Chapter10 暴走 06
コクピット内を満たす、芳しい紅茶の香り。一頻りそれを楽しんだ後、マリアはティーカップを傾けた。
舌の上を転がる、熱い琥珀色。こくりと喉を鳴らせば、じわりと回復していく霊力。
多少ではあるが、この紅茶にも霊力賦活効果があるのだ。
「ふ、ぅ」
マリアは息をつく。ようやく人心地ついた。だが同時に、飲んでる場合なのかという疑問符も沸き上がって来る。
「……こんな時だからこそだよ、マリア」
震えるティーカップの水面。映り込む自分の顔へ、マリアは強いて言い聞かせた。その昔、祖父スタンレーから聞かされた言葉の一つを。
――現状、マリアのディスカバリーⅢ四号機には、出来る事がほとんど無い。
武器は全損、サブアームすら今ひとつ調子が悪い。歩行だけなら何とかなるが――。
「それだけじゃあ、ね」
本来なら戦線離脱すべき状態だろう。それでもマリアがこの場に留まっているのは、偏に
盾の裏で打ち合わせたあの時、頼み込まれた最後の、最も重要な役目。
それを果たすため、マリアはこうしてレイト・ライト社の脇で
どういう訳か、迅月は先程から蹲ったまま動く気配を見せない。
「霊力切れって訳じゃないと思うけ、ど?」
マリアが呟いた直後、四号機のセンサーが霊力の反応を捉えた。唐突に出現した上、出力もかなり高めだ。急ぎティーカップを仕舞いながら、マリアはコンソールを操作。霊力の詳細な出所を確認。
「近い……この場所は……レイト・ライト社屋上!?」
見上げる。四号機のカメラをズームさせれば、映り込んだのは青い光。見覚えのある術式陣。
「まさか、転移、術式?」
術式陣自体はかなり小さい。きっと人間サイズだろう。
その予測通り、現われたのは小柄な人影。身の丈に合わぬ巨大なライフルケースを抱えた鎧装姿の少女――ペネロペは、てきぱきと狙撃体勢を整えていく。
「狙撃手? なんで、こんなタイミングで?」
真意は見えないが、見逃す理由もない。どうにかすべくマリアは計器類を睨むが、結局は歯噛みで終わってしまう。
四号機の稼働状況が十全なら、ブーストジャンプで即座に割り込みをかけるのだが――それが出来るだけの霊力すら、今の四号機には足りないのだ。
「だったら――」
せめて、狙う方向だけでも見極めねば。そして、仲間に警告を送らねば。
かくして四号機のカメラを望遠モードにしたマリアは、その目に見たのだ。
レツオウガの霊力装甲が開き、竜牙兵を叩き出したのを。
そして、その開いた霊力装甲へ、狙撃弾が叩き込まれる一部始終を。
レックウの乗り手。霊力装甲の間隙。
「今度は、外さないスよ」
暗夜に霜の降るごとく、ペネロペは引金を引いた。
空気を引き裂き、竜牙兵の欠片を吹き飛ばし、銃弾は過たず着弾する。
「あう!?」
走る衝撃。だが痛みはない。
また弾丸自体もフランジブル弾のように脆い構造だったため、塗装剥げすら起きていない。
だが、それで十分だった。弾丸内部に組み込まれていた術式――いや、意思を持った霊力を叩き込むのが目的だったのだから。
かくて霊力は風葉を、レツオウガの霊力経路を蝕んだ。
「あ」
まともな声を発する暇すら、風葉には無かった。
動けない、などと生温いものではない。
無くなったのだ。あらゆる感覚が。
今も握っているハンドルの固さを、風葉は感じられない。
今も跨っているシートの柔らかさを、風葉は感じ取れない。
「お■……■い! し■かりし■■■ァントム■! ■識を強■持■!」
視界もあやふやだ。真正面の
そのくせ、霊力経路だけは酷く鋭敏に感じ取れた。
末端から切断していく
霊力装甲の揮発は手足のみならず胴体、引いてはコクピットへと進み――程なくレツオウガは、二人のパイロットをさらけ出してしまった。
そう、たった一発の銃撃によって。ギャリガンの予知通りに、だ。
「ファントム5! おい! しっかりしろ!」
叫び続ける辰巳。だが届かない。その必死の叫びを、グレンは立体映像モニタ越しに淡々と見ていた。ただしギャリガンの予知と違って、
「いつ、つじ、く、」
どうあれ、風葉は手を伸ばした。得体の知れないなにかから逃れるため、懸命に。
「だから、ファントム4だって――」
その手を握り替えすべく、辰巳もまた手を伸ばした。竜牙兵との戦闘によって砕けた、血にまみれた手を。
だが、二つの手が結ばれる事は無かった。
指先がどうにか触れる、その直前。風葉の身体は、レックウごとコクピットから射出されたたからだ。緊急脱出システムが起動したのである。
「んな、勝手に動いた……!?」
訝り、見上げる辰巳。その双眸に映るレックウは、まっすぐ空へと昇っていく。
スラスター推力だけではない。全身から放出される膨大な霊力が、風葉をレックウごと押し上げているのだ。
理由は一つしか考えられない。フェンリルが暴走しているのだ。今し方、撃ち込まれた術式か何かによって。
「ファントム5! 戻れ! 戻ってくれぇ!」
辰巳は叫ぶ。必死に、悲痛なまでに。だが届かない。
風葉は離れていく。名を呼ぶ声を無視し、するすると昇っていく。
そして、一際強烈な霊力光が迸ったのだ。
Eフィールド上に居た辰巳、
その、一秒後。
光が収まると同時に、何か巨大なものが、レツオウガの後ろへ着地した。辰巳は振り返る。
それは、キクロプス並みに巨大な
禍は、狼の姿をしていた。金色に濡れる双眸と、灰銀色にざわめく毛並みと、炎のような赤色の
その名を、辰巳は呟いた。
「フェン、リル」
「GRR、RRRRR……」
呟きへ応じるかの如く、フェンリルが唸った。突風のように吹き付ける、獣臭と敵意――いや、殺意。言葉以上に明確なその意思表示に、辰巳は我に返った。
「く、」
即座にオウガをバックステップさせ、間合いを取る。同時に霊力装甲を再展開し、コクピットを遮蔽。最後に鉄拳を構え、どうにか戦闘態勢を整える。
それとほぼ同時に、フェンリルは仕掛けた。
「GAAAAOOOOOOOOOOOOOOOO!!」
さながら、それは電光であった。
右、左、右。稲妻のような軌跡を描きながら、フェンリルが駆ける。爆発じみた砂塵をまき散らす灰銀狼は、瞬きする度に間合いを詰めてくる。まるでロケットエンジンだ。
「は、」
はやい。辰巳がその三文字を言い切るよりも早く、灰銀の影はオウガに肉薄。強靱な前足に備わったカギヅメを、飛び上がりながら振りかぶった。
「ち、ぃ! セット――」
半ば姿勢を崩しながら、辰巳は強引にオウガを一歩引かせる。そのコンマ五秒後、胸部装甲があった場所をフェンリルの爪が引き裂いた。空振りの勢いで叩かれた砂が炸裂、飛び散る砂粒がオウガとフェンリル、双方を叩いた。
「GAAッ! GGAAAAAOOOOOOOOO!」
狂乱する獣は、無論その程度で止まらない。砂を叩いた反動を強引に転換し、上体ごと爪をもう一度振り上げんとする。
「――リバウンダー! 並びにガトリング二つ!」
『Roger Rebounder Gatlinggun Etherealize』
だがそんな獣の本能よりも、辰巳の反応が先んじた。踝部、Eマテリアル上へブースターが生成。フェンリル側へ尾部を向け、火を噴いた。
かくて生じる爆発的加速力。それに乗って跳躍後退しながら、オウガは両腕部へガトリングガンを生成、照準、発射。
円筒形の銃身が唸り、唸り、唸り、唸る。豪雨のような銃撃。
地面が爆ぜ、抉られ、穿たれ、足を止めてしまうフェンリル。密度こそ凄まじいが、結局はただの牽制射撃だ。距離と、時間を稼ぐための。
「止まれ、落ち着け、正気に戻れ……そんなヌルイ説得で止まる相手じゃない、か」
短い轍を刻みながら、オウガは着地。鉄拳を構え、センサーを起動し、辰巳はフェンリルを睨み据える。
そして思い出す。
更には初めて風葉と話したあの時。
「同じなんだ、あの時と。多分」
強いて、辰巳は自分に言い聞かせる。己の直感がただの願望でなく、確かな事実だと信じるために。
根拠は、今し方起動したレックウの緊急脱出システムにある。
緊急脱出を行うには、戦闘機等と同じように脱出レバーを引く必要がある。これによりレックウは搭乗者ごと簡易シールドに包まれ、カタパルトの要領で射出されるワケだが――重要なのはそこではない。
緊急脱出という行動と、今のフェンリルの在り方が、どうにも矛盾しているからだ。
「GRRRRRRRR……」
剣呑な唸りこそ上げるが、フェンリルは先程のように跳びかかって来る素振りを見せない。間合いを離されすぎた為だろう。
じりり、じりりと近付く四つ足。その間合いを保つため、オウガもまたじりり、じりりと後退する。後退しながら、辰巳はフェンリルを観察し、考える。
よくよく見れば、フェンリルの輪郭は陽炎のようにおぼろげである。理由は単純だ。こうしている合間にも、フェンリルの構成霊力が揮発しているからだ。
ライグランスのような斥力場を纏っている、という訳では無い。
「単純に、構造そのものが不安定なんだろうよ」
そんな燃費の悪い禍を、どうしてわざわざEマテリアルという大容量霊力タンクから分離させたのか。しかも上手くやれば、レツオウガの霊力経路伝いに辰巳を殺す事さえ可能だったろうに、だ。
「答えは、きっと単純だ」
フェンリルに合わせてまた一歩後退しながら、辰巳は呟く。
そう、答えは単純なのだ。
敵は、辰巳とフェンリルを――引いては、風葉を戦わせようとしているのだ。
理由は見えない。だが、ロクでもない事は間違いない。
「なら、乗ってやるさ。あえてな」
フェンリルがまた一歩踏み出し、砂礫を踏み締める、その直前。
「セットッ! ブレードッ!」
『Roger Blade Etherealize』
二振りの直刀をしめやかに精製しながら、遂にオウガは踏み込んだ。
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