乱戦

「輝さん、ご無事ですか!」

 数分後、まずはロロンが猛スピードで、文字通り輝の元へと飛んできた。

 だがそんなロロンの心配とは裏腹に、輝のほうは余裕の表情である。

「なあロロン、あのセンナという女性は誰だ? お前と同じ魔界の後継者というのは聞いたが、妙にお前を意識してるのはどうしたことなんだ? 後継者同士はそんなものなのか?」

「……ああ、センナですね。彼女とは、ちょっと色々とありまして……」

 珍しくロロンが言葉を濁す。

 しかし、過去に何かがあったのは間違いなさそうで、センナがロロン、そしてその報告官である自分にこだわるのもそこになにか理由があるのだと輝は察する。

「輝さんから離れてもらえますかしら?」

 そこに、ゆっくりと戻って来たセンナが声をかけてくる。

 その足取りは、先ほどまでとは違う、優雅さを取り戻した余裕に満ちている。

「さあ、今日こそは決着をつけましょう、ロロン姉様。今度こそ、私はあなたの持っているものを手に入れて見せますわ」

「姉、さま……?」

 その言葉に、輝はいまさらながらに驚きを隠しきれなかった。

 確かに継承順位から言えばロロンの方が上位だったので、ロロンが姉というのもおかしくは無いのだが、外見的にはセンナとロロンでは大きく差がある。

 ロロンは輝と同年代、もしくはそれより下にしか見えないのに、センナは輝より十歳近く年上に見える。

 決して老けているというわけではないのだが、全体的な雰囲気がそう思わせるのだ。

 だが現実は逆であるようで、魔界人の年齢は外見によらぬことをあらためて思い知らされる

 もちろん、それはこの世界の常識で二人を見ている輝が勝手に感じているだけのことで、本人たちはそんなことを意識すらしていないことなのだが。

「輝さんは下がっていてくださいね。ちょっと派手なことになりますので。あの娘には、少しばかり痛い目を見てもらわないと」

 ロロンもロロンで、センナを前にしてはまったくこれまでと異なる態度を見せる。

 明確に、相手を下と見ているのだ。

 それはさながら、仲の悪い姉妹の喧嘩で、姉が取る態度そのものだ。

 しかし、姉妹喧嘩は姉妹喧嘩でも、魔界人の喧嘩である。

 そこから始まった光景は、輝の想像が及ばぬ世界のものだった。

 まず全てはロロンもセンナも、懐から数枚の紙を取り出すところから始まった。

 彼女らが力を行使する際の基盤となるのようなもので、輝にも既に見慣れつつあるものだったが、いま目の前で行われているそれは、これまでのものとは規模が違った。

 ロロンは無数の紙を取り出しては、次々にキューくんを繰り出していく。

 だがそれは、あのショッピングセンターで見たものと同じ姿ではあるのだが、まったくの別物といってもいいほどだった。

 その動きも比べ物にならないほど迅速で、それはまさに、敵を倒すために動く機械仕掛けの兵士そのものだ。

 主婦に苦戦していたのはいったいなんだったのかとも言いたくなる。

 一方でセンナは、グロデスクな、鉄骨の混ざった泥人形のような物を召喚してキューくんにぶつけていく。

 外見的にはキューくんよりも余程強そうではあるが、どうやら実際はそうでもないらしく、個々の強さではむしろキューくんのほうが勝っているようである。

 もっともその差は微々たる物で、鉄骨泥人形を退けたキューくんもすぐに次の相手に押しつぶされるだけなのだが。

 それらがぶつかり合い、潰しあい、そして倒されたものを踏み越えて後続の召喚されたものが進んでいく。壮絶な消耗戦である。

 キューくんの性能差や、そもそもの召喚数の違いなどもあり、数の上ではロロンが勝っているのだが、どうにも駒の使い方に無駄が多い。常に数体のキューくんが、敵と対峙することなく脇で手を持て余している。

 これでは、いつまでたっても戦いは終わらないだろう。お互いが魔力を消耗しあってグダグダのままどこかで線引きとなるだけだ。

 だがその戦いの推移自体、ある程度輝の予想の範疇だった。

「そろそろ頃合か……?」

 そんな戦況を見極めて、輝はゆっくりと戦いの最中へと向かって歩き出す。

「輝さん?」

「どうなさったのですか?」

 突然の出来事に戦場が止まる。その間に輝が進む。

「これではっきりしただろう。センナ、お前ではロロンには勝てない」

 二人の間に立ち、輝はキッパリとそう宣告した。

 実際にはまだ現在の状況にはそこまでの差は無かったが、輝の口調は強く、迷いなくそう断定した。

「そ、そんなことありませんわ! ワタクシはまだこれからです!」

「無駄だ。お前だって、その差には気が付いているはずだろう」

 勝負は拮抗していたとはいえ、輝の言葉にも一抹の真実が含まれている。

 センナとロロンが現在ほぼ互角に渡り合えているのは、あくまでロロンの策に難があるからだ。戦局全体を見る限り、根本的な力ではロロンのほうが上である。

 もし輝がロロンに策を授ければ、今の均衡など一気に崩れ去る。

 おそらくロロンはそのことに思いも至らないが、センナの察しのよさならそれくらいは気が付くはずだ。

 だからこそ、センナにはこの輝の勝利宣言の意味がわかったのだろう。

 沈黙が場を支配する。

 だがそれも一瞬で、すぐさま、センナが開き直ったかのように顔を上げた。

「……ならば、ワタクシが勝つためにすることをするだけですわ」

 そして次の瞬間、例のグロデスクな鉄骨泥人形が輝へと襲い掛かった。

「うぉっ!?」

「輝さん!」

 泥人形にあえなく押さえ込まれ、輝は自由を失う。

 泥人形の中にあった鉄骨めいたパーツが巧妙に地面に刺さり、輝の全身を拘束した。

 そしてその横に、センナが仁王立ちで勝ち誇ったように笑っている。

 だがその目は見開かれ、既に正気ではない。

「ワタクシは、もう、勝つために手段を選びません! ロロン姉様、あなたを潰して、ワタクシが輝さんを手に入れます」

 そして、センナの攻勢が始まった。


 輝を人質に取られたことで、状況は完全にセンナのほうへと傾いた。

 むしろロロンがなにも出来ず、一気に劣勢へと追い込まれていくというべきだろうか。

 下手に動けば輝の身にも危険が及ぶとなれば、攻撃は慎重にならざるを得ないのだろう。

 しかもそこに、もうひとつの難題を輝が口にした。

「ロロン! 頼む、魔力は使わないでくれ……」

 泥人形に囚われたまま、輝はそんな声を上げる。

 それを聞いてロロンは少しだけ困惑をしたが、素直に輝の言葉に従う。

「わ、わかりました……」

 ロロンも必要最小限の魔力のみで、攻撃を防ぐことに専念する。

 何度もセンナの攻撃がロロンに向かい、ロロンはただそれを防ぐためだけに最小限の魔力を開放する。

 反撃に出るわけにもいかず、ロロンはただ守りに徹しながら輝を解放する機会を待つのみである。

「どうです、ロロン姉様! これで! ワタクシの時代が来るのですよ!」

 対するセンナはここぞとばかりに魔力をつぎ込み、圧倒的優位を作っていく。

 巨大な魔力の渦がセンナの周囲に迸る。

 いまやその中にいるのは、センナとロロン、そして輝だけである。

 鉄骨泥人形たちも、センナの攻撃指示に従い、次々にロロンに襲い掛かる。

 もはや外の景色さえも見ることのできない、魔力の壁が出来ている。

「そうよ! ワタクシこそが、後継者にふさわしいのよ!」

 叫び、勝ち誇り、センナの魔力と高揚感が一体化する。

 しかし、そこにまったく別の意図が割り込んできた。

「ふーん、随分派手にやってくれてるわね」

 突如、魔力の渦の外からそんな声がした。

 そして、その恐るべき魔力の渦に、静かに一筋の亀裂が走った。

「えっ……」

 それを見たセンナが、声にならない声を上げる。

 それもそうだろう。

 この強大な魔力が外部から切り裂かれるなど、普通は思いもよらないはずだ。

 魔力という概念を知らない輝でも、この目の前の状況を見ればこの渦がどれだけ強力な力がわかる。

 この渦に外から割って入るのは、それこそ竜巻の中に自ら突入するようなものだ。

 だが今、それが起こっている。

 その壁と化した魔力の渦が一つ一つ切り裂かれて消散し、周囲にいた鉄骨泥人形も、それこそ泥人形が潰されるかのように消し飛ばされていく。

 切り裂かれ、消失した渦の向こうから現れたのは、さらに巨大な力の塊だった。

 その中央には、青白いアーマーを纏った少女が一人。

 その少女を、輝もロロンも知っている。

「祐希、さん……?」

「あらまあ、ロロンもひどい姿ね。もっとも、一番ひどいのはあそこの中二病くんだけれども」

 それだけ言って、闖入者である『勇者』有佐祐希は輝に一瞥をくれた。

 ロロンは唖然とその姿を見ているだけだったし、輝もただ苦笑いを返すしかない。

 とはいえ、もう一人の当事者であるセンナにはそれで済む話ではなかった。

「な、なんで勇者が……」

 おそらく初めて目撃したであろう恐るべき魔力の塊にあからさまに狼狽し、センナは目の前に現れた祐希を見る。

「そりゃ人が寝ている横であれだけ叫んでくれれば、目も覚めるわよ……」

 祐希のその言葉で、輝は自分の策が成功したことを確信した。

 センナがどういった手段を使ってロロンを誘い出したのかはわからないが、その過程で正面の家の祐希も目覚めさせたのだ。

 そうなれば、あとはなにか問題が起これば祐希の魔力追跡能力でこちらの場所までやってくるはずである。

 そして祐希は来た。

 しかも姿を見る限り、その魔力はかつて無いほど高まっている。

「やはり、そういうことだったか」

 何度か勇者の姿の祐希を見て、輝にはある推測があった。

『祐希の魔力の強さは、対峙する魔力に比例して上乗せされているのではないか』

 輝がそれを確信とするようになったのは、ショッピングセンターでのキューくんとの戦いからだ。

 あの時のキューくんは完全に作業に専念するために作られており、ほとんど魔力を込められていなかった。

 一方で、キューちゃんやその後出てきた怪物に対しては、その強大な魔力をも上回る強さを見せていた。

 つまり、相手によって祐希の力は変動する。

 では、キューちゃんよりもさらにその上を行く魔力を開放しているセンナと向き合うときはどうなるか。

 その答えは目の前にあった。

「しかもまあ、輝を人質に取ってくれてるなんて、まったく、おいたが過ぎるのではないかしら」

 その瞬間になって、輝はセンナに少し同情をした。

 この作戦では魔力だけではなく、感情的にも祐希が恐ろしいことになるのを計算していなかったのだ。

「勇者まで邪魔に入るなんて、まったく厄介ですこと!」

 だが祐希の今の力を見極められていないのか、センナもまた、鉄骨泥人形で応戦しようとする。

「邪魔よ」

「えっ……」

 しかし、その泥人形は祐希に向かっていくことさえもできず、ただ祐希が軽く剣を振るうだけで跡形もなく消し飛んだ。

 斬ったのではない、剣に滞留している魔力だけで砕け散ったのだ。

 それを見て、センナも目の前の存在がどういったものか悟ったようで、みるみる顔が青ざめてゆく。

 そして考えるよりも先に、一歩後ずさる。

 それに対し、祐希もゆっくり一歩を踏み出し、センナとの差をつめる。

 二人の距離は変わらないが、もはや立場は明確となった。

「な、なんなのですか、あなたは!」

 センナは必死に紙をばら撒き、さらに大量の泥人形を召喚して足止めを目論むが、多少数が増えようとも、祐希にはなんの障害にもなっていない。

「ひとことで言えば勇者で、ふたことで言えば道崎輝の幼馴染みよ」

 剣を横に薙ぐだけで、数体の泥人形が一気にはじけ飛ぶ。

 足を踏み出すたびに、威圧感だけでセンナが後ずさる。

 センナが下がるたびに、祐希もまた一歩だけ踏み出す。

 その一歩に気圧され、センナはついに、つまずいてその場に尻餅をついてしまった。

 そのセンナの目の前には、祐希がただ無造作に立っている。

「こ、後継者なら向こうにもいるじゃないですか! どうして、どうしてワタクシなんですか……」

「もちろん、ロロンも倒すべき敵よ。でも、今はあなたの方が優先度が高いってこと」

 自棄を起こして叫ぶセンナに、祐希はただ静かに答える

 そしてその言葉と共に、センナの前で足を止めた。

「まあ、このへんでいいかしらね」

 同意を求めるように、祐希は振り返って輝にそう問いかけてくる。

「そうだな……」

 輝は、少しだけ気だるげにそう答える。

「これが、俺がお前の報告官になれないもうひとつの理由だ」

 怯えた目を向けるセンナに、輝は静かにそう告げた。

「この勇者は、俺の昔からの知り合いなのでな。ロロンはともかく、お前とではおそらく上手くやっていけないだろう? となると、俺を報告官にするのならば、お前はこの勇者も倒す必要があるわけだ」

 それを聞いて、センナはさらに怖気付き、さらに確認するように祐希とロロンの二人を見た。

 祐希は呆れたように首を振り、ロロンはセンナに対して強い視線を向けたままである。

「そんな、ワタクシはただ、輝さんにロロン姉様ではなく、ワタクシの報告官になってもらいたかっただけなのに……」

「諦めて魔界に帰るんだな。お前は負けたんだ」

 あらためて、輝はそれを宣言した。

「それは、できませんわ……、ワタクシにも一族の威信があります」

 振り絞るようにしてそう声を出し、センナは輝をにらみつけてくる。

「もう……、もうこうなれば最後の手段しかありませんわね……」

 センナは強い決意をその瞳に宿し、ぼそりとつぶやきを漏らす。

 そして、ゆっくりと一枚の紙を天高く掲げた。

「センナ! 早まってはいけません!」

 その言葉を耳にし、ロロンは血相を変えて慌ててセンナの元へと駆け寄っていく。

 だが、一瞬遅かった。

 紙はロロンの目の前で引き裂かれ、その瞬間、センナの身体が砂のように崩れ去った。

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