第87話 vsバーサーカ-【中編】
しおれかけた植物の根に水が届くように。朽ちるだけだった肉体に再び生命の脈動が蘇る。
静かに動き出した心臓に導かれ、止まっていた肉体が潤いを取り戻していく。
喉元の深い傷が、内側から盛り上がった肉に押し出されれるように修復し、白かったその頬に、青みがかった口唇に、血の通った朱みが差してくる。
トクン、トクン、とリズムよく頸動脈が動き、緩やかに胸が上下する。
「……蘇生術は成功した。あとは目を覚ますだけだな」
マチルダさんの時は呼吸を開始してから、おおよそ10秒ほどで意識を取り戻した。もっとも、あの時は指輪をはめていなかったため、動けないみたいだったけど、今回はそれを踏まえてジェイルの指には【シーフの指輪】がはめられている。
ただ、畑に埋められていた盗賊は全員が全員指輪をしていたわけじゃなかった。
指輪はジェイルの右手の指輪のみで、残り7体の死体の指からはファーストジョブの指輪、そしてセカンドジョブとしての【盗賊の指輪】がすべて抜き取られていた。これは【追憶】で確認していたため、埋葬前に回収されたと思われる。
おそらくジェイルの指輪は、“オリジナル”のものだ。つまり、回収された指輪は錬金術師が製造して配布した汎用性のある物だってことだろう。その証拠にジェイルの左手にあった盗賊の指輪も回収されている。
もっとも、ダダジム達がジェイルの死体を掘り起こしたとき、たまたまジェイルの指にシーフの指輪が付けられているのを確認できなかったら、コイツを蘇らせるなんて考えもしなかっただろうが。
それと同時に、俺はジェイルの指輪を見て、おやっと思ったものだ。
だから確認のためロッドに話を聞いたわけだ。亡くなった人が身につけている指輪は遺族が形見として受け取る風習があるのかどうか。
アーガスとジェイルは腹違いの兄弟で、兄弟の関係は追憶の通りだ。しかし、兄を敬愛する弟の指輪は回収されず、畑の肥やしとして埋められた。
お頭が外さずに埋めろと命令したのか、アーガスが受け取るのを拒んだのか。その答えは今後の追憶でしか探ることはできない。
それに――もうそろそろジェイルも目覚めるだろう。
さて、悪辣外道の悪人を甦らせた場合、マスターである俺にはどのような態度で接するのだろうか。
と、右手のブロブが騒ぎ出した。初めは定期連絡かと思ったが、しかし、尋常ではない、それはなんとも官能的な動きだった。
ブブ・ブブブブッ・ブブブーム。ぐねりんぐねりん、ブブブブブッ、ぐねぐねりん。きゅっきゅっ。
「ちょっ、おま、いつの間にこんな高度なテクニックをっ?!」
俺は思わずカッと目を見開いた。
ねっとりと絡みつくようにブロブは指をしごき上げてくる。不規則に震動する動きはそのままに、第2関節から第1関節へと血液を絞り上げるが如く波立たせるように収縮する。
人差し指の先端、まさに毛細血管から先走りの血液が噴き出しそうになるが、すぐさま強弱を付け、第1関節を中心に今度は逆方向へと血液を押し返す。
ブブ・ブブブブッ・ブブブーム。ぐねりんぐねりん、ブブブブブッ、ぐねぐねりん。きゅっきゅっ。
こ、こんなの知らない、教えてない。ああ、なんてことっ!
柔らかく温かく、まるでおっぱいにでも包まれているような包容力と、時に刺激的で荒々しく指の根元から血液を絞り上げるいじらしさ、そして、行き場のなくなった血液を今度は愛撫するように優しく指を責め立てる淫らさを兼ね備えているではないか。
敢えて言おう、装着するところを間違えた。
ブロブッ、恐ろしい子!
くっ、これはもうアンジェリカと組んで、この異世界で成人用玩具会社を立ち上げるしかないではないか。
ダンジョンや森での戦いに明け暮れる精力をもてあました戦士紳士諸君のために欠かせない一品として『ブロブ』を商品化すべきだと思う。山羊一匹でブロブ8匹が生産できる。酪農もしないとな。
商品名は『ひとりでできるもん』とか『ワームホール』、『ぷっにょぷにょ』とかで、キャッチフレーズは「ブロブには勝てなかったよ……」で決定。
男性用と女性用を作り、それぞれに八十八手の教育を施し出荷することにしよう。ネット通販がなくても大丈夫、銀行振り込みで飛翔文を預けてくれれば、その背に貼り付けてお届けだ。
これは、いけるかも知れない。異世界少子化問題上等だ!
ああ、しかし、アンジェリカが協力的ではない場合はどうしよう。
――ところで、コイツなんでこんな動きしてるんだ?
「――ダさん、トーダさん!! しっかりしてください!」
ぐいっと袖と掴まれ、ハッと我に返る。
いつの間にか居眠りしてて、どうやら夢を見ていたみたいだ。夢なので目が覚めた瞬間に内容を忘れてしまう。なんてことだ。
なにかノーベル平和賞級の大発見をして一大ムーブメントが起こる寸前だった気がするが、何一つ思い出せない。
「ん、ああ……ロッドか。どうした――もぐぁ!?」
欠伸をしつつ目元を擦ろうとしたところで、右手のブロブが一斉に口元に貼り付いてきたのだ。思わず息を吐くと、ぼひゅ、っとブロブから変な音が漏れた。
ブロブたちはそれで満足したのか、咳き込む俺を尻目(?)にさっさと右手に戻っていく。
今のはなんだったんだろうか。咳き込み、涙目になりつつ、ロッドの心配そうな顔を見上げた。その視線が恐る恐るといった感じで俺の背後に移される。
いきなり、どん、と背中を蹴られた。
「おい、さっさと立てよ。聞きてぇことがあるんだからよ」
正面にいるロッドではない。聞き覚え……がある声に俺はすぐさま振り返った。
そこには、眩しそうに目を細め月を見上げているジェイルが立っていた。
「昨夜見た月と、星の位置が変わらねぇ……」
ゆっくりと目線が下がり、睨め付けるように俺を見下ろす。
俺は恐る恐るといった感じで立ち上がろうとするものの足腰の踏ん張りが利かず、のたついているところを腕を掴まれ無理矢理引き起こされた。
そのまま胸ぐらを掴まれる。
「てめぇは誰だよ。そして何で俺はなんで砂まみれでこんなところで寝てんだ? ああ?! それに、バラッドを殺しやがったのはてめぇかよ?! 俺は今から何をすりゃいい?!」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。ちなみにバラッドというのは予備に残してある死体の名前だ。バラッド・トラビス。体格は俺と同じくらいだが、何のジョブかはわからない。
ジェイルは俺よりも若干背は低いものの、力は強く、俺を睨み上げる目つきは、親しみなど微塵もなく険しかった。
状況は、追憶でジェイルにアルフレッド村長が刺されたときと似ているが、なぜだろうか、不思議と恐怖は湧いてこなかった。平常心スキルが効いているせいかとも思ったが、どうも違うようだった。
一旦思考を切り替える。俺は目の前のジェイルを見つめ返した。
俺のクグツは現状を知りたがっている。誰がマスターかを理解できていないのだろう。マチルダさんの時と違って状況を整理する時間が少なすぎるのだろうか。
俺は胸ぐらを掴むジェイルの腕にぽんと手を乗せると、
「俺はネクロマンサーの、トーダだ。そしてお前の“マスター”だ。砂まみれなのは、死んで埋められていたお前を掘り起こして甦らせたからだ。バラッドを殺したのは俺じゃない。……お前は俺のクグツとして役に立ってもらう。どうだ、これで満足か?」
懇切丁寧に、ちょっと強気で言ってやった。主従関係は大事。
だが、ジェイルはそんな俺に舌打ちをしたかと思うと、目を逸らし「そうかよ、クソがっ!」とそのまま俺を突き飛ばした。あらやださっそく下克上。
自力で立ち上がれないのに、踏ん張ることなんてできるはずもなく、そのまますてーんとひっくりかえってしまう――が、その瞬間、目の前を通り過ぎる風切り音を確かに感じていた。
ばかん! と何かが通り過ぎた先からそんな音が聞こえた。
受け身もとれず背中をしたたかに打ち付けた俺は、息も絶え絶えに音のした方向に顔を向けた。近くにある民家の壁が砲弾でも撃ち込まれたかのように半壊していた。
「トーダさん、大丈夫ですか?!」
ロッドがすぐに駆け寄り、俺を起こしてくれた。
ジェイルは倒れた俺を無視して、あさっての方に身体を向けていた。
もにゅもにゅ、きゅっきゅぅぅ……と右手のブロブも意味なく俺を労ってくれる。と言うか、さっきからコイツは何が言いたいんだ?
「アイツ――。トーダさん、やっぱりアイツは甦っても盗賊のまんまです。だから、いいですよね?」
いいですよね――って、まておい。
俺はゴホゴホと咳き込むのがやっとで、ジェイルを親の敵のような目で睨み付けるロッドを制することができなかった。
ロッドは素早く腰の“風のナイフ”を抜くと、背を向けているジェイルに向かって躍り掛かった。
「あん?」と、気配を感じて振り返るジェイルだったが、すでに一度殺しを経験しているロッドは、躊躇なくその小さな身体をジェイルにぶつけていた。
ジェイルの身体がその勢いを受け止めてグラリと揺れるが、踏みとどまった。
ロッドの顔に困惑の色が浮かぶのが見えた。なにせ、さっきまで自分が両手でしっかり握っていたはずの“風のナイフ”がないのだ。それに刺したと思ったはずの腰からは血の一滴も零れてはいない、そう思ったに違いない。
「おい、クソマスター。この馬鹿ガキこのまま殺すぞ、いいな?」
ジェイルはロッドの頬を掴み上げると、その首筋に青白く光る風のナイフを当てた。いつの間に盗み取ったのか、俺にはまったく視認できなかった。
ロッドは何が起こったのか理解できない様子だったが、宙づり状態だったためジェイルの腕にしがみついて藻掻いた。
冷酷なジェイルの目が本気だと気づいた俺は慌てて止めた。
「勝手な……こと、をするな……ゴホッ。こっちだ、放してやれ。お前は目の前のヤツをどうにかしろ……」
「……チッ。次同じことやったらマジ殺すからな」
ジェイルは投げ捨てるようにロッドを俺に向かって放った。当然受け止められるわけもなく、その重量を甘んじて受ける。
「きゅう……」 鼻血が押し出されそう。
「ったた……、すみませんトーダさん。いまどきますから。大丈夫ですか?!」
ロッドが俺の胸の上ででんぐり返しして降りると、俺の背を起こしてくれた。
そして、そのまま近くにあった石ころに手を伸ばす。
「ちくしょう……、アイツにナイフを盗られました」
俺はロッドの手をはたいて石ころを落とさせた。
殺意で渦巻いていたロッドの目が一旦リセットされ、俺を見る。
「ロッド。今すぐダダジムを連れて、後ろの壊れた民家からマチルダさんの剣先シャベル掘り出してきてくれ。いいか。……ったく、どおりでブロブたちが騒ぐわけだ。『定期連絡』、『逃げてる』、『すぐに来てくれ』、以外の報告の仕方を教えてなかったし、気づかなかった……」
「トーダさん、でもアイツ……」
「いやだから、ロドルクに見つかったってことだから。ジェイルは俺のクグツとして蘇った。ロッド、ジェイルが気にくわないのは分かるけど、アイツさっきロドルクが投げつけてきた剣先シャベルから俺を助けてくれたから」
「…………」
ロッドはグッと言葉を飲み込むように奥歯を噛むと、ジェイルに視線を向けた。
視線の先にはジェイルと、猛獣のような唸り声を上げながらゆっくりと近づいてくるロドルクの姿があった。
「ロッド。剣先シャベルの回収を急げ。今まともに動けるのはお前とダダジムしかいないんだ。ジェイルが時間を稼いでる間に早く取ってこい」
「わかりました。すぐに。ダダジム、1匹は僕と。残りはトーダさんを連れて安全なところへ」
ロッドとダダジム一匹が壊れた民家に駆け出し、こっちに集まってきた4体のダダジムは俺を背中に乗せると、ぴょんぴょんと民家の屋根に上った。
「生き……返った……のか……ジェ、イル……」
ゆらり、陽炎のように魔力を滾らせながらロドルクが口を開いた。充血した目がぎょろぎょろと動き、目の前のジェイルを捕らえている。
呼吸は荒く、血管が浮き出て赤黒く変色した肌つやはもはや人間のものとは言えないだろう。
「驚き、だ……」
ぐるるるる、と猛獣のような唸り声が混じる。
ジェイルはそんなロドルクに眉根を寄せると、「火ぃ、持ってねぇか?」胸元を探りながら一本のタバコらしき物を取りだした。
「マッチも、魔晶石も切らせてんだ。コイツが一本だけ胸ポケットに入ってた」
「ググッ、……グ、ククク……。それは、俺が入れてやった、タバコだ……」
ロドルクが喉を鳴らして笑う。ジェイルは鼻を鳴らしながら肩をすくめた。
なんだかんだとこの二人は仲が良かったらしい。
「魔晶石は、ある……。ジェイル……。そいつを仕舞え……」
「あん?」
ロドルクはジェイルの手にある風のナイフを指さして言った。
ジェイルはポリポリと頭を掻くと、
「まあ、いいぜ。――おい! クソガキ! このナイフの鞘よこせ、鞘。テメェの腰に着けてるヤツだよ」
ジェイルは壊れた民家から剣先シャベルを回収できたばかりのロッドに向かって言った。
「誰がお前なんかに! お前こそ風のナイフを返せ!」
ロッドが顔を真っ赤にして言い返す。
「……。ちょっと待ってろロドルク、あのガキ殺してくる……」
「ロッド! 鞘をジェイルに投げろ。渡すんだ!」
ジェイルが風のナイフを手にロッドに向かって歩き出したのを見て、俺は叫んだ。
「どうしてこんな――」
「ロッド! 言うことを聞け! お前にはやることがあるだろうが!」
もう一度強く言うと、ロッドは毟り取るようにして腰の鞘を外すと、
「~~~ッッ。この殺人鬼っ!!」
ジェイルに向けて思いっきり投げつけた。
鞘はクルクルと回転してジェイルの右方1mを通り過ぎようとしたが、ジェイルが右手を鞭のように振るうと、その手に鞘が収まっていた。
「ノーコンだな、クソガキ。その場でションベン洩らして死ね。百遍死ね」
辛らつな言葉をロッドに向かって放つと、ジェイルは風のナイフを鞘に収め、そのまましっかりと自分の腰のベルトに装備した。
ロッドは悔し涙を見せまいと顔を覆い、剣先シャベルをマチルダさんに届けるべくダダジムを走らせていった。
「じゃあ、火ぃくれよ――っと、サンキュー…………? あ? なんだこりゃ」
ロドルクがジェイルの求めに応じて何かを放って渡したが、ジェイルはそれを見て顔をしかめた。
それは、ただのこぶし大の石だったからだ。
「ただの石じゃねーか。こんなもん火打ち石にもならねぇぜ」
「あのガキに当てろ……。今ならまだ届く、はずだ……。言葉通りあのガキを殺したら、魔晶石でもなんでも、くれてやる……」
ロドルクがダダジムに乗って去って行くロッドを指さしながら言った。
「……はっ。何でテメェにそんなこと指図されなきゃいけねぇんだよ。いいから指輪を外せ、ロドルク。それつけてっと声が聞き取りにくいんだよ」
「お前は、誰だ」
「……ああ?」
手のひらで石をもてあそんでいたジェイルが苛立ったように声を荒げた。
「俺の、知っているジェイルは……俺が石を渡す、までも……殺していた……。ましてや誰かに、殺しの許可を得ようとしたりは、決してしない。お前は誰だ」
ロドルクの朱く滾った双眸がゆっくり持ち上がり、屋根の上にいる俺に向けられる。
これ以上DQN共に関わりたくないため、ササッと身をかがめる俺だったが、その視界の端にジェイルが左脚を上げた投球フォームをとるのが見えた。
――と、次の瞬間、ロドルクの横顔に石が投げつけられた。
ゴツンと、まともに大きな音がして、跳ね返った石が高く飛んで近くの草むらに落ちた。
側頭部にこぶし大の石をまともに受けたわけだが、特に痛がるそぶりもなく、ロドルクは肩でも叩かれたかのようにジェイルに視線を戻した。
「俺は俺だ。今の俺が俺で俺だ。テメェにとやかく言われたくねぇな」
「狂犬が……ネクロマンサーに飼われた、ただの犬に成り下がったか、ジェイル」
「言ってろ、ボケが。もういいや、火ぃなんざ、テメェに頼らねぇよ」
そう言うとジェイルは自分の襟元を探り、なにか紙包みの小さな棒のような物を取りだした。どうやらそれは油紙で包んであったマッチ棒のようで、ジェイルはそれをペリペリと剥くと、棒の先端をベルトの一部で強く擦りつけた。
先端に火が灯り、ジェイルのシーフの指輪が浮かび上がる。
ジェイルは両手で覆うように口元のタバコに火を近づけると、満足そうに紫煙を吹き出した。
「おい、聞いてっか、クソマスター。今からコイツ、ぶっ殺すけど構わねーよな」
旧友のバーサーカーを目の前にして、ジェイルは宣戦布告と、俺に殺人許可を求めてきた。
「ご随意に」
聞こえるか聞こえないかぐらいでぽそっと呟いてやる。
グッグッグッ、とロドルクが喉の奥で笑い肩を揺らした。蘭とした朱色の目が細まり、壊すべき標的としてジェイルを捕らえていた。
ゆらり、とロドルクがジェイルに一歩歩み寄った。
「シーフ風情に、何ができる……」
「戦闘狂にはできねぇことだろ。ちょうどテメェと話すのも飽きてきた頃だ。そろそろ死んどけ」
ロドルクの顔にわずかな
「■、■、■、■■■■――!!!!」
大気が震え、波打つ魔力の余波に全身の毛が総毛立つのを感じた。
ロドルクの足下が爆ぜ、4mほどあった距離が一瞬で縮まった。そして振り下ろされる破壊の怪腕をジェイルはふわりと躱した。
そして、ロドルクの猛攻が始まった。
屋根に何かがぶつかる音で、俺はハッと我に返ると慌てて後ろを振り返った。
目の前で起こっているDQN同士の抗争に完全に見入っていたからだ。
「トーダさん。僕です」
どうやら音の正体はロッドの運んでいた剣先シャベルが屋根に当たった音のようで、ダダジムが片腹の同士の接近を危険と感じなかったため、鳴いて知らせなかったのだろう。
「ロッド。マチルダさんにまだ剣先シャベル渡してなかったのか?!」
「すみません。さっきの場所から母ちゃん達移動したみたいで、髪の毛のないヒトが倒れてるだけでした。近くで音がしませんでしたし、探し回るのも考えましたけど、一度、トーダさんに連絡してからがいいかなって思ったんです」
ロッドの目はまだ少し赤かったが、息を切らせているところを見ると、少しは周辺を探し回ったに違いない。捕まらなくて良かったと心底思う。
「……わかった。二人で捜そう。その方が安全だ」
ロッドの表情が心なしか明るくなった。
「よかった。でも、いいんですか、トーダさん。アイツから目を離していても」
ロッドの目が露骨とも言えるほどハッキリとした嫌悪感をもって、戦っているジェイルとロドルクを見下ろした。
戦闘の優劣を付けるとしたらロドルクが優勢だろう。
なにせ、ジェイルは最初の2,3撃こそは風のナイフで反撃したものの、傷ひとつ付かないとわかると、完全に防戦一方に回っていたからだ。
ただ、一撃で首を刈り取れるほどの猛撃を、ジェイルは開戦からすべて紙一重で避けまくっているのだ。ダンスのような優雅さでステップを踏み、、氷上を滑るように軽やかにロドルクの素手による狂撃を翻弄しているのだ。
まさにマチルダさんがドルドラ達を軽くあしらった身のこなしと同レベルだ。
この身のこなしを凌駕してアドニスがジェイルを討ったわけだから、アドニスがどれだけの実力だったかが量られるわけだが。
……ただ、なにか違和感を感じる攻防だ。ジェイルの奴は何か特別なスキルでも発動させているんだろうか。
「――一応、一声かけとくかな。…………いや、ロドルクに聞こえるのはまずいか」
目にも留まらない猛攻をかいくぐっているときに声を掛けて一発逆転されては本末転倒だ。剣先スコップも取り戻したことだし、ロドルクも制御できているのでこのままもう少しばかりこの場に留まってもらうことにしよう。
俺はとりあえず身を起こすと、ジェイルに向かってぱたぱたと手を振った。
そんでもって『俺たち行くから』『お前はここに残ってロドルクを抑え込んでいてくれ』『ばいばいきん』と両手を使って表現すると――
「おいクソマスター! もうちょっと待ってろ! もうすぐ片付くからよっと、へへっ、大漁大漁」
振るう豪腕をかいくぐり、ロドルクの背後に回り込むジェイルの手にはタバコの箱があった。手癖悪くロドルクの懐から盗んだのだ。
そこから新しいタバコを一本取り、咥えると、短くなっていた火の付いたタバコを押し当てた。ジェイルは立ち位置を変え俺たちに背を向けると、その尻ポケットにタバコの箱を捻り込ませ――代わりに、15cmほどもある蝋燭のような棒を器用に引き出し、腰のベルトに挟んだ。そしてその導火線に後ろ手で短くなったタバコの火を押し当てて――
タバコをスられたことに気づいたロドルクはまたさらに怒りで貌を歪め、ジェイルに襲いかかっていった。
「…………」
「早く行きましょう、トーダさん。母ちゃんが心配です」
ロッドにはそれが見えなかったのか、俺の袖をクイクイと引っ張る。
それには応えず、俺は両手で耳を塞いだ。
「耳を塞いで、もう少しだけ待て。今にでかい音がするぞ。ダダジムはいつでも動けるようにしておけ。アラゴグはジェイル回収の用意だけしとけ」
ロッドがまたさらに何か言ったようだが、俺は耳に指(ブロブではない)を突っ込むと意識を二人に集中させていた。
ジェイルが短くなった用済みのタバコを指で弾いてロドルクの顔にぶつけ、小馬鹿にするように挑発すると、民家の窓を蹴破って中に入っていった。
ロドルクは再び大気が震える咆吼を放ったあと、その民家めがけて突進し――
どっかーん!
その瞬間、ダイナマイトが爆発し、民家の屋根が吹き飛んだ。バラバラと振ってくる瓦礫片と煙に目を細めながら、俺はダダジムに場所移動を命じた。
屋根から地面に降りると、モウモウと煙る瓦礫の奥から怪我ひとつないジェイルが悠々と歩いてくるのが見えた。
「片付いたぜ、クソマスター」
俺は何を言えばいいのか迷ったが、「お疲れ様」と労った。ジェイルは小首をかしげて応える。
「ロドルクは死んだのか?」
「さあな。気絶してんのか動けねぇのか、どちらにしろ探さねー方がいいぜ。たぶん死んでねぇ。崖から落ちてたんこぶで済んだ野郎だからな……それよりも」
ジェイルはダダジムに座り込んでいる俺に膝を曲げ目線を合わせると、にぃと笑った。俺も引きつった笑いを返す。
と、いきなりジェイルがガッと肩を組んでくると、耳元で囁いてきた。
「アーガス兄ちゃんのところに連れてけよ。それっくらいの働きはしたろ?」
俺がギョッとして顔を上げると、ジェイルはバシバシと後頭部を叩いてカラカラと笑った。
そうして今、ダダジムの背に二人して乗って、ジェイルの話を聞いている。
「――だから、
そう言って、ジェイルは手のひらで拳をパシンと打ち付けた。
ちなみに、俺はダダジムの上にあぐらをかいているのに対して、ジェイルは立っていて、世紀末覇者のようにダダジム3号の頭に足を乗っけている。
注意しようかとも思ったが、DQNに注意とか『駄目、無理、危険』なのでしない。近くのお巡りさんか駅員さんを呼ぶのが利口。
まあ、最初に胸ぐら掴まれた事を考えたら、結構懐いてきた感じだろうか。ネクロマンサーとクグツの結びつきが時間経過で強まったってところなんだろう。
「だけど、あの猛攻をあの距離で一撃も食らわないで躱し続けるなんて、そんなの常識じゃあり得ないだろ」
「おい、クソ猿、停まれ」
得意になってタメ口をきいてしまったせいか、ジェイルがムッとした顔になると、ダダジム3号の頭部をブレーキのように踏み込んで走行を止めてしまった。
あわわわっ、となる俺だったが、用があるのは後ろから追従していたロッドだったようで、「まあ見てろって」と俺に向かって言うと、ジェイルはダダジムを降りた。
そしてロッドに向かって、「おいクソガキ、おもしれぇコトしてやっから、ちょっとこっちに歩いてこいよ」と言った。
ロッドは明らかに嫌そうに唇をひん曲げたが、俺が後ろから頷いてやると、堅く目を閉じて大きく深呼吸してからこっちに向かって歩き出した。
「まあ、俺がしたのはこういうことだぜ」
そういうと、ジェイルは何もせず、ただロッドとすれ違った――はずだったが、急にロッドの身体がグラリと揺れた。そのままつんのめり、二、三歩
「????」
転びこそしなかったが、ロッドが驚いたように目を見開いてジェイルを振り返った。だが、何をされたのか分からないので戸惑っているようだった。
「ロッド? 今、ジェイルに何をされたんだ? ぶつかってなかったよな?」
「あ…………足が、一瞬吊ったみたいに動かなくなって……」
ロッドは自分の右足をペタペタと触ってみたが、何かをされたわけじゃないようなので混乱しているようだった。
「『加震動波』ってやつだ。踏み込んだ自分の足の裏から周囲に魔力を放出して、相手をこかす技だ。俺の放出した魔力を踏ませることで、身体が勝手に『反射反応』を起こしてしまうわけだ」
ジェイルがニヤニヤと笑いながら講釈を垂れる。
「つまり、シーフの『スキル』ってやつなのか?」
「まあな。人それぞれ感じ方が違うだろうけどよ、使えば簡単に“隙”を作り出すことができるぜ。通常は『盗む』直前に使うスキルなんだけどな。
ロドルクの奴はパワーはマジアレだけど、魔力を通せる武器がねぇから、拳でぶん殴ることしか出来ねぇ。逆に俺のこのスキルは『盗む』ときのスキルを応用したもんだからよ、距離が近くねぇと効果が薄い。ただ、その条件さえクリアすりゃ、相手の動きをコントロールできるってわけさ。ロドルクの奴は氷上で戦わされてる気分だったろうぜ」
足下がつるつるで踏ん張りがきかないってことなんだろうか。
「ああ、そういや、あとこれ飲んどけクソマスター」
そう言ってジェイルが胸ポケットから取りだしたのは小さな小瓶だった。それをなぜか頭の上に乗せられた。
手に取ってみると、中に琥珀色をした仄かに光る液体が入っている。
「……なんだこれ?」
「ああ! それです、僕がお頭達のところで見たの!」
ロッドが驚いたような声を出した。
「“ソーマの滴”って言われてる魔力そのものを物質化したもんらしいぜ、知らねーけど。ロドルクが暴れる度いつも飲んでるやつだから死なねーだろ」
「ソーマの滴……?」
なんか、聞いたことがあるようなないような……。
俺は月明かりに照らすように小瓶を傾けてみた。
水よりも濃く、蜂蜜よりも薄い液体が、小瓶の中で揺らめいた。
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