Chapter07 考査 05

 日乃栄ひのえ高校には二つの校舎がある。北校舎と南校舎だ。

 どちらも三階建てで、大きさもほぼ同じ。だが新しいのは南校舎の方で、施行が終わったのは風葉が入学する少し前である。昔は北校舎一棟しかなかったのだが、近年になって大幅に増築されたのだ。

 二つの校舎は東西の端を連絡棟という建物で繋がっており、上から見ると長方形の形になっている。以前ギノアが光柱を立ち上らせた中庭は、その長方形の中心に位置している訳だ。

「……アレ、かな」

 西連絡棟を渡った先、南校舎二階廊下。立ち止まったマリアは窓ガラスに張り付く雪の隙間から、じっと中庭を見下ろす。

 掃除用具などが雑然と詰め込まれている物置。錆が浮き始めている小さなトタン屋根の上に、奇妙な螺旋状の物体が一つ。

 大きさは三メートルくらいだろうか。束ねた針金を捻ったような外観をしたそれは、もちろん前衛芸術ではない。ペネロペが月面から撃ち込んだ術式が展開したものだ。

 螺旋細工は定期的に発光しながら、間隙から竜巻のような雪を吐き出している。更に看破の瞳には、定期的に迸る電流の光も映っている。

 間違いない、アレがこの写心しゃしん術式の核だ。加えて、術者の姿も見当たらない。

「その辺は予想通り、ですね」

 つぶやき、思索を巡らすマリア。考えねばならぬ事は色々あるが、当面の疑問はあの螺旋がどこから霊力を供給しているか、だ。

 日乃栄霊地への干渉、ではあるまい。先の一件以来凪守なぎもりも防護を強化しているし、もしそうなら干渉された時点で辰巳たつみいわおが何らかの反応をする筈。だが、それは無かった。

 ならばこれだけの写心術式を造り出す霊力は、一体どこから捻出されたのか。

「何か、カラクリがありそうですが……」

 教室の扉から声も無く現われる、歩兵三体。それらをライフルで撃ち、銃剣で突き、斧で両断しながら、マリアは北校舎に視線を移す。

 核である螺旋が近いせいか、北校舎の壁は銀色の雪でほぼ塗り潰されている。だが看破の瞳で見透せば、サーモグラフィのように光る青と銀の人影を、向こうの廊下に見つける事が出来る。

 無論、辰巳と風葉かざはだ。

 二人の位置は二年二組からほとんど動いていない。しかも戦っているのは青い方、辰巳の方だけだ。

 どうにか銀色の塗装を免れている二組の壁を遮蔽物代わりに、左右の廊下奥からやって来る歩兵達を、ハンドガンで迎撃をし続ける辰巳。まるで拠点防衛だ。

 そうして護られている銀色の方――風葉は、何やら二組の教室内でしゃがみ込んでいる。

 恐らくレックウが呼べないからだろう、とマリアは判断した。二人から離れて分かったのだが、どうもこの雪には薄墨色の透過だけでなく、通信を阻害する効果もあるようなのだ。

 なので現状、マリアは二人と連絡を取れない。更に、凪守本部とも音信不通になってしまっている。

 必然、レックウは呼べない。先日ロンドンで黒死病を蹴散らした時のような、あの縦横無尽の突撃戦法を、風葉は取れない。結果、今の風葉は単なる保護対象になってしまった訳か。

 さりとて、風葉がその立場を良しとする性格では無い事も、マリアは理解しているつもりだ。そういう性質の人格でなければ、ファントム5という場所に収まったりするまい。実際、二人の人影は何か喋っているようにも見える。何か手がある訳か。

「だとしても、どう切り抜けるやら。見物ね」

 歌うように言いながら、マリアは指揮棒を振る。二対の斧とライフルが、油断無く廊下を睥睨する。

 しかして向こうも警戒しているのか、あるいは打ち止めなのか、まがつは姿を現さない。膠着状態と言う訳か。

「出来ればこの間に来て欲しい所だけど……」

 ひょっとすると、ホントに自分だけで中庭のアレを潰すようになるかも。そんな打算を思考しつつ、マリアは廊下奥へ視線を戻す。

「……あら」

 雪に埋もれた階段の見える踊り場。その壁の向こうから、ずるりと姿を現す巨大な影が一つ。

 鉄塊のような車体と、それを支える無骨な履帯。左右に一体ずつ歩兵を随伴し、ゆっくりと前進する巨大なシルエット。車体上部に長大な砲身をそびえさせた、その姿は。

「戦、車」

 目を見開くマリア。その驚愕通り、廊下の奥に現われたのは一両の戦車であった。写心術式によって現われた禍は、歩兵だけではなかったらしい。

 形状は歩兵以上に不安定であり、全体が陽炎のように揺らいでる。気を抜けば今にも崩れそうなくらいに危ういが、それでも砲口はこちらをしっかと捉えており。

 利英りえい謹製の鎧装がどれだけ頑丈でも、直撃を貰えばただでは済むまい。

「もたもた、し過ぎちゃったかなっ」

 脇の教室への退避、は不可能だ。透過を阻害する雪で床も壁も塗り込められている。それを無視出来る歩兵連中が今更に恨めしい。

 後ろに下がる、のも悪手である。曲がり角に歩兵が控えている可能性があるし、背を向ければその瞬間に狙い撃たれるのは自明の理。

「ならっ!」

 取れる手段は一つ、撃破しての突破である。攻撃こそ最大の防御になる、とマリアは決断したのだ。

 なのでこの瞬間、マリアの思考から北校舎の二人を待つ選択肢は消えた。その直前、銀色の人影が教室中に霊力を行き渡らせたと言うのに、だ。

 どうあれマリアは指揮棒を振り、二つの斧を自分の正面へ着地。術式によって刃が展開し、一メートル四方の盾となる。

 盾の上部には小さなくぼみがあり、そこにライフルが収まれば即席のトーチカの完成だ。すぐさまマリアはトーチカの裏にしゃがみ込む。

 直後、降って来たのは歩兵が放つ銃弾の雨霰。肉厚の刃が貫通される事は無いが、それでも耳朶を打つ金属音はあまり気分の良いものではない。

「さ、て」

  マリアの指揮棒に従い、向こう側の景色を映し出す肉厚の刃。断続的に続く歩兵の銃撃は、どうやらこの場にマリアを縫い止めるのが目的のようだ。本命であろう戦車の主砲へ、ゆっくりと霊力の光が集まっていく。即席のバリケードごとマリアを吹き飛ばす算段か。

「良いでしょう」

 頷き、マリアはそれを迎え撃つ覚悟を固めた。こちらの銃は二丁。右の精密射撃で砲弾を撃ち落とし、左の連射で歩兵を排除。次弾装填の隙を突いて戦車へ肉薄し、斧で装甲を叩き切る。

 実に即席の戦闘計画だ、上手く行くかどうかは五分が良いところか。

「実に、張りがいのある賭けですねっ」

 しかして、マリアの声は弾んでいる。彼女は、と言うよりもキューザック家は、基本的に皆賭事が好きなのだ。

 だが、結局その賭けは外れる事になる。

「ヴォルテックッ! バスターッ!」

 マリアと戦車の間、丁度廊下の中央辺り。床や壁に厚く堆積していた銀色が、いきなり吹き飛んだ。北校舎のファントム4が、広域撹拌霊力砲術式を撃ち込んだのだ。

 一瞬竦むマリアと禍達。丸く抉れる銀世界。ようやく顔を見せる幻燈結界げんとうけっかいの薄墨色。

 そしてその薄墨色を縫うように、一台のバイクが跳躍透過して現われたのだ。

 響くエンジン、きらめく霊力、鮮烈な赤いラインの刻まれたボディ。そして、白赤の鎧装に身を包む、小柄なライダー。

 その二輪の名を、マリアは良く知っていた。

「レッ、クウ……!?」

 目を剥くマリア。そんな何故、どうしてここにアレが、通信は雪で遮断されている筈――そんな驚愕へ、金色に染まった風葉の双眸が答えた。

 カラクリはこうだ。

 辰巳がハンドガンで歩兵達の注意を引きつけている間に、風葉はフェンリルの力を発動。足下の雪を掘って薄墨の床をどうにか露出させると、そこへフェンリルファングの影を滑り込ませた。

 それから教室全体に影を行き渡らせると、雪を影ごと教室の隅へ一気に押し纏めたのだ。要は雪掻きである。伝説の魔狼の力でこんな事をしたのは、凪守はおろか世界を見渡しても風葉が初めてだったろう。

 どうあれ一時的に通信を回復した風葉は、即座にレックウの緊急出動を要請。紫色の転移術式によって二年二組へ現われた二輪は、今し方フェンリルがかき集めた雪の小山を蹴散らして着地。

 かくて風葉はレックウに跨り、辰巳はその発進道を切り開くため、ヴォルテック・バスターを放ったのだ。

 そうして今に至る訳であるが、無論そんな一部始終がマリアに理解出来る筈も無く。

 驚きで硬直したマリアを余所に、風葉は目の覚めるようなアクセルターンを決める。南校舎廊下に突っ込んだジャンプの勢いを殺すためだ。

 だがそれは、同時に戦車主砲の射線に自ら飛び込んだようなものでもあり。

 故に、轟、と。

 昆虫のごとく反射的に反応した戦車が、その主砲をレックウに向けて放った。

「あ」

 更にマリアの目が見開く。思考が加速する。危ない。だがどうする。こちらの射線はレックウそのものに阻まれている。打つ手は。何か打つ手は。

 そう思考する合間にも砲弾はレックウに肉薄し――真っ二つに切断された。

 ターンの勢いのまま、ウィリー姿勢で振り上げられた乱杭歯の前輪、サークル・セイバーが砲弾を切り払ったのだ。雪での転倒を防ぐため、スパイク代わりとして事前展開していたのである。

 右、左。マリアの斜め上を飛び去った後、後ろの壁にぶつかって爆発する分割砲弾。

 それと同時に、レックウはようやく車体を落ち着けた。だが霊力に輝く二本のタイヤは、あろう事か廊下に対して垂直方向で止まっている。マリアと歩兵達に、わざわざ面積の大きい側面を向けているのだ。

 しかもそんなレックウに跨ったまま、風葉はマリアの方を見たのだ。フェンリルの力を発動させた、金色の双眸で。

「な」

 言葉を失うマリア。戦車砲に次弾が輝き始めた事もある。随伴歩兵達がライフルを構えた事もある。

 だがそれ以上にマリアを驚愕させたのは、そんな禍の姿が見えるよう、風葉が小首を傾げた事であろう。

 つまり、風葉はこう言っているのだ。

 撃て、と。

「――分かってる、って!」

 集中するマリア、発現する看破の瞳。

 霊力が集中する戦車の砲口、輝く砲弾の中心に、マリアは最も脆い点を捉えた。

 指揮棒が振れる、照星が狙う、撃鉄が落ちる、銃声が響く。

 射出された弾丸が、風葉の犬耳の三ミリ上を通過した後、正確無比に戦車主砲へ吸い込まれる。

 かくて、爆発が生まれた。

 砲弾からの誘爆が戦車を微塵に吹き飛ばし、随伴していた歩兵達も巻き添えで消し飛んだ。

 取りあえず、当面の危機は去ったようだ。

「は、ぁ」

 立ち上がるマリア。斧の刃が折り畳まれて元に戻り、ライフル共々遊星のようにふわりと浮き上がる。

「ありがとうございます、ファントム5。助かりました」

 バイザーを開いて礼をするマリアだが、緊張の度合いはむしろ戦車と鉢合わせた時より増している。

 金色に輝く風葉フェンリルの双眸が、こちらを射貫いているからだろうか。

 教室ひとつ分の距離を置いてマリアを見る風葉は、おもむろに口を開いた。

「聞こえてたよ、あなたの動き」

 ああ、やっぱりか。喉元まで出かかったつぶやきを、マリアはすんでのところで飲み込む。首を傾げてマリアに射線を通したのは、それを伝えるジェスチャーでもあった訳だ。

 ――音の反響を解析し、周囲の地形やモノの動きを知覚する術式は、確かにある。風葉はそれとほぼ同じ事を、フェンリルの力で行ったのだ。恐らく、無意識に。

 因みに風葉が聞き始めたのは、マリアが南校舎から二年二組を眺めた、少し前だ。

 二人の動きを試すような仕草とつぶやきは、ほぼ全て筒抜けだった訳だ。

「学校の中だから、音が籠って聞きやすかったのもあるけど」

 疑問、戸惑い、ほんの少しの苛立ち。それらをない交ぜにした金色の視線が、マリアを見つめる。

「……どうして?」

 そして、問うた。

 静かに、しかし、まっすぐに。

 対するマリアは目を閉じ、しばし黙考する。

 こちらに注意を向かせるという目的は、確かに果たした。だが代わりにこちらの動きが見られて――もとい、聞かれていたのは予想外だ。

「それは、ですねぇ」

 適当な相槌を打つマリア。動揺が心中にあるうちは、何を喋ってもロクな切り返しになるまい。

 故に、マリアは時間を引き延ばす。遠からず来るだろう、潮の変わり目を待つために。

 水飴のように長い十秒が経過した後、果たしてそれは来た。唐突に銃声が響いたのだ。

 中庭から響いたそれは、歩兵の放ったものはない。マリアのライフルの自動迎撃でもない。

「っと、なに、五辻くん?」

 弾かれたように風葉は中庭を見下ろし、つられてマリアも視線を移す。

 中庭の中央、物置の屋根。その上に生えていた霊力の螺旋が、粉々に砕け散っていた。北校舎の壁から半身をすり抜けさせた辰巳が、ハンドガンを十数発撃ち込んだのである。

 途端、廊下奥から新たに現われた歩兵が霞のようにかき消え、ざりざりというノイズがマリアの耳朶を打つ。通信が回復したのだ。

『……お、戻ったみたいだな。ようファントム6、無事か?』

 ヴォルテック・バスターで抉れた雪の穴から、ひらひらと手を振る辰巳ことファントム4。その絶妙なアシストに感謝しつつ、マリアはヘッドギアに手を当てて通信音量を調整する。

「ええ、問題ありません。ところで物置の上にあった霊力塊を撃ったのはファントム4、貴方ですか?」

『ああ、いかにも怪しい物体だったんで、思わずな。どうやら撃って正解だったようだけども』

 壁や廊下を見回す辰巳。その周囲では、あれだけしつこく積もっていた雪が急速に溶け始めていた。

 広がった先ですらその有様なのだから、核だった螺旋の周囲には霊力の欠片しか残っていない有様だ。

 そんな光景に、マリアは閃いた。

「そうだ。完全に消滅する前に、情報を収集しないといけませんね」

『? そりゃまぁ、そうかもしれんが――』

 ほとんど残ってないんじゃないのか、と続く辰巳の言葉を遮って、尚もマリアは続ける。

「とにかく、行きます。幻燈結界もいつまで展開してくれてるか、分かりませんしね」

 通信を切るマリア。南校舎の雪もどんどん消えており、すり抜けにはもう何の支障もあるまい。今はとにかく、心が落ち着くまで風葉の追求から逃げるのが先決だ。

「ちょ、ちょっと待ってよ! まだ答えを聞いてないよ!」

 大きめな声で抗議する風葉だが、その瞳は黒に戻っている。先程の威圧感はもう無い。祖父が睨んだ通り、不安定という事か。

「その不安定から助ける下準備だよ、風葉さん」

「え、えっ?」

 意味の見えない回答と、突然に砕けた言葉遣い。その二つに風葉が目を白黒させた隙を突き、マリアは飛び降りる。

 動揺は、もう無い。

「……面白い子」

 代わりに芽生えた興味をつぶやくマリアの頬を、溶け残った霊力の残滓が撫でていった。

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