Chapter07 考査 04

 空間が揺れる。薄墨が走る。向こう側に塗り込められたクラスメイト達が、一斉に真顔に戻る。

 幻燈結界げんとうけっかいが発動したのだ。

 無論ペネロペによって撃ち込まれた術式の影響なのだが、それが今の辰巳たつみ達に分かる筈も無く。

 ほぼ同時に立ち上がった辰巳と風葉かざはは、怪訝顔をマリアに向ける事しか出来ず。

「言っときますけど、転校祝いのサプライズとかじゃないですからね? もしそうなら、今すぐ電話してお礼の電話をたぁっぷりしてますから」

 なので、マリアは少々大げさに肩を竦め返した。

「らしいな。俺もBBBビースリーにそんな行事があるなんて聞いた事無いし」

 つられて小さく鼻をならした後、辰巳は困ったようにコメカミをつつく。

「しかし、そうなると今度はどこの誰だ……?」

「その辺は、そちらのミス霧宮が察しておられるのでは?」

「え、そうなの?」

 辰巳とマリア、二人から見据えられる風葉は、迷いながらも口を開く。

「ん、ん。分かるって言うか、何となくあっちの方かなー、って思うくらいなんだけどさ」

 指差す風葉。掲げられたその指は天井を、空を示している。

 無論本当は更に先にある月を指していたのだが、今は大まかな方向が分かっただけでも十分だ。

「いや、それだけでも今は大金星だろ」

 辰巳は腕時計にその情報を手早く入力し、いわおへ送信。しかる後、左腕をゆらりと突き出す。

 銀色が、鈍く光る。

「これで元凶へは隊長が対応してくれる。こっちはこっちで行くぞ、二人とも」

「ん、えっと、了解!」

「ぶっつけ本番ですか。もっとフィッティングしておきたかったんですが、やむを得ないですね」

 同様に、リストコントローラを構える風葉とマリア。そのまま、三人は同時に叫んだ。

「セットッ! プロテクター!」

『Roger Get Set Ready』

 響く電子音声、起動する鎧装展開術式。

 各々の手首から閃く霊力光がにわかに強さを増す中で、彼等は更に叫ぶ。

「ファントム4!」

「ファントム5っ!」

「ファントム6ッ!」

「鎧装ッ! 展開ッ!!」

 放たれる起動コード、展開する術式。

 各人の手首から伸びる霊力の光線が、機械基板のように分岐しながら身体の上を走る。

 線は数秒のうちに両手足の先まで延び、強烈な閃光を発して消滅。

 それと同時に、三人の服装は日乃栄高校指定の制服から凪守なぎもりの戦闘服へと切り替わっていた。

「機密対魔機関凪守、特殊対策即応班『ファントム・ユニット』、ただいま現着」

 周囲に漂う余剰霊力光を振り払いながら、ファントム4こと辰巳が鎧装展開の完了を告げる。

 その傍らに立つ新人――派遣されるに当たり、巌から暫定的な隊員番号を受け取ったファントム6ことマリアは、自分の装備をしげしげと見下ろす。

「ふむ」

 辰巳のものと同型の、身体の線を浮き彫りにする黒色のバトルスーツ。腕や脚と言った要所に入るラインの色は、青でも赤でも無く灰がかった銀色だ。

「ふむふむ」

 二、三度手を握り、軽くジャンプして手近な机に乗った後、流麗な回し蹴りを決めるマリア。具合を確かめているのだ。

「……良い感じですね、思った以上です。是非ともこれを造った人に会って挨拶したいですね」

「それは止めといた方が良い」

「それは止めといた方が良いよ」

 まったく同じタイミングで手と首を振る辰巳と風葉。同じ頃、天来号の某所でとある坊主がくしゃみをしていたが、特に関係はない。

「はぁ、そうなんですか……おや?」

 机から跳び降りるマリアの鼻先に、ひらひらと舞い落ちる白いもの。思わず翳した手の上に降りたその粒は、すぐさま音も無く溶け消える。

 水も冷たさも残さなかったが、その有様はどう見ても――。

「――雪、ですね」

「あ、ホントだー」

 ぱたぱたと風葉の尻尾が揺れる。舞い踊る銀の粒を、大きな瞳が嬉しそうに追う。

 本能だろうか、と辰巳が思った矢先、風葉ははたと我に返った。

「って、ちょっと待って。えっ、なんで雪降ってんの!? 教室の中だよ!? まだ冬じゃないよ!?」

 思い出したようにうろたえる風葉。それに応えるかのごとく、季節外れの白銀はいよいよ勢いを増し、二年二組の室内に降り積もり始めた。

 そうした一部始終に、辰巳はまたもや鼻を鳴らす。

「成程、まがつの次は写心しゃしん術式、か? 色々と手を考えて来るもんだな」

「写真?」

 首を傾げる風葉に、辰巳は首を振る。

「カメラで撮る方の写真じゃないぞ。心を写す、と書いて写心と読むんだ。接地した場所を基点に、周囲一帯へフィールドを展開する術式でな――」

 言いつつ、辰巳は雪の吹き込む方向を探す。舞い踊る銀色は、廊下側の壁から吹き込んで来ていた。

「――あっちか。術式の都合上、出来上がるフィールドはどうしても術者の心象に影響されるから、写心の名前がついたんだ」

 歩き出す辰巳。その背中に続きながら、マリアが説明を補足する。

「主な用途は、術者に有利な陣地を造り出す事……言わば、術式による塹壕やトーチカといった具合ですね。ご覧の通り、形態そのものは大分違いますけど」

 振り向き、説明を補足するマリア。だが軍事に疎い風葉はトーチカと言われてもそれが何なのかまったく分からない。

「そう、なんだ?」

 前に見た、フェンリルが居たあの赤い空間みたいなものかな――そう風葉が連想するのを余所に、辰巳とマリアは壁をすり抜けていく。

「あっ、ちょっ、まってえ!」

 慌てて後を追う風葉。ほとんど飛び出すように廊下へ出ると、そこはもう一面の銀世界であった。

「うわあ、中なのに外だ」

 端から端までぐるりと見回す風葉。見慣れたいつもの廊下は既に二センチほど雪が積もっており、三人分の足跡を明確に刻み込んでいる。

「止む気配は、ありませんね」

 フェイスシールドを閉じるマリアの指摘通り、雪は弱まるどころかますます強く吹き荒んでくる。どうも風向きから鑑みるに、三組側の廊下の更に向こうから吹雪いているようだ。

「この風を遡っていけば、いずれ写心術式の中心に辿り着けるか――」

 そう言って辰巳が踏み出した矢先、それは廊下の角から現われた。

「――伏せろっ!」

 唐突に叫ぶ辰巳。その声に驚くよりも先に、風葉とマリアは身を屈める。半ば反射的なその反応は、日頃の訓練と転写術式の賜物だ。

 かくてその二秒後、三人の上半身があった空間に銃弾の雨が降り注いだ。

「ち、退避だっ」

 転がるように二組へ戻った三人は、身体についた雪を払い落としながら立ち上がる。

「び、びっくりしたぁ……何だったの、今の」

 胸を撫で下ろす風葉。鼻先にまだ雪がこびりついているが、気付いていないのか拭う素振りさえ見せない。

「察するに、歩兵のようですね、禍の。近代の情報が元になっているのでしょうか」

 リストコントローラを操作し、教室へ飛び込む直前にフェイスシールドへ映った映像を、マリアは立体映像モニタに投射する。

 数秒前、廊下の最奥。そこには立て膝の体勢でライフルを構える歩兵の姿が、確かに映っていた。

 数は四。雪と同じ白色の防寒着に身を包む兵士達に、表情は無い。と言うよりも、顔に該当する部分が陽炎のように揺らいでいるのだ。更に細部を観察すれば、手や足といった末端の輪郭がぼやけているのも見て取れた。

「ふむ」

 マリアは推察する。写心術式への関連性も気になるが、それ以上にマリアは造形のゆらぎへと着目した。

 幽霊を模しているならともかく、あの禍は歩兵という確かな情報が土台にある筈。

 その造形が揺らいでいると言うのは、明らかな霊力不足の証拠だ。

 だが、だとすれば、なぜ術者は十分な霊力を供給しないのか。

「ひょっと、すると」

 供給しないのではなく、出来ないのではないか。

 確たる証拠は無い。だが、そう考えれば色々と辻褄が合うのだ。

「にしても妙だな、いつもならそろそろ仕掛け人が挨拶しに来そうなもんなんだが」

 丁度同じ疑問を抱いていたらしい辰巳のつぶやきに、マリアは頷く。

 そう、その通りだ。振りかざされる武力には、付随する主義主張が必ずある。実際、ギノアやエルドはそれを伝えるために姿を現していたんだし――そう思考するマリアの後ろで、「あ、そうだ」と何か思いついたらしい風葉が、雪を思い切り踏んづけた。

 しかして、この写心術式の術者はそれをしない。それどころか禍の、武力の造形がおざなりになってすらいる。

 ひょっとすると霊力が足りないどころか、そもそも術者自体がこの幻燈結界内に居ないのではなかろうか――そう思考するマリアの後ろで、「あれーおっかしいなぁ」と訝しむ風葉が、雪の上でしきりに飛び跳ねていた。

 もしそうなら、この写心術式には別の目的があるのではないか。

「例えば、稼働テスト、とか」

 口の端から予想が漏れる。無論、それはただの予想だ。だがそれを回収できる内通者サトウが凪守に居るらしいのも、また事実である。

「と、なると」

 初手を打つには今が頃合いか――そんなマリアの思考は、いよいよ激しくなる風葉の足音によって中断した。

「ところで、さっきから何をしてるんです?」

 振り向くマリア。視線の先に居る風葉は、ほとんど地団駄を踏むような勢いで雪を踏みならしている。

「いやっ、だってっここ、幻燈結界なんでしょ? 通り抜けて下から回り込もうと思ったんだけど、出来なくて……あーもう」

 顔をしかめながらも連続ジャンプを止めない風葉に、辰巳は肩をすくめる。

「無駄だぞファントム5、多分この雪が幻燈結界に干渉して、通り抜けられんよう邪魔してるんだ。形はどうあれ、写心術式ってのは幻燈結界に仕切りを造る術式だからな」

「えぇっ!? そう言う事は先に言ってよ! 私跳び損じゃん!」

「ファントム6が塹壕みたいなもんだと言ったろうが」

「その塹壕が何なのかわかんなかったんだってば!」

「そうか」

 むくれる風葉、コメカミをつつくしかない辰巳。そんな漫才コンビを横目に、マリアは看破の瞳で件の雪をじっと見る。

「ふむ。これは……」

 雪の構造自体はごく単純、かつ華奢なものだ。触れただけで人体の発する霊力と干渉し、本物の雪と同じように崩れて消える。もっとも、それを補うためにこうして数をばらまいているのだろうが。

 そしてマリアの目には、その雪に走る霊力の輝きがありありと見えていた。

「どうやら、何らかの術式を伝導するように造られていますね。ファントム5が床を通れなかったのは、それに邪魔されたからでしょう」

 顔を上げ、辺りを見回すマリア。幻燈結界を透過する雪は、二組の教室内にも急速に降り積もりつつある。このままではいずれ閉じ込められてしまうだろう。

 その辺は辰巳も薄々察しているようで、思案顔で腕を組んでいる。

「成程、要するに降雪機とその持ち主を叩けば良い訳だ。問題はそれがどこに居るのかだが――」

 ちら、とマリアを見る辰巳。術式の根源を探して欲しいのだろう。

 頷くマリア。元よりそのつもりであったし、初手を打つ都合から見ても渡りに船だ。

「エスコートと言うのは本来男性の役目なんですが、仕方ないですね」

 歌うように言いながら、マリアは腰アーマー裏に装着されていた装備を取り出す。

 細く、白く、根元に丸いグリップがついている短い棒。それを、風葉は思わず指差す。

「指揮棒、ですか?」

「そうですよ。もっとも――」

 一呼吸。まばたくようなその一瞬に、マリアの指揮棒は四つの術式陣を空中に描いた。直径三十センチ程度の、銀色に輝く幾何学模様。それに命ずるかの如く、マリアの指がぱきりと響く。

「――私の楽団は、凶暴ですけどね」

 かくて指揮者の指示に従い、術式陣の中から現われる楽団員達。

 銃剣の装着されたライフルが二丁。重厚な刃を備えた斧が二振り。高密度の霊力で構成されたそれらの武器は、マリアを護るように周囲を音も無く旋回する。

 カルテット・フォーメーション。術式による無線ネットワークを用いて、複数の霊力武装を同時に操るという、キューザック家得意の戦い方だ。ちなみに指揮棒型の制御装置を用いているのは、偏にマリアの趣味である。

「へええ。何かわかんないけど、すごい――」

 言いかけて、風葉は弾かれたように廊下側の壁へ振り向いた。

 瞳の色が金に変わる。耳と尻尾の獣毛が、ぶわと逆立つ。ペネロペの銃撃を察知した時と同じ反応だ。こちらに向かう敵意を察知したのだ。

 そしてそれとほぼ同時に、マリアのライフルが容赦ない銃声を響かせた。

 一、二、三、四、五、六、七、八発。それぞれ四発ずつの弾丸を放ったライフルは、つい今し方壁を潜った白い兵士達を、一瞬で撃ち倒したのだ。

 気配を察知した直後に消えていく禍の姿に、さしもの風葉フェンリルも少々困惑する。

「え、っ。ちょっ、あの」

 目の色こそ戻ったが、毛は逆立てたままの風葉が、ゆっくりとマリアへ向き直る。

 未だ硝煙が立ち上るライフルを侍らせたマリアは、微笑みながら指揮棒を構える。

「気をつけて下さいね。私の楽団は、基本的に自動的で仕事熱心ですから」

 横一文字に指揮棒を振るマリア。その指示に従ってブーメランのように飛んだ斧が、新たに現われた兵士の首を叩き落とした。

「お見事」

 握りかけていた拳を解く辰巳に、マリアは振り向く。

「ありがとうございます。じゃあ、見事ついでにこの写心術式を潰して来ますね。猶予もあんまり無いみたいですし」

「了解し……なに?」

 思わず聞き返す辰巳。だがその驚きを背に、マリアは廊下へ飛び出した。

 ――こうもマリアが性急な行動を取る理由は二つある。

 一つは、廊下を覆う雪の深さ。先程は二センチ程度だったが、今はもう足首へ届きそうなくらいに積もっているのだ。しかも未だ止む気配を見せないため、立ち往生する前にどうにかする必要がある。

 が、これはあくまで建前だ。確かに重要な目的だが、だからといってマリアが単独で動く理由にはならない。辰巳と風葉、二人と連携と取るのが定石かつ安全策であるはず。

 それを破って飛び出したのは、もう一つの理由のためだ。

 二人の人となりを、特に風葉の方を推し量りながら、自分の存在を印象付けるためである。

 状況に焦ったのか、自分の能力に任せて飛び出した新入り。後ろの二人からすれば、今のマリアはそう見えている事だろう。

 マリアの狙いはそれだ。あえてトラブルを演出し、それにどう対応するかで二人の性格を読み、同時に親睦も深める。

 仲良くなれば巌が同じチームに編成する機会も増える筈であり、フェンリルを狙うチャンスもぐっと増える。

 以上、事前に組み上げていた計画を素早く確認しながら、マリアは看破の瞳で雪に流れる霊力を追う。

 電流のように流れる霊力光。廊下奥へ続いていくそれを目で追うと、曲がり角からまたもや白い歩兵が姿を現した。

 そして、ライフルの速射によって脳天を穿たれた。

「……どうせなら、もっと価値のある賭けを嗜みたいものね」

 鉛のような自嘲を吐き出しながら、マリアは電流に沿って駆けだした。

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