第28話 アメリカン・ヒーロー

 ホワイトハウスで報道官が記者たちに状況を説明していた。

 突如、大統領が倒れたこと。

 ポロニウムの反応があったこと。

 職務を継続することが不可能なことなどが淡々と述べられていった。

 記者達は予想外の事態に戸惑った。

 アメリカ史上、最もリベラルで最も無能な大統領。

 予算と戦争のことだけを考えればいいはずの彼は最後にとてつもなく大きな爆弾を残してホワイトハウスを去って行った。

 それはテロによる辞任。

 かつて起こった連邦ビル爆破事件よりも事態は深刻である。

 犯人は未だに不明。

 いや全くわからない。

 手口はロシア連邦CISのもの。

 だがロシア相手では復讐のための戦争も慎重にならざるを得ない。

 一度全面戦争に発展すれば核戦争すら起こりかねない。

 それだけは避けねばならない。

 結局、アメリカは拳を振り下ろすことができないのだ。

 アメリカ国内で犯人をでっち上げるとしてもポロニウムの入手を証明せねば訴訟を継続することはできないだろう。

 厳重に管理された核物質の入手をでっち上げるのは至難の業だ。


 そして真犯人の目的は明らかだ。

 ジェーンを狙ったときと同じである。

 つまりアメリカとロシアの全面戦争だ。

 核戦争で世界が滅ぶ。

 90年代のアクション映画のシナリオそのものである。

 

 だがこのとき高官達は考えていた。

 井上の予言。いや井上の仮説。


 この世界は2015年より先の未来に繋がっていない。


 高官達はそのことだけを考え不安に苛まれていた。

 記者達もまたロシアとの核戦争を思い浮かべた。

 高官たちも記者たちも世界の終焉を不安に思っていたその時だった。

 あの男が壇上に現れたのだ。

 アメリカ次期大統領ダン・ジョンソン。

 副大統領という閑職にありながら実質的に国を動かしていたカウボーイ。

 その場にいた全ての人間が固唾をのんで彼を見守っていた。


 ――やっべ何言おうかな?


 実はこの時、ダンは何も考えていなかった。

 全くのノープランである。

 あまりにも急だったためスピーチライターも間に合わなかった。

 名演説をぶちかますと大見得を切ったものの、ぶっつけ本番では何も思い浮かばない。

 仕方ないのでダンは名ゼリフが天から降りてくるまで時間稼ぎをすることにした。


「大統領の代打のダン・ジョンソンです」


 シーンという無残な静寂が場を支配した。

 みんなを和ませようとした一発ギャグは不発に終わったのだ。

 ダン自身も冷静になってよく考えると全然面白くないことに気づいただろう。

 困ったときにはギャグに走る。

 ダンの悪い癖だった。

 ダンは焦った。

 このままではリベラル系新聞の総攻撃が始まってしまう。

 だがマスコミの反応はダンの予想とはかけ離れていた。

 その場にいた全員がさして期待もしていないような虚ろな顔でダンを見ていた。

 マスコミと高官たちでは知りうる事態の深刻さは違っていた。

 だが彼らにとって終焉はすぐ近くにあったのだ。

 政府高官、シークレットサービス、記者、生中継のテレビのクルーに至るまで全員が絶望を顔に出していた。

 脳天気なダン以外の全員がロシアとの核戦争という絶望に囚われていたのだ。

 全ての目が絶望の色を浮かべダンを見つめる。

 ダンはその視線にたじろいだ。

 その時だった。

 ダンは違和感を感じた。

 ダンは違和感の元を注意深く観察した。

 それは日本の大手新聞社の記者だった。

 アメリカの現地採用スタッフの男。

 どうも様子がおかしい。

 絶望ではなく歓喜の表情を浮かべている。

 ダンはシークレットサービスに「不審者だ」と合図を送った。

 これで排除されるだろうと考えていた。

 だがシークレットサービスはダンにまるですがりつくかのような表情で固まっていた。

 絶望のあまり使い物にならなくなっていたのだ。


 ダンはそのことに気づかずそのまま演説を続けようとした。

 その時だった。

 男が胸元に手を滑り込ませた。

 それを見たダンは叫ぶ。


「アイツ銃を持ってやがる!」


 このときのVIPの正しい行動は全てをシークレットサービスに任せて自らは地に伏せることだ。

 だがこの時、ダンのストレスは極限まで高まっていた。

 ギャグは空振り。

 演説は天から降りてこない。

 そもそもやりたくないもない大統領をやるハメになった。

 ……そう。娘とも暮らせないのだ。


 せっかく再会できた最愛の女性と娘。

 内緒で婚姻し妻の最後を看取ることはできた。

 そこまではいい。全て順調だ。

 暇な副大統領のままで娘と一緒に暮らす。

 娘がいたことをカミングアウトして、CIAも引退させて、ジェーンを車で通える距離の私立学校に入れて、今まで何もしてやれなかった時間を取り戻すのだ。

 それがダンの望みだった。


 だが、あのバカのせいでジェーンはCIAエージェントになった。

 あのバカのせいでジェーンと離れて暮らさなければならなくなった。


 あのクソったれのグリマーがあああああああッ!

 ベイビーちゃんを毒牙にかけやがってええええぇッ!

 あんのクソバカをくびり殺す前に死んでたまるかあああああッ!


 そう心の中で叫びながら、ダンは怒りのあまり我を忘れた。

 つまりキレたのである。

 しかもアキトやライアンが全力でジェーンの存在を隠蔽したのはジェーンを守るためである。

 それは完全な逆恨みだった。


 このときダンには目の前の人物がグリマーだろうが、テロリストだろうが最早どうでもよかった。

 すでにこのときには闘争本能だけで動いていたのだ。

 学生時代からレスリングで鍛えた筋骨隆々とした体で壇上から飛び降りた。

 シークレットサービスはようやくこの時になって冷静になり、慌ててダンを追う。

 ダンは不審な動きをする記者の目の前まで全速力で駆け抜け、サバンナの猛獣の如き猛々しい動きで間合いを詰めた。

 男の手には拳銃が握られ、今まさに引き金が引かれようとしていた。

 だが、そんなことを意にも介さずダンは男の胴に組み付いた。

 ダンの筋肉がうねりを上げ、獣のような雄叫びを上げながら男を持ち上げていく。


「アメリカをなめるなああああッ!」


 ダンは叫びながら、男を床から引っこ抜き、己の後方に男を投げた。

 ちなみに叫んだ言葉にはなんの意味も無い。


 男の視界がぐるんと回った。

 男の視界の先に地面が迫り、生まれてから一度も味わったことのないような衝撃が顔面に伝わった。

 後に大統領スラムと呼ばれプロレス界で伝説となる技が誕生した瞬間である。

 記者達は一瞬あっけにとられると思い出したかのように写真を撮り始めた。

 顔から地面に突き刺さりピクリとも動かない男をシークレットサービスが取り囲んでいた。

 そこまでしたところで、ダンは一気に冷静になり混乱した。

 そして混乱したまま、なぜか演説を続けていた。

 演説をしなければならないことだけは覚えていたのだ。


「みなさん……数年前に私は生き別れた娘と再会しました」


 いきなりの爆弾発言。

 ダンはそのままスキャンダルとも言える話を暴露しはじめた。


「妻は……私が結婚を申し込むとどこかにいなくなってしまいました。私は必死になって探しましたが会うことはできませんでした。そしてようやく出会ったときには最愛の人は死に直面していました。娘は……妻の……彼女の母親の最期を私とともに看取り今は諜報機関のエージェントとして国家のために働いています」


 これから大統領になる男の告白を記者たちは固唾を飲み見守っていた。

 このときダンは内心何を言ってるかわからなくなり、どうまとめればいいかと考えていた。

 口の中が乾きこれ以上の言葉は出てこない。

 だから、力技で無理矢理まとめることにした。


「俺は最愛の娘のためにもこの世界と自由を守るぜ!!!」


 ダンはなぜか拳を上に突き上げていた。

 その姿はまるで世紀末覇王のようだったという。

 ダンの恐ろしく短いスピーチ。

 それは演説ですらなかった。

 あまりにもお粗末。

 内容も薄い。

 おまけに抵抗勢力に格好の攻撃材料も与えてしまった。

 政治的には自殺行為そのものだった。

 

 だが、圧倒的な力で銃を持った暴漢を打ち倒した強い父親。

 家族のために戦う最強の大統領。

 この構図はどこまでもわかりやすくそして国民の心をがっちりと掴んだ。

 

 それはアメリカン・ヒーローが誕生した瞬間だった。

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