだろうか。余計に授業が怠くなる。
するとチャイムが鳴り、それと同時に教師が教室に入ってきてくれたおかげで結城への質問責めは終わった。それに関しては数学の教師に感謝した。ただ、だからと言って数学の授業をマジメに聞くかどうかは別なのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます