第64話 生と死の産声

 ぼろぼろに焼け残ったバックの中身は、虫眼鏡やらスマホやらのあのバックだった。期待していた物と違ったのか、悔しさを滲ませながら、お頭は無言でそのバックを蹴飛ばした。

 ――と、ドスン、とそのバックが地面に落ちるか落ちないかといったところにロー公がってきた。

 槍に掴まり、ゲホゲホと煙を吐き出すロー公は全身が焼け爛れていた。かなり長時間火の中に潜っていたせいだろう、俺の貸した上着もナニも素っ裸で、陰毛すら焦げてチリチリになっていた。……いや元からか。


「お頭ー。これでショ。大事なノ。探すのに苦労したヨー」


 ロー公が全裸でお頭に近づくと、右手に持っていた包みをお頭に渡した。喜ぶかと思いきや、お頭は苦々しい顔でそれを受け取ると、握りしめ「くそっ」と呟いた。

 大事な物なのかそうで無いのかわからないが、一応懐にしまったところを見ると、蹴飛ばされた選出者の遺物よりも価値があるらしい。

 というか、ロー公の全裸をスルーできるなんてどういう神経しているんだ? ひょっとして見慣れてる?


「火傷、治しますね。ロー公先輩」

「アリガトー、トーダ」


 俺はロー公に近づくと、左手でその背に触れた。お頭が横目で見ているのを感じながら俺は続けた。すぐさまメッセージが出て11%の【魄】の要求があり、俺はそれを了承した。これで残り101%だ。

 火の粉が爆ぜてかけらが降ってくる。もう少し離れようとして、後ろ足でなにかぐにょっとした踏んでしまい、俺は慌てて足をどかした。何を踏んだのかと、草むらからはみ出したそれを見る――思わず、悲鳴を上げそうになったが、不思議な力がそれを押しとどめた。


「あ。そうだっタ。お頭、二階の部屋でゼゼロが死んでいたから、最初に外に投げ出したんだったヨー」

「何だと?!」宿屋の周囲を見回っていたアーガスが血相を変えて遺体の確認に動く。


 ロー公は陽気に報告したが、炎に照らされて浮かび上がったゼゼロの遺体は、苦悶の表情を浮かべたまま両目を見開いていた。死因は、腹部が爆破されたかのように裂け飛んでいて、なんとも無惨な姿だった。

 お頭は幽鬼のように立ち、それを見下ろしていたが、


「……ロー、指輪を……回収しておけ」

「ウン」


 ロー公がゼゼロから【魔闘士の指輪】を外すとお頭に渡した。だが、お頭はそれを受け取ると、見もせずそのままアーガスに手渡した。アーガスが代わりに祈りを捧げるようにして指輪に黙祷を捧げると、上着のポケットにしまった。


「……アーガス、今すぐ全員をここに呼び戻せ」

「さっきからパビックに連絡を取っているのですが、応答がありません」

「照明弾を使え。まだあっただろう」

「わかりました。照明弾は馬小屋にあります。取ってきますが……」


 アーガスが俺をチラリと見る。


「……大丈夫だ、ローがいる。帰りにローに何か着る物を持ってきてくれ。……ブラブラと目障りだ」一応気にしているのか、ロー公を一瞥し、目をそらすお頭。

「ボクがお頭を守るヨー」素っ裸をものともせず槍を掲げるロー公。


 アーガスが「すぐに戻ります」と残し、駆けだした。やがて角を曲がり姿が見えなくなると、お頭は引き結んでいた唇を解き、口を開いた。


「いい気味か? トーダ」

「……え?」

「なんでもない」


 ぷいと顔を背けるお頭の横顔に憂いの表情が見て取れた。それがすべてゼゼロの死に関してものであるか限らないが、怒りや苛立ち以外にも彼女の心の澱を刺激するそんな起爆剤であったことは間違いない。

 俺は初めて彼女の感情らしい貌を見た気がした。



「……なにをするつもりだ」


 ゼゼロの遺体を前に膝を付いた俺にお頭が声を掛けた。


「ゼゼロさんの『浄化葬』をします。今からここに全員が集まるんでしょう? ですが、ゼゼロさんのこんな姿を目の当たりにして冷静でいられるとは思えません。それに、俺の【魄】もロー公先輩に使った分は回収しておかないと、もしものときに回復能力が使えないんじゃ役に立ちませんから」

「…………」


 お頭はゼゼロの遺体を挟んで反対側に片膝を突くと、その額に手を置きゼゼロの目を閉じた。微かにお頭の唇が動いたが、俺には聞き取れなかった。

 だが、少なくとも哀悼の意を呟いたのではなかったようだ。


「もういい。始めろ」

「はい。……あ、これ邪魔なので外してもいいですか?」


 俺は右手の鉄手錠を指さすが、お頭はこちらを睨んだまま何も言わないので、俺は仕方なしにそのまま右手をゼゼロの頭部に触れた。



 ――新人の料理がうまかったこともあり、普段呑まない酒をたらふく呑んだせいか、早々に眠くなった。パビックに夜回りを押しつけると俺は宿屋の一階で寝ることにした。

 ――だが、ちょうど寝入ったところをアーガスに起こされることになった。他の奴なら文句の一つでも言ってやるところだが、一応アーガスは【ルーヴァリアル家】での俺の上司にも当たる。俺はあくびを噛み殺しながらも上司様の命令を聞くことにした。

 ――結局のところ、お嬢に呼ばれたからおまえ代わりに二階に行って見張りしてろって内容だった。ふぁぁあ。めんどくせーけど、上司には逆らえねーし。

 ――階段を軋ませて二階に上がる。明かり明かり……。階段を上がったところにある魔光灯に触れると、ようやく明るくなった。えーと、アーガスはなんて言ってたっけか? 手前……いや、奥の部屋って言ってたか? なんかアブネーから入るな見るなって言ってた部屋があったような……。試しに手前の部屋を開けて明かりをつけてみる。簡単な荷物が置かれ、剣の手入れ道具がベットの上に置かれたままになっていた。

 ――続いて真ん中の部屋を覗こうとドアノブに手を掛けた。その瞬間、右手に電撃をくらった。ドアを蹴り飛ばす。同時にバン!とドアの裏側辺りで爆発音がした。どうやらドアノブに仕掛けられていたトラップが発動したらしい。俺は気脈を操ると、体内の魔力の流れを正常に戻した。ったく、俺じゃなかったら危なかったぞ、これ。まだシビれてやがる。パビック辺りなら心臓マヒで死んでるレベルだ。

 ――明かりをつけて覗く。反対側の壁には、魔力を『電撃』に変換する装置が取り付けられていて、焼けたコードがぶら下がっていた。自分の魔力以外には反応するように設定されているのかも知れないな。やべっ、ドアがぶっ壊れたら部屋を覗いたことがバレる。……ま、いいけどよ。これで魔闘士は気脈による耐性があるってわかっただろうし。俺も別にいたずらに入ったわけじゃねーしな。俺は壊れたドアを壁に立てかけた。

 ――ベットの上にはいくつかの書物が置かれ、脱いだままのパジャマがそのままの形で床に置かれていた。やっぱりここはお嬢の使っている部屋らしいな。相変わらず勤勉なようで、窓近くにある机の上が書類で散乱していた。あーいや、これはドアを蹴飛ばした風圧で飛んだっぽいな。

 ――で、奥の部屋だが。これまた書類が散乱していた。置き場に困っているのか、机はもちろん簡易テーブル、ベットに至るまで書類の山で埋め尽くされていた。一体、うちのお嬢様は何の研究していらっしゃるんだっての。

 ――ポリポリと頭をかく。と、数本の毛髪が指輪に引っかかりぶちりと抜けた。「痛てて」と指輪に挟まった毛を引っこ抜いて捨てた。どうも指輪の装飾の一部が剥げてきているようだ。前から思っていたけど、魔闘士っつっても、そもそも指輪着けたままぶん殴るってのがアレだよな。俺は指輪を指でなぞった。ざらりとした感覚が指についた。……そろそろ新しいのと取っ替えてくれって申請してもいい頃だろうかね。


 ――【ルーヴァリアル家】に勤め始めた何年か前から、金払いの良さと緩い規律に惹かれて、ちょくちょくアーガス達とともに『仕事』をこなすようになった。仕事と言っても、殺人や要人暗殺、誘拐、暴行、強盗。まあ、色々だった。もとより俺は冒険者時代から“そっち”の仕事ばっかりしていた所を捕ま……引き抜きという形で【ルーヴァリアル家】に雇い入れられたのだ。俺としては隠居老人の屋敷の警護よりも、数ヶ月に一度身体を存分に動かせるそっちの仕事の方が性に合っていた。【ルーヴァリアル家】は、犯罪を犯した者の“再就職先”として有名だった。


 ――【指輪】は国の教育機関で四年間そのジョブについて学び、国が定めたジョブ試験を経てようやく与えられるシロモノだ。もちろん、冒険者や探索者として専門ギルドに登録をすることが条件だ。そして、国の法律に背き町中で罪を犯せば【指輪】は剥奪される。町の外でも殺しや性犯罪、窃盗強盗、とにかく目に余る行動を取った奴らは全員とっ捕まり【指輪】を外され、死刑か投獄される。たとえ刑期が終わっても、指輪は返還されることは無い。【ルーヴァリアル家】はそういった連中の中から使えそうな者を選別し、自分の経営する自称『更正施設』に移すと、【改造した指輪】と新しい戸籍を与えて私兵として扱った。

 ――ある者は盗賊グループとして編成され、他国の国家プロジェクトの妨害に使われた。ある者は探索者となって死ぬまでダンジョンの探索に当たらされた。戦が起これば総勢で参加させた。

 ――つまり、ルーヴァリアル家は代々【指輪の改造】と【犯罪者の人材斡旋】の元締めと言うわけだ。かく言う俺も剥奪された指輪を取り戻すために【ルーヴァリアル家】との取引に応じた。俺には【魔闘士】の才能があったし、【ルーヴァリアル家】には国の大臣を買収できるほどの潤沢な資金があった。

 ――俺の今着けている【魔闘士の指輪】はオリジナルではない。誰かから奪った物を『俺用に設定し直した物』だ。【ルーヴァリアル家】といえども指輪自体を作り出すことは出来ないらしい。指輪ってのは誰かと共有できる物じゃないって習ったことがある。とっ捕まったときに外された指輪は刑務所で何年罪を償おうが返ってくるわけではない。指輪は即日破壊され、もう一度学校に通って試験をパスしないと新しいのを受け取ることが出来ない決まりになっている。学校は一度卒業したので4年もかからないが、犯罪者更生コースは1年間はみっちり……らしい。だからこそ、今ここにある【魔闘士の指輪】は大切にしないといけない。

 ――ちなみに数日に一度程度、指輪の改造主ルーヴァリアルの血筋であるお嬢の【魔力】をこの指輪に充填しないと、ただの指輪に戻ってしまう。【ジョブ】を人質に“使われている感”ってのはあるが、警護は暇だし、なのに給金はやたら高いし、衣食住も女も面倒見てくれる。あと、この指輪は基本的に外れない。トルキーノあたりに頼めば外せるだろうが、以前に無理矢理はずそうとして死んだ奴がいるっていう話を聞いた。

 ――どうでもいいさ。外す気もない。二度と無職に戻る気もない。他にどうすることも出来ない。お嬢が死ねば、連帯責任で俺たちも終わりなのだ。

 

 ――俺は奥の部屋のドアを閉めて中に入ると、散らばっている書類を拾い上げてみた。……読めない。一体どこの国の文字で書かれているのかさえわからない。よく見れば他の書類にはそれぞれ別の種類の文字で書かれている。

 ――他国と……ってレベルじゃねーな。亜人……もしくはそれ以上か。種族を超えて連絡を取り合ってるってか。……お、こいつは文字じゃねーな。木の板に爪で引っ掻いたのを版画みてーにして写した物だ。こういうのの返事ってどうやって書くんだ? やっぱこっちも爪で引っ掻いて版画作るのかね? ははは、こっちは暗点文字だ。これはもうアタマがどうとかって言う問題じゃねーよな。アーガスが惚れ込むわけだ。

 ――お。こいつは俺の故郷の文字じゃねーか。俺はこう見えていいトコの次男坊だったからな。読み書きコマシはばっちりな訳よ。……なになに。『合成魔獣キマイラの人体融合について』……………………。へぇ。新種が出来ましたって書いてあるな。人族と交配して種族として安定させるため、奴隷を20人ほど譲って欲しい……。ははは。おっかねーや。

 ――俺は書類を元の場所に戻すと部屋を出た。そのまま軋む階段を降り、一階の自分の部屋まで戻ったところで、「火事だ!!」とロドルクの大声を聞いた。俺は窓から慌てて外を見た――が、ここからは見えない。俺は二階まで戻り、窓から屋根に上った。火事の様子をうかがうと、どうやら……アンジェリカのいたあの民家らしかった。失火か放火か知らないが、威勢良く燃えている。向かおうかとも思ったが、あとでアーガスにでも聞けばわかることだ。

 ――俺は屋根から部屋に戻ると、机の上の書類をベットの上にまとめて放った。何枚かがベットの下に入る。知らねぇ。椅子に座り、足をどかっと机の上に置いた。しばらくそうやってブラブラしていると、一階の方で何かが壊れる物音がした。俺はドアを開けると、一階に向かって声を掛けた。返事が無い。もう一度声を掛ける。ガシャンと再び何かが壊れる音が響いた。

 ――俺は一応、パスを繋いでいるパビックに『連信』を送った。本来ならボルンゴに繋がるのだが、夜回りを代わってもらうためにパスをパビックに繋ぎ直したからだ。パビックからアーガスに連絡が行けば同じことだろう。

 ――階段を軋ませながら一階に降りる。俺は深く息を吸うと、気を集中させた。宿屋の中はシンとして、物音も気配も無い。……だが、何かが潜んでいる感じはあった。ただの勘だが、俺はその勘に従って注意深く歩みを進めた。あいにくと【暗視】は効かない方だが、持って生まれた【集中スキル】によってそれを補っていた。

 ――音の出所は一階奥の厨房のようだった。俺はドアを開ける。すると、そのドアの端に重ねてあった鍋やらが引っかかり一斉に崩れ、大きな音を立てた。だが、鍋が崩れた以上のことは起きなかった。ひょっとすると、この鍋もあの新人がたまたまここに置いておいただけなのかも知れない。俺はついでにとテーブルの上にあった唐揚げを2,3口に運んだ。ふと、裏口のドアが開いているのに気づく。最初の音はそこからの風で倒れたのかも知れない。外からの煙の臭いが鼻につき、俺はドアを閉じた。

 ――欠伸を噛み殺し、俺は散乱した鍋を蹴散らしながら厨房を出ると、先ほどの音が風のせいでないことに気づいた。廊下に面した一階の部屋のドアがすべて開いていた。誰かが開けたのだ。俺はパビックに再度『連信』を送り増援を呼んだ。アーガスに伝われば誰か一人くらい様子を見に来るはずだ。俺は再び【集中】すると、一階の部屋を覗いて回ることにした。ここはサブンズが治療に使っていた部屋だ。……閉まっていたはずの窓が全開になっていて、ベットのシーツがカーテンのように窓を覆い、時折風を孕んで膨らんでいる。隣の部屋から窓の開く音がした。すぐにそこに走る。そこもまたベットのシーツがカーテンのようにひらひらと揺らいでいた。そしてまた隣の部屋から窓を開く音――

 ――俺は部屋を出ると、階段を駆け上がった。一階のすべては時間稼ぎだろうと思ったからだ。複数犯だろうが、少なくともハルドライドやロードハイムたちのいたずらではないことはわかっていた。

 ――ゴトトン。二階に上がってすぐ、奥の部屋から大きな音がした。俺は舌打ちをする。トルキーノ辺りなら【聴音スキル】とやらで、この手の『犯人捜し』ができそうだが、シーフではない俺には集中力でカバーするしか無い。俺は音のした奥の部屋へと向かおうとしたが、何かを感じとり踏みとどまると、ゆっくりと手前のドアを開けた。


 ――閉まっていたはずの窓が開いているのか、ドアの隙間から風が入るのを感じた。集中していた鼻に浸みてくるような煙の臭いだ。つけたはずの明かりが消されていた。そこには、ベットに腰掛けたままの人影があった。俺は気を集中させ、戦闘態勢に入りながら魔光灯をつけた。

 ――視界が明確化するその瞬間、視界の隅から一斉に何かを吹きかけられた。俺は【気脈】を操り、全身に魔力を滾らせる。

 ――痛みや刺激は無い。ただ両腕や上半身に張り付くそれば、透明な粘液だった。顔を覆った両腕の隙間から見れば、でかいカボチャぐらいある4体の蜘蛛が俺に尻を向け、糸を吐き出していた。

 ――正面には……女。誰かと思えば、ははは。アンジェリカが野暮ったい服装に身を包み、ベットに腰掛けたまま足を組み、俺を見据えていた。髪がだいぶ短くなっていたので気づくのが遅れた。

 ――「よぉ。あんだけ犯られて元気そうじゃねーか。宿屋のベットで俺のこと待ってるなんてよ、サイコーだぜアンタ」アンジェリカは頬をぴくりとさせたが、ふんと鼻息を吐くと、ベットに置かれていた弓と矢を取りだした。右手の人差し指に、【召喚士の指輪】が着けられている。どうやらこの蜘蛛共はアンジェリカの召喚獣ってやつだろう。俺のあとに犯ったジェイルにボコられた顔面がタコみたいに腫れ上がっていたので二度目は遠慮していたのだが、……どうやらあの新人がサブンズの時と同じように治したみたいだな。俺は内心舌なめずりをする。いい女だ。……とするとあの火事もこいつの仕業ってコトか。新人が裏切ったかどうかは、こいつをひん剥いてからでいいだろう。

 ――急に糸の引っ張る力が強まり、「お。お。お。お。お」俺の両腕がそれぞれ2匹ずつの蜘蛛によって引っ張られ、壁に縫い止められたカタチとなった。アンジェリカはそんな俺を見て、満足そうに笑った。弓を構えると、矢を番えた。素人の弓矢で魔闘士を射殺そうと言うらしい。

 ――「よぉ。今すぐこれを解いて、大人しくもう一度抱かせるってーんなら、許してやる。じゃねーとマジ殺す」一応最後の情けを掛けてやる。アンジェリカは目元をピクピクと痙攣させると、ギリッと歯ぎしりをした。「話にならないってか。歯無しなだけによ」俺はゲタゲタと笑って見せた。アンジェリカはもう限界とばかりにキリキリと弓を引き絞り、そして――

 ――俺は【気脈】を発動させ、全身の魔力を解放した。放たれた矢が胸元を衝くが、気を張った胸筋に阻まれ弾かれる。全身にへばり付いていた蜘蛛の糸もはじけ飛び、アンジェリカが驚愕の表情を見せた。俺は拳に魔力を乗せると、右拳をアンジェリカの顔面に叩き付けた。さっさとヤらせていれば死なずにすんだものによ。脳みそや頭骨が飛び散り、ガシャンと、それらが窓ガラスを突き破る大きな音を立てた。

 ――アンジェリカの右手がゆるゆると俺の裸の胸に直接触れた。どうやらあの蜘蛛の糸が俺の上着にも張り付いていたため、一緒になって吹き飛ばしてしまったのだろう。頭部を失ったアンジェリカの身体がその場に崩れ落ちる――はずなのに、その場に立ち尽くしたままだ。それどころか、再び俺の身体に蜘蛛の糸が吹き付けられ、強引に壁にまで引っ張られた。「――ペッペッ。やだ、少し口の中に入っちゃったわ」


 ――頭部を吹き飛ばしたはずのアンジェリカが血まみれのしかめっ面でそう言った。


 ――「て、てめぇ! なんで頭を吹き飛ばしたはずなのに平気でいられるんだ?!」「平気じゃないわよ。ひどいわ、血でびしょびしょじゃない」アンジェリカが手ぬぐいを取り出すと、顔を拭った。血が拭われると、元の美しい顔が現れる。なら、俺が殴りつけたアレは、何だったのか。確かな手応えと、窓ガラスを突き破って落ちていったモノは何だったのか。それに、アンジェリカの顔が返り血を浴びたように血まみれになった理由がわからない。

 ――俺は再び【気脈】を発動させようと気を集中する――が、ドクンと、急に心臓が大きくなったかと思うと、そのまま早鐘のように鳴り始めた。


 ――ドクン、ドクン、ドクン、ドクン! ドクン!! ドクン!!


 ――心臓の鼓動は次第に強く、早く、大きく鳴り始め、裡からの圧迫感に押され呼吸が出来なくなり、俺は膝を付いた。


 ――『愛しい仔よ。さあ、生まれなさい。汚れ無き子供達よ。神は死に往くあなたを認め、死に往くあなたの罪を許し、再び生まれくるあなたに新しい名前を与えるでしょう』アンジェリカが唱うように言った。


 ――ドクン!!! ドクン!!!! ドクンドクンドクンドクン!!!!

 ――ドクン、ドクン、ドクン、ドクン! ドクン!! ドクン!!


 ――呼吸が出来なくなる。息が吸えない。息が吐けない。まずい。【気脈】が乱れて使いものにならない。

 ――バクバクと心臓が爆発しそうだ。ガスでも注入されたかのように俺の腹が異常に膨らみ始める。腹の中がぐちゃぐちゃと蠢く。動く。力が吸われる。酷い虚脱感に脂汗が全身から噴き出すのを感じた。

 ――腹の中から何かが飛び出てくる。直感的にそう感じた。今にも破裂しそうだ。抑えきれない。俺は腹を押さえ、必死に耐えようとした。うつ伏せでは耐えられない。腹が膨らみすぎて膝と額が床から離れてしまった。ごろんと仰向けに転がる。

 ――俺を見下ろす女と目が合う。アンジェリカが両手を広げ、涙を流しながら哄笑していた。


 ――『【召喚士アンジェリカ】が『ゼゼロ』を生け贄として、ここに新たな命を誕生させる! 生まれくる仔の永遠の魂をここに宿れ! 【召喚獣ダダジム】!!』


 ――俺の腹が内側から裂けた。何かおぞましいモノが腹を食い破って出てくる。ソレに肺を押しつぶされていたため、俺の断末魔は掻き消され、「クルルルルル……」6体の産声が耳朶を打った。


 


「トーダ、大丈夫? お腹痛いノ?」


 背中をさすられ、俺は徐々に正気を取り戻していく。


「……いえ、大丈夫です。妊婦さんには絶対見せてはいけないエイリアン的な何かを追体験したことによって得られた情報がこれまた寄生虫に腹を食い破られた青虫と同様に――」

「何を言っているんだこいつは」


 どかんと肩を蹴られて倒れ伏す俺。ぐぉぉ。今までに無くシュールな死に方だ。エイリアン2は名作だが、よもや1のあのシーンをやられるとは……。

 こんにちは赤ちゃんダダジム、私が召喚士ママよ……って、あれって完全に寄生蜂的な感じだよね。心臓にダダジムを植え付ける感じで。

 宿主の肉体をそのまま『生け贄の祭壇』として扱って、魂と魔力を媒介にして、宿主の体内から召喚獣を誕生させる……。おぞましい。

 アンジェリカは一撃で殺せる、とか宣っていたが、こういう意味だったのか。

 そりゃ、命を使って召喚獣を誕生させれば、『生け贄』は死ぬよなぁ。

 

「すみません。でも、無事に【魄】を回収できました。ゼゼロさんの遺体が浄化され崩れます」

「わくわく。わくわく。お頭ー、見ててネ、今からジュワジュワーってゼゼロが融けちゃうんだヨ」


 ロー公が目を輝かせながら言った。

 それと同時にゼゼロの身体が崩れ始め、地面に融けていった。ロー公が無邪気に歓声を上げるのをお頭は無言で見つめていた。


「…………」


 ロー公の昔話でひょっとしてと思っていたが、やはり盗賊の何人かは以前ロー公に叩きのめされた連中が含まれているのだろう。

 お頭は【ルーヴァリアル家】の血筋の人間で、『指輪の改造』と『人身売買』で生計を立てている家柄だ。錬金術師はどうやってジョブレベルを上げていくのかなと思っていたが、なるほど、自らの魔力を込めた『改造した指輪』を使わせて、主体的に戦闘に関わっている風に収まってるわけか。おおよそ半分くらいが指輪を通してお頭のものになっているのだろう。


 召喚士が召喚獣を操るように。ネクロマンサーがクグツを操作するように。錬金術師もまた同様に、自ら手を加えた指輪を使わせてヒトを操っているのだろう。

 合理的というか、なんというか。

 てっきり錬金術師は自分が作成した“武器”で魔物を倒すかなんかして経験値を得るみたいな方法で他のジョブのように鎬を削っているのだと思っていたが、いやはや感心した。

 そういえばお頭は『盗賊達に武器を貸与している』とかなんとか言っていたか。たぶん、偽造した指輪に反応する武器を作成して貸し出しているのだろう。もしくは、指輪の方に細工がしてあって、その武器でしか力を発揮できない、そんな二重の保険が掛けられているのかも知れない。

 …………。

 ひょっとすると、錬金術師はネクロマンサーよりも非効率というか、面倒くさいくらいの手順を踏まなくてはジョブレベルを上げることすらが出来ないんじゃないのだろうか。

 スマホやケータイが充電を必要とするように、偽造した指輪に自分の魔力を補填し続けないと使い物にならなくなるみたいだから、お頭は盗賊達とは持ちつ持たれつの関係、アルバイトと経営者みたいな関係だろうか。春闘とか起こるんだろうか。

 だが、うまくハマればただそばにいるだけで、勝手に盗賊達がレベル上げに貢献してくれる。が、中にはジェイルみたいな“きかん坊”もいて扱いには気を遣いそうだ。あくまで『魔力で操る関係』ではなく、人による『雇用形態』を取っているのがなんともリアルで面白い。

 【ルーヴァリアル家】という代々続く錬金術師の家系は、おそらく先代選出者が経営基盤を確立させ、“スキル”のように安定させたものだろう。まさに【転生者】ならではの方法だ。【転移者】でイチから錬金術師を始めるにはリスクが高すぎると思う。


 さて。そんな有名な【ルーヴァリアル家】のご息女一同にこれから喧嘩を売って、しかも、ちょめちょめアッハーンしようというのだ。証拠が残らないように皆殺しにでもしなければ全国指名手配は免れないだろう。

 うーん。

 後始末アフターケアって大事かもなぁ。

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