Chapter11 決断 04

「……」

 ハワード・ブラウンは考えていた。

「ああ、クソ」

 頭をかきむしる。が、それで纏まる筈も無い。むしろぐちゃぐちゃになっていく。

「ッつーかよォ。良く考えたらよォ。『感情論を煽って他人を動かすヤツはロクデナシだ』とかナントカ弟子ファントム4が言ッてたじゃねェか」

 いきなり鼻をかまれたあの日の苛立ちが、今更ながら蘇る。ブラウンの渋面が更に深まった。

「だが、まァ。一理あンだよなァ」

 よぉーく楽しんでくれたまえよ。メイの去り際の言葉を思い出したブラウンは、何気なく面会室へと歩み寄った。透明な壁の向こうには、置き土産のフラワーアレンジメントが変わらず咲き誇っている。幻燈結界げんとうけっかいよりも色濃いモノクロに沈む月面では、いっそ眩しいくらいの生命力だ。

「……とにかく、今はクロスチェックしねェと」

 クロスチェックとは、掻い摘まむと同じ情報を別の視点から詳しく検分する行為の事だ。

 グロリアス・グローリィとファントム・ユニット。二組織の情報を持っている今の自分なら、この状況の最適解を導き出せるハズ。夏の花々を見据えながら、ブラウンは腕を組んだ。

「まずは、この状況の基点からだ」

 Eフィールド。ディノファング。グラディエーター。グレン・レイドウ。アメン・シャドー。そして、フェンリル。これらの戦力を矢継ぎ早にぶつけ、脱出の時間を稼ぎつつ鍵の石の覚醒を促す。変形前のグロリアス・グローリィ本社で、そんな依頼をブラウンはサトウから受けた。

 全てが終わればアナタは捕縛されるでしょう。ですが心配はいりません。芋蔓式にツタンカーメンという正体が明らかになる以上、どこの魔術組織だろうと手出しは不可能となります――こうも、サトウは言っていた。実際、それは的中した。

「とはいえ、そこから一ヶ月も音沙汰無したァなァ」

 人造Rフィールドを展開したため、外部との連絡が取りづらくなった? NOだ。向こうには独自に転移術式を、フォースアームシステムを使えるグレンがいる。

 魔術組織が世界規模で厳戒態勢になったため、おいそれと連絡できなくなった? それも考えにくい。標的ターゲットS、すなわちサトウが今日も世間を絶賛騒がせ中らしいではないか。

 流石に冥ほどの露骨さは無いにしても、何らかの手段でこちらへの連絡ぐらいは出来る、ハズだ。

 だというのに、音沙汰は未だ無い。

「また、利用されたのか? オレは」

 生きていた時と同じように――呟きかけて、ブラウンはすぐさま首を振った。これでは冥の思う壺だ。

 そうではない。そうではない、ハズ。そう自分に言い聞かせるたび、脳裏の其処此処で疑念が鎌首をもたげてくる。

 ああ、思い返せば。

 ヤツの、ザイード・ギャリガンの計画は、そもそもが裏切りから始まったのではないか。

「鍵の、石」

 Eマテリアルという、何とも分かりやすい名前をファントム・ユニットに付けられた極大容量霊力プールユニット。

 その基本設計に、ブラウンは確かに関わった。何故ならハワード・ブラウンは、ツタンカーメンは、莫大な魔術の知識を所有しているからだ。

 と言っても、ツタンカーメン自身が魔術に詳しいワケではない。魔術に精通していたのは他の代のファラオや、彼等と共に殉死した魔術師達だ。

 ――そもそもミイラとは、古代エジプトにおいて未来に復活するために身体と精神を保存する魔術装置であった。だが時の流れと、何より人の欲望が、その保全を完膚無きまでに叩き壊した。

 盗掘者共は密閉状態だった墓を暴き、魔術の要であった宝石や貴金属を簒奪した。隙間から染み込んだ時間は残った肉体を浸蝕し、魔術の悉くを塵芥へと帰した。

 もはや世に残るファラオのミイラは、単なる壊れかけのハードディスクでしかない。そんな中、唯一例外だったのがツタンカーメンの墓だ。歴代のファラオの中で「最も規模が小さかった」為、魔術経路がほぼ完全に残っていたのだ。

 そしてツタンカーメンはファラオとしての繋がりを通して、他のハードディスクからデータを吸い出す事が可能であり。

 BBBビースリーブラウン閥は、その能力に目を付けてツタンカーメンを、ハワード・ブラウンという軛の元に復活させたのだ。

「それが一九三○年……鍵の石開発は、そこからすぐだったなァ」

 無論、並行する案件や依頼は常にあった。が、最優先で突き付けられ続けたのは、やはり鍵の石の開発であった。

 砂の海に埋もれた古代エジプト魔術の秘儀。コネクションを通じて蒐集した知識。そして、長い時間の積み重ねによる研鑽。これらの複合により、鍵の石は遂に完成へと至った。

 その計画名こそ――プロジェクト・ヴォイドだ。

「思えば、スティレットはその為に造られた組織だッたンだよなァ」

 スティレット。辰巳たつみいわおと因縁浅からぬ組織であるが、その歴史は古い。そもスティレットとはごく少数の、片手で数えられる程の魔術師達が、組織の垣根を越えて一つの目的のために集まった小組織サークルなのだ。

 そう言った集まり自体は、世界中に掃いて捨てるほど存在している。が、スティレットはそうした有象無象とは、一線を画する点が二つあった。

 一つ目は、表舞台に立つ事を徹底して嫌っていた事。

 BBBほど露骨でないにしても、権力闘争に明け暮れるのは魔術組織の常。なのでもしもサークル内で大きな発見があった場合、それを足がかりに組織内での地位及び権力の向上を図る者が出て来てしまう。が、スティレットはただの一度もそれが無かった。

 二つ目は、外部の協力を惜しまなかった事。

 そもそも鍵の石を作成していた当時、ブラウンは自分が一体何の術式を造っているのか知らなかった。完成しても、だ。

 数十年にわたって、一体自分が何を造らされていたのか。それをブラウンが知ったのは、ごく最近。サトウにチェスボードを売り込まれた、あの時なのだ。

 恐らく、同じように何も知らぬまま協力させられた魔術師達は相当数に上るだろう。いわゆるクラウドコンピューティングの如く、スティレットはその存在と行いを巧妙に隠蔽し続けて来たのだ。

「だが、スティレットは乗っ取られた」

 二年前、日本で起きたレツオウガ暴走事件。あの現場にスティレットの中枢を担っていた魔術師のほぼ全員が立ち会い、ほとんど残らず全滅した。

「そして、そのほとんどから外れていた内の一人が――他ならぬ、ザイード・ギャリガンだった」

 被験体ゼロツーを拿捕され、烈空れっくうを破壊され、母体組織も見事に壊滅。あわや立ち消え駆けたプロジェクト・ヴォイドを、それでもギャリガンは拾い上げた。

 被験体ゼロスリーを回収し、散逸したデータを纏め上げ、プロジェクト・ISFとして再起動させた。ハワード・ブラウンが改めてスカウトされたのも、その一貫だった、ハズだ。

 だが。

「ヤツは、隠れ蓑なンだよなァ。アイツのよォ」

 今でもまざまざと思い出せる。最初に出会ったあのローブ姿。

 不自然に暗いフードの影で、完全に顔を隠した無貌の男フェイスレス

 それはかつて風葉かざは霊泉領域れいせんりょういきで目撃したのとほぼ同じ姿の人物であったが――流石にそこまでブラウンが知る由は無く、思考は淡々と続いていく。

 人造Rフィールドの展開。及び一ヶ月にも及ぶ沈黙と、世界規模での攪乱。それは間違いなくあの無貌の男の差し金に他なるまい。

「一体、何が理由だ……?」

 プロジェクト・ISF、即ち神影鎧装しんえいがいそうの開発計画。それ自体はアメン・シャドーの開発記録と、レツオウガの観測データ、更にライグランスの実働データを複合させる事によって、完遂出来たハズだ。

 後はそれを売り込みつつ、混乱を丸く収める。そういう予定だったハズだ。

 だというのにギャリガンは、無貌の男は、ブラウンを放置している。剰え人造Rフィールドを展開し、全世界の魔術組織に混乱を引き起こしている。

「一体、何が目的だッてンだ」

 途方に暮れ、ブラウンは天を仰いだ。宇宙は相変わらずビロードのような漆黒で、狙撃衛星は無表情にこちらを見下ろし続けている。ウンザリするほど変わらぬ光景だ。

 その、筈だった。

「……あン?」

 違和感に眉をひそめながら、ブラウンは望遠術式を展開。拡大された視界へ、遙か上空の狙撃衛星が大写しになる。

 刀身に代わり、目玉じみた大型レーザー砲塔を据え付けられたダモクレスの剣。

 その、砲身の上部。

 備え付けられた照準器が、不自然に点滅している。

 機材の不調、ではあるまい。あれは――。

「――モールス信号、か?」

 十中八九サトウの手引きであろうそのメッセージを、貪るように解読する。

『ミスタ・ブラウン。ミスタ・ブラウン。ミスタ・ブラウン――ああ、ようやくこちらに気付かれましたか』

 点滅のパターンが変わる。いつからかは分からないが、どうやら大分長く信号を送っていたようだ。

『ノゾキ見たァ素敵な趣味じゃねェか』

 分霊からだを構成する霊力を調整し、ブラウンは掲げた指先を点滅させ、返事を送る。

『……いつから見てたンだ? サトウさんよ』

『そうですね。バイクに乗った客人が来た辺りから、でしょうか』

『つまりは最初からッてコトじゃねェか』

 鼻を鳴らすブラウンであるが、質問の意図自体は別の所にあった。

 即ち、信号を送ってきた相手の確認である。

 交信相手は、ブラウンが呼んだサトウの名を否定しなかった。どこぞの魔術組織にまだ残っていた標的Sを使い、狙撃衛星のシステムをクラッキングしたのだろう。

『それで、一体何を話されていたのです? 中々に盛り上がっていたようですが』

『それは、』

 ブラウンは言い淀んだ。クロスチェックはまだ終わっていない。果たしてどこまで開示すべきだろうか、と。

 どうするのが最良なのだろうか、と。

 そうだ。少なくともこの瞬間まで、ブラウンはまだ迷っていた。

 例え、どれだけ魅力的な条件を提示されようとも。

 サトウを、ギャリガンを、グロリアス・グローリィを。

 裏切る事が出来るのか、と。

『成程。良く分かりましたよ』

 だが、しかし。

『その逡巡が、何よりの答えだな』

 先に信頼を裏切ったのは、意外にもサトウの方であった。

『何を、言ッてンだよ、オイ。オレは』

『ああ、良いんだよ別に。言い訳なんてさ。本音を言うと持て余してたんだよ、お前の存在。もう用済みだからな。Eフィールドでくたばってくれれば良かったんだが……上手くいかなかったな』

 今までとは打って変わった不遜な物言いは、信号越しだらかなのか。それとも、これがサトウの本性なのか。

 唖然とするブラウンの視界の中で、狙撃衛星は無慈悲に点滅する。

『ま、来もしない助けを待ち続ける王様を観察するのもなかなか面白かったよ。だが、そこから裏切りまで繋がると、流石に面倒の方が大きくなりそうだ。だから――』

 明滅するライトの隣。見下ろす狙撃衛星の砲身へ、にわかに光が灯る。

『お、オイ。ちょっと待てよ』

『――こっちから先に裏切らせて貰おう。悪く思うな、とは言わないさ。存分に恨んでくれて構わんぞ?』

 無機質な点滅の向こうに笑いを滲ませながら、狙撃衛星は光線を迸らせた。

 特殊霊力犯罪者特別隔離監視棟を蒸発させて尚余りある莫大な熱量は、灰色の地面を抉りながら、新たなクレーターを一つ月面に穿った。


◆ ◆ ◆


 地球の遙か上空、大気圏の少し上。長大な霊力光をなびかせ、彗星のように滑っていく大鎧装が一機。紺青に染め抜かれた装甲を地球光に照らされる機体の名は、言わずもがなオウガである。

 当然パイロットは五辻辰巳いつつじたつみことファントム4であるが、その身体は分霊でなく生身の身体だ。巌の尽力と、何より標的Sによる混乱へ対抗するため、つい数日前にようやく拘禁が解かれたのである。

 今も加速するオウガの背中には、その巨躯に匹敵するサイズの大型ブースターが接続されていた。その名はアームド・ブースター。かつて赫龍かくりゅうの前身となった巌の愛機、赤龍せきりゅうに使われていた武装ユニットの一つだ。

 後部に四つも備えられた噴射口が生み出す推進力は、オウガの巨体ですら余りある莫大な推進力を生み出している。もっとも次の作戦へ投入される際には、ここから更に装備が増設される予定なのだが。

 なので慣らし運転もかねて、こうしてテスト飛行をしているのだ――と、言うのが一応の建前である。

「そろそろ、だな」

 見下ろす地平線の向こう、うっすら見えてきたアフリカ大陸を見ながら、辰巳はコンソールを操作。ブースターの隠し術式の具合を確認するが、残念ながらやはり万全であった。良くも悪くも、利英りえいの仕事は基本的に完璧なのだ。

 上手くやれよ――天来号てんらいごうから発進する直前、冥もそう言っていた。朗らかな顔で。

「毎度気軽に無茶言ってくれるな、俺の師匠はよ、っと」

 かくて辰巳は術式を起動。四つ並んだブースター噴射口の内、一番右のものがいきなり炎を噴いて爆発した。オウガはすぐさま安定性を失うが、それでも辰巳の操作によって、何とかキリモミは免れる。

 なぜ、こうなったのか。簡単な話だ。隠し術式とは即ち、突発事故を演出する為の、炸裂術式だったからだ。

 赤い明滅と一緒に跳ね回るアラートに顔をしかめながら、辰巳は天来号へ通信を送ろうとする。

 が、繋がらない。先の爆発による影響、に見せかけた意図的な遮断である。

「うわあタイヘンだ。今の爆発で通信系統がおかしくなっちゃったぞ、っと」

 システムログにアリバイを刻みながら、辰巳はアドリブを棒読みする。

 しかして、大変なのはここからだ。何せ軽度とは言え、ブースターは本当に損壊しているのだ。防御用の霊力障壁も用意されてはいるが、こんなにも不安定な状態で、辰巳は大気圏突入を成功させねばならないのだ。

「本当に大変だな、コイツはよ」

 知らず握り込んだ右拳の中で、じとりと汗が滲んだ。



「やれやれ、アリバイ造りも大変だ」

 コメカミを小突く辰巳。無線の復調と一緒に飛んで来た通信の嵐が、まだ頭にこびりついている気がした。

「不時着の操作より大変だった気がする」

 どうあれ、これでお膳立ては整った。後は迎えに行くだけである。

「ちと気まずいが、な」

 こきこきと首を鳴らしながら、辰巳はオウガの霊力装甲を解除。膝を突いたオウガの腕上を、慣れた足取りでひょいひょいと降りる。

 さくり。

 そうして地面に降りると同時に、足下の砂が乾いた音を立てた。

 そう、砂だ。

 オウガは、エジプトの砂漠に緊急着陸していたのだ。

 オウガの後方には、長く尾を引く砂の轍。着陸の激しさを物語る爪痕だ。もっとも、緊急のそれとしては相当に短く、かつ綺麗なものなのだが――。

「こんな着地じゃまだまだだ、って言われんだろうなぁ」

 脳裏で聞こえる冥のダメ出しに首を振りながら、辰巳は目的のモノを探す。

 程なく、それは見つかった。

「……あれか」

 一見すると何も無いが、よくよく目をこらせば空気が陽炎のように揺らいでいる。光学迷彩術式だ。左手首のコントローラを操作して解除コードを送信すれば、迷彩はたちまち解除され、隠れていたものが露わになる。

 のっぺりとした灰色の、こぢんまりとした立方体。ちょっとしたテントのよりやや大きいくらいのそれは、多くの魔術組織で用いられている宿泊用簡易シェルターだ。

 空調完備、風呂付、壁は透過設定も出来るので閉塞感はまったくなし。ひょっとすると翠明寮の自室より快適かも知れない扉の前へ、辰巳は立った。

「……。迎えに来たぞ、ハワード・ブラウン」

 そして、意を決して扉を開いた。


◆ ◆ ◆


 一頻りの報告を受けた後、巌は辰巳へ聞き返した。

「……で、誰も居なかったワケだ?」

「ああ」

 ファントム・ユニット執務室。自分のデスクへ久々に座りながら、辰巳は首を振った。

「さっきも言ったように。あったのは、この鉢植えだけだ」

 目当ての人物に代わって、シェルターで辰巳を待っていた鉢植え――冥が特殊霊力犯罪者特別隔離監視棟へ置いてきたフラワーアレンジメントが、辰巳のデスク上にあった。

 模造品ではない。間違いなく月面にあった本物だ。その証拠に、この鉢植えには利英が試作したフォースアームシステムの、グレンが使っていた転移術式のコピー品が仕込まれているのだから。

 ――不完全とは言え、何故そんなものを凪守なぎもりが持っているのか。

 理由は、ファントム・ユニットがモーリシャスへ強襲をかけたあの日に遡る。

 Eフィールドとモーリシャス本島、二箇所で大鎧装が激闘を繰り広げたあの日。グロリアス・グローリィ本社へ、電子攻撃を仕掛けた者が居た。

 名を酒月利英さかづきりえい。格納庫で各所の状況をモニタリングしながら、この坊主はグロリアス・グローリィ本社のネットワークへ電子攻撃を仕掛けていた。状況を打破出来る何かを探す為に。

『なんじゃ、こりゃあ』

 そうして、彼は見つけてしまった。半分ほど損壊した、グロリアス・グローリィ所有の財産や術式のデータを。

 スレイプニルⅡの発進が急速過ぎたため、データの消去半ばで放置せざるを得なかったのだろう、と言うのが当初の見解ではあった。

 だが。今から思い返せば、それらの断片はわざと残されていたのだろう。魔術組織の解析と団結を、分散させるための鼻薬デコイとして。

 実際、それは多大な効果を発揮した。

 見た事も無い新型の術式。事実上凪守が独占している神影鎧装のデータ。秘匿されていた霊地。その他諸々。つまりは宙ぶらりんとなった魔術資源であり、手付かずの金の卵が山積みになっていたわけだ。

 必然、起きたのはいつぞやのニュートンの遺産管理の後釜狙いを超える大騒動である。更にそこへ標的Sの攪乱工作も加わったのだから、全ての魔術組織は内外問わず足並みを大いに乱された。全員素人のダンスパーティでもこうはなるまい、とは冥の弁である。

 そんな中で、フォースアームシステムのデータは殊更に破損と断片化が著しかった。まぁ向こうもグレン・レイドウという使用者が居る手前、当然の措置ではあった。

 だが。その欠落ぶりが、逆に利英へ火を付けた。

『足りない? なら直したり補ったり盛ったり捏造したりすれば良くない? アナタ色に染めれば良くなくない!?』

 既存の転移術式、冥だけが使えるヘルズゲート・エミュレータ、更に欠損データを合わせる事で利英は何とかフォースアームシステムの復元に成功した。

『ただし燃費はとんでもなく悪いけどねん! マウスだのキングタイガーだのとタメをはりたいんですかねゲヒヒ!』

 辰巳はおもむろに鉢植えを手に取ると、底の部分を回して外す。

「実際、良く考えついたもんだよな」

 皿のようなそれにはめ込まれているのは、二つのI・Eマテリアルだ。内訳はフォースアームシステムが封入されているものと、それへの霊力供給用である。更に鉢植え側には、上空の狙撃衛星の熱量変化、即ちレーザー発射の兆しを捉える探知術式センサーも仕込まれていた。

「盛り沢山極まる仕様だよねー。更にメッセージも仕込んでたんだっけー?」

 久々に弛緩した表情を見せながら、巌は口を挟んだ。

「まぁな。もっとも、何秒たとうが自動的に消滅したりはしなかったがな?」

「……何の話だ?」

「ムカシの話さ。で、ブラウンはこっちの思惑に気付きはしたんだよな?」

 肩をすくめながら、冥は辰巳に続きを促す。

「ああ、疑似フォースアームシステムは二回の起動ログが残ってる。帰還中に確認した」

「月面での狙撃回避で一回、地球への転移で一回、じゃの?」

 言いつつ、雷蔵らいぞうが辰巳のデスクへ湯飲みを置いた。湯気を上げる玉露を、辰巳は「ありがとうございます」と受け取る。

 ――概要はこうだ。

 狙撃衛星の起動を探知した探知術式は、発射直前に直径二メートルほどの転移門を、やはり二メートルほどの上空へ開いた。記録によれば、そのコンマ三秒後に大口径の熱線が特殊霊力犯罪者特別隔離監視棟を焼いている。

 普通なら何もかも蒸発してしまうだろう。だがレーザーを別座標へ、月の反対側へ送っていた転移門の真下だけは、安全地帯だったのだ。

 よぉーく楽しんでくれたまえよ。冥が去り際に残したセリフには、こうした意味があったのだ。

 そうして光が辺りを焼き払う最中で、ブラウンは更にこんな音声を聞いた筈だ。

『おはようフェルプス君。このメッセージを聞いていると言う事は、まずはレーザーの脅威から逃れたと言う事だね。おめでとう。だがこの疑似フォースアームシステムは試作品であり、恐らくそうは持つまい。そこで今回の君の使命だが、真上にある転移門へこの鉢植えを抱えて飛び込んで貰いたい。なおこの転移門はそう時間を置かずに消滅する』

 なお、読み上げていたのは冥である。これを聞いたブラウンは、一体どんなツッコミをしていたろうか。多分「ダレがジムフェルプスじゃオルァ!?」くらいは叫んでいただろう。面会室の透明壁を壊す時も悪態をついたかもしれない。

「トムクルーズ版も良いよね」

「だから何の話だ」

 どうあれ、ブラウンは転移門へ飛び込んだ。表と裏、それぞれ別の座標が設定されていたフォースアームシステムは、本体はちうえの通過を確認した直後に消失。それまで直撃を免れていた床も遂に焼灼され、月面には熱いクレーターだけが残ったワケだ。

 そうしてブラウンはエジプトの西端、遺跡の町シワ・オアシスの南南東八十キロ程の何も無い、しかし事前に逗留用シェルターを設置していた場所へ転移した、筈だった。

「だがさっきも言ったように、シェルターには誰も居なかった」

「僕がわざわざ転移術式を使ってまで設置してやったのになぁ。ま、アレジメントが無事だったのは良い事だけどさ」

「念願の自由も手に入ったし、これ以上借りを作りたくなかったのかのう」

「勝手知ったる自分の国ホームグラウンド、ってのもあったんじゃない?」

「確かにの。ヤツの地元を転移先に選んでやったのが裏目に出たか」

 雷蔵と冥の予測を聞きながら、辰巳は湯飲みを傾ける。痺れるような玉露の熱が、今は少し心地よかった。

「残っていたのはこの鉢植えと――I・Eマテリアルに刻まれていた、ハワード・ブラウンのメッセージだけだ」

 内容を思い返す辰巳の眉間へ、僅かに皺が寄る。

 巌は、いっそう目を細めた。

「中身は、なんだったんだい」

「色々さ。ファントム・ユニットにこれ以上の借りを造りたくないから、相応の情報を置いていく――そういう前置きで、ハワード・ブラウンは結構な量の情報を書き込んでいった」

 辰巳は一気に湯飲みの残りを呷る。猫舌の辰巳にはまだそこそこ辛い温度だったろうが、ものともしなかった。

「その中で、一番デカかった情報は、何だ?」

 巌は聞いた。

 辰巳は、湯飲みをデスクに置いた。

「俺の、正体さ」

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