第168話「……おかえり」「……ただいま」

 立ち込める爆煙。跳ね回る轟音。

 室内を蹂躙する光と熱と衝撃は、程なく晴れていく。

 後に残ったのは、完膚なきまでに爆散した霊力タンクの金属片。多少揺らいだ程度で、大した損傷も無く部屋を守り続けている霊力装甲。

 以上である。

 物言わぬ風葉かざは達が転がる、という光景はない。

 誘爆し拠点ごと吹き飛ぶ、という光景もない。

 あるのはせいぜい、霊力光の粒子――分霊を構成していたと思しき、名残のみであった。

「何だと!?」

 エドワード・サトウは瞠目した。さもあらん、先見術式から得た未来の光景が、このタイミングで覆ったのだ。

 しかもそれはただの未来予知ではない。虚空領域に展開された、世界最高精度の先見術式からもたらされたものであった筈なのだ。

 サトウは覚えている。鮮明に思い出せる。

 ペネロペ・レプリカによる長距離射撃。意識の埒外から霊力タンクを撃ち抜かれ、驚愕を表情に張り付けて三人は死亡。更には拠点そのものが連鎖爆発崩壊。する筈だった。

 その、裏を。

 ヘルガ達は、一体どうやって突いたのか?

「……まずは確認だ」

 腹の内の激情とは真逆に、平坦な目でサトウは状況を確認。人造Rフィールドの例外処理を抜け、より強力な霊力経路がアオに繋がる。ペネロペ・レプリカを消去しつつ、そこから更にターナーへと経路を接続。これでサトウはターナーとリアルタイムで視覚情報を共有出来るようになった。

「む」

 その、矢先。ターナーの目の前、今まで行動を阻んでいた霊力の檻が、音もなく消失した。

 見回せば、一面の壁や床へ張られていた霊力装甲も消えていく。まるで潮のよう。だが良く考えればおかしな話。

 霊力装甲への供給源は、あのタンクだった。それは他ならぬアオの、接続していたサトウの手によって間違いなく破壊された。それを示す焦げた金属片が、床の方々に散らばっている。

 だが、それはおかしい。その経路通りなら、霊力装甲は爆破と同時に消滅する筈。だというのに、ターナーを包んでいた檻は消滅まで時間差があった。洗脳中とは言え無関係な人員、保護したというわけだ。

 つまり、それは。

「この区画のスキャニングデータは?」

 言いつつ、ターナーは見上げる。ようやく霊力装甲が消えた穴の向こう、未だ途方に暮れていた職員が、リストデバイスを操作しながら片眉を上げた。

「ああ、今終わった所です。まったく訳が分からないですよ。こんなスペースがあったのも驚きですが、それ以上に今まで攪乱術式が巡らせてありましてねえ。調べるにせよ踏み込むにせよにっちもさっちも行きませんで――」

「データを。こちらへ。早く」

 無表情な、しかし異様な圧力を帯びたターナーの目。射竦められた職員は、もぐもぐと愚痴を咀嚼しながら送信。ターナーはリストデバイスで立体映像モニタを表示、データを素早く改める。

「……ここか」

 最奥。風葉達が転移術式を張った壁の端を、ターナーは探る。やがて擬装された操作パネルを発見、操作。

 がこん。隠されていた扉が、音を立ててスライド。躊躇なく踏み込むターナー。

 部屋、と呼ぶのもおこがましい小さな空間。一畳と少しくらいか。右手の壁には梯子。十中八九、アリーナが辰巳たつみをナビしていたオフィス区画へ繋がっているのだろう。だがターナーが注視したのは、そこではない。

 入って来た扉側の壁。ヘルガ達が転移術式を展開した箇所の裏。鏡のように張られていたのは、一面のハイブリッド・ミスリル。恐らくこれに酒月利英さかづきりえい製の転移術式が組み込まれているのだろう。

 更に、その壁の中央にはスリットが一つ。これ見よがしに口を開けているそれを、ターナーは、サトウは知っていた。

「Eプレートの、取り付け口」

 完全な同型、という訳でもない。まず間違いなくヘルガ・シグルズソンによる海賊版だろう。彼女は先見術式の知識でファントム・ユニットのデータベースに忍び込める。絶対に足をつけずに。そこから利英の研究データあたりを参照したと見るべきか。

 だが何故、そんなものがここにあるのか。

 ヘルガ達が転移術式の動力に使用した? それは考えにくい。あの時、ヘルガ達は拠点の貯蔵霊力を使っていた。別口の、しかもこんな小規模の動力源を用意する理由が見当たらない。

「それにこんな量では、運べても精々一人が限、度」

 ターナーは、はたと気づく。

 運べたのは一人。ここに訪れる事が出来たのも一人。

 その人物の名を、先程追い詰めかけた女の名を、ターナーは知っている。

「アリーナ、シグルズソン」

 見落としていたパズルのピースが、ようやく見つかった。アリーナは――正確にはアリーナ本人は、このコアヘッダーとやらが隠されていた秘密ブロックに、最初から来ていない。

 そう、分霊だったのはヘルガと風葉だけではない。アリーナもまた、ここへ姿を現した時点で、分霊にすり替わっていたのだ。

「あの時の髪の毛を抜いたじゃれあいは、これをカムフラージュするためだったか」

 そしてアリーナは秘密裏に持ち込んでいた海賊版Eプレートで転移術式を起動、分霊と入れ替わった上でここから離脱したのだ。

「だが、だとしたら」

 アリーナは。何よりもヘルガと風葉は。

 一体、何処へ行ったと言うのか?

 下手をすればchapter16 収束side-B、いやそれ以前から欺いていた可能性さえある。そもそもヘルガがここへ来るまでずっと立方体の姿だったのは、表情を見せない事で先見術式に引っかかる情報を極力下げる狙いがあったのでは?

「いや。疑念は後だ」

 今はとにかく、状況の再俯瞰および把握。そして先見術式によって改めて状況を検討せねばなるまい。

「とはいえ……」

 呟きながら、サトウは立体映像モニタを表示。映り出したのは、アフリカの人造Rフィールド内部。今なお激しく続く戦いを、上空から見渡す角度の映像。天井近くを旋回するもう一羽のカラス型使い魔、アカの視界が中継されているのだ。

 オウガ・フルアームド。朧。ネオオーディン・シャドー。その他諸々、入り乱れる大鎧装。

 戦況は、変わらない。拍子抜けする程に。

 だが彼女達は来る。あるいは既に来ている。先見術式の予測範囲外に。

「どこに。どこから。どうやって」

 不意に、サトウは違和感を覚えた。肘。見下ろす。無意識のうちに腕を組んでおり、右の指先が忙しなく肘を小突いている。

「これは」

 これは、そう、何というものだったか。

 痛快? とはまた違う。そもそも「快」なる感情ではない。考えるうちに指の動きが激しくなる。小突く動きは強くなり、やがてかきむしるようになり、程なくスーツの袖を引き裂いてしまう。

 ばりばり、ばりばりと。音を立て、引き千切れる袖。かくて筒状の布切れとなってしまったそれを何気なく弄んだサトウは、不意にゼロスリーを思い出した。

 あの、いつもの不機嫌な仕草を。

「ああ、ああ! そうかそうか! これはイラつきというヤツだったか!」

 晴れやかな顔で、サトウは筒状の布切れを引き裂く。

「はは! ははは! 笑うしかないな! 基本的に想定外のアクシデントは好ましく感じてはいるが! 限度があったか!」

 引き裂く。引き裂く。引き裂く。引き裂く。

「この段階で! このタイミングで! ここまで組み上げた全てが! 台無しにされそうだってのは!! 確かにイラついてくるなあ!!」

 端切れになってしまった布を、サトウは床へ叩きつける。千切れた繊維くずが、はらはらと辺りへ舞い上がる。

 それらが重力に捕まって床へ降り始めた頃には、既にサトウは平静を取り戻している。痛快だった時のように。

「……現状。彼女達の企みを阻止する事は、残念ながら不可能でしょう」

 なればこそ、次善の策は最良のものを編み出さねばなるまい。

 その素地となる先見術式のデータ。それを待ちながら、サトウは戦場の監視を続行した。


◆ ◆ ◆


 波の音。潮の匂い。水平線から顔を出す太陽の光。開いたバイザーの内側を、柔らかい海風が撫でていく。今までとは打って変わったロケーションに、ヘルガは目を細めた。

「……素敵な眺めね」

 ここにいるアリーナは、分霊ではない。サトウが予測した通り、彼女はあの時点で転移術式を用い、ここへやって来ていたのだ。

 即ち、キューバとアメリカの東。バミューダ島の南の海上に造られた、オリジナルRフィールドの観測拠点へと。

 外観自体は、今までアリーナが居た拠点と似通った雰囲気がある。横に広い、四角張った二階建て。この一棟のみだ。

 1960年代頃は他にも大小様々な建物があったのだが、三度行われた調伏作戦の成功に伴って徐々に縮小。オラクル・アルトナルソンによって安定化が果たされた近年に至っては、建てられた土台――即ちEフィールドさえも削られつつある。現状ですらアリーナが、こうしてたった一人でぐるりと回れるくらいに狭いのだ。

「……純粋に楽しめれば尚良かったんだけど、ね」

 周囲に人員や見落とした防衛術式などがない事を確認したアリーナは、改めて建物内へと戻る。

 開く自動ドア。エントランスは大きなホール状になっていて、今潜ったドア側の壁は一面のガラス張り。眺めは最高だ。水平線の上にわだかまる、赤い半球状の塊を除けば。

 あれこそが、最初のRフィールド。冷戦の緊張によって生じてしまったそれを振り返った後、アリーナは改めて室内を見回す。

 シンプルな室内。部屋の隅には背の高い観葉植物があり、休憩用のソファも数客。中央には予定などを知らせる大型の立体映像モニタが表示されているのだが、今日はもうそれに従う者達はいない。

 なぜならば。スタッフはアリーナの術式によって全員眠らされ、拘束されているからだ。

「我ながら大それた事したなあ」

 エントランスに寝かされているのは三人。アリーナの手で全員ソファに寝かされた上、術式による拘束をかけられている。他の部屋も似たような有様だ。先見術式の範囲外だったが故、上手くいくかは賭けだったが――オーウェンの根回しは、こうして成功したという訳だ。

 そして、何よりも。

「ここは今、敵の先見術式の目からも空白地帯の筈」

 アリーナはバイザーを遮蔽しつつ、水平線上の赤い半球を、改めて見据えた。


◆ ◆ ◆


 時計は動く。時間は進む。状況は、着々と進んでいく。かつて先見術式で見たままに。

 ファントム5は現れない。ヘルガ・シグルズソンも現れない。上空のカラス越しに監視を続けながら、サトウはワイシャツの袖も破いてしまう。

 そうしてchapter16-06へと状況が推移した折、それは起きた。

 そこまでにしてくれないか、ゼロツー。ゼロスリーをいじめるのは、さ。

 無貌の男フェイスレスがそう言おうとした直前、ヘルガがオウガへ忍ばせていたムシの術式が、急速発動。今まさに辰巳たつみとグレンを蝕もうとした霊泉同調ミラーリングに、ノイズが紛れ込む。

「う、ぐ!?」

「なん、だ!?」

 一瞬の衝撃に襲われ、首を振る二人のパイロット。程なく顔を上げた二人は、奇妙な空間に立つ自分達を発見した。

 宇宙のように真っ暗で、星の代わりに幾条もの光の線が光っている、奇妙な空間。よくよく見やればそれは電子回路のように枝分かれしていて、遥か頭上から足のずっと下まで、球の上を這う網目のように繋がっているのが分かる。

「術式陣、なのか? だがこんな様式の物は見た事も……」

「クソッ、テメエの仕業かゼロツー!?」

 指差すグレンに、辰巳は首を振った。

「そんな訳がない。そして、そっちの仕業でもなさそうだな。だが、だったら一体誰が」

「私達、だよ」

 答えたのは、グレンではなかった。声は、背後から聞こえた。

 がばと、辰巳は振り返る。

 そこには。

 ファントム5の鎧装に身を包んだ、霧宮風葉が立っていた。

「…、……。……!」

 なぜ。どうして。何のために。

 沸き出す疑問。吹き上がる驚愕。

 だが。

 そんな事は、全て些事だ。

 だから辰巳は、いの一番に言うべき言葉を。

 本当に言えるとは思っていなかった言葉を。

 喉の奥から、絞り出した。

「……おかえり」

「……ただいま」

 ファントム5は。

 霧宮風葉は。

 照れくさそうに、笑った。

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