第2話 病院送り一人目

 明人の朝は早い。

 朝5時に起きてランニング。

 ランニングを終えるとボディガードと軽く近接格闘の稽古。

 シャワーを浴び、身だしなみを整え学校に登校する。

 それが前世の記憶を取り戻した明人の朝。

 だが、高校入学を迎えたこの日だけは違った。

 シャワーを浴びながら明人はこの日決心した。

 風呂場の鏡に写った自分の顔。

 美形だがなよなよとした気持ちの悪い顔。

 うっとうしい長髪。

 ハーフのせいかその髪は金髪である。

 『らめ(以下見苦しい表現のため自粛)』においても徹底的にユーザーの怒りを買ったそのウザい顔。

 明人はまずはその顔と決別することにした。


 電動バリカンを出し、髪を刈っていく。

 長い髪は見る見るうちに短くなり、鬱陶しい美形のなよなよとした男はどこかに消えて行った。

 金髪で坊主頭。

 そのおかげで無駄に丹精な顔立ちは目立たなくなった。

 ここ数年の苦労のせいか眼光だけで熊を殺せそうな鋭い目つきになっていた。

 明人は頭を洗い細かい毛を落とし、刈った髪の毛をビニール袋に集めた。

 風呂場はきれいに使わなければならない。

 タオルで身体を拭き、着替えた後、洗面所に置いてあるコンタクトレンズのケースを振りかぶってゴミ箱へ叩き込む。

 ついでに上から髪の毛の入ったビニールも一緒に叩き込む。

 用意した眼鏡を掛けると頭の涼しさが気になった。

 頭部を撫でると心地の良いシャリシャリという感触がする。


 風呂場を出ると護衛のライアンと目が合った。

 ニヤニヤとした表情を浮かべている。


「先生。やっぱり変ですか?」


 おどけて言ってみせる。

 ライアンは記憶を取り戻した明人が私的に雇った護衛である。

 やたらガタイが良く、映画俳優のような顔立ちだが、全体的に胡散臭い。

 明人がライアンを『先生』と呼ぶのは、彼が格闘技やサバイバルなどの師匠であるからだ。


「似合うんじゃね。前のツラよりずっといい」


「そうですかね。俺はこの軽薄な金髪が気に入りませんね」


「染めれればいいじゃねえか?」


「残念ながら、うちの学校は頭髪を染めるのは禁止されています」


 黒髪を染めるのは禁止されているが、金髪を黒髪に染めるのが禁止されてるのかは正直なところ明人にはわからない。

 だから、頭髪の染色禁止と書いてあるのだから文言通り受け止めておいたほうが無難だろう。

 明人は自分の中でそう納得するともう一度涼しくなった頭を撫でた。

 先ほどと同じシャリシャリという気持ちのいい感触がした。



 明人はボディガードを雇えるほどの金持ちの息子である。

 父は上場企業の社長、祖父は同じ会社の会長。

 ウクライナ人の母は料理研究家。

 どこまでもわざとらしいセレブ設定である。

 セレブということは家族が黒幕かもしれない。

(金持ちに対するただの偏見)

 黒幕がゲーム内で明らかにされていない以上、全てを疑う必要があるのだ。

(もちろん最重要の容疑者候補は数人いる)

 これからの一年間も金の力を最大限に使って犯人を探し出す予定である。


 フィクションの中での金持ちと言えば、学校へリムジンで送迎するものと決まっている。

 明人も例外ではなく、中学時代は無駄に長いリムジンで毎朝登校していた。

(前世で住んでいた北区赤羽の入り組んだ路地を走行できない自動車になんの意味がある!)

 高校入学時に電車通学を申し出たが、伊集院家の家名を汚すという意味不明な理由で却下された。

(ちなみに進学先を変えるという手段も自然災害や病気などの不思議な力が働き無駄に終わった。全てが運命で決まっているのではないことを祈るのみである)


 今日も金持ちリムジンでの学校への発送という羞恥プレーの時間がやって来た。


 無駄に広い車内であまり考えないようにしながら窓の外を見る。

 窓の外に広がるのは桜並木。

 あまりにもわざとらしい風景。

 その先に見える、和洋折衷の建物がロイヤルガーデンパレス学園。

 やる気の無いマンションの名前のような学校。

 もちろん大人の事情で『高校』ではなく『学園』になっている。

 明人はこの学校で黒幕探しをすることになるのだ。


 明人が気を引き締めているとブレーキがかかった。

 到着したのだろう。

 運転手の小沢が外に出てドアを開けてくれる。

 こういった無駄の一つ一つが明人のストレスとなっているのだが誰も気づかない。

 いや気づかせない。

 フィクションの上流階級はそういう気遣いをしなければならないのだ。

 明人は運転手の小沢に『ありがとうございます』と声を掛けると車を降りた。



 悪趣味な校舎に入る前に、クラス分けなどを確認するために外の掲示板に向かう。

 学校から配布された学習計画書シラバスに添付されていた書面の番号を探す。

 とは言っても、どこのクラスかはゲームをプレーした明人は知っていた。

 ただ感情面では違っていて欲しいという願いがあった。

 明人は1-Bの中から自分の数字を探す。

 残念なことにやはりそこに明人の数字が存在した。

 予想通りだ。

 少しガッカリしながら教室に向かう。

 二三歩ほど歩いたところで明人は思い出した。

 そう言えば『らめ(以下見苦しい表現のため自粛)』では校舎に入る前に 被害者メインヒロインである『斉藤みかん』が明人に絡まれる予定になっている。


(うん。放っておこう)


 取り巻きが存在しない入学式当日では、明人がそこにいなければイベントは発生しない。

 主人公の飯塚や他の生徒も傍にいるので、危険性も少ないだろう。

 わざわざ悪役になりに行くことはない。


(念のため目立たないように裏道から教室へ行くか)


 明人は裏庭から回ることにした。



「やめてください!」


 明人が裏庭に着くと叫び声が聞こえた。

 男三人が女子生徒を囲んでいるのが見えた。


(え、なんでこのタイミング?)


 それはまさに予想外。

 新しい展開に明人はポカーンと口を大きく開けたアホ面を晒した。


「あ、あうあうあ……」


 

 完全に意表を突かれ、わけのわかない呻き声が明人の口から漏れた。

 固まりながら震える指先で男達を指す。


「なに見てんだこの野郎!」


 明人に気づいた金髪男が威嚇してくる。

 それを見た女子生徒が大声で助けを求める。


「た、助けてください!」


 次の瞬間、金髪男がポケットに手を突っ込み何かを取り出すのが見えた。

 ナイフだ。


 普通の学生なら恐怖のあまり固まっていただろう。

(ゲームでの明人なら金で買収したかもしれない)

 だが、今の明人は違った。



 ライアンによる修行に名を借りた地獄の日々が走馬灯のように頭によぎる。



「せ、先生。そのナイフ。刃ついてますよね?」

「はっはっは! 大丈夫! ノンプロブレムだ」

「ぎゃああああああああッ! 切れた! 切れた! 切れたぁッ!」



「せ、先生。私の記憶ではトレッキングというのは樹海で鬼ごっこをする遊びではないであります!」

「はっはっは! はいナイフ。 期間は10日間ね」

「食料はどうするでありますか?」

「それ(ナイフを指差す)」



「シベリアでありますか?」

「おう、遊びに行こうぜ! スラブ民族の伝統の熊狩りを体験しようぜ!」

「エモノは何でありますか! ライフルくらいは欲しいであります!」

「槍」



「なあなあ明人。むこうのゲリラにダチ捕まっちゃった。お前も行こうな」

「『向こう』ってどこですか!」

「砂漠?」



「なあなあなあフリークライミングいかねえ? 30キロの装備で。登るのビルだけど」

「ひいいいいッ! 何運ぶでありますか!」



「(ちゅどーんッ!)ひいいいッ!」

「やべッ! 超楽しい! ヒャッハー明人! 俺死ぬかも! 超楽しい!」

「ひいいいいッ! 戦車ぁッ!(ちゅどーんッ!)」



「なあ明人。戦車で国境越えるって超楽しいなー!」

「しくしくしくしくしく(もう後戻りできない……)」



「先生、先ほどのオジさんは……?」

「お前なー! ホワイトハウスにいるのはアメリカ大統領に決まってるだろ! 中学生にもなってそんな事もわからんのかー。仕方ねーなー帰ったら俺が勉強教えてやるぜ!」

「うがあああああああッ!(そういう意味じゃねえ!)」



「女王でありますか?(馴れた) 私はフォーマルな服を持ってませんが」

「学ランでいいじゃん。なんかさー、オバちゃんが俺の弟子の新しいエージェントに会いたいんだって」

「女王をオバちゃん呼ばわり! つうか『新しいエージェント』って何でありますか!」

「お、ヘリが来た。明人行くぞ」

「こーたーえーてー!!!」



「う、宇宙!」

「逝って来いやああああ!」

「ぎゃあああああああッ!」



 休みのたびに猫型ロボットの相棒の小学生のように冒険を繰り返した。

(ただし猫型ロボットはいない)

 この苦行のお陰か、明人の性格は前世とはかなり違うものに仕上がっていた。

(ここまでやったのにただで死ねるか!!!)


 明人は嫌な走馬灯から一瞬にして現実に戻る。

 もう頭は戦闘モードに切り替わっていた。

 金髪男のナイフを持った腕に蛇のように己の腕を絡ませる。

 がっちりとホールドした腕で金髪男の手をねじり、そのまま相手の持っているナイフの刃を脇腹の方へ押し込む。

 もちろん本気で刺すつもりはない、これはフェイントだ。

 相手が驚いて抵抗した瞬間、相手のナイフを持った手を背中に回し、足を軸にして身体を反転。

 そのまま関節を極めたまま回転しながら金髪男を地面に叩きつける。

 ごきりという音がして金髪男の腕が変な方向に曲がる。

 受身も取れずに金髪男は地面に口付けをするハメになった。


 金髪男を投げ捨て、一気に宙を飛び、こちらを呆然と見ている茶髪男の脳天に肘を落とす。

 着地した明人はそのまま腕を大きく振りかぶり茶髪の横っ面に叩きつける。

 倒れる茶髪に目もくれず、女子生徒に狼藉を働く黒髪の顔面、鼻に全力で拳を叩きつける。

 明人による容赦の無い攻撃が黒髪を襲った。

 腹を殴りつけた後、喉へ拳を叩き込み、すぐさま髪の毛を掴み、そのまま引きずり倒す。


「言え。誰の差し金だ」


 鼻を押さえる黒髪に冷たい声でそう問いただした。

 これは黒幕の手がかりを得るチャンスなのだ。


「差し金って何だよ……痛えよー……」


 鼻を押さえながら情けない声を出す。

 声に嘘の気配はない。

(はずれか……)

 明人は髪の毛から手を離し黒髪を開放してやる。


「おい、お前。そいつらを保健室に連れて行け。そこの金髪の肘は外れてる。なるべく早く医者に行け」


「お、覚えてろ!」


 わかりやすい捨て台詞を吐く黒髪に明人の中でイタズラ心が沸いた。


「ああ、覚えているとも。次は生きていられるといいな」


 ニヤっと笑うと顔を青くして逃げて行った。

 報復やお礼参りなど一切気にしない。

 どんなヤンキーが来ようともパキスタンの刑務所からの脱獄よりはマシだ。


 それよりも問題なのは日本では暴力は許されないということだ。

 少なくとも明人は停学は免れないだろう。

 刃物出されたせいで反射的に相手の肘を折ってしまったからだ。

 処分を受けるだけの事をしてしまったのだ。

 明人は困ったなと自嘲した。

 そして平静を装い女子生徒の方を向いた。


「大丈夫か?」


 そこには小動物のような雰囲気の可愛らしい小柄な女子生徒がいた。


「あ、あ、あ、大丈夫です……」


 大丈夫そうでよかったと、ほっとし視線を下げると制服が破れていて、何か白いものが見えた。

 下着だ!

 その瞬間、明人は固まり、女子生徒は顔を真っ赤に染めた。

 凝視してしまった。


「あ、あ、あ、すまない!」

「い、いえ。助けてもらったのにすみません!」


 気まずい沈黙が流れた。

 もちろん『破られるなんて何やってたんですか?』なんて聞けない。

 だがそのままにするわけにもいかない。

 明人は決心し、話しかけた。


「すまないが、制服のサイズはいくつだ?」


「え?」


「いや、変な意味じゃない。その……そのままでは困るだろう。うちのものに服を調達させよう」


 そう言うと明人は携帯を取り出し、小沢に電話をかける。

 しょせん親の金だ。

 良い事に使ってしまおう。


「小沢でございます」


「小沢さん。すいませんが大至急、女子生徒の服を調達して欲しい」


「かしこまりました。サイズはいかほどでございましょうか?」


「今、本人に代わるから聞いてくれ」


 そう言って携帯を女子生徒に押し付ける。

 嫌とは言わせない。


「あ、はい。すいません! いえそんなわけには……」


 最初は戸惑っていた女子生徒も小沢に丸め込まれていく。

(やはり小沢さんに任せて正解だったようだ)

 通話が終わったようで女子生徒が明人に携帯を渡してきた。


「坊ちゃま、学校近くの店舗に在庫があるそうなので10分ほどでお持ちできるかと思います」

「ありがとう。では10分後に」


 通話終了。

 小沢には理由を一度も聞かれなかった。

 さすがはプロだということだろう。

 プロの仕事に感心する明人に女子生徒が話しかけてきた。


「あ、あの必ずお支払いいたしますので……」


「その必要はない。これは貴女の名誉に関わることだ。全て内密に処理をさせてもらう。何も無かった。わかったね」


「な、なにからなにまで、ありがとうございます!私、2年A組の須藤杏子すどうあんずです」


「1のB。新入生の伊集院明人だ。苗字は嫌いなので名前で頼む」


「私もアンズで。明人君って年下だったんだー」


 エロゲのベタな展開というか大昔のベタなラブコメである。

 現実ならそんなに早く名前の方で呼び合うはずがない。

 襲われたばかりだというのにテンションが元に戻っているのも変だ。

 だがそんなことを言っても仕方ない。

 そういう文化の世界なのだ。

 諦めるしかない。

 明人は何かを紛らわすように腕時計を見た。

 10分かかるとすると完全に遅刻だ。

 入学式には間に合わない。


「入学式には間に合わないか……」


 明人がそう呟くと、なぜか頬を赤らめ、もじもじとしながら杏子が提案した。


「あ、あのさ明人君。そちらは任せてくれるかな」

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