episode44 僕らのビタースイート

 帰るなりタイラは、「ユメノいるのか?」と眉をひそめた。開口一番が仲間の名前であるのは珍しく、カツトシも戸惑いながら「部屋よ」と答える。

「最近なーんか、元気なくて。今日も帰ってきてすぐ部屋に行っちゃったの。後で何かスイーツでも持ってってあげようかしら」

 ため息まじりにそう言ってから、カツトシは「そういえばあんたにお客さんよ」とボックス席の方を指さした。覗いてみると、東間が実結と遊んでいる。何やら盛り上がっている様子なので無視して出かけようかと思っていると、「ユメノちゃんのこと送ってきてくれたみたいよ」とカツトシが言うので、一応声をかけておくことにした。


「東間、どうしたんだ。店に来るのは珍しいな?」

「うわ、兄貴!」

「うわ、ってお前……俺に会いに来たんじゃないのか」

「兄貴に会いに来たんですよ、でも急に現れるとビビるじゃないですか」

「なんでだよ」


 呆れるタイラに、東間は調子よく笑いながら「娘さんと仲良くなりましたよ」と実結の頭を撫でる。「俺の娘じゃない」とタイラが肩をすくめれば、「この子もかよ。どこにいるんだよ、あんたの娘」と理不尽に顔をしかめた。

「どこにもいねえよ……。なんで娘がいる前提なんだ」

「じゃあ息子はいるよな。あの、ほら」

「いない。お前、ユメノと帰って来たんだって?」

「あ、そうっす。なんかお嬢、変なばあさんに絡まれてましたよ」

「変なばあさん」

 首をかしげるタイラに、東間は何か説明しようと言葉を探す。


「何か……『ですわ』みたいな、『ごきげんよう』みたいな感じの外国人でしたね」

「ああ、その女なら知己だ。お前にはばあさんに見えたのか。いい目をしているな」

「え? そっすか? 照れるなぁ」

「なんであの女がユメノに絡むんだよ。可愛かったからか? ……あり得る」


 東間は金色の髪を撫でつけながら、「なんかぁ、『少年』がどうとか……言ってましたけどねぇ」と興味薄そうに一応報告した。タイラは目を丸くして、「少年?」とさらに聞きたそうにする。それ以上の情報はないので、東間は肩をすくめて話を終わらせた。

「そんなことより兄貴、腹減りません?」

「何が食いたいんだよ」

「寿司!」

「……じゃあ、連れてってやる。喜べ、回らない寿司屋だぞ。何が美味いかっていうと、カレーが美味い」

「寿司屋で? つうか、カレー好きなんですか」

「お前は嫌いか? 全人類、とりあえずカレーは好きだろうと思っていたが」

「まあ、好きですけど」

「だよな」

 何か腑に落ちない表情をしたまま、東間はタイラに連れられて行く。カレーならうちで食べればいいのに、とカツトシはぼんやり思った。




☮☮☮




 インターホンを押して、タイラはドアの向こうの物音に耳を澄ませる。もう一度押す。音が消える前に、再度。部屋の奥で何かぶつかるような音がして、足音が響いた。7秒。待って、身を引く。


「うるっっっさい!」


 ドアが蹴り開けられ、タイラは両手をあげて見せた。「おいドレミ、このご時世に客が誰かもわからないうちに開けるなよ。危ないだろ」と肩をすくめる。瀬戸麗美は、前髪をかき上げながら「あんただと思ったわよ、うざったい呼び方しやがって」と睨みつけてきた。


「何よ」

「聞きたいことがあんだけど」

「これで何もなかったらどうしようかと思った、たぶんあんたのこと階段から落としてたわよ」

「元気で何よりだな」


 入りなさいよ、と麗美は部屋を示す。「警戒心が足りねえんじゃねえか」とからかえば、麗美はどこか嫌そうな顔をして「あんたといたら、外でも中でも危険よ」と肩をすくめた。

「聞きたいことって、美雨メイユイに関すること? 金取るけど」

「今日はいやに協力的だな。この前は、美雨に関することなら絶対に喋らないようなことを言ってなかったか」

「もう、その段階は過ぎたの。あんたが情報不足で負けたらこっちも寝覚めが悪い」

「じゃあタダで」

「調子乗ってんじゃないわよ」

 雑に麦茶を注ぎながら、麗美はタイラを睨む。その視線を涼しげにかわしながら、「残念だが今日は美雨関連じゃない」と言い切った。胡散臭そうな顔の麗美に、一枚の写真を見せる。


「この子どものことを、調べてほしい」

「……フッツーの若い男の子だわね」


 ああ、と面倒そうにタイラは肩をすくめる。「このガキにご執心のやつがいてな」と素っ気なく言えば、麗美が「中道夢野?」と端的に確認した。タイラは怪訝そうな顔をする。

「……『何だお前は』みたいな顔で見ないでくれる? 同年代に見えたから言っただけよ」

「そいつ、ユメノと同郷らしくてな。最近この街に来たんだ」

「その口ぶりだと、居場所はつかめているみたいだけど」

「『トムバティ』とかいう店で働いてるってとこまではわかってんだけどな。調べてほしいのが、」

 不意に麗美が、タイラの肩を殴る。さすがに驚いた様子のタイラは、目を丸くして「乱心か?」と眉根を寄せた。


「トムバティって、あのスパイス専門店をうたってる店?」

「そうだよ」

「あそこは美雨の店よ。裏で薬の売買をやってる。あんた美雨絡みじゃないって言ったわよね。ほんと、あてにならないんだから。どうせその子供も、薬を買う金がなくて働かせてもらってるんでしょう」


 腕を組んで聞いていたタイラが、なぜか腑に落ちたようにポンと手を叩く。

「なるほど、それで美雨がユメノに接触してきたわけか」

「はあ? 何それ、あんた何を呑気にしてるわけ。向こうは完全に外堀を固めていく気じゃないの」

「たんに餌だろうな。あいつだって、できれば俺が勝手に転んだ方が都合は良いと思っているだろ」

「で、転んでやるわけ?」

「そんなに親切なタイプに見えるのか」

 へえ、と麗美は感心したようにうなづいた。「じゃあ、今回はノータッチで行くの?」と釘を刺すように確認する。肩をすくめたタイラが、「そもそも俺としては、そんなガキは捨ておきたい気分だからな」と目を細めた。

「ユメノって子には何ていうのよ」

「諦めろと言うよ。あいつだって、頭を冷やせばわかるだろう」


 どうだか、と麗美はタイラに聞こえないように呟いた。




☮☮☮




 ドアをノックする音がする。「入りますよ、お嬢さん」と一応は声をかけて、タイラが部屋のドアを開けた。

「電気つけろよ、目悪くなるぞ」

「何しに来たの?」

 ベッドの上で膝を抱えていたユメノは、ちょっと顔を上げてタイラを見る。


「今日はサボりか?」

「関係ないでしょ、タイラに」

「ユメちゃんよぉ……」

「なに」

「林田正真のことは、忘れろよ」


 信じられない面持ちで「なんで?」と呟いたユメノは、どこか怯えているようでもあった。「なんで知ってるの?」と噛みつくように言う。

「…………。あのガキが働いてる店は美雨のもんだ。あの女に何を言われたか知らないが、あれはお前と対等にやり取りしようという気はないよ。そこまでの価値があのガキにあるのか?」

 どうしてそんなこと言うの、とユメノは呟いた。膝を抱える腕が震える。「価値なんてあたしにもないんだよ、なかったんだよ」とちいさく、小さく言葉を投げた。


「あたしとあいつは一緒なんだ。周りの目を気にして、人の評価がこわくて、いちいち傷ついたり傷つけたりしてた。でも、あたしは逃げられたんだ。みんなと出会えたんだ。――――あいつは、みんなと出会えなかった。それだけなんだよ。みんな、わかってくれない。あたしもあいつも、被害者とか加害者になりたくて生きてたわけじゃないのに」


 わかっていた。正真を助けたいと思うだけで、その力もなく、なぜ助けるのかと問われれば明確な理由もない。それなのにここでひたすら拗ねて、ふてくされて、子供のように誰かの理解を待っている。わかっている。わかっていた。どうにもならないのだから、諦めればいい。今までだってそうしてきた。

 泣きたいだけ泣いたら、なんだって諦められる。正真を助けたいのはユメノの勝手だ。今までどれだけ周りに言われてきたことか。んだ。だから、このまま終わりにしよう。

「ほっといて」とユメノは言った。

 頭をかきながら、タイラがユメノの前に立つ。何も言わずにユメノの顔を上げさせ、両手で涙を拭った。しばらく、そうしていた。

「あのなぁ、ユメノ」と、タイラが口を開く。


「『助けて』とも言わないうちに『誰も助けてくれない』って泣くような甘ったれと暮らしてきた覚えはないよ」


 じっと目を見た。言葉以上のものを感じ取ろうとして、お互いに瞬きを忘れたように黙る。そうしてユメノはようやく、タイラの手を掴んだ。

「……あの子のこと、助けてくれますか?」

「聞こえねえよ」

「助けて、ください」

 突然、頭を押さえられる。黙ってタイラの腕を押しのけようとするが、びくともしなかった。タイラの顔が、見えない。


「次はねえぞ、自分から言え」

「…………うん」


 やっと頭が軽くなって、ユメノはタイラを見た。もうすでに背中を向けていて、部屋を出て行こうとしている。

 不意に、タイラが振り向いた。

「お前さ、」

「……うん」

「美容師にならないのは、金の問題か? 勉強がしたくねえのか?」

「えっ」

「聞いてみただけだよ、くそ、苦手だなこういうの」

 今度こそタイラは、何も言わずに部屋を出た。




☮☮☮




 インターホンの音が鳴って、麗美はそっと耳を澄ます。1度目が鳴りきると、間髪入れずに2度目が鳴り、2度目が鳴り終わる前に3度目が鳴らされた。

 麗美は盛大にため息をついて、『だと思いました』という気持ちにさせられる。

 どうせ、そうなると思いました。結局そうなると思いました。だってあいつ、身内に馬鹿みたいに甘いもの。馬鹿だから仕方ないわね。


 鏡の前に立ち、麗美は口紅だけ塗って玄関に急ぐ。ドアを開きながら、怒声を浴びせた。


「うるっっっさい! そしてうざったい!」


 へらっと笑ったタイラが、悪びれもせずに言う。

「教えてほしいことがある……って言ったら怒るかなぁとか思ったけど、もう怒ってんな?」

 呆れながらも、麗美は、仕方なさそうにちょっと笑った。

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