ネクロマンサーは泣かない

あど農園

【序章:1】異世界に誘われて


 ネクロマンサーは泣かない




 気がつくと、目の前に女の人がいた。

 見知らぬ女性だ。

 ただずいぶんと長く彼女を見つめていたらしく、しかも何も言わず動かないものだから、俺は彼女を人と認識できていなかったらしい。

 髪は銀髪で長くストレートで、瞳は金色かそれに近いオレンジのような色をしていた。

 寝ぼけているかのような思考の状態は、今も続いている。

 現状を把握できない。

 なのに目の前の女性ときたら、こちらをただじっと見つめたまま身動き一つしていない。


 ……ここで何をしているんだろう俺は。まさか“お見合い中”じゃないよな?

 ここは笑うところだが、まるで霞がかったような感じで思考がうまくまとまらない。

 いったい誰と会っているんだ? そもそもここは何処なんだ?

 ぼんやりと周りを見る。

 薄暗くてなにもわからない。そもそも自分が立っているのか、座っているのかすらわからない状態だ。

 ふわふわとして何か落ち着かない感じはあるくせに、何かを思い出そうとすると、まるで霞がかったように思考がぼやけてしまうのだ。


「――では、話を進めてもよろしいですか?」


 清涼な一言に意識が吸い付けられた。

 俺の目の焦点が、彼女の金色の目に合うと、彼女はすっと目を細めた。

 おもむろに手のひらをかざすと、彼女は指先で宙にノックする。すると、なにもない空間にまるでパソコンの中のような画面が幾重に浮かび上がる。

 俺は思わず薄く笑った。まるで、この間観た映画のアイアンマンの世界だ。

 夢だなこりゃ。俺はそう思った。


「あなたは選ばれた人間なのです。これより新世界エレクザードに入り、“アステアのオーブ”を手に入れてきていただきたいのです。つきましては、あなたにはこの世界にあった種族やジョブを設定していただきたいのですが」

「すみません。どちら様ですか?」


 選ばれた人間なんて言葉を口にするのは、詐欺師かスポーツが強い私立学校の部活の顧問、のど自慢で優勝……あとなんだろう?

 俺の問いに、空中を操作中の彼女の指先が止まる。


「失礼しました。わたくし“イザベラ”と申します」


 イザベラさんと言うらしい。

 金色の目で見つめられ、思わず息をのんでしまう。だけど、俺は得体の知れない焦燥感に駆られ、次第に焦りだしていた。


「ここはどこ、ですか?」

「ここは、イル・ラテハの亜空間になります」 

「違う。ここは何処か聞いているんだ」


 少し口調が荒くなる。


「ええ。ですから、ここはイル・ラテハの亜空間になります」


 これじゃ水掛け論だ。

 違う。だから違うって。俺の聞きたいことはそんなことじゃないはずだ。

 だんだんと頭の中がクリアになっていく。今まで見たどんな夢よりも視界が晴れていっている感じだ。

 俺は頭を振り、汗を拭うように手の甲を額にこすりつけようとして――手がないのに気づいた。あるべき手の甲の感覚が額を素通りしたのだ。


「うっ、うわっ??!」


 素っ頓狂な声が俺の口から漏れる。今度は本当に全身からぶわっと汗が噴き出したような気がした。

 俺は慌てて、両手を見る――が、そこにあるはずの俺の手がない。というか、俺の体がない。

 手、足、腕、胴体。見覚えのあるもの全てが、自分の体から消えてなくなっていた。

 全身の血が引くのを感じた。それで、今まで何がおかしいと思っていたのかがわかった。俺の体がないのだ。今まで必ず見えていた体のどの部分も見当たらないのだ。

 鼻はあるのか? 口は? 手がないので触って確かめることすらできない。

 思わず悲鳴を上げそうになる俺を、イザベラはやんわりと止めた。


「落ち着いて下さい。本当のあなたは眠りについています。わたくしは、あなたを夢の中から連れ出し、今こうして話をしているのです」

「はぁ?! 夢って何だよ。夢って! そもそも――」

「驚かれるのは無理もありません。皆さんそうなってしまうので、あえて意識だけここに連れてきました」


 テンパる俺に、彼女は冷静だった。まるで今までに何人もそうやって見てきたかのように落ち着き払っていた。


「この場に肉体ごと運んでしまうと、大概の方は気が動転してしまって、泡を吹いて倒れられたり、過呼吸を起こして気を失ってしまう人がいましたので、今では意識だけお連れするようになりました」

「意識だけって……、俺は死んだのか?」

「そう勘違いされる方もいらっしゃいますが、あなたはまだ生きています。体が見えていないのもそのせいとご理解下さると助かります」

「そ、それはなにより……です」


 彼女の、生きているという言葉に一瞬ほっとする。

 訳もわからずだが、腹の中にずん、としたものが落ちた。安心した、ということでいいのか。だが、不安でまだ胸が苦しいような気がする。見えない手を胸元にやり、心臓を鷲掴みにするイメージでぎゅっと握りしめた。

 そんな俺の行動が見えているのかいないのか、彼女は俺の胸元からついっと視線をあげ、目を合わせてきた。


「簡潔に申し上げますと、今は夢を見ている状態に近いのです。目を閉じて夢想していると考えていただけると幸いです」

「ああ、なるほど。たしかに目を閉じたら自分の体は見えなくなるよな」


 うんうんと俺は頷く。そういえば姿が見えないって言うのなら彼女にはどう映っているんだろう。気にはなるが、今はそんな場合じゃないだろう。


「それではまず、目的・概要、初期設定、キャラクター設定、ボーナスポイント設定の順で説明させていただきます」

「キャラクター設定?」


 イザベラは宙に指を動かし、透明感のある画面を俺の目の前に出した。


「これは?」

「新世界エレクザードの世界地図です」


 俺の問いに、イザベラはこともなげに応える。

 なるほど、目の前の画面には俺のよく知る世界地図とはまた別の世界地図が映し出されている。


「ネットゲームか何かの地図ってことでいいですか?」

「そうですね。まずはその感覚で話について来ていただけると助かります」


 ネットゲームってことで話がついちゃったよ。


「わかりました。これは夢で、今からネットゲームの初期設定の説明をしてくれるというわけですよね? でも、俺はネットを繋いでのゲームなんてやったことないんですけど」

「ええ、それは構いません。あなただって、産まれてくる前の記憶なんてないのでしょう?」

「そりゃありませんけど、何か調子狂うな。……その、ゲームって言うのは強制的にやらされるんですか、俺」

「はい。もう決まったことですから。ダダをこねたところで、状況は変わりませんし、あなたには諦めていただく他ありません」

「あきらめて、話を聞けってことですか?」

「はい。言いたくはありませんが、耳をふさごうにも手はありませんし、あなたの意識に直接話しかけているので聞こえないフリもできません。逃げだそうにも足がありませんし、そもそも出口がございません」

「えーと、これって俺の夢なんですよね?」


 不安になって聞いてみる。


「夢のようなもの、とだけご理解下さい。眠っているあなたの意識をここに連れてきて、話をしている状態なので、必ずしもそうとは言い切れないのですが」

「……で、どうしてそこまでして俺にネットゲームをさせたいわけですか? さっき選ばれたって言いましたけど、俺は何にも応募してないですよ」

「そうですねぇ……なんと言ったらいいんでしょうか……」


 イザベラは、ん~、と頬に指を添え考える仕草をすると、胸の前でパンと柏手を打った。

 それで満面の笑みを浮かべると、口を開いた。


「わたくしは今までにも幾人もの人間をこの新世界エレクザードに送り込んできました」

「答えになっていませんよ」

「正攻法でいこうと思います。あなたが泣こうとわめこうと、わたくしの話を聞くしかないのですから」


 うわひでぇ、強行突破してきやがった。

 というか、このひとだんだんと目が据わってきてるし。ここはおとなしく話を合わせるしかないんだろうか。


「新世界エレクザードに人間を送り込み始めてもうずいぶんになりますし、あなたのように取り乱す方がほとんどですから。ですが、大概の方は最終的に納得していただいています」

「俺もその例に漏れないと思っているんですか?」


 クレイマーをする気はないけれど、理不尽な勧誘には断固として反対するつもりだ。


「わたくしの話を妨害する方には、こういう処置をしております」


 そう言うとイザベラは宙に指を動かし、何かの項目にチェックを入れた。


「―――、―――? ――???」


 あれ、言葉が出てこないぞ? ちょっと話せないんですけど?!


「ずっとわたくしのターンでございます」

「―――!!?」


 うぉぉいい。


「質疑応答はあとで時間を取りますので、まずはわたくしの話を聞いて下さい」


 そうしてイザベラは、新世界エレクザードとやらの説明をしだした。

 面積がどうだとか、規模がどうだとか、海面積がどうだとか、へーほーきろめーとるだとか、人口がどうだとか、歴史がどうだとか、産業革命がどうだとか、魔力がどうだとか、魔族がどうだとか、魔獣がどうだとか、ようするにゲームの世界観を延々と語られた。


「――というのが、新世界エレクザードについての概要です。何か質問はありませんか?」


 せんせー。口がきけません。コンパのピンクとハードではどっちがエロいんですか?


「ないようなので次に進みたいと思います。では、続いてあなたの目的ですが」


 ガン無視された。

 つまり、アステアのオーブってのをもってこいということらしい。自分ではその世界には入れないから、俺を使いに出して取ってこさせようって言う算段らしい。

 新世界エレクザードには地球から100人ほど無作為に選んで、それぞれ違うものを持ってこさせるようお使いに出していると言う話だった。

 老若男女問わず100人ほど。その世界で一人死ねば、地球人から一人選んでその世界に放り込む。そういうのを永遠と繰り返してきたらしい。

 それで、その世界に送り込んだ人間がお使いを果たせず一人死んだので、都合選ばれた俺がその代わりに送り込まれることになったと。

 

「――では、質問もないようなので、これで概要を終わらせていただきたいと思います」


 せんせー、おしっこいきたい。トイレ休憩はないんですか?

 それにしてもこのひと小一時間延々話し続けて、疲れたりしないんだろうか。


「続きまして、初期設定に移りたいと思います。画面中央をご覧下さい」


 イザベラはそう言うと滑るように指を動かし、俺の目の前に設定画面を映し出した。

 ハイテク半透明な画面の向こう側で、イザベラと目が合う。

 イザベラは俺を無視し、指を動かし、クリッククリック。

 目の前の初期設定画面ってのには、ただ一言こう書かれてあった。日本語で。


 【初期設定を行います。あなたのボーナスポイントを発給いたしますので、画面中央に触れて下さい】


 発給ってお役所か。そんな突っ込みを仕掛けたところで右手に違和感を感じた。

 ビジジジジ、と正座のしびれのように右手の感覚が蘇り、あるべきところにあるはずのない俺の右手が浮かび上がった。


「設定の登録上、あなたの右手だけをこちらに召喚致しました。思い通りに動くはずですが、こんなことであまり時間もとりたくありませんので、右手で画面中央に触れて下さい」


 それを無視し、しげしげと右手を観察する俺。

 右手は宙に浮かんでいるようにも見えるが、右手と俺とを繋ぐ腕肘肩が見えないだけで、おそらくは定位置にあるんだろうと思う。

 俺はしばらくそうしていたかったのだが、イザベラが俺をにらんでいるのに気づくと、俺は目の前の画面中央に手を差し入れた。


 【スキャニングしています。手を動かさないで下さい】


 ゲームで言うところのセーブデータから記録を読み込んでいますってやつだろうか。

 動いたらイザベラのやつ、困るよな。困らせてやろうかな。そんなこと思いつつも、10秒ほど待つ。

 そろそろと何かを言いかけて、しゃべれないのにフガーときたところで、画面が切り替わった。


「スキャニングが終わりましたので、また右手は消しますね」


 イザベラをにらむが、イザベラは何処吹く風か、そっぽを向きながら忙しく指を動かしている。とっとと終わらせて早く帰りたい。俺はため息をつくと、設定画面に向き直った。

 設定画面にはこう書かれてあった。


 【あなたのボーナスポイントは 63 です】


 んんん? これは低いのか高いのかわからない。そもそもボーナスポイントって何だ?

 イザベラ、説明を求める。


「はぁ~。割といい数字が出ましたね。今までの平均から言いいますと、中の上の下といったところでしょうか」


 わけわからん。50より上で75より下って意味か。


「ああ、少しお待ち下さい。……今後わたくしの方針に従って、おとなしく、初期設定等、速やかに決めていただけるのでしたら、話せるようにいたしますが、いかがですか?」


 いや、この場合、イエスもノーも言えないだろ。沈黙を了承と取ったのか、イザベラは指をスライドさせ俺のお口のチャックを解除した。


「ロックを解除しました。ですが、今後、またわたくしの進行を妨害するつもりでしたら、再びロックいたします、そのつもりで」

「……わかったよ」


 完全に脅迫じゃないか。選択肢を奪っておいて何言ってやがる、と心の中で言っておく。 とにかくも言葉が出たので、俺はやれやれとため息を吐いた。


「それで、このボーナスポイントっていうのはなんなんだ? 俺の中学の時の国語の平均点か? それともついぞ超えられなかった数学の点数か? まさか俺そのものの点数って訳じゃないだろうな」


 久しぶりに話せたので、いろいろと言葉が飛び出す。


「理解が早くて助かります。このボーナスポイントというのは、現在のあなたそのものの評価を点数化したものです」

「ろ、63点が俺の評価かよ……」


 低くもないが、だからといって決して高くもない。

 えぇ~。80点とまでは行かなくても、せめて70点は欲しいよね~って感じだ。

 正直ショックだ。


「この得点の評価・査定内容についての説明はあるんだろうな」

「そうですね。ありていに言えば、あなたのこれまでの行動、それと身体的能力、あとはそこから割り出されるあなたの寿命と言ったところでしょうか」

「おいちょっとまてよ。そりゃたしかに俺も口は悪かったかもしれないし、あんたの進行の邪魔になるようなことを言ったかもしれないけど、だからって別に」

「いいえ。これまでの行動と申し上げましたのは、今日これまでの全ての行いの総評価、そして先ほど言いました、現在あなたの身体的能力、そして寿命が計算されボーナスポイントに加算されたという訳なのです」

「まってくれ。つまりなにか? 俺が産まれてから今までの評価がこの数字ってことなのかよ?!」

「くどいですね。ですからそれに現在あなたの身体的能力、そして寿命が計算されボーナスポイントに加算されたと言ってるじゃないですか。少なくともあなたの年齢からして寿命はポイント+に加算されているはずです」


 そんなこと聞いているんじゃない、と言い出したいところをぐっとこらえる。

 多分これ以上言えば、また口を強制的に閉じられるに決まっている。

 考えろ、考えるんだ。わからないこと言いたいことは頭の中で議論すればいい。

 ……つまりまとめると、俺の今の評価は63点ってことなんだよなぁ。へこむなぁ。

 でもまてよ、たしかこいつさっき言ってたよな。割といい数字って。63点ってのはいい数字なのか?


「……ちなみに、今まででた数字の平均点って何点ぐらいなんだ?」

「ボーナスポイントの全体の平均ですか? お待ち下さい。この数字を平均化すると……今まで、そんなこと言い出した人がいませんでしたし、あなた変わった人ですね」


 なんだかイザベラの言葉使いが最初よりもくだけていっている気がする。


「そりゃどうも。なんせ中の上の下の男ですから」

「……はい、出ました。平均は52ポイントのようですね。ちなみに最高が87ポイント。最低は17ポイントになります。ここ最近だとあなたが一番高いのかもしれませんね」

「マジで?! おー、ビバ俺。ビバビバ。俺偉い」


 思わず小躍りしかけるが、体がないので踊った気になれない。


「それで、このボーナスポイントっていうのは、なんなのさ?」

「それについては、次からの項目設定に絡んでくるのですが、今あるボーナスポイントを消費して、あなたという存在をカタマイズしていくことになります」

「あー……っと、つまりあれか、ゲームでレベルアップ時にステータスに振り分けるポイントってのを、先渡しにしたのがボーナスポイントって訳か。これで合ってる?」

「はい。……まあ、だいたい合ってますね。訂正しますと、育てるのはキャラではなく自分自身となるわけですが」

「自分自身?」

「はい。あなた自身の、あなたという人間がこの先の世界で生き抜いていくために、その術にポイントを振り分けていって下さい」

「ちょっ、ちょっとまってくれ。少し考えさせてくれ。今ちょっとまとめるからさ」


 イザベラが指を動かしかけたので、俺は慌てて彼女を止めた。

 少し考えたい。

 えーと、ちょっとまとめるとだ。えーと…………。


「すみません、イザベラさん……。ほんの2、3質問いいですか?」

「イザベラ、で結構です」

「じゃあ、イザベラ。いくつか答えて欲しいことがあるんだけど」

「ええ、構いませんが、次の設定項目からはポイントを消費しての時間制限とかありますので、ご了承下さい」

「えっ、まじで?!」

「まじです。現在あなたは63ポイント持っています。それを各項目ごとに消費するしないを決めていっていただきます。時間は1時間につき1ポイントが消費されます」


 イザベラはそう言うと指を一本立てた。


「つまり、次の項目から1ポイント消費しての、62ポイントからの開始になります」

「1時間に1ポイントってことは、1時間で全部決められなかった場合は、もう1時間追加してポイントを消費するってことなのか?」

「そうなりますね。ちなみに、今後はわたくしへの質問にも制限がかかります」

「……なんだよ、説明とか、質問とかに応えてくれなくなるってことなのか?」

「いいえ。積極的には応えなくなると言うことです。質問があれば、それに答える。必要最低限な答え方にかわります」

「それは今までとなにもかわらないだろ? 意地悪な答え方にかわるとか、そういうことなのか? たとえば、自分で考えろとか」

「そうですね。今後は極力自分で考え、わたくしへの質問は【確認】と言った感じにした方がいいと思います。あなたが仮説を提示し、わたくしが真相を述べるといった感じが理想ですね」

「なんだよそれ。今まで通りでいいって訳にはいかないのかよ」

「はい。これ以降の設定画面に切り替わるとともに、ポイントを消費しながらあなたを新世界エレクザードに適応させるスキルを身につけていっていただきます。

 スキルについての質問、その答え。それ自体が知識となり、あなたの適応能力に加算されることになります。ですから質問一つにつき、ボーナスポイント1ポイントが消費される場合がございます。ご了承下さい」

「なんでそんなことになってんだよ。だいたい、あんたの言ってることはおかしいぜ? 俺に何とかのオーブを取ってこいって言った割には、それについての情報をなにも渡さないしさ、おまけに今度は質問一つにつき1ポイントだ? あんたほんとに俺に何か頼みたいのかよ?! 出し惜しみしてんじゃねぇよ!!」

「…………」


 ふつふつと込み上げてきた怒りに、俺は思わず大きな声を出してしまった。イザベラは何も言わずじっと俺の目を見つめる。


「なんだよ。またその指で操作して、俺をしゃべれなくするのか? わけわかんねーぜ。こいつは俺の夢なんだろ?? 何で覚めねーんだよ。何でこんな、こんな、くそ!!」


 怒りのやり場のない俺が、いくら叫んだとしても現状なにもかわらない。

 そんなのわかってる。

 こんなの現実にあるわけがない。こんなの夢に決まっている。だから夢が覚めれば元に戻る。目の前にいるこの女も、このよくわからない空間も、俺の手足が消えて見えなくなったってことも、目が覚めれば全部消えてなくなる。

 目が覚めれば全部消えてなくなるんだ。 

 それが夢である限り、その事実が現実なんだ。

 それが夢である限り。

 でも、もしこれが夢じゃなかったとしたら?

 今ここで突きつけられているのが現実で、それから目を背けたくてダダをこねているのが本当の俺だったとしたら?

 この女が言うとおり、現実世界から俺の意識だけを抜き取って、この空間に閉じ込めて、他の異世界に送り込まれようとしているのが現実だったら?

 違うよな? 今こうやって異世界に飛ばされそうになっているのは、俺じゃないよな。

 夢だよな。


「2、3の質問があるとのことですが、どうかなされましたか? 問題がないのでしたら先に進みたいのですが」

「問題はあるんだけどさ。その、その問題をどうやって解決していったらいいか、わかんなくなってきちゃってさ。なあ、あんた……イザベラ、俺って今夢を見ているんだよな。答えてくれよ」


 俺はイザベラの目をじっと見ながら言った。

 どうせ俺には眼球もないんだろ。いつもは見えるはずの鼻もないしな。だから俺が涙を流しているってのも気がつかないはずだろ?

 イザベラさんよ。いい加減俺を解放してくれないか? 俺は明日も仕事があるんだよ。

 これでも毎日忙しいんだぜ。早く寝なきゃ早く起きれねぇんだよ。あんた代わりに働いてくれんのかよ。


「これが夢じゃないって言う証拠はあるのかよ」

「信じていただくほかありません。ですが信じていただけない場合、あなたにはリスクを負って事にあたっていただく予定となっています。ご了承下さい」

「問答無用ってことかよ。そんな態度で俺が素直に言うこと聞くと思っているのか」

「……誤解なさっているようですが、わたくしはあなたにお願いをしているつもりはありません。ただ、【選定】によって選ばれたあなたに、目的を与え、情報を教え、生きる術を決めていただこうとしているだけです」


 そう語りかけるイザベラは表情を変えないまま、ただじっと俺を見ている。

 だが、その目には初めから俺が存在していないように思えた。


「……うちには、帰れるんだろうな」


 俺はうなだれるように呟いた。

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