天使中毒
今井雄大
第1話 紅い世界
俺は分厚くて重いドアをゆっくりと開けた。
途端にドアの隙間からバカでかい音が襲い掛かってくる。
それは騒音だった。鼓膜を破らんばかりの音。誰かの曲らしいが、こんなにバカでかい音でかかっている曲だ。どんな名曲だって騒音でしかない。
俺はその
カウンターへと向かい、バーテンにビールを注文する。ビールを受け取ると、俺は空いている手ごろな席へと腰を下ろした。
俺はゆっくりとビールを喉に流し込みながら周りを
それに、バカそうな奴らが大勢いる。外見ばかりを気にして、今が楽しければいいというような連中だ。俺の
俺は数分と経っていないのに、頭痛がしてきた。早くここから抜け出したい。
俺は頭痛を紛わすため、シャツの胸ポケットからタバコを取り出し火を点けた。煙を吐き出すと一人の女が声を掛けてきた。しかし、ほとんど聞き取れやしなかった。
俺が眉をしかめると、その女は俺の耳元に顔を寄せて言った。
「お兄さん、一人?」
俺はその女に習い、耳元へ顔を近づけ
「ああ」
と答えた。
「じゃ、あたしと場所変えて遊ばない?」
女はそう言って俺の顔を覗き込んだ。
俺は自慢じゃないが顔はいい。自分で見てもかなり整っている方だと思っている。身長も180以上あるし、痩せている方だ。髪もサラサラで女からは好感をもたれる。はっきり言って俺はもてるのだ。外出すれば逆ナンされることは一度や二度ではない。まして、俺から声を掛けて断られたことなんて一度もなかった。
しかし、こうもあっさりと今日の
俺はその女の顔を盗み見た。悪くない。なかなか美人だ。年は二十歳前後だろうか。決まりだ。今日の
俺は女に頷き、タバコをもみ消すとついてくるように促した。
俺はそのクラブの出入り口の側にあるトイレへと向かう。
トイレのドアを開けると、中で男性用女性用と分かれている。ここなら人目に付かないだろう。誰かがトイレから出てきても少しの間だから問題ない。
トイレの中へと入り、後ろを振り返るとさっきの女が怪訝そうな顔をして立っている。いくらなんでもこんな所ではしたくないといった顔だ。
「いいものがあるんだ」
俺はそう言いながらズボンの左後ろのポケットから金属製のピルケースを取り出した。ピルケースを開き、ピンクのカプセルを一錠取り出す。そのカプセルを女の目の前に突き出し
「いるか?」
「ドラッグ? 初めて見る奴だけど……」
俺が頷くと、女は笑顔を作り受け取った。
「まぁ、いっか。興味あるし!」
女はあっさりとカプセルを飲み込んでしまった。これでカプセルの中身が毒薬や睡眠薬だったらどうするんだろう?さっき会ったばかりの男に警戒心が全くない。これだからバカは扱いやすい。
俺の実験とは
ピルケースの中には色とりどりのカプセルが並んでいる。俺もピルケースから真っ赤なカプセルを一錠取り出し飲み込んだ。ピンクと赤は新作だ。俺は自分でも実験台になる。
「よし、行こう」
俺はピルケースをズボンの左後ろのポケットにしまいながら、トイレを後にする。女もそれに続いた。
そのままクラブの出入り口へと向かう。分厚くて重いドアを開けると、ムアッと暑い空気が体に
そのまま、地上に向かう階段を上る。さっきのクラブは地下にあるのだ。
階段を上りきり、ビルの外へと出る。
俺はそこで初めて後ろを振り返り女を見た。女はちゃんとついてきていた。
通りに出ると女は俺の隣に来て腕を組んできた。
「お兄さん、名前は?」
「司馬……
俺は女の顔を見下ろしながら答えた。もちろん偽名だ。ドラッグの実験に本名を出す馬鹿はいない。
「あたしが飲んだドラッグの名前は?」
「
女の顔がパッと明るくなった。
「ピンクの蝶々か、かわいい名前ね!お兄さんが飲んだのは?」
女が笑顔で聞いてくる。
「
変な女だ。ドラッグの効果よりも名前の方が気になるらしい。俺たちはその後ほとんど話をしないままホテル街へと向かった。
手頃なラブホテルを見つけ、中へと入る。女も当然のように何も言わずついてくる。
フロントでキーを受け取り、エレベーターに乗り込む。部屋は503だ。俺は五階のボタンを押して女の顔を見た。目がトロンとして眠たそうな感じになってきている。ドラッグが効いてきているのだ。
ドラッグは両方とも
女が俺にしな垂れかかってくる。ドラッグの効果で立っているのもやっとといった感じだった。
エレベーターが五階へ到着した。俺は女を支えながらエレベーターを降りる。正面に部屋の番号が書かれた看板があった。部屋は右側らしい。
右を向くと少し歩いたところに503の部屋を見つけた。俺は女を支えたまま部屋に入った。ドアをくぐると、俺の心臓がドクンと大きく脈打ったのが分かった。
部屋のドアが閉まると、急に女が俺の手を離れてベッドへと歩き出した。
「きれいなへやだねー」
と言いながらベッドに倒れこんだ。
俺の心臓がまたドクンと大きく脈打った。途端に俺の視界が真っ赤に染まる。まるで目の前に赤いフィルムでも張られたように、見るもの全てが真っ赤に見えた。俺の体も、ホテルの床も、部屋も、天井も、あの女も……。
なんだこれは……。俺は思わず
真っ赤な世界の中にいるもう一人の俺。もちろん、頭からつま先まで真っ赤に染まっていた。鏡の中ではない実在するもう一人の自分を見るのは気持ちが悪かった。なぜだか分からないが、生理的に受け付けない感じがする。
胸の中で和太鼓でも叩かれているのかのように、心臓の鼓動が大きく激しくなっていく。心臓が胸を突き破って飛び出してしまいそうだ。俺は思わず左胸を押さえた。
真っ赤なもう一人の俺がゆっくりと立ち上がりこっちに近づいてくる。フラフラとした足取りで壁に手をつきながら。
「……るな……」
うまく言葉が出てこない。のどの奥が張り付いてしまっているかのようだった。
「……来るな」
今度はちゃんと言葉が口から出た。しかし、真っ赤なもう一人の俺は近づくのを止めない。もう、手の届きそうな位置まで近づいてきていた。
「来るなって言ってんだ!」
俺はそう言いながら真っ赤なもう一人の俺に拳を放っていた。真っ赤なもう一人の俺は拳を顔面に受け、壁にぶつかりながらベッドまで吹っ飛んだ。
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