Chapter06 冥王 18

「あー」

 気の抜けきった声を上げながら、いわおは扉を開ける。

 ファントム・ユニット執務室。壁掛け時計を見上げれば、時刻は午後二時少し過ぎ。

 途端、胃袋が空腹を訴え始めた。時間の間隔を思い出したのだ。もっとも、お茶の飲み過ぎも重なっているのだが。

 思わず腹をさする巌だが、今から食堂へ行ってもごはんが出るまで時間がかかるのは明白だ。

「どーすっかなあ」

「なぁに、ここで食えば良かろ」

 右手から声。見ればいつもの虎ワッペンエプロン姿の雷蔵らいぞうが、おにぎり三つと湯気の立つ湯飲みをお盆に載せていた。

「梅、鮭、おかかじゃ。何が出るかは囓ってみてからのお楽しみじゃのぅ」

「おっほぉー、助かるよ雷蔵」

 ひょいとおにぎりをお盆ごと受け取った巌は、軽い足取りのまま自分のデスクに座ろうとする。

 が、その足取りはデスクの手前で止まった。

「あー。あのう、雷蔵さん」

「なんですかのう、巌さん」

「ひょっとして、僕がトイレに行ってた間に、おかわり来てたりしましたか」

「おうともよ」

 力強く頷く雷蔵。質問した巌共々、二人の視線は巌のデスクに向いている。

 山。

 そう形容するしかない書類の束が、巌のデスクをうずたかく占拠していた。巌が離席する前の、優に二倍はあるだろうか。

 内訳は先日行った行動の一部始終の報告、レツオウガ及びEマテリアルの稼働データ、敵神影鎧装の性能と使用した術式に関する質問、等々。

 有り体に言ってしまえば、ようは始末書である。

「だとしても、この量はちょっと、なあ。絶対嫌がらせ入ってるよねこれ」

「仕方ないんじゃないか? 事件を解決できたとは言え、結局ファントム・ユニットのやった事は、別の部署の関係ない一件に首突っ込んだようなもんだからね。突き上げを喰らわない方がおかしいよ」

 くすくすと笑いながら、メイは鉢植えをしげしげと眺めている。片手には赤い花。また新しいフラワーアレジメントを作っているのだ。

 自分のデスクに座ってこそいるが、書類仕事を手伝う素振りはまったく無い。神様なのだから当然かも知れないが、それでも巌は恨めしい視線を投げる。

「レツオウガのダメージがもっと軽微だったら、利英りえいも手伝わせられたんだけどねえぇー」

「はは、それは悪い事をしたな。けど仕方ないんじゃないか? 術者が健在のまま自壊術式を運用する状況なんて、流石にあの天才殿でも想定してなかったろうからな」

 ハサミで茎の長さを調整した後、鉢植えに花を刺す冥。その表情は相変わらずほがらかだ。先のバハムート・シャドー戦以来、冥はずっと機嫌が良いのである。

「……積年、って感じだねー」

 机に座った巌は書類山を強引に押しのけて空きスペースを作り、お盆を置く。

「そんなにスカっとしたかい、冥」

「勿論さ。あの坊主は僕を敬ったり畏れたりしないからな。実にイイ薬だ」

 笑顔のまま、冥は青い花を手に取る。憮然とその横顔を見ながらも、巌はおにぎりに手を伸ばす。囓る。梅だった。

「酸っぱ……しっかし、その利英は今頃どうしてるかねー」

「分からん。いつ行っても扉に鍵がかかっとるから、確認のしようがないんじゃ。廊下のゴミは定期的に増えとるから、なんかしてはおるんじゃろう。術式の開発とかをの」

 レツオウガの術式が、自分の造った理論が、ハーデスの霊力に耐えられなかった――そのショックのために、利英はバハムート・シャドーの消滅したあの日から、自室に籠もりっきりなのである。

「ああいう天才肌ほどアイデンティティを叩かれると脆いもんではあるけど……もう三日か。いやはや、早いもんだねえ」

 軽いハミングさえしながら、冥は青い花をぱちんと切る。

「三日、三日も経ったのかぁ……あー」

 もう何度目になるかわからない溜息を吐いた後、巌はおもむろにお茶をすする。それから片手に梅おにぎりを持ったまま、手近の書類に目を落とす。

 文面や提出先は違えど、要するに先日行ったバハムート・シャドー戦における諸々の報告書である。

「……ごはん片手にやれるくらい手慣れちゃったんだなー、僕は」

「今までもお茶片手じゃったろうに」

「まぁねー」

 梅おにぎりを口に押し込みながら、巌はボールペンを持つ。それから、今まで散々書いた先日の顛末を思い返す。

 ――あの日。バハムート・シャドーの爆発に、レツオウガは吹き飛ばされた。

 機体はそれなりのダメージを受けたが、パイロット達は皆無事だった。鎧装と、何より霊力装甲の堅牢さの賜物だ。だから大変だったのは、むしろその後始末である。特に査問会は色々としんどいものであった。

 さもあらん。何せ余所から見たファントム・ユニットは、ツテを利用してなし崩し気味に勝手な参戦をしでかしたお節介共なのだ。小言で清むはずもない。

 ニュートンの遺産の防衛失敗責任を被せられなかっただけでも御の字だろう。神影鎧装バハムート・シャドーの撃破は、それを帳消しに出来るくらいには大きな実績だったのだ。

「そういえば巌よ。儂が立体駐車場で見つけた例のタンクはどうなったんじゃ?」

 部屋の隅にあるポットで急須にお湯を足しながら、雷蔵は何気なく問うた。

「ん、ああアレねー。その資料は確かこの辺に……あった。えーと。あの後現場で見立てた通り、特に何の変哲も無いタンクだったようだよ」

 掘り出した資料を机の端に置くと、巌は落ちないよう湯飲みを重しにした。いつの間にか中身は空である。

「ファストクイーン社製、大容量霊力保存容器。改造されて分かりづらい見た目になってたけど、間違いないねー。メーカーにも確認済みだ」

 むしろ敵にとって重要なのは、タンク内の怪盗魔術師本体を維持制御する術式の方だったろう。無論、その辺は抜かりなく消去されている。

「なんじゃい。つまりワシは大立ち回りの挙げ句、敵の粗大ゴミ処理を手伝ったワケか。つまらんのう」

「とか何とか言っても、レギオンとの戦い自体は楽しんだんじゃないか、雷蔵?」

 また冥のハサミがぱちんと花を切る。雷蔵はお湯を注いだ急須を軽く揺すりながら、すたすたと巌のデスクへ近付く。

「そんなことは、ないぞう」

 そして巌の湯飲みにお茶を注いだ。

「あんがとさん。まぁ確かに空振ったのは残念だけど、完全に手がかりが掴めなかった訳でも無いよ。特に敵の一人の顔が分かったのは、大きな収穫だねー」

「ああ、あのサラリーマンか。サトウと名乗っていたな」

 実際に鉢合わせた冥はすぐ思い至ったが、面識のない雷蔵は首を傾げるしかない。

「誰じゃい?」

「『敵』の一人だよ、多分諜報員か何かだと思う。身元やら何やらの情報は、情報部の方で既に確定済みだ。後は地球のどこに逃げていようと、遠からず見つかるはずさー。それに――」

 巌は思い出す。怪盗魔術師が最後に残した言葉、『Kill Me』。そこに隠されていた、真のダイイングメッセージを。

「――問題は、まだまだ崩しきれないからねえ」

 怪盗魔術師が最後に放ったメッセージ『kill me』 そのうち、『m』の下に小さな術式陣が刻まれていたのだ。以前アリーナから情報を受け取る際に使っていた暗号術式と同様のそれである。

 最初にそれを見た時、巌は少し笑った。エルド・ハロルド・マクワイルドらしい、何とも小粋な遺言じゃないか、と。

 暗号化の類いは一切されておらず、巌はその遺言へ無造作に目を通した。

 ごく短い文章。だがそれを読み切った直後、巌の顔から笑みは消えた。

 だから巌は、その情報を伏せた。画像データを加工し、隠蔽してしまったのだ。今処理している書類の類いにも、それを記載するつもりはまったく無い。

 さもあらん。下手を打てば、ファントム・ユニット解体にすら繋がる可能性があるのだから。

 そしてこのメッセージと同じか、それ以上に厄介な問題を、今も辰巳たつみは監視している筈である。

霧宮きりみやくんは、今頃授業中かな」

 その問題の渦中に居る風葉かざはを呼びながら、巌は二個目のおにぎりを囓った。


◆ ◆ ◆


 きんこん、とチャイムが鳴る。辰巳がぼんやりしてるうちに、五時限目の古文が終わってしまったのだ。

 しまった、と頬杖を解いてももう遅い。チョークを置いた丸橋まるばし先生がくるりと振り向く。

「……とまぁ、こんな感じだ。今言ったトコ、テストに出すからなー。ちゃんと覚えとけよー」

 気だるそうにいう丸橋先生であるが、その部分を辰巳はごっそりと聞き逃してしまっていた。

「起立!」

 間髪入れずにかかる日直の号令、クラスメイト共々反射的に立ち上がってしまう辰巳。

「礼!」

 お辞儀をする二年二組一同。そうして先生が教壇から降りぬうちに、教室はがやがやと騒ぎ出す。

「あーもー意味わかんねー暗号かよ古文」「そうか? コツさえ掴めば簡単っしょ」「で、昼休みの続きだけどさ」「あー見た見た! カワイイよねモフモフで!」「おでんたべたい」「え、宿題あったっけ!? マジ!?」

 いつもの喧噪が、いつも以上に辰巳の耳をすり抜けていく。

「あー」

 後で誰かに教えて貰うしかなさそうだ。痛むコメカミを突きながら、辰巳は腰を下ろす。

 さて、誰に聞こうか――。

「――まぁ、迷う余地なんて無いか」

 頬杖を突き直しながら、辰巳はそれとなく風葉を見る。

 ノートの転写と、聞き逃した授業内容の頼み先として。

 同時に、巌から言い渡された監視対象として。

 辰巳の視線に気付く事無く、風葉はクラスメイトと楽しげに談笑している。グレイプニル・レプリカは正常に機能しており、風葉のポニーテールを黒く見せている。少なくとも今は。

「……」

 辰巳は思い出す。二日前、巌に聞かされた風葉の状態を。

 フェンリルの、憑依状況を。

『つまり、端的に言うと、だ。フェンリルの憑依の進行が、一気に深まってしまったんだよ。怪盗魔術師との戦いが引き金になったとは言え、ちょいと想定以上の速度だね』

 他にも色々と小難しい説明はあったが、要約するとその一言に尽きる。

 証拠もある。バハムート・シャドーを撃破したあの日、風葉がRフィールドの残滓を捕食したのがそれだ。

 風葉はあの時、術式から離れてフリーになった霊力を、フェンリルで吸収したのだ。

 吸収した事自体はそれほど珍しくもない。同様の目的のために造られた術式も存在している。

 問題なのは、それを為したのがフェンリルファングであるという点だ。

 そもそもフェンリルファングとは、オーディン・シャドー戦の土壇場で風葉が無理矢理に造り上げた、フェンリルの力を行使する引き金である。

 体裁こそ術式の形をしているが、実質は憑依したフェンリルが、風葉から効率よく力を発揮するための扉なのだという。

 そして先日、バハムート・シャドーと戦ったあの時。

 その扉から、フェンリルは新たな力を顕現させた。Rフィールド北欧神話と関連が切れたはずの霊力を、喰らったのだ。それまでのフェンリルファングでは、喰らえなかった筈の代物を。

 状況の緊急性に対し、フェンリルが風葉の要求に応えたのだろう。

「……」

 じっと、辰巳は風葉を見据え続ける。流石に風葉も視線に気付き、怪訝顔を浮かべる。だが辰巳は構いもしない。

 ただじっと風葉の双眸を、黒い瞳を見つめ続ける。

 そう、黒だ。金ではない。

 だが先日、辰巳の背中に居たあの時。

『どうにか出来ると思いますよ? ファントム4と、私の、力があれば』と言った、あの時。

 巌は、風葉の双眸に金色の輝きを見たと言う。

 更に風葉は言葉の通り、フェンリルファングを軸とした戦法を即座に立てた。

 考えて見ればおかしな話だ。確かに風葉は転写術式によってある程度の戦技こそ備えた。だがそれは基礎体術や霊力制御、レックウの運転等だけだ。戦略に関する知識なぞ、知る由もない筈である。

 だというのに、風葉はあの場で取り得た最適解を、即座に導き出した。

 あり得ない話だ。一介の女学生に出来る芸当ではない。間違いなく憑依の深まった影響だ。

「だから、速やかに、フェンリルを引き剥がさねばならない」

 溜息よりも小さな声で、辰巳は自分に言い聞かせる。

 その為の用意も進んでるよー、と巌が言っていた事も思い返す。

 そして、目を伏せる。

「何だってんだ」

 戸惑いが口をつく。当惑が渦を巻く。

 何で俺は、こんな分かりきった事を確認しているんだ、と。

 やるべき事は分かっている。分かりきっている。

 風葉とフェンリルをこのままにしておく事は、絶対に出来ない。だから辰巳は今も風葉を、フェンリルを監視している。不測の事態へ対応するために。

 ――そんな監視も、遠からず終わるだろう。凪守上層部も、風葉のフェンリル移送へ本腰を入れたからだ。

 いずれ代替要員は来る。風葉はフェンリルから解放され、凪守やファントム・ユニットの記憶も消去され、晴れて元の日常へ戻る事になる。危ない事からは全ておさらばし、今以上に友達とお喋りを楽しめるようになるだろう。

 喜ばしい事だ。とてもとても、喜ばしい事だ。

 だと、いうのに。

「……」

 もうじき、ファントム5が、いなくなる。

 その事実を反芻する度に、辰巳の中で何かがもやついた。

 怒り、ではない。当惑、というのも違う。言葉にできないなにか。

「……何だってんだ」

 いくら溜息をつこうとも、それはしこりのように辰巳の胸に留まった。

 そんな辰巳の心情など露とも知らず、しかし視線だけは目ざとく見つけた男子生徒が、からかい気味に言った。

「なんだオイ五辻いつつじ、霧宮が気になってんのか」

「ああ」

 事実なので反射的に頷いてしまう辰巳。だがその意味を男子生徒が、引いては二年二組一同が正しく理解してくれる筈も無く。

「なんと! オマエ霧宮に気があるのか!」

「「「なんだってぇーッ!?」」」

「ちょっ、い、五辻くん!?」

「……あー」

 ばくはつするクラスメイト達、わたわたする風葉、頭をかくしかない辰巳。

「違うんだ。これはなんつーかその、アレだ……えーと」

 全力で言い訳を組み立てながら、辰巳ちらと時計を見る。休み時間が終わるまで、あと三分もない。バハムート・シャドー戦よりも過酷な戦いが、ここに幕を開けてしまった。

「ああもう、勝手に話へ尾ひれ胸びれをつけるんじゃない! そもそもこれは――」

 コメカミを突く辰巳の胸中に、今し方まで燻っていたもやつきは無い。考えているヒマが無くなっただけなのだが、それでも辰巳はこの愉快な喧噪に少しだけ感謝した。

 かちり。時計の針が動く。

 少しずつ、バカ騒ぎの終わりが近付いて来る。その最後の瞬間まで、辰巳と風葉は言い訳と繕いに終始した。

 かちり。それとは別の時計も、少しずつ動き始めた。

 辰巳が己のもやつきの意味を知る事になる、その瞬間の時計だ。

 かちり。時計は動く。少しずつ、確実に、容赦なく。

 いずれチャイムも鳴るだろう。六時限目を告げた、今この時のように。

 選択もせねばならぬだろう。言い訳や繕いではない、確たる決断を。

「ああー、まったく」

 だが今はそんな事を想像する事さえなく、疲れた足取りで辰巳は席に戻る。

 かちり。時計の針が、また少し動いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る