Chapter08 挑戦 02

「で、なんでこうなるんだ」

 ヘッドギア越しにコメカミを小突きながら、辰巳たつみは空を仰ぐ。

 視界いっぱいに広がるのは、雲一つ無い星の海。だが夜という訳では無い。

 何せ中天には、地球が青く輝いているのだから。辰巳は今、月面にある凪守なぎもりの訓練施設にいるのだ。以前風葉かざはがレックウで模擬戦を行ったあの場所である。

 当然ながら鎧装は展開済。だが今から辰巳が一戦交えるのは、あの時のようなドローンでは無い。

「まったくなあ」

 辰巳は辟易する。視線を正面に戻す。

 百メートルほど離れた右斜め前。もはやすっかり愛車と化したレックウに跨る風葉が、辰巳を見据えている。

『むぅ』

 フェイスシールド越しの表情は硬い。なぜか腕組みもしている。機嫌が悪いんだろうか。

 次いで、辰巳は首を動かす。

 やはり、百メートルほど離れた左斜め前。カルテット・フォーメーションを展開したマリアが佇んでいる。

『あら』

 小さく手を振るマリア。何となく、辰巳も手を振り返した。

 やはり二人とも鎧装展開済み。臨戦態勢そのもの。踏ん切りがついていないのは、どうやら辰巳だけらしい。

「やる気まんまんだねぇ」

 ぼやく辰巳。三人のフェイスシールド内部へ通信モニタが開いたのは、そんな折だった。

『三人とも、聞こえてるねー?』

 現われたのは、微妙に疲れた表情を浮かべるいわおだ。目元には少し隈が浮いている。ほぼ毎日色んな会議やら書類整理やらがひっきりなしなためだ。

 が、当の三人は気にも留めない。

『はい!』

 と、気合い十分な風葉。

『大丈夫です』

 と、柔らかに頷くマリア。

「あー」

 と、平坦な声でのたまう辰巳。

 三者三様の受け答えであるが、この中で一番割を食っているのは、やはり辰巳であろう。

 これから辰巳は、模擬戦をするのだ。風葉とマリア、二人を相手に。

「なんで、こうなったんだ」

 モニタの向こうから聞こえて来るのは、細かい再確認をする巌の声。その注意を聞き流しながら、辰巳は途方に暮れた。


◆ ◆ ◆


 そもそもの原因は四日前、風葉がマリアに賭け勝負を持ちかけた事に端を発する。

「それで、何を賭けます?」

「もちろんあの時の話について、だよ。私が勝ったら、納得いくまできちんと説明してもらうよ」

 ふんす、と息を荒げる風葉。その剣幕を聞きつけた何人かのクラスメイトが「お、なんだよケンカか?」「ちげーよ決闘だよ多分」「へー、手袋でも投げたん?」などと言いたい放題言い始める。無論、二人とも聞く耳持たない。

「ふむ。いいでしょう」

 少し逡巡した後、マリアは頷く。

「それで、霧宮きりみやさんは何を賭けるんです?」

 そうして更に続いた一言が、風葉の思考をフリーズさせた。

「へっ? わたし、も?」

「当然じゃないですか。賭事というものは、全てのプレイヤーがベットしなければ始まらないものです」

「んむむ、またしても正論」

 ぐうの音も出ない風葉。しかも約束を取り付けしか考えていなかったので、何を賭ければ良いのか全然思い浮かばない。

 沈黙。秒針が走る。

 見かねて、辰巳が助け船を出した。

「……じゃあ、やまと屋の菓子とかをおごるってのはどうだ?」

「あ、良いですねそれ。確か、学校の近くにある和菓子屋さんでしたっけ? ちょっと興味があったんですよね」

「おお、何か盛り上がって来たぞ」「何の勝負をするんだ?」「おもしろそー! アタシも入っていい?」「いやダメじゃね?」

 盛り上がる外野。正直こう進むと思っていなかった、そして最近実は懐が少し涼しい風葉は、それでも頷いた。渋々と。

「ん、ん。分かったよ」

「決まりですね。では、ランチがてら何の勝負にするか考えましょう」

 踵を返すマリア。その足取りは、圃場を歩いていた時よりも心持ち軽やかに見える。本当に賭事が好きなんだなぁ、これもお国柄かと辰巳は感心したものだ。

 それからまぁ、とにかく色んな勝負を風葉とマリアは繰り広げた。

 簡単なコイントスに始まり、物好きな陸上部員が審判した短距離走、マリアが流麗なシャッフルを見せつけたポーカー、何故か談話室に昔から備え付けてある将棋、果ては歴史の授業の小テスト、等々。

 その全ての勝負で、風葉は黒星を刻んだ。


◆ ◆ ◆


「はああ……」

 翌日、放課後。日乃栄高校の近くにある小さな和菓子店、やまと屋。二階が住居になっている小さな、しかしよく手入れされたガラス戸を、風葉は開いた。昨日、マリアに負けまくった分を返すためである。

「ごめんくださーい」

 沈んだ顔を隠そうともしない風葉。手の中にはプリントを切って造った引換券が一枚。報酬全部をいっぺんに引き替えるのはいくら何でも食べきれないので、マリアはこうした引換券を造ったのだ。

 そしてその内の一枚を、こうして早速使った訳である。

「うーん」

 引換券をポケットに仕舞いながら、風葉は正面を見やる。もなか、練り切り、饅頭、大福、桜餅。いつもの顔ぶれがカウンターを兼ねたショーケースの中に並んでいる。

 どれにするか――といつもなら楽しみなのだが、今回は流石に悶々とするばかりだ。

「……なんで、勝てないのかなぁ」

「おや、なんだ。景気の悪い顔がいると思ったら風葉じゃないか」

「んえ?」

 のろのろと首を動かす風葉。カウンターの隅の方、いつも備え付けられている丸椅子。腰掛けるメイ・ローウェルが、怪訝顔で振り返っていた。

「……あ、冥くん。来てたんだ。なにしてたの?」

「何って、花を持って来たついでに主人と話してたのさ。知っての通り、ここの桜餅は絶品だからね」

 カウンターの向こう側、折り目正しく頭を下げる初老の店主。手元には、赤や青の花をあしらった鉢が一つ。冥は時折、趣味で造ったフラワーアレジメントを気に入った相手にプレゼントしているのだ。お陰で冥と店主は相当親しくなっており、丸椅子はほぼ冥の専用となっている。

「しかし何だい、そのしょぼくれた顔は。この至高の一品達に失礼じゃあないか」

「むっ、私にも事情があるんだよ、色々と」

 眉根を寄せる風葉は、今までの経緯を冥に話した。

 当然その内容は、伝言ゲームの要領で巌達の耳に入った。

 そうして翌日、風葉と辰巳とマリアは天来号へ呼び出される事になったのだ。


◆ ◆ ◆


「事情は冥から聞かせて貰ったよ。キミ達はチームメイトであり、背中を預け合って戦う仲間だ。スキンシップは結構だが、ちょいと熱くなりつつあるようだね」

 執務室の接客スペースに座らされるなり、現われた坊主頭の男は風葉達にそう説いた。ものすごく爽やかに。

「それにこのテの勝負事に慣れっこのキューザックくんに、素人の霧宮くんが無策で挑むと言うのが、そもそも無謀なんじゃないかと思うんだよ、僕はね」

「なるほど。勝負の基点がそもそも公平じゃない。だから霧宮さんは納得出来ずに何度も勝負を挑んでしまう――そう仰りたいのですね? 酒月利英さかづきりえいさん」

 得心するマリアの確認に、坊主頭のエンジニア――酒月利英は、穏やかな表情で頷いた。

「いやっ、いやいやいや! ちょっと待ってよ!」

 そんなマリアの隣。今まで硬直していた風葉が、ようやく我に返った。

「ど、どうかしたん……いや、どうかしてるぽいのはいつもだけど……とにかく、どうしたんですか酒月さん!?」

 思わず指差してしまう剣幕の風葉に、利英は穏やかに苦笑する。

「大きな声だねえ霧宮くん。何か、そんなに驚くような事でも?」

「ありますよ! その、あの、酒月さんが! なんかこう、優しくて紳士的ないい人じゃないですか! いや、それ自体は良い事なんですけど、普通なのが普通じゃないっていうか!?」

「まぁ、気持ちは分かる」

 うんうんと深く頷くのは、脇のソファに座っていた辰巳である。実はいつも見せていた利英のハイテンションは、基本的に寝不足やら研究による脳内物質セロトニンとかが原因なのだ。

 なので現状のように研究が中断しており、かつ睡眠を十分に取れている酒月利英は、ご覧のように穏やかな紳士になるのだ。

「いつもこうだとありがたいんだけどね」

 思わず呟く冥に、利英は首を傾げる。爽やかに。

「? 僕はいつもと変わらないよ?」

「ああそうかい」

 タブレットに視線を落とす冥。確かに何を言っても馬耳東風な所は、いつもと同じなのかもしれない。

「まぁー要するに、だ。二人の実力が最も伯仲してる勝負を一本やって、それでスッキリしゃっきりケリをつけて欲しいのさー。こーいうのは落とし所が肝心だからねー」

 いつもの細い目で二人を見やりながら、巌は話を纏める。

 自分の驚きがほぼ流された事に風葉は少しむくれたが、すぐ神妙な表情に戻った。

 そうでもしなければいつまでもマリアに勝てない事は、他ならぬ風葉自身が良く分かっていたたからだ。


◆ ◆ ◆


 かくて対決のセッティングは成され、現在に至った訳である。

「何だかなあ」

 ヘッドギア越しにコメカミを小突きながら、辰巳はルールを反芻する。

 制限時間は十分、模擬戦の方式はレベル3。つまり戦闘不能に陥るか、ギブアップするか、制限時間まで最も有効打の判定を集めた者が勝利となるルールだ。

 だが今回はあくまでファントム5と6の勝負であるため、変則ルールとしてどちらかが先にファントム4へ有効打を当てた時点で勝利となるのだ。

 最初にそれを聞かされた時、当然辰巳は抗議した。『ちょっと待ってくれ、なんで俺がターゲットなんだよ』と。

 対する巌は『そりゃー勿論公平性を喫するためさー。同じターゲットを狙う勝負なら、直接対決するよりもフェアな条件になるだろー』と答えた。

 理に適っている。うっかり納得してしまった辰巳は、それでもいくらか反論したのだが、結局は無駄に終わった。

「……まぁ、良いか。無抵抗でいろ、とは言われてないしな」

 むしろ全力で反撃する事を巌から推奨されている。そうしなければ勝負にならないからだ。

「さ、て」

 開始時間まで一分を切った。不満、文句、やるせなさ。うずたかく堆積した諸々の感情を、辰巳は溜息に纏めて吐き出す。思考が切り替わる。

「セット、ハンドガン」

『Roger Handgun Etherealize』

 Eマテリアルから投射される青い光。それが描き出す自動拳銃を掴み撮りながら、辰巳は更に左足を踏み出す。

 ゆらり。銀色の腕が、盾のように掲げられる。顔の前に掲げられたその五指が、小指から順にゆっくりと握られる。闘志が、昂ぶる。

 それを感じ取ったのか、相対する風葉とマリアも各々の得物を構える。臨戦態勢だ。

 かくして辰巳の左手が鉄拳を造り上げると同時に、開始のブザーが鳴り響いた。

「さぁ、始めようか。ちょっとした実力テストをな」

 言い放つ辰巳。それに呼応するように、Eマテリアルから伸びる青い霊力光が、グローブの如く拳を包み込んだ。

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