第13話 ハプニング

 今回の瀕死体験は割と単純なものだった。

 スキンヘッドで顔中入れ墨の頭がおかしそうな男に馬上から槍で突かれて殺された内容だった。

 ただ、致命傷を受けて倒れたあと、スキンヘッドは馬から下りると、俺の腹を黒い槍で執拗にグサグサ刺し、ブラックアウト寸前の俺に向け、おもむろに右手を伸ばしてきた。

 その手には、見覚えのある紫色の指輪と、手のひらには紫色の光があった。

 おそらくは、そのスキンヘッドがこの町で【死霊の粉】をばらまいた真犯人――ネクロマンサーだろう。

 本来なら憎むべき無法者であるはずなのだが、同業者としてなにか得るものはないかと今後注目……というか、瀕死体験の中でも意識を集中させてこのネクロマンサーを追ってみるというのはいかがだろうか。


 基本的に瀕死体験は『生存中に見た最期の体験』が主だ。

 『いつ、どこで、だれが、なにを、どうした』的なものの考え方で言うと、瀕死体験中はその当人と『意識、記憶の共有』が出来なくもない。つまり、それに『予測と考察』を加えることによって様々なことが見えてくる。

 『いつ』では、外であるなら太陽の光でだいたいわかる。もちろん詳しい時間なんてわからないが、朝か夜かがわかる程度。

 『どこで』は、犯行現場。これはそのまんまだ。『殺される・死ぬ直前』にもっともっと冷静に注意深く周囲を覚え平常心でいられれば、たとえば死んだあと、崖から落とされても墓場で埋葬されても犯行現場を探し出すことが出来る。

 『だれが』は、結構難しい。目隠しをされたり、後ろからばっさりだったりするとダメだ。情報は全て目からしか入ってこないのが理由だ。他の五感『嗅覚・触覚・味覚・聴覚』は働いていない。何となくわかるのも、すべて当人の『記憶』を共有しているところからくるものだ。斬られる痛み、口の中に広がる血の味、周囲の声、最期に握りしめる服や土の感触。すべて視界から入る情報と、行動の共有からだ。

 『なにを』は、この場合『武器』になるのかな。剣であったり槍であったり、矢であったり、直接食われると言うのもあったか。あれはやだ。

 『どうした』は、『なぜ死んだか』『どうやって殺されたか』を知るヒントになることはあるが、殺された瞬間、電源が切られるように突然終わったりだと現実に戻ってから考察するしか方法がない。先ほどの瀕死体験は首を半分近く切られたグールだったことから、即死に近いとそうなるのだろう。逆に、矢傷を負って出血多量で瀕死体験が長引くこともある。実際には数十分苦しんだだろう瀕死体験も【魄】を吸い取る短い間だけに起こるダイジェスト映像に過ぎない。


 瀕死体験は【夢】という感覚が一番近い。全ての感覚が意識の中だけで行われる。痛みで地面を転げ回り、喉にせり上がる血で溺れても、俺には悪夢を見ている感覚でしかない。

 瀕死体験中に俺が出来ることは2つ、より同調することで当人の感情やら記憶やらを読み解くことと、逆に意識から目をそらし、より客観的な立場からにこの悪夢と向き合うことだ。

 前者に同調すれば、痛みや苦しみを強く意識するが、代わりに記憶や感情、その時なにを感じなにをしていたか、その手がかりを知ることが出来る。

 後者のように客観視すれば、たとえば犯人の歯が虫歯だったとか、薬指が一本欠けていたとか、左利きだったとか、『相手が誰と何を話していたか』とかを集中して臨むことが出来る。聴覚がないので聞こえるはずないのだが、当人には「聞こえていた」情報なのでその記憶を鮮明にすることで理解することが出来るというわけだ。

 両方同時に行うのはかなり難しいが、最初の方よりだいぶ理解が出来るようになってきた気がする。


 ……ただ、【記憶スキル】があるため、決して忘れないというのが怖く感じる。思い出そうとしなければいいだけなのだが、この先独りになったりすると、ネガティブなことばかり考えることになるだろう。

 平常心スキルがなかったら気が狂うかもしれないとか思う。


 とにかくも、ネクロマンサーというジョブに就いてしまったのだ。もう後戻りは出来ない。ならばこのまま進むしかないのが現状だ。

 進むと決めた以上、欲しいのは情報。この世界で生きていける最低限の常識を身につける必要がある。

 それに、この世界におけるネクロマンサーの存在だ。そんななかスキンヘッドのネクロマンサーを見つけたのは大きい。彼がこの世界でどういった立ち位置なのか、どんなことが出来たのか知る必要がある。

 ……でも、どう考えてもあのスキンヘッドは悪者だよな……。


 主観的な情報なら自分で苦労して一から集めればいい。だが、他のネクロマンサーの情報というのは稀少だ。ただでさえ陰気なマイナージョブだ。犯罪者リスト以外で見つけ出すのは困難そうだ。

 そういうわけで、スキンヘッドのネクロマンサーがこの町で悪さをしていたとわかった以上、瀕死体験の中でも出来る限り意識して追っていこうと思う。



「そういえば、さっき何か言いかけていましたよね。『俺のように負傷兵も多い。今のメンタルと人数で本当に行くのかわからないけどな。それに……』って」


 【魄】の回収を終えたので奧に引っ込むと、俺はクレイにさっきの続きを聞くことにした。


「あ、ああ……さっきそんなこと言ったか。ボーッとしているように見えて案外記憶力いいんだな、トーダは」

「ええまあ。記憶力抜群なのが取り柄ですから。世間知らずで今まで知らないことが多かった分、記憶のスペースが多いんでしょうね」


 ははは、と二人で笑い合う。


「討伐隊の編成は多くても40人程度になるだろう。南門から出て行った連中は多く見積もっても30騎程度と思われる。本当なら倍ほどの数が欲しいところなんだがな」


 40対30か。いやまて、ダダジムの瀕死体験で見た映像では盗賊側は20数名程度だったぞ。

 40対23くらいか。


「正面対決では死傷者の数が多くなりそうですね」

「そうだ。この町にはまだ重傷者がいて、それがグール化しないとも限らない。それに、東門から出て行った連中も再び襲撃をしてこないとも限らない。そのため、この町の守りを固める必要最低限な兵士の数がいる。……むしろ、南門から出て行ったのは陽動で、町の兵士達の分散を狙ってのことではないかと俺は考えているんだ」


 クレイは俺をじっと見ながら言った。

 まだ俺を疑っているのか、それとも素人の俺に意見でも聞きたいのか。


「それはあるかもしれませんね。南門を破壊して出て行ったのが約30騎。町の兵士は東西南北どのくらい配置されているんですか?」

「全体で120名ほどだ。町に残って、且つ動けるのは60名ほどだな」

「……町から出て行った盗賊の数とほぼ同じになりますね……。明け方に討伐隊が40名で出発するとして、その先の村まではどれくらいかかりますか?」

「夜明けから馬で休まず走って、昼過ぎといった感じか」


 馬での移動距離はわからないけれど、夜明け前から昼過ぎなら6,7時間ほどか。

 結構遠い。


「たとえばですけど、盗賊達が南門からの道を進み、ある地点で森の中に身を隠すと言うことは可能ですか?」

「ああ、できないこともない。およそ30km程行くと馬を休めることができる広場があるんだ。すぐ近くに沢に降りることが出来る道もある」


 クレイは地面に大雑把な地図を描き、南門からくねくねと曲がった道の先と、沢との合流地点を指で差した。


「そこは俺も通りました。この付近でファイヤーウルフに襲われて、カステーロさん達と出会ったんです。まあ、そのあと二人は馬車で先に行って――」


 俺はひどい目にあった場所に指を置くと、道に沿って少しだけ指を戻す。


「それで、だいたいここだと思いますけど、カステーロさんが事故に遭い馬車ごと落ちた現場は。偶然ですが、俺がカステーロさんの救出に崖を降りていった時に盗賊達が道を通ったみたいでした。つまりこの時間、盗賊はこの道を通っていったと言うことです」

「なぜそれがわかったんだ?」

「盗賊のことはそのときカステーロさんから聞いていましたし、それに元の道までカステーロさんを担いで戻ってみると、崖を降りる前にはなかった多数の蹄のあとで道が荒れていましたから」

「いや、盗賊のことじゃなくて、崖から馬車ごと落ちたんだろう? 俺も何度も通ったことのある道だ。斜面が急な場所も知っている。転がり落ちたとして、かなり下まで落ちたんだと思うが、よく気がついたもんだな」

「え……ええまあ。轍に沿って歩いていたんですけど、真新しく草を踏み分けていった場所があるなーなんて思って下を見たら、馬車からの荷物が斜面に引っかかっていたので」


 アンジェリカに教えてもらわなければまったく気づかなかったわけだけど。


「カステーロ氏も崖から落ちてよく無事だったと思うな」

「ああ、それはカステーロさんから聞いたんですけど、馬車の中で布団にくるまって休んでいて、積んでいた荷物も村から仕入れた品物とか毛皮とか、柔らかいものばかりだったそうでそれがクッションになったって言ってました」

「だいぶ運がよかったんだな。……それで、ジャンバリン氏はその時の事故で亡くなったんだな? トーダ」

「はい。斜面を降りていたときにジャンバリン氏の遺体を発見しました。それはカステーロさんにも確認してもらっています」

「そうか。ならジャンバリン氏の遺体は事故の現場に残してきたのか?」


 ――――。

 言葉に窮するとはこのことだろうか。

 俺は逡巡し、頷く。


「わかった。少し遅れると思うが、盗賊の件が片付き次第ジャンバリン氏の遺体を運ぶことにしよう。ジャンバリン氏はカステーロ氏の別れた奥さんの息子だって話だ」

「あ……。そうなんですか……」


 俺はカステーロさんの落胆した様子を思い出す。

 名字が違っていたので、よもや息子だとは思わなかったが、カステーロさんが涙していた意味がようやくわかった。カステーロさんは嘘をついていたのだ。


「なら、なるほど……。少なくともこの区間、ヤツらは脚を止めずに進んだらしいな」


 クレイは口元に手を運ぶと、何か考え込むように唸った。

 そこにパーソン神父の進行具合を見ていた係の兵士からクレイに連絡が入り、クレイがのろのろと立ち上がる。


「行きましょう、呼んでます」

「トーダ。その地点な、カステーロ氏を担いで町まで歩くには、またずいぶんと距離があるようなんだが、何か使ったのか?」

「え……と、まあ。軽く……」


 ぎくりとする。

 馬鹿正直にダダジムタクシーのことを話すわけにもいかないので、口ごもる。


「そうか。なんにしろカステーロ氏が助かったのはよかった。またあとでな」

「はい……」


 何か見透かされているような気もするが、俺は掘られた墓穴に入ると、合図を待ってグールの頭に手を置いた。


 今回は子供だった。

 逃げ惑う人の波にのまれ、泣き叫んでいるところを馬上から斬られた。

 スキンヘッドの男が何か紫色の靄のようなものをまいていた。『死霊の粉』ってやつだろうか。スキンヘッドは笑いながら町中に『死霊の粉』をばらまいていた。まるで見せびらかすように。やがて子供は事切れ、俺は最悪の気分のまま現実に戻った。 

 クレイの手を取り墓穴から這い出ると、何とも言えない気持ちのまま奧に引っ込む。


「そういえば気になっていたことがあるんですけど、聞いていいですか?」


 気を取り直して後半戦を始めることにした。


「ああ、いいぞ」

「ジルキースさんはジャンバリンさんの知らせを受けて町に戻ったと聞きました。ですが、道中盗賊と争った形跡はなかったようなんですけど、これは一体どういうことなんでしょうか?」


 クレイが快諾してくれたこともあって、俺はずっと気になっていることを聞いてみた。

 ジルキースがジャンバリンから報告を受けて町に戻ったというのなら、南門を突破してきた盗賊と鉢合わせになっていないとおかしいことになる。

 だが、南門付近までダダジムタクシーを利用してきたが、どこにも盗賊の死体らしきものはなかった。


「ああ、それはジルキース氏が読み違えて『西門』から町に戻ろうとしたせいだな」

「『西門』ですか?!」


 俺は驚いて聞き返した。

 クレイは頷くと、説明してくれた。


「ああ、南門近くの地形は確かに西に森、東側は崖なんだが、10kmほど進めば西側から森を突っ切る獣道がある」

「そうなんですか? でも森の中は獣が掘った穴でいっぱいで馬が通れないって聞きましたけど」


 魔物もいっぱいだろうし。


「だいたいはな。だが、木の根が入り組んだ地盤の固い道があるんだ。一部の人間しか知らない抜け道ってヤツだ。約4kmで西側の小道に出て、そこから約3kmで西門へ通じる大きな道に出る。実際、ジルキース氏はそこから町の中に入ったわけだからな。南門への道をそのまま進んできたらヤツらと鉢合わせだったんだが、そこは運がいいのか悪いのか」

「そうだったんですか。……ああ、これで1つ疑問が解けました。ジルキースさんが状況を知って南門を目指したというのに、鉢合わせしたはずの盗賊の死体がどこにも転がっていなかったから」


 だから、話を聞いたときジルキースは盗賊の一味と決めつけていた。

 てへぺろ。


「ああ。しかもわざわざ遠回りして西門から駆けつけようとした理由が、「東門から入ったんだから西門から出て行くものと考えていた」だとさ。確かにそう考えるのが筋なんだろうけどさ、あの人っていつもどこかずれた読みをするんだよな。腕っ節は強いのにもったいない」

「……ははは」


 クレイはまたさらに声を潜めていった。


「すでにこの町には盗賊どもと繋がった連中が入っていた。多くは町中でジルキース氏に討伐されたが、それが冒険者だけだったとは限らない。住民権を持つ人間だってあやしいやつはいくらでもいる。それに、この町に出入りしている商人も多くいるんだ。疑い出せばきりがない」

「つまりまとめると、内通者がまだいる可能性があって、兵士の人数が手薄になった瞬間にもう一度攻め込まれるかもしれないから、討伐隊に多くの人員が割けないと言うわけですか」


 クレイが頷く。

 俺は少し考えて言った。


「でしたら討伐隊を出すのを遅らせればいいと思います。王都から援軍を待っている状態と聞きましたから、少なくともそれを待ってからがいいと思います」

「その理由は?」

「相手の目的がはっきりとしていないからです。町の襲撃は計画されていた大がかりなものだと思われます。冒険者を雇い、内通者を使い、東門を開けさせた。100人規模の盗賊団を結成するのが容易なのかどうか知りませんが、町を襲撃してすぐ二手に分かれたのも気になります」

「…………」

「西門ではなく、南門を襲撃したのはその先に彼らの目的の何かがあったからなのではないかと、俺は思います。二手に分けた盗賊の大半が町の住人を虐殺する方に回りました。町を焼いたのも被害を大きく見せるため、そして『死霊の粉』を使い撤退後の混乱を助長させる徹底ぶりです」

「…………」

「虐殺組は町で暴れるだけ暴れて帰って行ったということですから、ひょっとすると……あ、出番みたいです。行きましょう」

「……そうだな」


 俺はケイトが戻って来たのを見てクレイとの会話を中断した。

 クレイは俺の話を眉間に皺を寄せながら聞いていたが、なにも言わなかった。


 パーソン神父のそばまで来ると、墓穴に入れられた女の遺体にすがりつきハデに泣きわめいている男がいた。「アンナ、アンナ」とか泣き叫んでいる。

 今回はグールではないのか、遺体はぴくりとも動いていない。ただの亡骸のようだ。

 鑑識を使ってみる。


 ・アンナ・バロパンス <女・29歳>

 ・【ジョブ】 ―

 ・人族


 指輪をしていないのか、ジョブは確定していないようだった。

 疑問を抱きつつ、今度は泣きじゃくっている男に鑑識をかける。


 ・ベン・バロパンス <男・29歳>

 ・【ジョブ】 ―

 ・人族


 こちらもジョブがない。単に指輪をしていないだけだろうが、バロパンスという名字が同じなのだからこの二人は夫婦なんだろうと思う。

 妻の遺体にすがりついて泣きじゃくっていた男――ベンは、兵士達数人に連れられて墓穴から出ていく。出て行く最中も「アンナ、アンナ」と泣いていた。よほど愛していたんだろうか。

 …………。


「仲の悪い夫婦だったが、さすがに奥さんを亡くしたのが堪えたと見えるな」

「あれ、そうだったんですか? 何かすごい号泣してますけど」


 パーソン神父のありがたい説法も聞く気がないのか、ベンはとにかく大声で泣きちらしている。周囲の人がもらい泣きを始めるほどだ。


「そいつはベンって言って酒癖の悪い男でな、以前は冒険者をしていたんだ。それでこの町の酒場でバイトしていたアンナと知り合って冒険者をやめて夫婦になったんだが、仲がよかったのは最初だけで、職を転々とするベンに嫌気が差したんだろう、次第に不仲になっていったんだ。ベンは酒場で飲んだくれるし、アンナはいつもカンカンだった。周囲の住民からはうるさいって苦情の荒らしだったらしいぜ」

「そうなんですか」

「あー、そうそう、酒場で亜人に喧嘩売ってたヤツ、それがベンだ。あいつ、人の弱みにつけ込むって言うか、立場上反撃してこないような亜人を捕まえていじめるんだよ。まあ、性格悪いんだ」

「ヤなやつだったんですね」

「鬼の目にも涙ってとこか。トーダ、よろしく頼むぜ」


 クレイは墓穴に入った俺にぽんと肩を叩いていく。

 俺は気になるところがあってクレイを呼び止めた。パーソン神父には目配せして少し待ってもらう。


「あっと、こんなの聞いていいのかどうかわかりませんけど、今回はグールじゃないんですね」

「そいつもグールだろう。ただ、後頭部に深い傷があるから、頭を潰されて動かなくなっちまったグールだ。動いていたヤツはさっきので打ち止めになる。今回からは元グールになる。知ってるか? グールは脳みそに直接傷をつけると動けなくなる。つまり元の死体に戻るんだ」

「……でもそれってグール化の原因になった【死霊の粉】が体から抜けたって言うことにはなりませんよね?」

「まあ、多分な。それがどうしかしたのか?」

「このアンナさんの死体なんですけど、グール化はしていないようなんですけど」

「……なに?」


 クレイが眉をひそめる。


「アンナの遺体は【死霊の粉】がまかれた中央市街で見つかったんだ。修理屋の入り口で寄りかかるようにしてな。辺りには盗賊どもに殺された住人がすでにグール化していたんだ。アンナだけグール化しないなんておかしいだろう?」


 だが、事実だ。アンナのステータスが『人族』のままだ。グールに変わったのなら、頭を潰そうが『グール』は『グール』のままなはずだ。


「トーダ氏。そろそろはじめてもかまいませんか? ご遺族の方が待っています」

「あ、はい。……クレイさん、ベンの動向を注意深く見ていて下さい。俺はアンナさんの死因を調べてみます」


 小声で、クレイの方を見ずに言う。一呼吸置いて「わかった」とクレイ。

 パーソン神父の手が俺の髪に触れる。

 さて、非道い目に合うとするか。



 ――夫が浮気をした。しかも、アタシより7つも若いマーサにだ。あのアバズレ女、前にあれほど言ってやったのに、まだ懲りないのか。

 ――アタシは夫のベンに詰め寄る。この甲斐性無しのろくでなしが。ちくしょう。てめぇ。

 ――胸ぐらを掴んで引っぱたいてやる。いつものように「アンナ悪かった、愛してる」と言ってみろ!

 ――あぁ?! なんだこの手は。てめぇ、アタシに手ぇあげようってのか! てめぇがマーサと寝たのが悪いんだろうが! このクズが! 思いっきり引っぱたいてやる。

 ――痛てぇ!! 殴りやがった。このアタシを殴りやがった。ちきしょう。

 ――腕に噛み付いてやる。うぎぎ。ふん……なんだいその目は。もう謝ったってゆるさないよ。このアタシに手ぇあげたんだ。てめぇ、この町の町長の娘に手ぇあげたんだ。もう終わりさ、パパに頼んでこの町から追い出してやる! せいせいするさ。なんだって? それはこっちの台詞だって?! おもしろい、あんたになにが出来る!

 ――首を絞められる。苦しい。苦しい。ベンの顔を引っ掻いてやる。少し緩む。唾を吐きかけてやる。ざまあみろ。あはは。真っ赤になって怒ってやがる。

 ――痛てぇ! ベンのヤツ、アタシの後頭部を掴んで床に叩き付けやがった! 

 ――どがん! どがん! どがん!

 ――痛てぇ! 痛てぇ! 痛てぇ!

 ――どがん! どがん! どがん! どがん! どがん! どがん!

 ――痛てぇ! 痛! ぇ! ……・・・。

 ――どがん! どがん! どがん! どがん! どがん! どがん!

 ――どがん! どがん! どがん! どがん! どがん! どがん!



「―――ぅぉぉ……」


 まだ視界が揺れている気がする。気持ちがすこぶる悪い。少々深く同調しすぎた。

 だがこれでわかった。アンナは盗賊に襲われて死んだわけでも、グールになって死体に戻ったわけでもない。

 アンナはベンに殺されたのだ。発見現場とは別の場所で。

 そしてアンナは、俺の目の前で淡い光の泡となって消えていく。


「アンナ、アンナ、赦してくれ! 俺がもしあのとき君のそばにいたのなら、決して君を怖がらせたりはしなかったのに! 君を守ってやれたのに!」

「ベン君。もういい。アンナは君を恨んじゃいないだろう。君はギルドにいて、そして盗賊どもと勇敢に戦った。アンナは助けられなかったかもしれないが、君は何人もの住民達を救ったそうじゃないか。それでいい……。それで……娘は……ううぅ……」

「お義父さん! 違うんです。俺は誰よりアンナを愛していました。もしこの背に翼が生えていたら、全てを飛び越えてアンナの元に走ったでしょう。ですが、俺の前には盗賊に襲われている何人もの住民がいました……。うう……。俺には目の前で殺されていく、町の人たちを見捨てるわけには……うう……」


 何事かほざいてる人がいる。

 瀕死体験でやたらと頭を揺らされたせいか、ムカムカとイライラが止まらない。

 おかしいな。平常心スキルはオンになってたっけ。


「そうですぜ、兄貴は何人もの町の人を救ったんだ! 兄貴の活躍はすごかったんですぜ! カーゼス町長!」

「そうですわ! カーゼス町長! ベンは何人もの盗賊を切り倒し、そして何人もの住民を救って下さいました! 私たちは見ていましたわ。ベンが活躍するところを!」


 えーと。登場人物が急に増えたな。

 察するに、ベンの冒険者時代の弟分と、あの厚化粧のおっぱいでかい娼婦風が愛人のマーサか。


「ベン君。娘のことはもういい。君がこれ以上気に病むことはない。あの子だってわかってくれる。あの子はいい子だった。母親を早くに亡くしたせいか、少々男勝りに育ってしまったが、素直で優しくて上品で、そしてなにより父親想いだった」


 あー。この父親にして、あの娘あり。教育できてねー。理解もできてねー。

 いらいらいらいら。


「アンナ……ううう」

「兄貴……ううう」

「ベン……ううう」


 なにこの猿芝居。見てられない。


「ふざけんな」


 啜り泣く葬儀の舞台場に、怒気をはらんだ罵声が響く。

 そうだそうだ。誰か今いいこと言った! 近くで聞こえたぞ。

 ……って、俺か!!!?


「トーダ氏?」


 知らぬ間に立ち上がっていた俺に、パーソン神父が声をかける。

 だが、俺は構わずに続ける。

 口が勝手に動くようだった。だが、操られていると言うよりもただ感情に流されているみたいで、俺のなかの冷静な部分だけが小さくおろおろとしている。


「カーゼス町長。ここであなたに伝えることがあります。アンナさんは他の人のように町を襲撃した盗賊どもに殺されたわけではありません」

「な、なんだね君は……?」

「浄洗師です。【死霊の粉】によりグールとなった人々の魂をパーソン神父と共に“浄化”しています。そして彼女の魂を浄化した際にわかったことがありました。彼女は盗賊に襲われたわけではありません」


 俺は目を丸くしているカーゼス町長に真実を伝えようと、息を吸い込み、


「アンナさんはそこにいるベ――ぐあ、ちょっ……」


 いきなりベンに砂を投げつけられた。

 思いっきり口に入り、俺はぺっぺっと砂を吐き出す。


「っにいってんなだっめー、っ殺すぞぉぉるるるぁぁ!!」


 すごい巻き舌でまくし立てると、ベンがスコップを手にこちらに襲いかかってきた。

 ぎゃーっ! これは想定外だー。


「っろるあぁ?! っってんどるるるぁぁ! っろすかんあぁ!!」


 逃げようにも俺ってば腰まですっぽりと墓穴に入ってるし! 神父さんいるし、砂かける人も参列者もいる。準備万端過ぎて笑うしかない。

 血走った目のベンが間近に迫り、スコップを振り上げたのがスローモーションのようにはっきりと見えた。

 死を覚悟する。

 だが、スコップは俺の頭部から大きく外れ、見当違いなところにたたき込まれた。

 土をえぐる容赦ない音に今更ながら冷や汗が吹き出てくる。

 俺は墓穴にへたり込んでしまう。


「くっそっろろるるぁぁぁ!! ざっけんらあああぁぁ!!」


 「言ったら殺す」という警告とか、わざと外したとか、そういう感じじゃないほど鬼気迫る表情でベンがスコップを滅茶苦茶振り回す。


「そこかぁぁ!? 動くんじゃねぇぇ! るるるぁぁぁ!!」


 だが、両手で振りかぶった一撃が、やはりまるで見当違いの場所に振り下ろされる。そしてまた何か大声で叫ぶと、スコップを振るった。

 周囲からはそのたび悲鳴やベンを非難する声が上がった。

 俺は墓穴から恐る恐るベンの奇行を観察していたわけだが、ベンは俺を“視認”して攻撃しているように見えるが、実は一度も俺と目を合わせていないことに気づいた。

 完全に幻を追っている感じだ。


「そこまでだ、ベン。これ以上ここで暴れるというのなら、逮捕するからな」


 疲れてふらふらになってきたベンをクレイが後ろから腕の関節を決める。


「くそぁぁ!! にげんなくるるるぁぁぁ!!」

「トーダ。言いたいことがあるんなら今言った方がいい。カーゼス町長は町のために働いていて普段とても忙しい方だ。たとえそれが娘さんのことであっても、この先時間を作るのは難しいだろう」


 クレイが俺に合図をくれる。

 俺は気を取り直し、膝に砂を払って立ち上がると、墓穴に入ったままカーゼス町長の方に向き直った。

 カーゼス町長はベンの行動に動揺してはいるものの、周囲の住民と同様俺の言葉を待っているようだった。

 マーサと弟者はクレイの部下に両脇を抱えられおとなしくしている。


「カーゼス町長、あなたの娘さんであるアンナは盗賊どもではなく、そこにいるベンによって殺されました」

「な、なんだってー! ベンが!? いったいどう言うことだ!!」

「なにいってんだるるるるるぁぁっ!!!」


 周囲が一斉にざわつく。


「ベンはマーサという女性と浮気をし、それをアンナに咎められていましたが、アンナがあまりにきつくベンを責めるので、ベンが怒ってアンナを殴りました。アンナも怒り、ベンの顔を引っ掻き、そして彼の腕にはアンナが噛み付いた歯形が残っているはずです」

「おうおう、確かに顔に引っかかれたような痕があるな、ベン。トーダ、アンナに噛み付かれた腕はどっちだ?」


 クレイは汗びっしょりのベンの顔をのぞき込むと、にんまりと笑った。


「んんめぇ~。いいかげんなろおぉぉ、痛ってっぇぇ!!」

「左腕の手首に近いところです。血が滲むほど噛まれているはずです」


 噛み付いたあと振り払われたので傷跡は確認できていなかったが、ベンが痛そうにしていたことは覚えている。

 クレイがベンの左腕の袖をまくる。


「わぁお。これはひどいな。歯形がしっかり並んでいるぜ。……なぁベン、これはグールに噛まれたのか、それともアンナに噛まれたのか?」

「にいってんだろぉぉぉ、すっとろろぉぉぉ!!」

「ベン……。待ってくれ……、君が……アンナを……」


 カーゼス町長がへなへなと座り込む。


「彼女は盗賊に殺されてグールになったわけでも、頭部を破壊されたあげく、ここに寝かされていたわけではありません。アンナはベンに暴行され、殺されたんです。アンナは発見当初、後頭部がグズグズに潰されていたはずです。それは、ベンに床に何度も何度も頭を叩き付けられて――」

「んざけんなぁっぁぁぁぁ!! うがあああああ!!」


 ベンが咆吼する。体をよじり、クレイの拘束から逃れようとするが、クレイはベンの膝裏を踏みつけるようにしてより強く押さえ込む。


「っっっ、痛ぇ、くそがぁぁ! なんなんだよてめぇ」

「ベン・バロパンス。あなたはアンナを殺しましたね。そして、それを盗賊の仕業に見せかけるためにアンナの遺体を酒場の外に運んだ……。酒場の床を調べてみて下さい。彼女の血が床に染みこんでいるはずです」


 ズギューーーン!

 俺はかっこよくポーズを決めてベンを指さした。ベンは「ぐぬぬ……」と悔しそうな顔をしたが、クレイに押さえ込まれているため動けない。

 俺はよいしょと墓穴から身を起こした。

 茫然自失となっている町長の隣で、弟者とマーサが何か話しているのが聞こえてくる。


「酒場って……、マーサ姉さん、あいつひょっとして俺たちが……」

「わかってるわよ。あんたは絶対喋るんじゃないよ! ――ちょっと、あんた! 好き勝手デタラメを並べてくれたわね! だいたい人を勝手にベンの愛人に仕立てあげてんじゃねーわよ!」


 マーサは、自分を取り押さえていた兵士の胸を両手でどついて距離を取ると、勝ち気な表情でつかつかと近づいてきた。

 そして俺の前まで来ると、そのたっぷりとした胸を膨らませるかのように腕を組むと、鼻を鳴らした。


「証拠は?」

「は?」

「私がベンの愛人だって言う証拠。……だいたい、あんたこの町で見ない顔だわ」


 え゛。

 ないよそんなの。アンナ本人が浮気したって言ってたから、そのまま引用したまでだし。


「そりゃないだろ、マーサ。先日だって酒場の裏の暗がりでベンといちゃついてたろ。今更隠すことはないんじゃないのか」

「……つまりそういうことです」


 ナイスクレイ! 

 ちっ、と舌打ちするマーサ。


「だからって、愛人扱いされるのはしゃくだわ。私はね、ベンとはなんでもないの。私は酒場で働いている女。ベンはただのお客さん。それはたしかに客に言い寄られたりはするわよ。でもね、ただの客に本気になったりするほど私は馬鹿じゃないわ。ベンもその一人。大切なお客様よ」

「あなたがベンをかばおうとする気持ちはわからなくもないけれど、ベンがアンナを殺してしまったことは事実なんだ」

「証拠はあるの? ベンがアンナを殺したって言う証拠。あるなら出してご覧なさいな」


 マーサは人を小馬鹿にしたように言った。

 だが、証拠と言われても困るのだ。実は殺されてしまう感じで見てました! なんて言ったところで訳がわからない。

 マーサは腕をひねられたままのベンのそばまで行くと、くしゃりと髪を撫でた。


「ほら、しっかりしなさい、ベン。ほら」

「だってよう、マーサ。あいつよう……、絶対あいつよぉ……」

「いいから、あんたは黙ってなさい。あんたの無実は私が証明してみせるわ」


 端から見るといい感じのカップルなのだが、どうも火サスの再放送を見ている感じで気分が悪い。


「ベンの顔の傷や手首に噛まれた痕はアンナにつけられたものだ。それは――」


 ベンに襲われた際のアンナの必死の抵抗だった、と続けようとしたところで、急にマーサが笑い出した。


「あっはっはっは。あーおかしい。これが証拠だって? あんた、人を馬鹿にするのはいい加減にしてほしいものだわ! だいたい顔の傷は今朝私がつけてやったものなんだからね」


 な、なんだってー。


「ベンがあんまりしつこいもんだから、私が引っぱたいてやったのさ。それはその時の傷さ。でもね、手首の噛み傷は私じゃないわね。ああそうあんたの言うとおり、アンナかもしれないわね」

「お、おい、マーサ!」


 ベンが情けない声を出し、すがりつくような目でマーサを見つめる。


「だけど、違うわ。ねぇそうでしょ、ベン。それは盗賊達と戦っていたときに噛み付かれた傷だったわよね。私たちを盗賊やグールから身を挺して守ってくれたときに出来た傷だもの。……だから、私が命の恩人であるベンに肩入れしたって不思議じゃないわよね、クレイ……?」


 にぃぃと、マーサは赤い唇を歪めクレイに笑いかける。


「それともまだアンナの噛み付いた痕だって言い張るつもりなのかしら? いいわ、アンナの歯形を造ってベンの手首の傷跡と照合してもらいましょうよ、それが一番合理的よね! 浄洗師さん! それじゃ、アンナの死体をもう一度出してもらえるかしら!」

「……っ」

「出せないのぉ? しょうがないわね! じゃいいわ、なら酒場でもどこでも頭をぶつけたっていう床を調べたらいいじゃない! 頭がグズグズになるくらいなんでしょ。きっと血がいっぱいよねぇ。探してみるといいわ! 見つかるものならねぇ!」


 墓場に似つかわしくないマーサの哄笑が響き渡る。

 だが、俺には彼女の高笑いを止める術がなかった。クレイがベンを解放しているのが目の端に映った。

 俺の負けだろう。

 瀕死体験により、俺はアンナの殺害にベンが関わったことを知っている。だが、『知っている』だけだ。俺が知っているのは『真実』だけなのだ。

 皆が納得できるような『殺害を立証する客観的な証拠』を提示することが出来ていない。

 もしもアンナの死体が残っていたら、歯形でもなんでもとってベンの手首の傷とを照合するのだが、この世界ではそれが証拠として成り立つかすら怪しい。

 俺は早まったのだ。

 そもそもなんで「ふざけるな」とか言って立ち上がってしまったのかすら理解できない。

 俺は目立ってはいけないところで目立ち、そして負けた。

 下手をすれば、アンナ殺しの真犯人にされかねない。

 ――いや、まさに……。


「だいたい、なんであんたがそんなにも詳しくアンナとベンのことを調べていたのか知らないけどさぁ。アンナの後頭部がグズグズになっているのって、実際触ってみないとわからない訳じゃない? だけど、浄洗師さん、あなたが触れたのはアンナの額だけ。なら、ど・う・し・て・アンナの後頭部が床に叩き付けられてグズグズになってたって知ってるのかしらぁ~、納得いく答えを聞かせてもらえるわよねぇ、浄洗師さまぁ~?」


 マーサが俺に笑いかけてくる。だが、目が笑っていない。


「そ――」

「もう、やめないか! ここをどこだと思っているのか! あなた方は亡くなられた人々の骸を前にして、人殺しの話をまだ続けるというのですか!!!」


 パーソン神父が、その痩躯からは想像できないほどの大声を放ち、俺たちを叱った。

 マーサは皆にまで聞こえるように大きな舌打ちをすると、クレイを突き飛ばしてベンを立ち上がらせた。


「いくよ」

「ちょっと、まだアンナの埋葬が……」

「うるさい!」


 マーサは怒気を漲らせたような眼で俺をひと睨みすると、ベンを引きずるようにして墓場を出て行った。弟者もその後を追いかけるようにして行ってしまった。

 あとに残された遺族は、カーゼス町長ひとりだった。

 カーゼス町長は、目の前を引きずられるようにして下がる俺を見ることもなく、始終がっくりと首を下げたままアンナの衣服に土をかけていた。


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